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<15・弱虫>
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弱いことは罪。強い者だけがいつだって正しい側でいられる――坂田洋太郎がそんな鮫島るりはの考えに賛同するようになったのは他でもない、自分自身がかつて弱者だったという自負があるからだ。それは、安生弘美も同じだろう。というか、この四人の中で間違いなく自分達二人は性質がよく似ていたし、だからこそ特に気が合う“同志”であったとも言えるのだから。
元々坂田は、体は大きいものの非常に気が小さい性格だった。幼い頃からずっといじめられっこであったのである。なんせ雷が鳴っては悲鳴を上げ、犬に吠えられては泣き、叱られてはすぐに地の底まで落ち込むというわかりやすい性格。大柄なくせにオドオドしている、というのが子供達にとってもイラつかせる要因だったのだろう。ことあるごとに悪口を言われたり、坂田が反抗しないのをいいことに暴力を振るわれることもしばしばあったのである。
今でも、小学校の頃味わった地獄を思い出すと、屈辱で震えが止まらなくなる。
まだ未熟で幼いからこそ、子ども達の悪意は時として後先考えない者となり、非常に悪質なものになることも少なくない。例えばそう、相手の身体的特徴を過度にあげつらって嗤うだとか、相手に消えない傷を負わせることだとか、それこそ命を奪う危険性があるような行為を無理やりさせるだとか。
一番恐ろしかったのは、いじめっこ達にトイレに連れていかれて、裸で踊らされたことである。全裸で、性器も丸出しにして恥ずかしい踊りをさせられ、それをみんなでゲラゲラと笑われたものだ。中学生になった今でこそ“中学生にしては体が大きい”程度だが、小学校の頃は今よりも他の少年たちと比べて体格差が大きかったから尚更である。大柄なでくの坊に相応しい、大きなブツとタマが尻を振るたび揺れるのを笑われ、写真に撮られ、涙が出るほど恥ずかしくて悲しかった。しかも、行為はどんどんエスカレートしていくのである。
『なあ、こいつが俺らを楽しませられなかったらさ、今度はペナルティを与えるようにしねえ?』
ある日、ガキ大将の一人がとんでもないことを言い出した。
『一回失敗するごとにさ、こいつで思いっきり、タマを潰してやるのはどーだよ?』
少しでも知識がある人間ならわかるだろう。男性のアレ、は内臓が露出しているようなもの。破裂したら痛いのは勿論、本当に命にかかわることにもなりかねない。にも拘らず、痛がる坂田が見たいというだけで、そいつはモップの柄で坂田の急所を責めることを提案し、皆がそれを承諾したのだった。自分達にも、同じものがくっついていて、痛みは想像がつくはずだというのに。
そこから先のことは、思い出したくもない。
なんで自分は毎日トイレで泣き叫び、無様な姿で苦しみ悶えないといけないのだろう。ちょっと人より体が大きくて臆病だっただけで何がいけなかったのだろう。悔しい、憎い。でも、大きな騒ぎを起こすような度胸もない。親に叱られるのも怖い。勇気がないせいで、結局自分で自分の運命を変えることができずにいたのだ。――そう。
鮫島るりは。彼女に出逢うまでは。
『なんだ、自分でもわかってるんじゃない』
彼女は誰よりも美しく、誰よりも聡明だった。トイレで転がっている自分を嘲笑うわけでもなく、ただ静かに佇んでいた。思えば、自分がどんな目に遭っているのか予め知っていたのだろう。そうでもなければ、人気が少ない場所に位置していたとはいえ、男子トイレに堂々と女子が踏み込んでくるとも思えないからだ。
『弱いことは、罪なの。弱いと虐げられる、苛められる……どんな悪党だろうと悪魔だろうと、強い人間はいつだって正義になれるの。正義の味方が賞賛されるのはどうして?……より強い力をもってして、悪に打ち勝つからでしょう?』
答えは簡単なの、と彼女は微笑んだ。
