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<31・落下>
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ずずずず、と腹の底から響くような音。まるで地下通路そのものが何かの生き物にでもなったようだ。地震が、内臓の蠕動のように感じて空一はぞっとする。冗談ではない――こんなところで通路が崩落するようなことになったら、全員生き埋めは免れられないではないか。出口は見えず、入口も遥か遠くにあるというのに!
「!」
不意に、足元の石畳が動いたような気がした。嫌な予感が、なんて暢気なことを言っている場合でもない。次の瞬間、ずるりと皮が向けるようにタイルが外れて、空一の足を徐に飲み込んでしまった。
「わ、ああああああああ!?」
体が浮いた、そう思った時にはもう全てが遅かった。穴だ。突然自分の足元に穴が空いたのだ。ぽっかりと真っ黒な空間。光の一切届かない、闇。
「空一っ!?」
優理が振り返るも、間に合わない。彼の位置は遠い。だが次の瞬間、別の人間が勢いよく空一の手を掴んでいた。
「く、クーイチさん!こっちへ!」
サミュエルだ。しかし問題は、彼は自分よりもさらに体が小さくて華奢ということである。そもそもの問題、基本的に人間は自分よりも体重が重いものを支えられるようにはできていないのだ。彼の足が滑るのを、空一は絶望的な目で見た。そして。
「ひっ」
「ひゃああああああああああっ!!」
必然と言えば必然。空一と、空一を助けようとしたサミュエルは揃って穴の中に滑り落ちてしまったのである。遠ざかっていく向こうで、優理が、ポーラが、光がぎょっとしたようにこちらを見下ろしているのがわかった。
「空一!サミュエル――!」
優理の絶叫は、どんどん遠ざかって行き――やがて闇の中に溶けるように、フェードアウトしてしまったのである。
***
束の間、夢を見ていた。
空一が小学校の時の夢を。――恐らくは、一生後悔し続けることになるであろう、夢を。
小学校四年生の時のことだ。たまたま名前の順で前後の席になったのがきっかけで仲良しになった友達がいた。柿沼照君。地味で大人しかった空一と比べて、陽気でイケメン、スポーツもなんでもできた人気者の少年である。彼は引っ込み思案でコミュ障気味だった空一にも積極的に声をかけてくれた。四年生のクラスが、それまでの三年間と比較しても非常に楽しいものになったのは彼のおかげである。彼と仲良くなることで彼の友人達にも近づくきっかけが出来、空一も声を上げて笑う回数が増えた。いつも教室の隅でこっそりノートにラクガキしたり、本を読んでいるような少年は、いつの間にか彼と一緒に人気者の一角を担うようになっていたのだ。
まあ、あくまで勢いのあるグループに入れて貰ったせいで、自分も同じ評価のおこぼれをもらっていただけなのは分かっているけれど。それでも空一にとって、彼と過ごした一年間は特別なものとなったのである。来年も同じクラスになれたらいいね、と笑いながら話すくらいには。
『俺、たくさん友達いっけどさー』
あれは、いつのことだったか。学校の帰りに、ぽつりと彼が言ったのだ。
そうだ、思い出した。彼に喜んでほしくて、ひそかに貯めたお小遣いで彼の誕生日にサッカーボールをプレゼントした日。照は本当に嬉しそうに笑って、自分にそう告げたのである。
『その。……空一のことは、特に親友だと思ってっから。今後ともヨロシクな。今日は、本当にありがとう!』
大人になっても続く友情はきっとある。その時の自分は、馬鹿みたいに信じていた。自分は彼を裏切らないし、彼もきっと裏切らないはずだと。そう。
計算違いだったのは。想像していた以上に、空一自身が弱かったことだ。
