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<18・連絡>
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サウス・レッドの領地内からの魔石供給が滞っている。その情報が上がって来た時、雉本光は真っ先に園部優理の関与を疑った人間の一人だった。というのも、そもそも現代日本にいた時、あいつは危険だから徹底的に排除した方がいいのでないかとるりはに進言したのは他でもない光であったからである。
『まあ、確かに……一日一回必ず連絡をよこすように言っておいた、坂田と安生の通信も途絶えたままになってるしね』
魔女に貰った通信機は便利だ。腕時計型で、音声だけでも連絡が取れるし、小さくホログラムを表示してテレビ電話のようにすることもできる。光としては、崇拝するべき人の姿が見えた方がモチベーションも上がるので、るりはが許してくれる限りはホログラム通話モードにすることを好んでいたが。
採掘現場はやかましいが、通信ができないほどではない。光が今いるのは、東のイースト・グリーン王国だった。四つの国の中で、最も魔法文明が栄えている王国でもある。軍事力という意味では北のノース・ブルーに一歩譲るものの、多くの魔法使いを抱え、首都に鉄壁の魔法結界を築いていることでも有名だった。ただし完全に守りに徹するには備蓄に問題があることと(サウス・レッドと違ってこの国もまた自給自足にはほど遠い状況であるからである)、ノース・ブルーのように高い攻撃力を持つ兵器の類もないことから戦争には向いていないと言われているらしい。実際、この四つの国が長年表立った戦争にならなかった理由の最たるところは、どの国も一つだけでは成り立たない事情があったからというのが大きいのだろう。どの国も、よその国からなんらかの物資を輸出入して、それでどうにか成立しているのは間違いないことだからである。
そう、今回のように――国の未来も信頼もおかまいなしに、一つの国を誰かが乗っ取って戦争をけしかけるような真似をしなければ。この四つの国は生ぬるい平穏に浸ったまま、なあなあの平和を続けてきたことだろう。それを、魔女・ジェシカがものの見事に破壊したわけであったが。
『一応訊くけど、光。あんたの眼から見て、坂田と安生が私を裏切る可能性ってどれくらいあると思う?』
「まずあり得ない」
『あら、即答なの』
「あいつらと俺は結局のところ同じだからな。お前を神として崇める信者のようなもの。……キリストを崇拝する敬虔な信者が、その肖像画に笑って唾を吐くような真似ができるか?奴らにとってお前を裏切るのは、そういうレベルの行為だ」
『すごい信頼ね』
それもちょっと違うんだけどな、と光は心の中で思う。自分達が互いに抱いているのは、共感であり信用だ。何故なら全員が同じことに恐怖し、同じことに安堵している。神を失う恐ろしさを知っているならば、裏切るなんてことは絶対にない。それは自らの足で処刑台の階段を登るも同然の行為なのだから。
「あいつらの連絡が途絶したなら、なんらかのトラブルがあった可能性が高い。が、俺が見た範囲だと、奴らが本拠地にしていたシュカの町の支配体制はほぼ完璧だった。二人が確固撃破されたならともかく、あいつらの能力上二人で組んでたら大抵の敵には負けなかったことだろう。中学生レベルとはいえ、喧嘩慣れもしている連中だったしな。それでも連絡が途絶えたなら、本当に予期せぬトラブルがあったか……奴らの力を上回る策士がいたか、だ。俺は園部優理を強く疑っている」
ホログラムの中で、るりはがやや眉をひそめたのが分かった。
『それが私にはよくわからないの。あの可愛いおちびさんに、そこまでの力があるもの?あんたも一目見て分かったでしょうけど、ヒーロー気取りのくせにちっとも喧嘩慣れしてる様子なかったわよね。速いのは、逃げ足だけだったでしょ?』
「そうだ。でも、一度はまんまと逃げられたのも事実。足手まといの人間がくっついていたにも関わらず」