『あんたが強くなればいいのよ。あんたにはその素質がある。だから私はいっつも、勿体ないなって思ってたの。力があるのに、その力を使うことの怯えてる。その恵まれた暴力を存分に生かせば、いくらだって運命を打ち破れるのに』
『で、でも、そんなことしたら』
『いいわ。私が許す。許してあげる。あんたが力を使って敵を倒すのを。何が問題なの?あんたはいじめられた被害者でしょ。正当防衛じゃない。それで向こうが少し怪我をしたくらいで何?今まであんたが受けてきた苦しみはこんなものじゃないでしょ?……復讐したくないの、自分を苛めてきた奴らに、苦しめてきたセカイに』
華奢で、繊細で、自分より遥かに小柄な少女。しかしその言葉は魔女のそれに等しく、絶望に打ちひしがれていた坂田の世界を変えるのに充分であったのである。
本能で察していた。
彼女は自分がずっと求めてきた強者であり、自分が探し続けてきた“導く者”であるということを。
『あんたが望むなら、私もちょっとだけ助けてあげる。……最高に気持ちいいと思うの。楽しみでしょ?』
小学生の時点で、彼女はもう完成されていた。一体どういう経緯があって、あのような娘が出来上がったのかはわからない。
確かなことは一つ。次に呼び出された時坂田が、いじめっ子達を軒並みボコボコにして、再起不能にまで追い詰めたこと。全員喉も手も潰れていたので、犯人を証言するような能力がほぼなくなっていたこと(怪我の後遺症もあるが、実際精神的なショックが大きくて、回復後もほとんどまともに話せる状態にはならなかったらしい)。そして、今までまったく接点がなかった彼女と彼女の仲間達が坂田の“アリバイ”を証言したことで、いじめっ子達を襲撃した犯人として疑われずに終わったということである。そもそも、坂田が臆病で、人を殴ることなど到底できるような少年でなかったことはクラスのみんなが知るところである。誰も、誰一人――少年たちの顔面が陥没するほど顔を殴り、喉を潰し、両手の指を粉々に折る――なんて残酷な真似ができるとは思わなかったのである。
強者になると、これほど世界は簡単に変わるのだ。そう実感した瞬間だった。
暴力は、使っていい。自分の身を守る為ならば、心を救うためならば。そして、強い者はいくらでも誰かを虐げる権利を持ち、同時に虐げられない権利も持つのだと言うことを。
――ああ、こっち側は、本当に最高だよなぁ!
そういえば、どこかのマンガでこんなことを言っていたキャラがいた気がする。最強最悪のいじめっ子を作る方法はただ一つ、散々その子供をいじめまくって鬱憤をためさせた後で力を与えればいい、と。そうすることで、その子供は自らがいじめられっ子だと信じたまま、最強のいじめっ子に君臨するのだと。
今の自分ならばその意味がわかる。
虐げられ、世界への怒りをため込んだ人間は、虐げる事に躊躇いがない。
何故ならば知っているからだ。やらなければやられる、ということを。
『るりはさんがいなかったら、お前は終わってたんだろうさ。俺と同じように』
安生がそう言って笑ったのを、今でもよく覚えている。
『生まれて初めて、俺らを認めてくれた人っていうか。強い側になれるんだって教えてくれたっつーか。……だからさ、恩返ししたいよなあ。俺らの救世主に』
自分達は、同じ気持ちだった。そう、園部優理のせいで巻き込まれて事故に遭い、まとめて異世界に飛ばされてからも変わらず。
魔女は、目的を達成したら自分達の願いを叶えてくれると言った。
自分達の願いは、あの頃からずっと変わってはいない。るりはの幸せと、彼女の幸せをすぐ傍で助け続けること、それだけだ。だってそうだろう。
土砂降りの雨の中、濡れて立ち尽くしていた時。たった一人傘をさし出してくれた相手に、縋らずにいられる人間なんていないのだ。例えその相手が、どれほどの悪魔や詐欺師であろうと関係なく。
***
「くそがっ……殺せつってんだろうが、そんな甘いことしてんじゃねえ……くそ、くそ、くそっ!」
「さ、坂田……!」