五年生になった時、仲良しグループで照と一緒のクラスになったのは自分だけだった。お前がいてくれて良かった、と照は笑ったし、空一も同じことを言った。二人で当然のようにツルんだし、コミュニケーション能力の鬼であり空気の読めるイケメンでもある彼はあっという間に新しいクラスにも馴染んで友達を増やした。――そのはずだったのに。
人の嫉妬心というのは、あまりにも恐ろしい。
首謀者は去年同じクラスであり、照と折り合いが悪かった少年の一人だった。自分より顔も良くて勉強もできてスポーツも出来て女の子にモテて先生受けもいい。そんな少年の存在は、いつも自分が中心でなければ気が済まないタイプの彼にとってまさに目の上のたんこぶも同然だったのである。
そして、同じように彼を忌々しいと思う少年たちは少なくなかった。そう、人気があるというのは同じだけ恨みや妬みを買うということ。子供だった空一と照はそれがまったくわかっていなかったのである。
壮絶ないじめが始まるのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
最初、照は自分がいじめられているのを必死で隠そうとしていた。トイレに呼び出されてボコられているのも、私物を盗まれて壊されているのも、ネットの裏掲示板であることないこと言い触らされていることも。悲しいかな、そういうことに疎かった空一は本気で気づかなかったのである。最近彼が一緒に帰って来れなくなった、何か事情でもあるのかなとそんな風に思っただけで。
だから。
『え……え……?』
いじめっこ達に囲まれて、トイレでずぶぬれになって、半裸で震えている照を見つけてしまった時。空一は状況が理解できず、完全にフリーズしてしまったのである。あの照が、今まで見たことのないような姿に。いつも笑っていた彼が、まるで人形のように瞳から光をなくしている。周囲の子供達は手に手にホースを持って水をぶっかけたり、携帯を持って面白おかしく撮影したり。――後から思うに、その状況は“まだ”、普段のいじめと比較してマシな方だったのだろう。酷い時は安全ピンと油性ペンで刺青のようなものを彫られるとか、あるいはさらに暴力的な、性的ないじめもあったらしいから。
『何だよ、誰かと思ったら岸本か』
振り返ったリーダーの少年の眼は、どろりと汚く濁っていた。大人でもそうそう見ないだろうというほど、悪意に満ちた笑み。
『お前も一緒に混ざるかあ?……そうだ、いいこと思いついた。お前が柿沼の代わりになるってんなら……こいつ、解放してやってもいいぜ?もう十分遊んだしな。俺らからするとさー、ストレス発散っていうの?それができればもう誰でもいいって気分なんだよなー』
『――っ!』
彼はべらべらと楽しそうに、自分たちが照にしてきたいじめの数々を話した。まるで武勇伝でも自慢するように。それらすべてを肩代わりする勇気を持てと、空一に脅しかけるように。
もし。あの時空一に、僅かばかりでも勇気があったなら。苛められていた照を助けて、身代わりになることもできただろうか。少なくとも自分と彼は、例え離れても親友のままでいられただろうか。
確かなことは、時間はけして戻らず、犯してしまった罪は消えないということ。
『う、あ……あああああああああああ!』
自分が同じ目に遭うかもしれない。怖い、怖い、怖い――そんな地獄は、見たくない。
空一はその場から逃げ出してしまった。後ろで、げらげらと笑う声に耳を塞いで。そして、報復を恐れて先生に伝えることさえできなかったのである。
ずっと続くかと思っていた関係を、断ち切ってしまったのは空一の方。裏切ったのも、傷つけたのも、全て。唯一の味方を失った照は、もう苛められていることを無理に隠す素振りはしなかくなり、同時に空一と口をきくこともなくなった。空一は親友と引き換えに、自分の安全を守ったのである。いじめを見て見ぬふりをして、関わらないことで標的になるのを防ぐという卑怯なやり方で。