あの後、冷静になって考えてみたのだ。何故優理が、ああもあっさりと空一を逃がすことができたのかということを。彼の足ならば、自分達の一瞬の隙を突いて逃げるくらいのことは不可能ではなかった。が、多分四人相手の鬼ごっこから“逃げ切る”だけの体力はなかったように見えたのだ。これは、長年の経験から光が身に着けたカンのようなもの。相手の姿勢や体つきを見て、大体の身体能力や格闘経験の有無を知ることができるのだ。優理は逃げ足だけは早いチビ、それ以上でもそれ以下でもなかったはず。空一に至っては完全に頭でっかちの、足の速ささえ平均レベルのお荷物だったはずである。
それでも逃げられたのは、彼等に自分達が完全に撒かれたから。あるいは、うまくどこかに隠れられたのを、自分達が見落としたということだったのだろう。慣れ親しんだ学校とはいえ、あの状況で素早く隠れ場所を見つけて空一と己を隠し、危機を脱したスキルは相当なものだと言っても過言ではない。とっさの判断力と観察力は非常にあなどれない、あれは放置すると厄介な存在になるだろうと光はそう考えたのである。
だから、子供じみた“いじめ”――机にラクガキをするというテンプレートなことを進言して、彼の反応を見たのだ。今後の自分達の“活動”に邪魔になるなら徹底的に排除する必要があるし、心を折れば障害でなくなるならそれで十分であるはず、と。あんな、漫画のようないじめに遭ったら、普通の人間は驚くしある程度ショックを受けるものである。彼の反応だけで、いろいろと見えてくるものがあるはずだと思った――が。
実際、そんな甘い話ではなかったのである。
『ごめん、僕のせいで。て、手伝うよ……』
『ありがと、でも大丈夫』
いつの間にか、彼が机を掃除するのに、本来一番自分達にびびっているはずの岸本空一までもが手を貸した。他のクラスメート達もだ。こいつがいじめられるならこいつの非ではないのだろう、何かトラブルに巻き込まれたのだろうから手を貸してやらねばならないのだ――教室に、そういう空気が露骨に蔓延したのを光は感じ取ったのである。
こいつはるりはにとって毒になると、そう確信した瞬間だった。
いじめの常套手段を受けてもくじけないどころか、平然とクラスの傍観者たちを味方につけてしまう。ああいうタイプはほっとくと、じわじわとこちらを追い詰める厄介な存在になる。多少強引にでも排除した方がいいのでは。るりはにそう進言した結果、彼女自らが言いだしたのがあの子猫を使うやり方だったのだった。
『あいつが本当にヒーローなんてものになれるのかどうか、確かめてやればいいんじゃない?所詮、弱者は弱者。一番可愛いものは自分なの。どれほど綺麗事抜かしても、結局自分の命を守る為ならば平気で何かを見捨てるものよ』
奴が猫を助けなければよし。車に撥ねられて挽肉になった猫を見れば、あのヒーロー気取りの少年もさすがに心を引き裂かれてズタズタになるだろう。
そして猫を助けようなんて愚かな真似をしようものなら、まず車に撥ねられるか撥ねられそうになって大怪我をするのは見えている。どっちみち、クラスから排除することは叶うだろう。うまくいけば命を落として完全にこの世界から退場してくれるかもね、なんて彼女は心から楽しそうに笑っていた。
――猫を使うやり方は、あまり気分がいいものじゃなかったが。それでも、るりはがやることに間違いはないんだ。俺は、あいつの命令を忠実にこなすだけ。
そして、園部優理が本当に猫を助けて車に轢かれるなんて思ってもみなかったのである。どうせ見捨てるだろうとタカをくくっていた。そう、光でさえ、本気で優理が死んでもいいと思っていたわけではなかったのである。
だが。
彼は本当に、猫を助けるために道路に飛び出してしまった。あれを見て、一番驚いていたのはきっと光だろう。まあ、その直後に運転を誤った自動車がこっちに突っ込んできて、その事実にびっくりしている場合でさえなくなってしまったわけだが。
