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<32・幻惑>
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鮫島るりはが油断ならぬ相手、であるのは今更語るべくもないことだろう。
そもそも異世界に来る前から、彼女にはどこか別の次元で生きているような不気味さを感じていたのだ。元より悪女として悪い評判が耐えない少女だった。本格的に空一が彼女の顔を見たのは中学に上がってからのことであるが、それでも小学校の頃から、別の学校にとんでもない女がいるらしいなんて噂が聞こえてくるほどだったのである。
そもそも。中学生レベルとはいえ、坂田も安生も充分に屈強な体格の持ち主だ。鮫島だって、細身だが長身であるし、喧嘩が強いのは今回の件ではっきりしている。百戦錬磨のポーラ相手に、手加減されていたとはいえ渡り合った実力者だ。その彼らを統率しているのが、華奢で可愛らしい少女であるのだからとんでもない話である。年齢の面で、仮にるりはと光が留年しているかもしれないという噂が本当だったとしても、彼女らが中学生相当であることに変わりはないのだ。
ポーラのような屈強な体格でもない。
お世辞にも喧嘩が強いようには見えない。
それなのに彼女は、当たり前のように三人の不良達のボスとして君臨している。――どれほど人心掌握に長けているのか、あるいは本当に魔法でも使ったのかと脅威に感じるのは当然のことだ。
――しかも今は、魔女・ジェシカのチートスキルも貰ってるはずなんだよね。
空一はただひたすら警戒して、彼女を睨みつけるしかない。何をしてくるか、何を使ってくるか。非常に困ったことに、るりは本人に関しては殆どスキルの情報がないのだ。ヘキの町のレジスタンスたちに協力して貰って情報収集はしてきたものの、彼女は殆どノース・ブルーの王都であるソウの街に籠もったまま表に出てこなかったのである。しかも王都はほぼ閉鎖状態で、魔女襲来以降情報がほとんど流出してこない状況と来た。
数少ない彼女の登場シーンでも、部下を叱咤激励するくらいが殆どでスキルを使う気配がなかった。おかげでこっちは殆ど対策の取りようのない有様である。
――いや……諦めちゃいけない。園部君ならきっと、少ない情報からも活路を見出して立ち向かうはずだ……!
自分とサミュエルだけで中ボスバトルに挑まなければならなくなったのは想定外だが、それでもやるしかないのだ。
此処には作戦立案に長けた優理もいなければ、圧倒的な武力を持つポーラもいない。
それでもやるしかない。でなければ、優理に、ヒーローに憧れるなんて言う資格も自分にはなくなってしまうのだから。
「クーイチさん」
すっ、とサミュエルが横から耳打ちしてくる。
「先に言います。僕は魔法のことはわかっても、戦闘に関しては素人も同然です。戦ったことなんて数えるしかないので、これは参考程度に聞いてほしいんですが」
「何?」
「彼女は格闘を得意とするタイプには見えません。精々あのトライデントで突いてくるかどうかと言ったところですが、あれが魔具であった場合はその物理攻撃も飛んできません。警戒するべきは魔法だと判断します」
「魔法?」
「はい。……魔法攻撃は全て、スペルを詠唱して魔力を練って放つという工程を経ます。つまり、多少発動までタイムラグがあるんです。注意するべきは彼女の口です。何かを唱えるような素振りがあったら警戒してください」
とっさにこれだけのことが言えるあたり、大したものだ。感心すると同時に、こいつに負けたくないな、なんてあらぬ対抗心を抱いてしまう。そんな場合でないのは百も承知だが。
「作戦は決まったかしら?」
わざわざ待っていてくれたらしいるりはがころころと笑う。完全にナメられている。
「じゃ……行かせてもらうわよ!」
「!!」
どんな攻撃が飛んでくるのか、身構えていた空一は次の瞬間ぎょっとさせられた。彼女が向けてきた三又の矛、その先端がぐんっと伸びてこちらに向かってきたのだから。
「ちょっとぉ!?」
思わず抗議の声を上げて避ける空一。頭上スレスレを、三つに分かれた金色の刃が通過していき、壁に音を立てて突き刺さった。石製に見える壁をやすやすと砕く金属にぞっとする。こんなもの、直接受けたら体が真っ二つになるではないか!
