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<3・暴力>

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 酷い目に遭わされるのがわかりきっているのに、わざわざ呼び出しに応じてやる理由などないはずだった――人質、なんて言葉がなければ。それも面白い、なんて言い方をしていると来た。十中八九、ろくなものではない。
 万が一のための防犯ブザーと催涙スプレーを用意した上で(もうこういうものを持ち歩くのも癖になってしまったのだから笑えない)、優理は呼び出された場所に行った。るりはも光も、いつの間にか教室からいなくなっていたし、よりにもよって空一までもが早退しているのが不穏だった。ひょっとしたら休み時間の間に、空一が捕まって人質にされたのかもしれない、と。

「へえ、ほんとに来たのね」

 その予想は半分正解だった。るりはと光、それから二人の上級生。四人がぐるりと空一を取り囲んでいる。違うのは場所が学校ではなく、駅へ向かう道路の途中であるということ。二車線道路なので人通りもそれなりに多い反面、駅へと急いでいる人達が少なくない。雑居ビルの前に溜まっている、ガラの悪そうな中学生集団になど誰も見向きもしない様子だった。
 もう一つの違いは、上級生の一人がダンボールを抱えていることである。嫌な予感がした。その中からは、小さくか細い声が聴こえていたからである。

「……どういうつもり?それ、どうする気?」

 恐らく、あのダンボールの中には子猫が入っている。みーみーと鳴いている様子からして、まだ母猫のお乳を飲むようなくらいの猫ではなかろうか。しかも声は複数。どこかで捨て猫でも見つけてきたのか。

「コンビニの裏で捨てられてたのよ」

 優理の言葉に、るりはは肩をすくめて見せた。

「親切な誰かが拾ってくれると思ってたのかしらね。それにしちゃ、ビミョーな場所だなとは思ったけど。こんな子猫を三匹もまとめて捨ててくんだから、まったく世も末よねー」
「拾ってあげたわけ?優しいんだ」
「あら、私達がそんな親切な人間に見えるの?園部君は」
「そうであって欲しいなーって思ってるよ。動物を虐める人間って大嫌いなんだ」

 そんな優理とるりはのやり取りを見ながら、空一はおろおろしている。彼はこれから何が行われるのか知っているのだろうか。人質として捕まってるのが彼だけなら、また彼の手を引いて近くに逃げればいいだけの話だった。今回は人目のある場所である。このビルの影は少し見えづらい位置にあるのはいえ、大声を出せば誰かは気づいてくれるだろうし、今回は防犯ブザーもあるからピンを抜くのも有効だろう。
 問題は、あのダンボール。
 本当に中身が子猫なら、まともな目的で拾われたとは思えない。空一を引っ張って逃げようものなら、あの子猫たちがどうなってしまうのか非常に気がかりだ。ただでさえ、このまま放置するだけでも危ない命だろうに。

「あんたさ、ヒーローになりたいんだって?なんかクラスの奴にそんなこと話してたって聞いたけど」

 せせら笑うように、るりはが言った。

「すっごい厨ニ病っていうか、アタマ大丈夫っていうか?そういう夢は小学生までにしておきなさいよ。ろくに仲良しでもなんでもない人間助けて自分がいじめの標的になるなんて、バカらしいと思わないの?嫌な思いをしたくなかったら、黙って見過ごせば良かったのに」
「それこそあり得ない」
「何でよ」
「簡単に人を見捨てるような奴が、いざって時に誰かに助けて貰えるわけないじゃないか。誰かを傷つけたら、その分誰かに傷つけられる。誰かを見捨てたら、その分肝心な時に見捨てられる。俺は怖がりだから、そんなのごめんだ。自分なら助けられたかも、って思って一生後悔するのも嫌だ」

 彼女たちにとって、自分は理解しがたい存在なのだろうが。それはそっくり、そのまま返したい言葉だった。優理からすれば、るりはたちの行動の方が意味不明だ。
 カツアゲする時、自分が逆の立場だったらと思わないのか。本当に困ってる時、誰にも助けて貰えなかったらどうしようと恐怖しないのか。相手の気持ちを思いやれ、というのは他人のためだけじゃない。いつか全部が自分に返ってきた時に、後悔しないための言葉だと優理は思うのである。

「お前たちは、誰にも助けてもらえなくてもいいの?傷つけた分傷つけられるのが怖くないの?だから平気で人に酷いことをするの?」

 るりはや光が何をしてきたか、については休み時間の間にたっぷり聞いてきたことだった。本当に、優理がよく知らなかっただけで彼らの所業は有名だったらしい。地元の半グレも手玉に取ってるとか、隣の学校の不良チームを傘下に入れたとか、万引きで潰したコンビニは数知れずだとか、光に半殺しにさせた教員がたくさんいるとかなんとか。
 勿論、噂にはだいぶ尾鰭がついているのは想像できるが。そういう悪評が立つほどのことを彼らがしてきたということでもあるだろう。火のないところに煙は立たないのだから。
 生まれついての悪人など早々いない。基本は誰もが善人として生まれてくるはずだと信じてる優理だからこそ。気になって仕方ないのである――どんな環境が、出会いが、彼らをそうさせてしまったのだろうかと。