――奴は、危険すぎる。本当にこの世界に転生してきているなら、間違いなく魔女とるりはの障害になるだろう。
「るりは」
自分は、彼女に命を救われた。この体は髪の毛から足の先に至るまで彼女の所有物であり、彼女の全てを守る盾としてのみ機能する。一応彼女の彼氏ということにはなっているが、そんな甘ったれた関係ではけしてない。何故なら自分は彼女に抱かれたことはあっても、抱いたことなど一度もないのだから。そのようなおこがましいことが、許される筈もないのだから。
「……園部優理と岸本空一も、この世界のどこかに転生してきている。そして、魔女・ジェシカを阻む刺客として、別の魔女から送り込まれてくるだろう……そういう話だったな」
『ええ、そうね』
「そして、園部優理が魔女に与えられたスキルは“引き寄せ”。最強の素質を持つ仲間を引き寄せる幸運を持つ能力だった。……役に立ちそうもないスキルだとるりはや坂田、安生は笑ったが、俺は十分脅威になりうると思っている。奴は喧嘩は下手だが、人を味方につけるのはムカつくほど上手いタイプだ。本当に強い味方を増やされたら、時間を追うごとに面倒になるだろう」
坂田と安生から報告が上がって来ていない以上、彼等の町で起きたトラブルに優理が関わっているという証拠があるわけではない。だが、彼等を倒せる人間がもしも本当にいるのなら、それは優理以外にないのではないかと光はどこかで確信していた。半分勘のようなものだが、経験上このテの勘が外れた試しはないのである。
「シュカの町で何かが起きたのは確実。それに奴らが関わっていると仮定した場合、奴らは現在サウス・レッド王国内にいる可能性が極めて高いだろう。魔女・ジェシカを倒す刺客ということは……恐らく奴の黒幕には、ジェシカを倒せば元の世界に帰してやるとでも吹き込まれている可能性が高い。ならば、園部優理が仲間とともに次に向かうであろう場所は決まっている」
魔女・ジェシカがノース・ブルー王国を乗っ取ったなんて情報は、少し調べればすぐわかることである。ならば最短距離で、ノース・ブルー王国の王都を目指すはず。普通に考えれば、魔女はその王宮に潜伏していると考えるのが妥当なのだから。
ただし、サウス・レッド王国とノース・ブルー王国は直通で向かうことが難しい位置にあったりする。というのも、この大陸は中央に大きな湖があり、赤と青の王国はその湖を挟んで向かい合っている配置だからだ。レッドからブルーに向かうためには湖を渡るか、湖をぐるりと迂回してイースト・グリーン王国かウェスト・イエロー王国を経由するしかない。
「湖をまっすぐ突っ切る方法がないわけではないが、湖はノース・ブルー王国の艦隊が常に見張っている。現在は、こちらが要請した船以外は一切通さない状態だ。不審な船はかたっぱしから砲撃して沈めているし、その噂はサウス・レッド王国の連中の耳にも入っているだろう」
『そうね。安全策を取るなら、どちらかの国のルートを通った方がいいに決まってるわ』
「そうだ。だから……奴らのルートを誘導する。俺が今いる、イースト・グリーン王国の領地を通るように」
岩場をゆっくりと登っていく。イースト・グリーン王国は、最も魔石の採掘が期待できる国でもある。こうして自分が少し高い位置に立って見張れば、駆り出された国民たちが怯えながら必死で採掘作業に邁進するのがわかった。トンカントンカンと、ひたすらツルハシが石を叩く音が木霊する。サウス・レッドの方の採掘作業が滞っている以上、少しでもこちらで採掘量を上げなければいけない。
魔女・ジェシカは言った。魔石を集めよ、それによってこの世界に眠る伝説のドラゴンを呼び覚ますのだと。
そのドラゴンの力を手に入れれば、自分はまさに万能の力を持つ魔女になれる。そうしたら、お前達の望みを何でも叶えてやろう、と。
――俺は元に世界に帰ることさえどうでもいい。るりはが居る場所が、俺の居る場所。あいつの幸せが、俺の全てなんだから。
るりはの願いを一刻も早く叶えるために。