「ちょっとちょっとちょっとサミュエル!魔法攻撃が来るんじゃなかったの?詐欺じゃんこんなのー!!」
「僕に言わないでくださいよ、こっちは予想しただけなんですから!ってうわぁぁまた来る来る来るっ」
「げっ」
突き刺さった槍は一気に縮んで、再びるりはの身長より少し大きい程度のサイズに戻る。が、間髪入れずに再び彼女がその先端をこちらに向けてきて、ぐいいいん、とその切っ先が伸びてくる始末だ。今度は隠れた柱が砕かれた。パラパラと落ちてくる小石に小さく悲鳴を上げる空一である。
「完全に物理攻撃じゃんかもー!何だよあの三叉の槍みたいな矛みたいなやつ!伸び縮みするとか便利すぎ!あれがチートスキルだっての!?」
いや、と。自分で叫んでおきながらすぐ、空一はその考えを否定した。チートスキルにしては地味な印象があるというだけではない。彼女の性格や性質と、スキルの内容がマッチしない違和感が拭えないのだ。
坂田は獣を操るスキル。
安生は物体転送のスキル。
そして光は、痛みを共有させることで敵の動きを止めるスキルを得ていたという。坂田と安生に関しては想像するしかないが、光のスキルは本人の痛みへの耐性も考えるなら、非常に理にかなったものであったのは間違いない。本人の性格を鑑みても非常にマッチしていたと言える。チートスキルが本人が選んだものにせよ、魔女が選んだものにせよ、本人の性格とかけ離れたスキルにはならないだろうというのが空一の予想である。多分これは間違っていないだろう。
つまり、ある程度ならるりはのスキルも、彼女本人の性格から予測することができるはずだということである。
彼女は少年たちを言葉巧みに操り、自分の信者に仕立て上げるのが非常に得意だ。そして、光への支配者然とした対応。何かを支配する、操る、惑わす――そういう能力を選びそうなものではないか。物理攻撃系のチートスキルに行くとは、少々考えにくい気がしているのだが。
――なら、このトライデントでの攻撃は、スキルによるものではない?彼女のスキルは別にあるのか?
慌てて後ろに飛んだところで、さっきまで立っていた場所を槍が砕く。スキルでないなら、一体どんな仕組みになっているのかさっぱりわからない。槍とか矛の類というものは、岩を砕くものでは本来ないと思うのだが。彼女自身にそこまで膂力があるようにも見えないし、ならばやはりスキルか、あるいはあの槍だか矛だかよくわからない武器の力によるものなのか。
「逃げてばっかり?退屈ね、もっと私を楽しませて頂戴!」
「くっそ!」
サミュエルが魔導書を構えて魔法を詠唱する。
「“Fire-single”!」
小さな火の玉の魔法が彼女の方へと飛んでいく。最下級魔法とは思えないほどの威力と速度。生身の人間ならば死なないまでも、そこそこダメージを受けるのは免れられないはずだった。
しかし。
「!?」
有り得ないことが起きた。火の玉が、彼女の体をするりと抜けて、後ろの壁にぶつかったのである。
「うっそでしょ!?」
「え、え?どういうこと?体を透明にするスキルとかそういう?」
「そんなの便利すぎると思うし、ていうか僕に訊かないでくださいってば!」
「あっはっはっは!」
ヤケクソ気味に叫ぶサミュエルを嘲笑うるりは。
「無理無理無理!ぜーったい無理!あんた達程度じゃ私に勝つことなんて、百万回戦ってもあり得ないから!」
だってね、と彼女は指をパチンと鳴らす。
「この場所なら私……こーんなことまで出来ちゃうんだもの!」
「!」
今度こそ、嘘だろ、と空一は叫びたくなった。彼女の合図と共に、真っ黒な天井が崩れてきたのである。
「何でもありすぎじゃん!」
どうにか避けるも、破片の一部が飛んできて頬や腕に切り傷を作った。地味に痛くて泣きたくなる。さっきから殆ど攻撃に転じる暇もない。こんな相手に一体どうやって対処しろと言うのか。自分のスキルは罠を作ることなので、数秒立ち止まって準備しなければ発動さえできないというのに!