縛り上げられた状態で、ひたすら坂田は毒を吐くしかなかった。安生が本当は生きていたとわかったのは良かったが、それ以外は最悪の気分だ。縛られた上牢屋に放り込まれ、シュカの町の奴らには魔力封じの腕輪なんてものを嵌められてしまった。自分達のチートスキルが魔女由来のものならば、これでスキルの発動を封じることができるのではないかと考えたかららしい。
残念ながらその発想は概ね正しかったようで、さっきからいくらモンスターを呼び出そうとしても全く反応がない。こんな無様な姿で、生きているなんて冗談とも思えないというのに。
「何で脅威じゃなくなった相手を殺さないといけないの。俺自身はお前達に恨みなんかないのに」
優理は牢屋の前で、呆れたようにため息をついた。
「シュカの町の人達がどうしてもお前らを殺したいって言ったら、俺には止めきれないけどさ。少なくとも俺にはお前らを殺す理由はないよ。訳もなく人殺しになんかなりたいもんか。だって俺は誰かに殺されたくないし、大事な誰かが殺されるのだって嫌なんだから」
「どういう理屈だそれは」
「自分だってもうわかってるんだろ、坂田。……安生が殺されるかもしれないってなった時、実際バラバラ死体の幻影見せられた時、お前は何を思ったよ」
「……っ」
自分が撃たれる覚悟がないのなら、相手に銃口を向けてはいけない。いつだったか、どこかのヒーローがそんなかっこいい台詞をぬかしていた気がする。なんと矛盾した言葉だ、と当時は思ったものだ。誰だって死にたくないから、撃たれたくないからこそ銃を構えるはずなのに、何故撃たれる覚悟なんてものをしなければならないのかと。
そう、思っていたからこそ。
安生を殺すなという命乞いが通らなかった時、背筋が冷たくなったのだ。命乞いをしてきた相手を殺してきたのに、自分達の命乞いだけは通ると思うなと。弱者に生きる価値がないというのなら、あっさり捕まったお前の仲間も弱者だから殺されても文句は言えないだろうと。自分が投げた言葉が、投げた端からブーメランになって突き刺さってくる。全部己のプライドと、命と、信念を守る為にしてきたことのはずだったのに。
己は強くなったはずなのに、何故また刃に晒されているのか、とっさに理解が及ばなかったがゆえに。
「俺は、人を殺すことそのものを否定してるわけじゃないんだよ」
優理は柵ごしに、じっと自分達を見つめる。
「でも俺は、自分が臆病で弱いってのを自覚してる。誰かに殺されるのが怖いから殺さないってだけ。だって俺が殺した誰かにも大切な人はいて、間違いなくその人の恨みを買うことになるんだから……いつか復讐されるかもしれないだろ?そんなの嫌だし、怖いよ。だから、命の危険がないギリギリまでやりたくないってだけ」
「……そうやって殺しに来た奴のことも殺せばいいだろうが」
「で、さらにまた誰かを復讐者にして、殺しに来るまで怯えて過ごすの?無限ループだよ、どっちか死ぬまで終わらない。そんな疲れるし苦しいことやりたくないって、普通は」
そんな未来のことまで考えてられるか。そう言い返そうとしたところで、坂田は気づいた。
考えられなかったのは、自分に余裕がなかったからなのではないかと理解したがゆえに。
おかしいではないか。自分は強くなって、誰にも奪われない力を手にしたはずで。それなのに余裕がないなんて、まるで。
――いじめられてた時と、同じ……何かに、怯えてるみたいだろうが。
そんなはずがない。
あっていいはずがないのに。
「さっきのお前の話はよくわかったよ。……鮫島るりはは、お前達にとって救世主だった。それを否定しない。自分の心と体が壊れるくらいなら、暴力振るった方がマシってのも実は賛同してる」
「なに?」
「でも、お前達はその先で間違えたんじゃないのかな。……何で、自分を虐げようとしてこない人達まで、その暴力で傷つける必要があったの?敵を、自分を攻撃して苦しめようとする人を増やすだけなのに。何で昔のお前は大きな体があったのに暴力を振るえなかった?それは、お前が傷つく痛みを知っていて、相手に痛みを想像できる優しい人間だったからじゃないの?」