自分は魔女に、魔石を少しでも多く貢がなければいけないのだ。そのための障壁は、少しでも早く排除しなければ。
「るりは。……殺していいよな、あいつ」
園部優理を、魔女に辿りつかせるつもりはない。
彼の未来はこの自分が、雉本光が捻り潰してやるのだから。
『まあ、確かに……一日一回必ず連絡をよこすように言っておいた、坂田と安生の通信も途絶えたままになってるしね』
魔女に貰った通信機は便利だ。腕時計型で、音声だけでも連絡が取れるし、小さくホログラムを表示してテレビ電話のようにすることもできる。光としては、崇拝するべき人の姿が見えた方がモチベーションも上がるので、るりはが許してくれる限りはホログラム通話モードにすることを好んでいたが。
採掘現場はやかましいが、通信ができないほどではない。光が今いるのは、東のイースト・グリーン王国だった。四つの国の中で、最も魔法文明が栄えている王国でもある。軍事力という意味では北のノース・ブルーに一歩譲るものの、多くの魔法使いを抱え、首都に鉄壁の魔法結界を築いていることでも有名だった。ただし完全に守りに徹するには備蓄に問題があることと(サウス・レッドと違ってこの国もまた自給自足にはほど遠い状況であるからである)、ノース・ブルーのように高い攻撃力を持つ兵器の類もないことから戦争には向いていないと言われているらしい。実際、この四つの国が長年表立った戦争にならなかった理由の最たるところは、どの国も一つだけでは成り立たない事情があったからというのが大きいのだろう。どの国も、よその国からなんらかの物資を輸出入して、それでどうにか成立しているのは間違いないことだからである。
そう、今回のように――国の未来も信頼もおかまいなしに、一つの国を誰かが乗っ取って戦争をけしかけるような真似をしなければ。この四つの国は生ぬるい平穏に浸ったまま、なあなあの平和を続けてきたことだろう。それを、魔女・ジェシカがものの見事に破壊したわけであったが。
『一応訊くけど、光。あんたの眼から見て、坂田と安生が私を裏切る可能性ってどれくらいあると思う?』
「まずあり得ない」
『あら、即答なの』
「あいつらと俺は結局のところ同じだからな。お前を神として崇める信者のようなもの。……キリストを崇拝する敬虔な信者が、その肖像画に笑って唾を吐くような真似ができるか?奴らにとってお前を裏切るのは、そういうレベルの行為だ」
『すごい信頼ね』
それもちょっと違うんだけどな、と光は心の中で思う。自分達が互いに抱いているのは、共感であり信用だ。何故なら全員が同じことに恐怖し、同じことに安堵している。神を失う恐ろしさを知っているならば、裏切るなんてことは絶対にない。それは自らの足で処刑台の階段を登るも同然の行為なのだから。
「あいつらの連絡が途絶したなら、なんらかのトラブルがあった可能性が高い。が、俺が見た範囲だと、奴らが本拠地にしていたシュカの町の支配体制はほぼ完璧だった。二人が確固撃破されたならともかく、あいつらの能力上二人で組んでたら大抵の敵には負けなかったことだろう。中学生レベルとはいえ、喧嘩慣れもしている連中だったしな。それでも連絡が途絶えたなら、本当に予期せぬトラブルがあったか……奴らの力を上回る策士がいたか、だ。俺は園部優理を強く疑っている」
ホログラムの中で、るりはがやや眉をひそめたのが分かった。
『それが私にはよくわからないの。あの可愛いおちびさんに、そこまでの力があるもの?あんたも一目見て分かったでしょうけど、ヒーロー気取りのくせにちっとも喧嘩慣れしてる様子なかったわよね。速いのは、逃げ足だけだったでしょ?』
「そうだ。でも、一度はまんまと逃げられたのも事実。足手まといの人間がくっついていたにも関わらず」