――僕は弱い、弱い、弱い。……友達を見捨てた僕のことなんか、誰も助けてくれるはずない。だってみんな、自分が可愛いに決まってるんだから。
そう、だからこそ。
己がいじめの標的になることも厭わずに、圧倒的に強い相手に立ち向かった――優理の姿は。空一にとっては、世界が変わるほどに衝撃だったのである。
『やめなよっ!』
自分には、光の気持ちも少しだけわかるのだ。彼ほど酷い過去を持っているわけではないけれど、それでも“本物のヒーローなんかこの世にいるはずがない”“誰も自分を助けてくれないに決まっている”と思っていたのは紛れもない事実なのだから。
優理の存在は、あまりにも眩しかった。
ずっとなりたくて、けして自分がなれなかった理想の姿がそこにはあったのだから。
***
「う、ん……」
頬がひんやりと冷たい。意識が浮上するのを感じて、少しだけ空一は安堵していた。ああ、たった今の今まで見ていたのは夢だった――と。あの過去をもう一度追体験して、しかも選択を何も変えられないなんて悪夢以外の何物でもないのだ。それでも心臓の奥がずきりと痛んで、思わず呻き声になる。一生背負わなければいけない――照が五年生の終わりに転校してしまった時に、確かに自分はそう誓った筈だというのに。
――なんで、こんなところで寝てるんだ僕は。そんな場合じゃないのに……今度こそ、見て見ぬフリじゃなくて、自分の意思で、自分の足で、できることをするんだって決めたのに……。
段々と直前の記憶が戻ってくる。そうだ、自分はみんなと地下通路を進んでいたのに、突然地響きに襲われて。そしてそのまま床に穴があいて、真っ暗な闇の中に落ちてしまって――。
「――!サミュエルッ!!」
ぎょっとして上半身を起こした。見れば、幸いにもサミュエルはすぐ傍に倒れている。真っ暗な床に、彼の銀髪が広がっていた。慌てて四つんばいで駆け寄り、その肩を揺さぶる。自分がほぼ無傷ということは、彼にも落下の衝撃はなかったと予想されるが。
――ていうか、ここどこ?なんで僕とサミュエルしかいないの!?
天井も、床も、壁も、全て真っ黒なタイルだ。真っ暗闇なのではなく、全て真っ黒な色に塗られた広いタイル張りの部屋なのである。ドアは、真正面の壁に一つだけ。タイルの部屋には何本か、均等に黒くて太い柱が聳えている。それらがすべて視認できるのは、壁にぐるりと何個も白いランプが灯っているからに他ならない。
窓らしきものはどこにもなかった。ならば此処は地下のどこかなのだろうか。頬には僅かに涼しい風を感じるので、見えないところに通気口のようなものがあるのかもしれないが。
「うーん、計算通りにはいかないものね。一人ずつ落として、始末しようかなって思ってたのに」
聞き覚えのある声がした。ぎょっとしてドアの方を見る。やや籠っているが、間違いない。あの鮫島るりはの声だ。
「ん、ん……?」
「あ、サミュエル!」
流石に異変を感じてか、サミュエルが頭を振りながら顔を起こす。ここは?と戸惑ったように空一を見る少年。
「僕にもわかんないよ!穴に落ちて、気づいたら僕達二人だけでこんな部屋にいたんだ!」
「え」
詳しい説明をしている余裕はなかった。こつ、こつ、こつ――階段を降りるような足音が近づいてくるからだ。
「おはよう、お二人さん、いい夢は見られたかしら」
ぎいい、と真っ黒なドアが軋むように開いていく。その向こうから姿を現したのは、ウェーブした明るい栗色の髪を靡かせた、制服姿の少女。
相変わらず、眼がさめるほど美しい。今はその美貌に見惚れている場合でもないけれど。
「挨拶も早々で申し訳ないんだけどね。あんた達は、私にとって邪魔なの」
彼女の手には、金色の三俣の矛のようなものが握られている。お伽噺で見たことのあるような代物だ。確か人魚姫か何かのアニメでは、海の王様があんなかんじの槍を握っていたのではなかっただろうか。