「……ほんと能天気。そういうお説教が一番嫌いなんだけど」

 はっ、とるりはは鼻で笑って告げた。

「園部。あんたよっぽど恵まれた環境で生きてきたのね。だからわかんないんでしょ。どんなにイイコにしてたって、人は自分のことしか考えてないってことも。イイコトなんかしたって、見返りなんかないってことも。因果応報なんてないのよ。この世の中は、奪った者勝ちなの。何故ならこの世界には、奪う者と奪われる者しかいないんだから。奪われる者になりたくないなら、自分から全力で奪いに行くしかないわけ、わかる?」
「それで、奪われた人はどうなるの。復讐されて、自分が奪われる側になってからじゃ遅いよ」
「そんなことにはならないのよ。何故なら、私達は強いから。弱い人間は一生強い人間に傅いて生きていくしかないから。弱いってのはね、それだけで罪なのよ」

 なんと馬鹿馬鹿しい理屈か。優理は心底軽蔑の目でるりは達を見つけた。

――間違ってる。暴力で人を支配する人間が、本当に強い人間なもんか。

 一番の罪は、己の弱さを認めないことだと何故わからないのだろう。
 己は強いと吠えている時点で、己が臆病者であると認めたも同然だというのに。

「そ、園部君っ!」

 耐えきれなくなったのか、空一が声を上げた。

「ぼ、僕はいいから!猫ちゃんたちを助けてあげてっ!こいつら、猫ちゃんたちを道路に投げるって言ってるんだ!!」
「はっ!?」

 正気の沙汰とは思えない。ぎょっとして優理がそちらを見れば、空一の脛を光が思い切り蹴っているところだった。

「おいテメェ、勝手に喋るな。るりはがいいって言うまで黙ってろって言われてただろうが、日本語わからねーのかよ」
「ぐうっ!」
「おいやめろよっ!」

 血走った光の目に、思わず優理は叫ぶ。やはりと言うべきか、これからすることを彼女たちは空一には説明していたということらしかった。

「あーあ、もう。これから勿体ぶって話すつもりだったのに、順番狂っちゃったじゃない」

 るりははケラケラ笑う。子猫を道路に投げる――何が起きるかなど明らかだというのに。

「悪魔か!」

 こんなこと許されるはずがない。さすがの優理も声を荒げる。

「命を何だと思ってるんだよ!子猫を道路に投げる?こんな車通りの多いところに投げたら一発で轢かれて死んじゃうじゃないか!そうでなくても投げ飛ばしただけで骨か折れて大変なことになるかもしれないのに!!人の心がないのかよっ」
「そんなもの、腹の足しにもならなければお金にもならないじゃない。誰かに優しくしたって見返りなんかないんだから、好きなだけ奪う側として自由に生きるべき。何回も同じこと言わせないでくれる?」
「だからって!」
「弱いってことは罪なの。それだけで、生きてるだけで罪。私は弱いやつって、存在してるだけで許せないのよね」

 だからゲームをしましょう、と。美しい女は、悪魔のような笑みを浮かべて言うのだ。

「今から私達がこの子達を道路に投げる。だから道路に落ちる前に、あんた達が助けてあげればいいわ。歩道を飛んでる間にキャッチすれば助けてあげられるんじゃない?」
「なっ」
「今回はあんたと岸本君二人いるんだもの。二人で三匹助けるんだから楽勝でしょ。良かったわね、本物のヒーローになれるわよ。可愛い可愛い猫ちゃん助けるためなら命くらい張れるわよね?だってヒーローになりたいんだもんね?」
「――!!」

 何を言っているのか、本当にわかっているのかこいつらは。
 投げられた猫が、道路に飛び出す前にキャッチして助ける。それが、言葉にするよりどれほど難しいか。やり方を間違えれば、助けようとした自分と空一も道路に飛び出す羽目になり、そのまま轢かれてしまうだろう。文字通り、命がけのヒーローごっこをしろと言っているのである――全く関係ない、なんの罪もない子猫たちを使って。
 ゲスの極みとしか思えなかった。投げられてしまったら、たとえ優理が命を賭けても助けてやれるか怪しい。なんとかその前にあのダンボールを奪い取らねば。

――でも、どうやって……!? 空一も人質にされてるってのに!

 時間は無情だった。光が、ダンボールの中に手を突っ込む。そして、黒と白の模様が入った小さな猫を掴み上げた。首根っこを掴まれた猫は何が起きているのかもわからない様子で、ジタバタと小さな手足を動かしている。

「やめろっ!」

 止めたい一心で、ひたすら叫ぶ、叫ぶ。

「そうやって、関係ないもの踏み躙って、殺して!何がそんなに楽しいんだよ、そんなことして何の意味があるんだよ!」
「意味ならある」

 光は。色のない目で優理を見て、ぼそりと言った。

「るりはが笑ってくれる、楽しんでくれる。それで、俺も楽しい。だからそれでいいんだ」
「――!」

 彼の腕が、動く。無理だ、と悟った瞬間優理は走り出していた。空中に放り投げられる子猫の姿が、まるでスローモーションのように目に映る。駄目だよ園部君!と空一が上げた悲鳴がどこか遠くで聞こえた。馬鹿じゃないの、とるりはが笑っている声も。
 どうにか持ち前の俊足で追いつき、猫を抱きとめる。しかし勢い余って体はそのまま道路へ投げ出されていく。まずいと思った瞬間、勢いよくこちらに向かってくる自動車のライトが見えた。恐怖に引きつったドライバーと目が合う。その手が慌てたようにハンドルを切るのが見えて、それで。

――ああ、これ、死んだかなぁ。

 どこか他人事のように思いながら、急ブレーキの音を聞いたのだった。
 手の中で、何も知らない子猫が小さく鳴いた気がした。それが、優理が覚えている最後の記憶となったのである。
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