あの後、冷静になって考えてみたのだ。何故優理が、ああもあっさりと空一を逃がすことができたのかということを。彼の足ならば、自分達の一瞬の隙を突いて逃げるくらいのことは不可能ではなかった。が、多分四人相手の鬼ごっこから“逃げ切る”だけの体力はなかったように見えたのだ。これは、長年の経験から光が身に着けたカンのようなもの。相手の姿勢や体つきを見て、大体の身体能力や格闘経験の有無を知ることができるのだ。優理は逃げ足だけは早いチビ、それ以上でもそれ以下でもなかったはず。空一に至っては完全に頭でっかちの、足の速ささえ平均レベルのお荷物だったはずである。
それでも逃げられたのは、彼等に自分達が完全に撒かれたから。あるいは、うまくどこかに隠れられたのを、自分達が見落としたということだったのだろう。慣れ親しんだ学校とはいえ、あの状況で素早く隠れ場所を見つけて空一と己を隠し、危機を脱したスキルは相当なものだと言っても過言ではない。とっさの判断力と観察力は非常にあなどれない、あれは放置すると厄介な存在になるだろうと光はそう考えたのである。
だから、子供じみた“いじめ”――机にラクガキをするというテンプレートなことを進言して、彼の反応を見たのだ。今後の自分達の“活動”に邪魔になるなら徹底的に排除する必要があるし、心を折れば障害でなくなるならそれで十分であるはず、と。あんな、漫画のようないじめに遭ったら、普通の人間は驚くしある程度ショックを受けるものである。彼の反応だけで、いろいろと見えてくるものがあるはずだと思った――が。
実際、そんな甘い話ではなかったのである。
『ごめん、僕のせいで。て、手伝うよ……』
『ありがと、でも大丈夫』
いつの間にか、彼が机を掃除するのに、本来一番自分達にびびっているはずの岸本空一までもが手を貸した。他のクラスメート達もだ。こいつがいじめられるならこいつの非ではないのだろう、何かトラブルに巻き込まれたのだろうから手を貸してやらねばならないのだ――教室に、そういう空気が露骨に蔓延したのを光は感じ取ったのである。
こいつはるりはにとって毒になると、そう確信した瞬間だった。
いじめの常套手段を受けてもくじけないどころか、平然とクラスの傍観者たちを味方につけてしまう。ああいうタイプはほっとくと、じわじわとこちらを追い詰める厄介な存在になる。多少強引にでも排除した方がいいのでは。るりはにそう進言した結果、彼女自らが言いだしたのがあの子猫を使うやり方だったのだった。
『あいつが本当にヒーローなんてものになれるのかどうか、確かめてやればいいんじゃない?所詮、弱者は弱者。一番可愛いものは自分なの。どれほど綺麗事抜かしても、結局自分の命を守る為ならば平気で何かを見捨てるものよ』
奴が猫を助けなければよし。車に撥ねられて挽肉になった猫を見れば、あのヒーロー気取りの少年もさすがに心を引き裂かれてズタズタになるだろう。
そして猫を助けようなんて愚かな真似をしようものなら、まず車に撥ねられるか撥ねられそうになって大怪我をするのは見えている。どっちみち、クラスから排除することは叶うだろう。うまくいけば命を落として完全にこの世界から退場してくれるかもね、なんて彼女は心から楽しそうに笑っていた。
――猫を使うやり方は、あまり気分がいいものじゃなかったが。それでも、るりはがやることに間違いはないんだ。俺は、あいつの命令を忠実にこなすだけ。
そして、園部優理が本当に猫を助けて車に轢かれるなんて思ってもみなかったのである。どうせ見捨てるだろうとタカをくくっていた。そう、光でさえ、本気で優理が死んでもいいと思っていたわけではなかったのである。
だが。
彼は本当に、猫を助けるために道路に飛び出してしまった。あれを見て、一番驚いていたのはきっと光だろう。まあ、その直後に運転を誤った自動車がこっちに突っ込んできて、その事実にびっくりしている場合でさえなくなってしまったわけだが。
――奴は、危険すぎる。本当にこの世界に転生してきているなら、間違いなく魔女とるりはの障害になるだろう。
「るりは」
自分は、彼女に命を救われた。この体は髪の毛から足の先に至るまで彼女の所有物であり、彼女の全てを守る盾としてのみ機能する。一応彼女の彼氏ということにはなっているが、そんな甘ったれた関係ではけしてない。何故なら自分は彼女に抱かれたことはあっても、抱いたことなど一度もないのだから。そのようなおこがましいことが、許される筈もないのだから。