少女がその手で握るにしては、あまりにも重そうな代物。それを軽々と片手で振り回して、鮫島るりははあっさりと告げるのである。
「だから。……死んでくれない?私の、願いのために」
それこそ。社交界で御機嫌よう、と挨拶でもするような艶やかな笑みで。
「!」
不意に、足元の石畳が動いたような気がした。嫌な予感が、なんて暢気なことを言っている場合でもない。次の瞬間、ずるりと皮が向けるようにタイルが外れて、空一の足を徐に飲み込んでしまった。
「わ、ああああああああ!?」
体が浮いた、そう思った時にはもう全てが遅かった。穴だ。突然自分の足元に穴が空いたのだ。ぽっかりと真っ黒な空間。光の一切届かない、闇。
「空一っ!?」
優理が振り返るも、間に合わない。彼の位置は遠い。だが次の瞬間、別の人間が勢いよく空一の手を掴んでいた。
「く、クーイチさん!こっちへ!」
サミュエルだ。しかし問題は、彼は自分よりもさらに体が小さくて華奢ということである。そもそもの問題、基本的に人間は自分よりも体重が重いものを支えられるようにはできていないのだ。彼の足が滑るのを、空一は絶望的な目で見た。そして。
「ひっ」
「ひゃああああああああああっ!!」
必然と言えば必然。空一と、空一を助けようとしたサミュエルは揃って穴の中に滑り落ちてしまったのである。遠ざかっていく向こうで、優理が、ポーラが、光がぎょっとしたようにこちらを見下ろしているのがわかった。
「空一!サミュエル――!」
優理の絶叫は、どんどん遠ざかって行き――やがて闇の中に溶けるように、フェードアウトしてしまったのである。
***
束の間、夢を見ていた。
空一が小学校の時の夢を。――恐らくは、一生後悔し続けることになるであろう、夢を。
小学校四年生の時のことだ。たまたま名前の順で前後の席になったのがきっかけで仲良しになった友達がいた。柿沼照君。地味で大人しかった空一と比べて、陽気でイケメン、スポーツもなんでもできた人気者の少年である。彼は引っ込み思案でコミュ障気味だった空一にも積極的に声をかけてくれた。四年生のクラスが、それまでの三年間と比較しても非常に楽しいものになったのは彼のおかげである。彼と仲良くなることで彼の友人達にも近づくきっかけが出来、空一も声を上げて笑う回数が増えた。いつも教室の隅でこっそりノートにラクガキしたり、本を読んでいるような少年は、いつの間にか彼と一緒に人気者の一角を担うようになっていたのだ。
まあ、あくまで勢いのあるグループに入れて貰ったせいで、自分も同じ評価のおこぼれをもらっていただけなのは分かっているけれど。それでも空一にとって、彼と過ごした一年間は特別なものとなったのである。来年も同じクラスになれたらいいね、と笑いながら話すくらいには。
『俺、たくさん友達いっけどさー』
あれは、いつのことだったか。学校の帰りに、ぽつりと彼が言ったのだ。
そうだ、思い出した。彼に喜んでほしくて、ひそかに貯めたお小遣いで彼の誕生日にサッカーボールをプレゼントした日。照は本当に嬉しそうに笑って、自分にそう告げたのである。
『その。……空一のことは、特に親友だと思ってっから。今後ともヨロシクな。今日は、本当にありがとう!』
大人になっても続く友情はきっとある。その時の自分は、馬鹿みたいに信じていた。自分は彼を裏切らないし、彼もきっと裏切らないはずだと。そう。
計算違いだったのは。想像していた以上に、空一自身が弱かったことだ。
五年生になった時、仲良しグループで照と一緒のクラスになったのは自分だけだった。お前がいてくれて良かった、と照は笑ったし、空一も同じことを言った。二人で当然のようにツルんだし、コミュニケーション能力の鬼であり空気の読めるイケメンでもある彼はあっという間に新しいクラスにも馴染んで友達を増やした。――そのはずだったのに。
人の嫉妬心というのは、あまりにも恐ろしい。