「なっ」
「優しさと、弱さと、甘さを混同しちゃ駄目なんじゃないの。……お前は本当は、優しいまま強くなることだってできたんじゃないのか」
そんなもの、理想論だ。坂田は唇を噛み締める。どこか、胸の柔らかいところを抉られた気がしたのを無視して。
「……ざけんじゃねえよ」
反論したのは、隣にいる安生の方だった。
「お前に何が分かる。……力もないくせに、ヒーロー気取りがやれるようなやつに……虐げられたこともない奴に何がわかる」
多分。
その言葉の矛盾には、安生も気づいていたはずだ。なんせ、優理をいじめていたのは自分達自身。彼が今までにも似たようなことを繰り返していじめられることが多かったであろうというのは、なんとなくその行動だけでも想像がついていたことである。
園部優理はいじめられっ子だ、間違いない。でも、それは自分や安生の“いじめられっ子”とは根本的に違う。そんなことは最初からわかっていた。だってそうだろう。
いじめられることがわかっているのに、見て見ぬフリをしないで誰かを助けられるような奴が、弱者であるはずがない。
本当は、自分達とてわかっていたのだ――最初から。だから自分達はこの少年が嫌いで、排除しようと躍起になったのである。るりはの命令がなくてもそうしたはずだ。なんせこいつの存在は、最初の最初から自分達の価値観を大きく揺らがすものに他ならなかったのだから。
――お前にはわからねえよ。お前みたいに……本当に強い奴に、俺らの気持ちなんか。
きっとわからないはずだ。
何かに縋らなければ、まともに立てもしない自分達のことなんか。
「人が、人の全部を分かるなんて最初っから無理だよ。その人の痛みはその人にしかわからないんだから。気持ちがわかるなんて言ったら、その時点で嘘でしかない」
優理は困ったように笑って言った。
「でも、分かろうとすることはできる。俺も、お前らもさ」
綺麗事だ。
ああ、そう思うのに、耳を塞げないのは何故だろう。
「俺は弱いよ。でも、自分が弱いのを認める勇気は持ってる。そこが多分、お前らとの違いなんじゃないかな。自分で言うのもなんだけどさ」
もう、反論する気も起きなかった。恐らく安生も同じだろう。
たった今、これだけは間違いなく確定したのだから。
自分達は負けたのである。弱者だと蔑んでいた、この園部優理という少年に。
元々坂田は、体は大きいものの非常に気が小さい性格だった。幼い頃からずっといじめられっこであったのである。なんせ雷が鳴っては悲鳴を上げ、犬に吠えられては泣き、叱られてはすぐに地の底まで落ち込むというわかりやすい性格。大柄なくせにオドオドしている、というのが子供達にとってもイラつかせる要因だったのだろう。ことあるごとに悪口を言われたり、坂田が反抗しないのをいいことに暴力を振るわれることもしばしばあったのである。
今でも、小学校の頃味わった地獄を思い出すと、屈辱で震えが止まらなくなる。
まだ未熟で幼いからこそ、子ども達の悪意は時として後先考えない者となり、非常に悪質なものになることも少なくない。例えばそう、相手の身体的特徴を過度にあげつらって嗤うだとか、相手に消えない傷を負わせることだとか、それこそ命を奪う危険性があるような行為を無理やりさせるだとか。
一番恐ろしかったのは、いじめっこ達にトイレに連れていかれて、裸で踊らされたことである。全裸で、性器も丸出しにして恥ずかしい踊りをさせられ、それをみんなでゲラゲラと笑われたものだ。中学生になった今でこそ“中学生にしては体が大きい”程度だが、小学校の頃は今よりも他の少年たちと比べて体格差が大きかったから尚更である。大柄なでくの坊に相応しい、大きなブツとタマが尻を振るたび揺れるのを笑われ、写真に撮られ、涙が出るほど恥ずかしくて悲しかった。しかも、行為はどんどんエスカレートしていくのである。
『なあ、こいつが俺らを楽しませられなかったらさ、今度はペナルティを与えるようにしねえ?』
ある日、ガキ大将の一人がとんでもないことを言い出した。