「……園部優理と岸本空一も、この世界のどこかに転生してきている。そして、魔女・ジェシカを阻む刺客として、別の魔女から送り込まれてくるだろう……そういう話だったな」
『ええ、そうね』
「そして、園部優理が魔女に与えられたスキルは“引き寄せ”。最強の素質を持つ仲間を引き寄せる幸運を持つ能力だった。……役に立ちそうもないスキルだとるりはや坂田、安生は笑ったが、俺は十分脅威になりうると思っている。奴は喧嘩は下手だが、人を味方につけるのはムカつくほど上手いタイプだ。本当に強い味方を増やされたら、時間を追うごとに面倒になるだろう」
坂田と安生から報告が上がって来ていない以上、彼等の町で起きたトラブルに優理が関わっているという証拠があるわけではない。だが、彼等を倒せる人間がもしも本当にいるのなら、それは優理以外にないのではないかと光はどこかで確信していた。半分勘のようなものだが、経験上このテの勘が外れた試しはないのである。
「シュカの町で何かが起きたのは確実。それに奴らが関わっていると仮定した場合、奴らは現在サウス・レッド王国内にいる可能性が極めて高いだろう。魔女・ジェシカを倒す刺客ということは……恐らく奴の黒幕には、ジェシカを倒せば元の世界に帰してやるとでも吹き込まれている可能性が高い。ならば、園部優理が仲間とともに次に向かうであろう場所は決まっている」
魔女・ジェシカがノース・ブルー王国を乗っ取ったなんて情報は、少し調べればすぐわかることである。ならば最短距離で、ノース・ブルー王国の王都を目指すはず。普通に考えれば、魔女はその王宮に潜伏していると考えるのが妥当なのだから。
ただし、サウス・レッド王国とノース・ブルー王国は直通で向かうことが難しい位置にあったりする。というのも、この大陸は中央に大きな湖があり、赤と青の王国はその湖を挟んで向かい合っている配置だからだ。レッドからブルーに向かうためには湖を渡るか、湖をぐるりと迂回してイースト・グリーン王国かウェスト・イエロー王国を経由するしかない。
「湖をまっすぐ突っ切る方法がないわけではないが、湖はノース・ブルー王国の艦隊が常に見張っている。現在は、こちらが要請した船以外は一切通さない状態だ。不審な船はかたっぱしから砲撃して沈めているし、その噂はサウス・レッド王国の連中の耳にも入っているだろう」
『そうね。安全策を取るなら、どちらかの国のルートを通った方がいいに決まってるわ』
「そうだ。だから……奴らのルートを誘導する。俺が今いる、イースト・グリーン王国の領地を通るように」
岩場をゆっくりと登っていく。イースト・グリーン王国は、最も魔石の採掘が期待できる国でもある。こうして自分が少し高い位置に立って見張れば、駆り出された国民たちが怯えながら必死で採掘作業に邁進するのがわかった。トンカントンカンと、ひたすらツルハシが石を叩く音が木霊する。サウス・レッドの方の採掘作業が滞っている以上、少しでもこちらで採掘量を上げなければいけない。
魔女・ジェシカは言った。魔石を集めよ、それによってこの世界に眠る伝説のドラゴンを呼び覚ますのだと。
そのドラゴンの力を手に入れれば、自分はまさに万能の力を持つ魔女になれる。そうしたら、お前達の望みを何でも叶えてやろう、と。
――俺は元に世界に帰ることさえどうでもいい。るりはが居る場所が、俺の居る場所。あいつの幸せが、俺の全てなんだから。
るりはの願いを一刻も早く叶えるために。
自分は魔女に、魔石を少しでも多く貢がなければいけないのだ。そのための障壁は、少しでも早く排除しなければ。
「るりは。……殺していいよな、あいつ」
園部優理を、魔女に辿りつかせるつもりはない。
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