――いや、なんか思い違いしてる可能性はないか?聞いた限りじゃ、坂田たちのスキルは万能じゃなかったし、雉本もそれは同じ。与えたのが同じ魔女なら、デメリットなしのスキルはまず無理だと思っていいはず……!
それに、やはり彼女の性格とスキル特性が一致しない。どこかにこの違和感を解決する糸口があるはずなのだが。
――あれ?そういえば、さっきあいつなんて言った?
ふと、空一は引っ掛かりと覚えて記憶を辿った。ついさっきのるりはの台詞だ。確か。
『この場所なら私……こーんなことまで出来ちゃうんだもの!』
――この場所、なら?
もしや。
そこに謎を解く鍵があるとしたら。
「!」
崩れた天井がもとに戻っていく。ここでやっと、空一は明らかな異変に気づいた。何度も何度も三叉の矛に床も壁も抉られてるはずなのに、全てが元通りになっているのだ。柱もおなじ。逃げるのに精一杯になっていたが、もはやこれは。
「サミュエル!」
彼の協力が必要だ。空一は叫ぶ。
「この部屋全体の魔力って探れる!?」
「えっ」
「具体的には、この部屋で一番魔力が集中してるところはどこか!」
どうやら、彼も気付いたらしい。はっとしたように黒い部屋を見回し、やがて柱の一本の根本を指差す。
「あ、あそこです!」
「良しっ……サミュエル、ちょっとだけ時間稼ぎよろしく!」
「あ、ま、待って!」
身を屈めた直後、背中を僅かに槍が掠めていった。痛い、が耐えられないほどじゃない。歯を食いしばり、全速力で柱のところまで駆ける。
気づいたのだ。落とし穴に落ちた自分たちが怪我一つしていないのは何故か。この部屋では、なんて意味深な物言いをるりはがした理由は何故か。そして、物理法則を無視した部屋の仕組みはどうなっているのか。
彼女らしいスキル。そこにさらに当てはめてみれば、答えは実にシンプルだった。そうだ、自分は魔法は使えないが知識はある。魔法の中にもあったはずだ、相手に幻覚を見せる類のものが。
「“罠支配者”!」
その場所に手を押し当てて、罠を作成。自分が使える罠は五種類だ。落とし穴、閃光、爆音、水柱、そして――爆風。あくまで仕掛けた箇所に小さな爆発を起こし、それで敵を吹き飛ばすだけの罠である。大したダメージにもならない。あくまで撹乱用でしかないのだから(ちなみに前回使わなかった水柱も、足元から水を吹き上げさせて相手をびしょ濡れにしたり、滑って転ばせるだけの罠である)。
だがそれらは、仲間の力があれば威力は倍増となる。
サミュエルが魔法を放ってるりはの気を引いてくれているうちに、罠が完成した。爆風を発生させる罠。これで。
「サミュエル、焔を!」
「了解!」
サミュエルが魔法の構えを取る。るりはがここで初めて焦った顔を見せた。
「ちょ、あんた達っ!」
その手が持ち上がる。また天井でも落とす気か。空一は一か八か、るりはの方に真正面から突進した。
「くっ」
体当たりは綺麗にすり抜けてしまう。勢い余って壁に激突する空一。しかし、僅かにるりはを怯ませ、攻撃発動を遅らせることに成功する。
コンマ数秒。
十分だ。
「“Fire-single”!」
サミュエルの炎魔法が柱の根本に突き刺さると同時に、衝撃で空一のトラップが起爆した。爆風が吹き上がり、小さな炎の玉が巨大な焔柱となって天井までもを燃え焦がすことになる。瞬間。
「う、うそっ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
るりはが喉を逸らせて絶叫し――目の前の黒い空間が、硝子のようにひび割れて砕けていったのである。
そもそも異世界に来る前から、彼女にはどこか別の次元で生きているような不気味さを感じていたのだ。元より悪女として悪い評判が耐えない少女だった。本格的に空一が彼女の顔を見たのは中学に上がってからのことであるが、それでも小学校の頃から、別の学校にとんでもない女がいるらしいなんて噂が聞こえてくるほどだったのである。