『一回失敗するごとにさ、こいつで思いっきり、タマを潰してやるのはどーだよ?』
少しでも知識がある人間ならわかるだろう。男性のアレ、は内臓が露出しているようなもの。破裂したら痛いのは勿論、本当に命にかかわることにもなりかねない。にも拘らず、痛がる坂田が見たいというだけで、そいつはモップの柄で坂田の急所を責めることを提案し、皆がそれを承諾したのだった。自分達にも、同じものがくっついていて、痛みは想像がつくはずだというのに。
そこから先のことは、思い出したくもない。
なんで自分は毎日トイレで泣き叫び、無様な姿で苦しみ悶えないといけないのだろう。ちょっと人より体が大きくて臆病だっただけで何がいけなかったのだろう。悔しい、憎い。でも、大きな騒ぎを起こすような度胸もない。親に叱られるのも怖い。勇気がないせいで、結局自分で自分の運命を変えることができずにいたのだ。――そう。
鮫島るりは。彼女に出逢うまでは。
『なんだ、自分でもわかってるんじゃない』
彼女は誰よりも美しく、誰よりも聡明だった。トイレで転がっている自分を嘲笑うわけでもなく、ただ静かに佇んでいた。思えば、自分がどんな目に遭っているのか予め知っていたのだろう。そうでもなければ、人気が少ない場所に位置していたとはいえ、男子トイレに堂々と女子が踏み込んでくるとも思えないからだ。
『弱いことは、罪なの。弱いと虐げられる、苛められる……どんな悪党だろうと悪魔だろうと、強い人間はいつだって正義になれるの。正義の味方が賞賛されるのはどうして?……より強い力をもってして、悪に打ち勝つからでしょう?』
答えは簡単なの、と彼女は微笑んだ。
『あんたが強くなればいいのよ。あんたにはその素質がある。だから私はいっつも、勿体ないなって思ってたの。力があるのに、その力を使うことの怯えてる。その恵まれた暴力を存分に生かせば、いくらだって運命を打ち破れるのに』
『で、でも、そんなことしたら』
『いいわ。私が許す。許してあげる。あんたが力を使って敵を倒すのを。何が問題なの?あんたはいじめられた被害者でしょ。正当防衛じゃない。それで向こうが少し怪我をしたくらいで何?今まであんたが受けてきた苦しみはこんなものじゃないでしょ?……復讐したくないの、自分を苛めてきた奴らに、苦しめてきたセカイに』
華奢で、繊細で、自分より遥かに小柄な少女。しかしその言葉は魔女のそれに等しく、絶望に打ちひしがれていた坂田の世界を変えるのに充分であったのである。
本能で察していた。
彼女は自分がずっと求めてきた強者であり、自分が探し続けてきた“導く者”であるということを。
『あんたが望むなら、私もちょっとだけ助けてあげる。……最高に気持ちいいと思うの。楽しみでしょ?』
小学生の時点で、彼女はもう完成されていた。一体どういう経緯があって、あのような娘が出来上がったのかはわからない。
確かなことは一つ。次に呼び出された時坂田が、いじめっ子達を軒並みボコボコにして、再起不能にまで追い詰めたこと。全員喉も手も潰れていたので、犯人を証言するような能力がほぼなくなっていたこと(怪我の後遺症もあるが、実際精神的なショックが大きくて、回復後もほとんどまともに話せる状態にはならなかったらしい)。そして、今までまったく接点がなかった彼女と彼女の仲間達が坂田の“アリバイ”を証言したことで、いじめっ子達を襲撃した犯人として疑われずに終わったということである。そもそも、坂田が臆病で、人を殴ることなど到底できるような少年でなかったことはクラスのみんなが知るところである。誰も、誰一人――少年たちの顔面が陥没するほど顔を殴り、喉を潰し、両手の指を粉々に折る――なんて残酷な真似ができるとは思わなかったのである。
強者になると、これほど世界は簡単に変わるのだ。そう実感した瞬間だった。
暴力は、使っていい。自分の身を守る為ならば、心を救うためならば。そして、強い者はいくらでも誰かを虐げる権利を持ち、同時に虐げられない権利も持つのだと言うことを。
――ああ、こっち側は、本当に最高だよなぁ!
