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<16・正義>

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 何が正義であり、何が悪であるかなど、本来人に決められるものではないのだろう。何故なら多くの者達は自分の行いを正義と信じたいものであるし、当然自分に刃向う者は悪と決めて断罪したくなるものだからだ。
 戦争とは、価値観とは、信念とは。
 本当のところ多くが正義と正義のぶつかりあいであり、正義と悪の戦いではないのだ――と、以前ポーラも本で読んだのを思い出す。どちらが正義でどちらが悪であったのかは、残念ながら本人達ではなく後世の人達の主観で決まることも少なくない。そして大抵、人々は自分達の今に繋がる歴史を肯定するために、勝った方を正義と置きたがるものなのである。
 優理と、坂田&安生の会話を廊下で立ち聞きしていたポーラは考えていた。果たして優理は知っていたのだろうか。このシュカの町の者達にとっては悪鬼以外の何者でもなかった二人の少年が、結局のところより強い者に縋らなければ生きていけない弱い人間であったということに。



『俺は弱いよ。でも、自分が弱いのを認める勇気は持ってる。そこが多分、お前らとの違いなんじゃないかな。自分で言うのもなんだけどさ』



――お前は簡単に言うけどな。……それが出来る人間は、お前が思うほど多いもんじゃないんだぜ、ユーリ。

 あの時、本当は坂田達はこう言いたかったのではないか。
 自分達はお前のように強くなんかない、その強さや理想を押しつけてくれるなと。
 勿論優理はそんなつもりなどないだろうし、彼は何も間違ったことは言っていない。結局、自分の弱さに怯えて、誰かを傷つけることで強くなった気になるなど愚かしいにもほどがあるのだから。
 でも少し。ほんの少しだけ、そう言いたくなる気持ちもわかるというだけだ。
 もし彼が心の弱い人間なら、今自分は此処にいないし、優理に出し抜かれることも二人を倒すことにも成功していないのだから。

――あいつが戦い慣れてないのなんか火を見るより明らかだ。ひょろっちいし、腕力もなさそうだし、精々ちょっとすばっしっこいのと隠れるのが上手いってことくらい。……なのに、そんな武器とも言えないような武器だけで、アタシらの目の前に立ってみせるんだからよ。

 彼の本当の武器はその策ではなく、本当に大事な場面で相手から逃げない度胸ではなかろうか。
 困っている人を目にした時、面倒だからと見て見ぬフリをする人間の方が圧倒的に多いはずなのに、彼はとにかく首を突っ込む道を選ぶのがお好みであるらしい。確かに魔女を倒す足がかりとしてその部下を潰すのは間違っていないが、真正面から敵対しなくても彼の頭なら安全圏から状況を利用する手などいくらでも思いつきそうなところなのに。
 さらに驚くべきは、彼が来てから誰も死んでいないこと。というか、敵の坂田&安生コンビまで含めて誰も深刻な怪我さえしてないとは。

――英雄、か。……そんなもの、お伽噺だと思ってたんだけどな。

 つい少し前。オーガの長と共に、シュカの町の町長と話をする時間があった。坂田たちに魔封じの枷をつけて牢屋に放り込んだ後のことである。
 この町で悪さをしていた二人をとっ捕まえたのはポーラたちだが、そのポーラたちオーガ族を町に住まわせることを許していたのも捕まった二人である。今後部族の扱いをどうするべきか、これから真剣に話し合わなければいけない。出来ることなら仲間達だけでもこの町に住まわせて貰えないだろうかと、ポーラがそう思っていた時だった。

『ありがとう。この町を救ってくれて。それから……本当に、本当の本当に、申し訳ないことをした……!』

 彼は、土下座して謝ってきたのである。他の町の人間達も見ている前で、恥も外聞もなく。四十代、町長としてはまだ若い方に入る彼は、今まであまりに頼りにならない印象だった。なんせ、彼の伯父である工場長とその部下たちが言い様に扱われていても何もできず、いつも自発的に指示を出すことさえままならない様子であったからだ。
 本来この町の町長を継ぐのは彼の兄だったという。が、その兄が病死してしまったため、やむなく適正のない弟がその職に就いたのだという話は聞いていた。いつも周囲の幹部たち、部下たちに助けて貰ってどうにかやってこれた、半ばお飾りにも近い人物だったのだろう。だからこそ。

『あんたは、我々の命の恩人だ。この町から出て行けなんて言うわけない、言っていいはずがない。どうか、今まで愚かな差別と偏見で、あんたらを迫害してきた我々を許してくれ。……いや、許さなくてもいいからせめて……せめて、償いだけはさせてくれ』

 そこまで、この場で言えたのが驚きだったのである。他の町の人間達が動揺していたのを見るに、相談して結論が出たから代表して発言した――わけではないのだろう。完全に、彼の独断での謝罪と判断だったと見える。それが意外でなくてなんだというのか。そんな風に何かを決められる男であるようには見えなかったというのに。