そもそも。中学生レベルとはいえ、坂田も安生も充分に屈強な体格の持ち主だ。鮫島だって、細身だが長身であるし、喧嘩が強いのは今回の件ではっきりしている。百戦錬磨のポーラ相手に、手加減されていたとはいえ渡り合った実力者だ。その彼らを統率しているのが、華奢で可愛らしい少女であるのだからとんでもない話である。年齢の面で、仮にるりはと光が留年しているかもしれないという噂が本当だったとしても、彼女らが中学生相当であることに変わりはないのだ。
ポーラのような屈強な体格でもない。
お世辞にも喧嘩が強いようには見えない。
それなのに彼女は、当たり前のように三人の不良達のボスとして君臨している。――どれほど人心掌握に長けているのか、あるいは本当に魔法でも使ったのかと脅威に感じるのは当然のことだ。
――しかも今は、魔女・ジェシカのチートスキルも貰ってるはずなんだよね。
空一はただひたすら警戒して、彼女を睨みつけるしかない。何をしてくるか、何を使ってくるか。非常に困ったことに、るりは本人に関しては殆どスキルの情報がないのだ。ヘキの町のレジスタンスたちに協力して貰って情報収集はしてきたものの、彼女は殆どノース・ブルーの王都であるソウの街に籠もったまま表に出てこなかったのである。しかも王都はほぼ閉鎖状態で、魔女襲来以降情報がほとんど流出してこない状況と来た。
数少ない彼女の登場シーンでも、部下を叱咤激励するくらいが殆どでスキルを使う気配がなかった。おかげでこっちは殆ど対策の取りようのない有様である。
――いや……諦めちゃいけない。園部君ならきっと、少ない情報からも活路を見出して立ち向かうはずだ……!
自分とサミュエルだけで中ボスバトルに挑まなければならなくなったのは想定外だが、それでもやるしかないのだ。
此処には作戦立案に長けた優理もいなければ、圧倒的な武力を持つポーラもいない。
それでもやるしかない。でなければ、優理に、ヒーローに憧れるなんて言う資格も自分にはなくなってしまうのだから。
「クーイチさん」
すっ、とサミュエルが横から耳打ちしてくる。
「先に言います。僕は魔法のことはわかっても、戦闘に関しては素人も同然です。戦ったことなんて数えるしかないので、これは参考程度に聞いてほしいんですが」
「何?」
「彼女は格闘を得意とするタイプには見えません。精々あのトライデントで突いてくるかどうかと言ったところですが、あれが魔具であった場合はその物理攻撃も飛んできません。警戒するべきは魔法だと判断します」
「魔法?」
「はい。……魔法攻撃は全て、スペルを詠唱して魔力を練って放つという工程を経ます。つまり、多少発動までタイムラグがあるんです。注意するべきは彼女の口です。何かを唱えるような素振りがあったら警戒してください」
とっさにこれだけのことが言えるあたり、大したものだ。感心すると同時に、こいつに負けたくないな、なんてあらぬ対抗心を抱いてしまう。そんな場合でないのは百も承知だが。
「作戦は決まったかしら?」
わざわざ待っていてくれたらしいるりはがころころと笑う。完全にナメられている。
「じゃ……行かせてもらうわよ!」
「!!」
どんな攻撃が飛んでくるのか、身構えていた空一は次の瞬間ぎょっとさせられた。彼女が向けてきた三又の矛、その先端がぐんっと伸びてこちらに向かってきたのだから。
「ちょっとぉ!?」
思わず抗議の声を上げて避ける空一。頭上スレスレを、三つに分かれた金色の刃が通過していき、壁に音を立てて突き刺さった。石製に見える壁をやすやすと砕く金属にぞっとする。こんなもの、直接受けたら体が真っ二つになるではないか!