そういえば、どこかのマンガでこんなことを言っていたキャラがいた気がする。最強最悪のいじめっ子を作る方法はただ一つ、散々その子供をいじめまくって鬱憤をためさせた後で力を与えればいい、と。そうすることで、その子供は自らがいじめられっ子だと信じたまま、最強のいじめっ子に君臨するのだと。
今の自分ならばその意味がわかる。
虐げられ、世界への怒りをため込んだ人間は、虐げる事に躊躇いがない。
何故ならば知っているからだ。やらなければやられる、ということを。
『るりはさんがいなかったら、お前は終わってたんだろうさ。俺と同じように』
安生がそう言って笑ったのを、今でもよく覚えている。
『生まれて初めて、俺らを認めてくれた人っていうか。強い側になれるんだって教えてくれたっつーか。……だからさ、恩返ししたいよなあ。俺らの救世主に』
自分達は、同じ気持ちだった。そう、園部優理のせいで巻き込まれて事故に遭い、まとめて異世界に飛ばされてからも変わらず。
魔女は、目的を達成したら自分達の願いを叶えてくれると言った。
自分達の願いは、あの頃からずっと変わってはいない。るりはの幸せと、彼女の幸せをすぐ傍で助け続けること、それだけだ。だってそうだろう。
土砂降りの雨の中、濡れて立ち尽くしていた時。たった一人傘をさし出してくれた相手に、縋らずにいられる人間なんていないのだ。例えその相手が、どれほどの悪魔や詐欺師であろうと関係なく。
***
「くそがっ……殺せつってんだろうが、そんな甘いことしてんじゃねえ……くそ、くそ、くそっ!」
「さ、坂田……!」
縛り上げられた状態で、ひたすら坂田は毒を吐くしかなかった。安生が本当は生きていたとわかったのは良かったが、それ以外は最悪の気分だ。縛られた上牢屋に放り込まれ、シュカの町の奴らには魔力封じの腕輪なんてものを嵌められてしまった。自分達のチートスキルが魔女由来のものならば、これでスキルの発動を封じることができるのではないかと考えたかららしい。
残念ながらその発想は概ね正しかったようで、さっきからいくらモンスターを呼び出そうとしても全く反応がない。こんな無様な姿で、生きているなんて冗談とも思えないというのに。
「何で脅威じゃなくなった相手を殺さないといけないの。俺自身はお前達に恨みなんかないのに」
優理は牢屋の前で、呆れたようにため息をついた。
「シュカの町の人達がどうしてもお前らを殺したいって言ったら、俺には止めきれないけどさ。少なくとも俺にはお前らを殺す理由はないよ。訳もなく人殺しになんかなりたいもんか。だって俺は誰かに殺されたくないし、大事な誰かが殺されるのだって嫌なんだから」
「どういう理屈だそれは」
「自分だってもうわかってるんだろ、坂田。……安生が殺されるかもしれないってなった時、実際バラバラ死体の幻影見せられた時、お前は何を思ったよ」
「……っ」
自分が撃たれる覚悟がないのなら、相手に銃口を向けてはいけない。いつだったか、どこかのヒーローがそんなかっこいい台詞をぬかしていた気がする。なんと矛盾した言葉だ、と当時は思ったものだ。誰だって死にたくないから、撃たれたくないからこそ銃を構えるはずなのに、何故撃たれる覚悟なんてものをしなければならないのかと。
そう、思っていたからこそ。
安生を殺すなという命乞いが通らなかった時、背筋が冷たくなったのだ。命乞いをしてきた相手を殺してきたのに、自分達の命乞いだけは通ると思うなと。弱者に生きる価値がないというのなら、あっさり捕まったお前の仲間も弱者だから殺されても文句は言えないだろうと。自分が投げた言葉が、投げた端からブーメランになって突き刺さってくる。全部己のプライドと、命と、信念を守る為にしてきたことのはずだったのに。
己は強くなったはずなのに、何故また刃に晒されているのか、とっさに理解が及ばなかったがゆえに。
「俺は、人を殺すことそのものを否定してるわけじゃないんだよ」
優理は柵ごしに、じっと自分達を見つめる。
「でも俺は、自分が臆病で弱いってのを自覚してる。誰かに殺されるのが怖いから殺さないってだけ。だって俺が殺した誰かにも大切な人はいて、間違いなくその人の恨みを買うことになるんだから……いつか復讐されるかもしれないだろ?そんなの嫌だし、怖いよ。だから、命の危険がないギリギリまでやりたくないってだけ」