『わ、私は。角が生えているから、屈強だからというだけであんた達を迫害するのはおかしいと思っていた。でも、私は臆病だから言えなかったんだ、それは間違っているなんてことは。そもそも、人の生理的嫌悪や差別意識は、やめろと言って簡単に変えられるものなんかじゃない。私一人が言ってもどうせ変わらないと、そう思って見て見ぬフリをしてしまった。私は町長で、皆を導く立場であるはずなのに、その責務を怠ってきたんだ。あんた達だって、この町に住民票がある仲間であるはずなのに……』
『お前……』
『あんたは奴らに従うフリをして見事に欺き、そしてこの町を救うことに成功した。感謝してもしきれない。そんな恩人であるあんたらを、町に受け入れることに私が反対などさせないと誓う。だから頼む、この町で、共に生きてくれないか……!』

 従うフリをして、ではなかった。場合によっては本当に、奴らに従って人を殺すことも辞さないと思っていたオーガ達もいたはずだ。というか、ポーラは人を殺さなかったが、別の任務に当たっていた仲間の中には何人か殺した者もいたはずである。あくまで、欺くことになったのは結果論にすぎない。ポーラだって、優理とサミュエルが来なければタイミングを見つけられず、いつまでもズルズルと言いなりになって手を汚していたかもしれないのだから。
 だが、それをわざわざ言うのは、仲間のためを考えた時得策ではないのだろう。あまり期待していなかったが、本当に優理が言う通りに事が運ぶとは思ってもみなかった。恐らく町長と同じことを考えていた人間は少なからずいる。ただし、本当にオーガを忌み嫌っていた奴らも少なくはないはずだ。これからも揉めるのは間違いないだろうし、一筋縄ではいかないだろうが――これで、とりあえずの仲間達の居住地などの問題は解決したと言ってもいいのだろう。

――何が正しくて何が悪いかなんて、誰にもわからないが。

 確信したのは、別のことだ。

――それでも、人は本当は……本当にはみんな、自分の正義に悖る行動なんかしたくない。自分が本当に善だと思うことがしたいのに、出来ない奴ってのは多いってことなんだろうな。

 全ては、決断する勇気がないがために。
 決意することができない人間が、あまりにも多いがために。

『ポーラよ』

 仲間に相談もせず、勝手なことをしたと責められるかもしれないと思っていた。しかし長は、ポーラの頭を撫でると静かに告げたのである。

『本当に、すまなかった。……お前は、わが一族の誇りだ。亡くなった父上と母上も喜んでおられるだろうさ。本当に、ありがとう。……ポーラ、お前はこれから何を望む?遠慮せず、言ってみるといい。今のお前の望みに最大限耳を傾ける義務がわたしには、一族にはあるだろうさ』

 自分の望み。
 はっきり言って、ちゃんと考えたこともなかったことだ。とにかく、仲間達の役に立ちたい、オーガの一族が認められる世界であってほしいとばかり考えて生きてきたのだから。
 それは、ポーラが人間とオーガのハーフであればこそ。鬼の母と人間の父の間に生まれ、他のオーガ達よりも小柄で人間に近い見た目だったポーラはオーガの種族内でも浮くことが少なくなかった。露骨に嫌ってくるほど心の狭い大人はそうそういなかったが、子どもたちはどうしても純粋な分残酷であるからである。そんな自分を庇って、母がどれほど苦労したのかもよくわかっている。父が病で早々に亡くなったから尚更に。
 自分は異分子だ、という負い目がどうしても抜けなかった。
 皆のお荷物になりがちな分、みんなよりもずっと体を鍛えて、ずっと強くなって、役に立つ努力をしなければいけないのだと。正門の守りを一人で任されたのもそのためだった。気概のある強い戦士が来たらスカウトするつもりだったというのもあるが、同じだけ他の仲間達に負担をかけたくなかったという気持ちもあるのである。
 今回の一件で、ひとまずオーガの一族はこの町に住むことを許されるだろう。しかし、魔女がまた刺客を送り込んで来ない保障が何処にあるだろうか。次は坂田や安生どころではない、もっと残酷で強い相手が乗り込んでくることも十分考えられるのだ。下手をしたら、魔女本人が制裁に乗り出してくるかもしれない。

――この世界の歪み全てが、魔女のせいであるはずがない。それでも魔女が企みを続ける限り、これからもきっとたくさんの人が傷つくし……それは、アタシの大事な仲間かもしれないんだ。

 きっと、誰かさんなら。自分が元の世界に帰る云々など関係なく、魔女をほったらかしになどしないのだろう。そう思った時、ポーラの腹は決まっていたのである。
 弱虫同士で、互いを踏み潰すことしかできない世界を、人の心を。変えることができるのは多分、圧倒的な力で苛烈な正義を行使する、そんな人間ではない。
 自分が弱いことを理解して、認めて、誰かに寄り添う勇気を持った存在なのではないか。

「……ユーリ!」
「ん?」

 坂田達との話を終えて廊下に出てきたところで、ポーラは優理に声をかけたのだった。

「あ、あのさ……話があるんだけど!」

 自分の決意を、他ならぬ彼に伝えるために。
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