「ちょっとちょっとちょっとサミュエル!魔法攻撃が来るんじゃなかったの?詐欺じゃんこんなのー!!」
「僕に言わないでくださいよ、こっちは予想しただけなんですから!ってうわぁぁまた来る来る来るっ」
「げっ」
突き刺さった槍は一気に縮んで、再びるりはの身長より少し大きい程度のサイズに戻る。が、間髪入れずに再び彼女がその先端をこちらに向けてきて、ぐいいいん、とその切っ先が伸びてくる始末だ。今度は隠れた柱が砕かれた。パラパラと落ちてくる小石に小さく悲鳴を上げる空一である。
「完全に物理攻撃じゃんかもー!何だよあの三叉の槍みたいな矛みたいなやつ!伸び縮みするとか便利すぎ!あれがチートスキルだっての!?」
いや、と。自分で叫んでおきながらすぐ、空一はその考えを否定した。チートスキルにしては地味な印象があるというだけではない。彼女の性格や性質と、スキルの内容がマッチしない違和感が拭えないのだ。
坂田は獣を操るスキル。
安生は物体転送のスキル。
そして光は、痛みを共有させることで敵の動きを止めるスキルを得ていたという。坂田と安生に関しては想像するしかないが、光のスキルは本人の痛みへの耐性も考えるなら、非常に理にかなったものであったのは間違いない。本人の性格を鑑みても非常にマッチしていたと言える。チートスキルが本人が選んだものにせよ、魔女が選んだものにせよ、本人の性格とかけ離れたスキルにはならないだろうというのが空一の予想である。多分これは間違っていないだろう。
つまり、ある程度ならるりはのスキルも、彼女本人の性格から予測することができるはずだということである。
彼女は少年たちを言葉巧みに操り、自分の信者に仕立て上げるのが非常に得意だ。そして、光への支配者然とした対応。何かを支配する、操る、惑わす――そういう能力を選びそうなものではないか。物理攻撃系のチートスキルに行くとは、少々考えにくい気がしているのだが。
――なら、このトライデントでの攻撃は、スキルによるものではない?彼女のスキルは別にあるのか?
慌てて後ろに飛んだところで、さっきまで立っていた場所を槍が砕く。スキルでないなら、一体どんな仕組みになっているのかさっぱりわからない。槍とか矛の類というものは、岩を砕くものでは本来ないと思うのだが。彼女自身にそこまで膂力があるようにも見えないし、ならばやはりスキルか、あるいはあの槍だか矛だかよくわからない武器の力によるものなのか。
「逃げてばっかり?退屈ね、もっと私を楽しませて頂戴!」
「くっそ!」
サミュエルが魔導書を構えて魔法を詠唱する。
「“Fire-single”!」
小さな火の玉の魔法が彼女の方へと飛んでいく。最下級魔法とは思えないほどの威力と速度。生身の人間ならば死なないまでも、そこそこダメージを受けるのは免れられないはずだった。
しかし。
「!?」
有り得ないことが起きた。火の玉が、彼女の体をするりと抜けて、後ろの壁にぶつかったのである。
「うっそでしょ!?」
「え、え?どういうこと?体を透明にするスキルとかそういう?」
「そんなの便利すぎると思うし、ていうか僕に訊かないでくださいってば!」
「あっはっはっは!」
ヤケクソ気味に叫ぶサミュエルを嘲笑うるりは。
「無理無理無理!ぜーったい無理!あんた達程度じゃ私に勝つことなんて、百万回戦ってもあり得ないから!」
だってね、と彼女は指をパチンと鳴らす。
「この場所なら私……こーんなことまで出来ちゃうんだもの!」
「!」
今度こそ、嘘だろ、と空一は叫びたくなった。彼女の合図と共に、真っ黒な天井が崩れてきたのである。
「何でもありすぎじゃん!」
どうにか避けるも、破片の一部が飛んできて頬や腕に切り傷を作った。地味に痛くて泣きたくなる。さっきから殆ど攻撃に転じる暇もない。こんな相手に一体どうやって対処しろと言うのか。自分のスキルは罠を作ることなので、数秒立ち止まって準備しなければ発動さえできないというのに!