「……そうやって殺しに来た奴のことも殺せばいいだろうが」
「で、さらにまた誰かを復讐者にして、殺しに来るまで怯えて過ごすの?無限ループだよ、どっちか死ぬまで終わらない。そんな疲れるし苦しいことやりたくないって、普通は」
そんな未来のことまで考えてられるか。そう言い返そうとしたところで、坂田は気づいた。
考えられなかったのは、自分に余裕がなかったからなのではないかと理解したがゆえに。
おかしいではないか。自分は強くなって、誰にも奪われない力を手にしたはずで。それなのに余裕がないなんて、まるで。
――いじめられてた時と、同じ……何かに、怯えてるみたいだろうが。
そんなはずがない。
あっていいはずがないのに。
「さっきのお前の話はよくわかったよ。……鮫島るりはは、お前達にとって救世主だった。それを否定しない。自分の心と体が壊れるくらいなら、暴力振るった方がマシってのも実は賛同してる」
「なに?」
「でも、お前達はその先で間違えたんじゃないのかな。……何で、自分を虐げようとしてこない人達まで、その暴力で傷つける必要があったの?敵を、自分を攻撃して苦しめようとする人を増やすだけなのに。何で昔のお前は大きな体があったのに暴力を振るえなかった?それは、お前が傷つく痛みを知っていて、相手に痛みを想像できる優しい人間だったからじゃないの?」
「なっ」
「優しさと、弱さと、甘さを混同しちゃ駄目なんじゃないの。……お前は本当は、優しいまま強くなることだってできたんじゃないのか」
そんなもの、理想論だ。坂田は唇を噛み締める。どこか、胸の柔らかいところを抉られた気がしたのを無視して。
「……ざけんじゃねえよ」
反論したのは、隣にいる安生の方だった。
「お前に何が分かる。……力もないくせに、ヒーロー気取りがやれるようなやつに……虐げられたこともない奴に何がわかる」
多分。
その言葉の矛盾には、安生も気づいていたはずだ。なんせ、優理をいじめていたのは自分達自身。彼が今までにも似たようなことを繰り返していじめられることが多かったであろうというのは、なんとなくその行動だけでも想像がついていたことである。
園部優理はいじめられっ子だ、間違いない。でも、それは自分や安生の“いじめられっ子”とは根本的に違う。そんなことは最初からわかっていた。だってそうだろう。
いじめられることがわかっているのに、見て見ぬフリをしないで誰かを助けられるような奴が、弱者であるはずがない。
本当は、自分達とてわかっていたのだ――最初から。だから自分達はこの少年が嫌いで、排除しようと躍起になったのである。るりはの命令がなくてもそうしたはずだ。なんせこいつの存在は、最初の最初から自分達の価値観を大きく揺らがすものに他ならなかったのだから。
――お前にはわからねえよ。お前みたいに……本当に強い奴に、俺らの気持ちなんか。
きっとわからないはずだ。
何かに縋らなければ、まともに立てもしない自分達のことなんか。
「人が、人の全部を分かるなんて最初っから無理だよ。その人の痛みはその人にしかわからないんだから。気持ちがわかるなんて言ったら、その時点で嘘でしかない」
優理は困ったように笑って言った。
「でも、分かろうとすることはできる。俺も、お前らもさ」
綺麗事だ。
ああ、そう思うのに、耳を塞げないのは何故だろう。
「俺は弱いよ。でも、自分が弱いのを認める勇気は持ってる。そこが多分、お前らとの違いなんじゃないかな。自分で言うのもなんだけどさ」
もう、反論する気も起きなかった。恐らく安生も同じだろう。
たった今、これだけは間違いなく確定したのだから。
自分達は負けたのである。弱者だと蔑んでいた、この園部優理という少年に。
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今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
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