首謀者は去年同じクラスであり、照と折り合いが悪かった少年の一人だった。自分より顔も良くて勉強もできてスポーツも出来て女の子にモテて先生受けもいい。そんな少年の存在は、いつも自分が中心でなければ気が済まないタイプの彼にとってまさに目の上のたんこぶも同然だったのである。
そして、同じように彼を忌々しいと思う少年たちは少なくなかった。そう、人気があるというのは同じだけ恨みや妬みを買うということ。子供だった空一と照はそれがまったくわかっていなかったのである。
壮絶ないじめが始まるのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
最初、照は自分がいじめられているのを必死で隠そうとしていた。トイレに呼び出されてボコられているのも、私物を盗まれて壊されているのも、ネットの裏掲示板であることないこと言い触らされていることも。悲しいかな、そういうことに疎かった空一は本気で気づかなかったのである。最近彼が一緒に帰って来れなくなった、何か事情でもあるのかなとそんな風に思っただけで。
だから。
『え……え……?』
いじめっこ達に囲まれて、トイレでずぶぬれになって、半裸で震えている照を見つけてしまった時。空一は状況が理解できず、完全にフリーズしてしまったのである。あの照が、今まで見たことのないような姿に。いつも笑っていた彼が、まるで人形のように瞳から光をなくしている。周囲の子供達は手に手にホースを持って水をぶっかけたり、携帯を持って面白おかしく撮影したり。――後から思うに、その状況は“まだ”、普段のいじめと比較してマシな方だったのだろう。酷い時は安全ピンと油性ペンで刺青のようなものを彫られるとか、あるいはさらに暴力的な、性的ないじめもあったらしいから。
『何だよ、誰かと思ったら岸本か』
振り返ったリーダーの少年の眼は、どろりと汚く濁っていた。大人でもそうそう見ないだろうというほど、悪意に満ちた笑み。
『お前も一緒に混ざるかあ?……そうだ、いいこと思いついた。お前が柿沼の代わりになるってんなら……こいつ、解放してやってもいいぜ?もう十分遊んだしな。俺らからするとさー、ストレス発散っていうの?それができればもう誰でもいいって気分なんだよなー』
『――っ!』
彼はべらべらと楽しそうに、自分たちが照にしてきたいじめの数々を話した。まるで武勇伝でも自慢するように。それらすべてを肩代わりする勇気を持てと、空一に脅しかけるように。
もし。あの時空一に、僅かばかりでも勇気があったなら。苛められていた照を助けて、身代わりになることもできただろうか。少なくとも自分と彼は、例え離れても親友のままでいられただろうか。
確かなことは、時間はけして戻らず、犯してしまった罪は消えないということ。
『う、あ……あああああああああああ!』
自分が同じ目に遭うかもしれない。怖い、怖い、怖い――そんな地獄は、見たくない。
空一はその場から逃げ出してしまった。後ろで、げらげらと笑う声に耳を塞いで。そして、報復を恐れて先生に伝えることさえできなかったのである。
ずっと続くかと思っていた関係を、断ち切ってしまったのは空一の方。裏切ったのも、傷つけたのも、全て。唯一の味方を失った照は、もう苛められていることを無理に隠す素振りはしなかくなり、同時に空一と口をきくこともなくなった。空一は親友と引き換えに、自分の安全を守ったのである。いじめを見て見ぬふりをして、関わらないことで標的になるのを防ぐという卑怯なやり方で。
――僕は弱い、弱い、弱い。……友達を見捨てた僕のことなんか、誰も助けてくれるはずない。だってみんな、自分が可愛いに決まってるんだから。
そう、だからこそ。
己がいじめの標的になることも厭わずに、圧倒的に強い相手に立ち向かった――優理の姿は。空一にとっては、世界が変わるほどに衝撃だったのである。
『やめなよっ!』