――いや、なんか思い違いしてる可能性はないか?聞いた限りじゃ、坂田たちのスキルは万能じゃなかったし、雉本もそれは同じ。与えたのが同じ魔女なら、デメリットなしのスキルはまず無理だと思っていいはず……!
それに、やはり彼女の性格とスキル特性が一致しない。どこかにこの違和感を解決する糸口があるはずなのだが。
――あれ?そういえば、さっきあいつなんて言った?
ふと、空一は引っ掛かりと覚えて記憶を辿った。ついさっきのるりはの台詞だ。確か。
『この場所なら私……こーんなことまで出来ちゃうんだもの!』
――この場所、なら?
もしや。
そこに謎を解く鍵があるとしたら。
「!」
崩れた天井がもとに戻っていく。ここでやっと、空一は明らかな異変に気づいた。何度も何度も三叉の矛に床も壁も抉られてるはずなのに、全てが元通りになっているのだ。柱もおなじ。逃げるのに精一杯になっていたが、もはやこれは。
「サミュエル!」
彼の協力が必要だ。空一は叫ぶ。
「この部屋全体の魔力って探れる!?」
「えっ」
「具体的には、この部屋で一番魔力が集中してるところはどこか!」
どうやら、彼も気付いたらしい。はっとしたように黒い部屋を見回し、やがて柱の一本の根本を指差す。
「あ、あそこです!」
「良しっ……サミュエル、ちょっとだけ時間稼ぎよろしく!」
「あ、ま、待って!」
身を屈めた直後、背中を僅かに槍が掠めていった。痛い、が耐えられないほどじゃない。歯を食いしばり、全速力で柱のところまで駆ける。
気づいたのだ。落とし穴に落ちた自分たちが怪我一つしていないのは何故か。この部屋では、なんて意味深な物言いをるりはがした理由は何故か。そして、物理法則を無視した部屋の仕組みはどうなっているのか。
彼女らしいスキル。そこにさらに当てはめてみれば、答えは実にシンプルだった。そうだ、自分は魔法は使えないが知識はある。魔法の中にもあったはずだ、相手に幻覚を見せる類のものが。
「“罠支配者”!」
その場所に手を押し当てて、罠を作成。自分が使える罠は五種類だ。落とし穴、閃光、爆音、水柱、そして――爆風。あくまで仕掛けた箇所に小さな爆発を起こし、それで敵を吹き飛ばすだけの罠である。大したダメージにもならない。あくまで撹乱用でしかないのだから(ちなみに前回使わなかった水柱も、足元から水を吹き上げさせて相手をびしょ濡れにしたり、滑って転ばせるだけの罠である)。
だがそれらは、仲間の力があれば威力は倍増となる。
サミュエルが魔法を放ってるりはの気を引いてくれているうちに、罠が完成した。爆風を発生させる罠。これで。
「サミュエル、焔を!」
「了解!」
サミュエルが魔法の構えを取る。るりはがここで初めて焦った顔を見せた。
「ちょ、あんた達っ!」
その手が持ち上がる。また天井でも落とす気か。空一は一か八か、るりはの方に真正面から突進した。
「くっ」
体当たりは綺麗にすり抜けてしまう。勢い余って壁に激突する空一。しかし、僅かにるりはを怯ませ、攻撃発動を遅らせることに成功する。
コンマ数秒。
十分だ。
「“Fire-single”!」
サミュエルの炎魔法が柱の根本に突き刺さると同時に、衝撃で空一のトラップが起爆した。爆風が吹き上がり、小さな炎の玉が巨大な焔柱となって天井までもを燃え焦がすことになる。瞬間。
「う、うそっ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
るりはが喉を逸らせて絶叫し――目の前の黒い空間が、硝子のようにひび割れて砕けていったのである。
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