自分には、光の気持ちも少しだけわかるのだ。彼ほど酷い過去を持っているわけではないけれど、それでも“本物のヒーローなんかこの世にいるはずがない”“誰も自分を助けてくれないに決まっている”と思っていたのは紛れもない事実なのだから。
優理の存在は、あまりにも眩しかった。
ずっとなりたくて、けして自分がなれなかった理想の姿がそこにはあったのだから。
***
「う、ん……」
頬がひんやりと冷たい。意識が浮上するのを感じて、少しだけ空一は安堵していた。ああ、たった今の今まで見ていたのは夢だった――と。あの過去をもう一度追体験して、しかも選択を何も変えられないなんて悪夢以外の何物でもないのだ。それでも心臓の奥がずきりと痛んで、思わず呻き声になる。一生背負わなければいけない――照が五年生の終わりに転校してしまった時に、確かに自分はそう誓った筈だというのに。
――なんで、こんなところで寝てるんだ僕は。そんな場合じゃないのに……今度こそ、見て見ぬフリじゃなくて、自分の意思で、自分の足で、できることをするんだって決めたのに……。
段々と直前の記憶が戻ってくる。そうだ、自分はみんなと地下通路を進んでいたのに、突然地響きに襲われて。そしてそのまま床に穴があいて、真っ暗な闇の中に落ちてしまって――。
「――!サミュエルッ!!」
ぎょっとして上半身を起こした。見れば、幸いにもサミュエルはすぐ傍に倒れている。真っ暗な床に、彼の銀髪が広がっていた。慌てて四つんばいで駆け寄り、その肩を揺さぶる。自分がほぼ無傷ということは、彼にも落下の衝撃はなかったと予想されるが。
――ていうか、ここどこ?なんで僕とサミュエルしかいないの!?
天井も、床も、壁も、全て真っ黒なタイルだ。真っ暗闇なのではなく、全て真っ黒な色に塗られた広いタイル張りの部屋なのである。ドアは、真正面の壁に一つだけ。タイルの部屋には何本か、均等に黒くて太い柱が聳えている。それらがすべて視認できるのは、壁にぐるりと何個も白いランプが灯っているからに他ならない。
窓らしきものはどこにもなかった。ならば此処は地下のどこかなのだろうか。頬には僅かに涼しい風を感じるので、見えないところに通気口のようなものがあるのかもしれないが。
「うーん、計算通りにはいかないものね。一人ずつ落として、始末しようかなって思ってたのに」
聞き覚えのある声がした。ぎょっとしてドアの方を見る。やや籠っているが、間違いない。あの鮫島るりはの声だ。
「ん、ん……?」
「あ、サミュエル!」
流石に異変を感じてか、サミュエルが頭を振りながら顔を起こす。ここは?と戸惑ったように空一を見る少年。
「僕にもわかんないよ!穴に落ちて、気づいたら僕達二人だけでこんな部屋にいたんだ!」
「え」
詳しい説明をしている余裕はなかった。こつ、こつ、こつ――階段を降りるような足音が近づいてくるからだ。
「おはよう、お二人さん、いい夢は見られたかしら」
ぎいい、と真っ黒なドアが軋むように開いていく。その向こうから姿を現したのは、ウェーブした明るい栗色の髪を靡かせた、制服姿の少女。
相変わらず、眼がさめるほど美しい。今はその美貌に見惚れている場合でもないけれど。
「挨拶も早々で申し訳ないんだけどね。あんた達は、私にとって邪魔なの」
彼女の手には、金色の三俣の矛のようなものが握られている。お伽噺で見たことのあるような代物だ。確か人魚姫か何かのアニメでは、海の王様があんなかんじの槍を握っていたのではなかっただろうか。
少女がその手で握るにしては、あまりにも重そうな代物。それを軽々と片手で振り回して、鮫島るりははあっさりと告げるのである。
「だから。……死んでくれない?私の、願いのために」
それこそ。社交界で御機嫌よう、と挨拶でもするような艶やかな笑みで。
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