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<第二十三話>
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まるで、何もかも見透かされているかのよう。小百合のベッドのすぐ横に、少女はじっと佇んでいる。
いつからそこにいたのか、どうやって此処まで来たのか――あるいは空間を超えて、壁をすり抜けてその場にいるとでもいうのか。
窓から現れた姫子とかいう存在も異質だったが、今明るい場所でこうして見れば桜はより“異端”な存在と思えてなかなかった。それは日本人形のような彼女の容姿と和装姿もあるだろうが、なんとなくそれだけではないような気がしているのである。
そうだ。――人間ではない、ナニカ。
アルルネシアと彼女は、何処かが似ている。
「それでいいって、何?」
震える声で、小百合は問う。
「まるで何もかも、答えが出ているとでも言いたげじゃない。……何もわかんないくせに。私がどれだけ苦しんでるか、全然分かろうとしないくせに!」
「そうですね。私に貴女の気持ちは分からないでしょう」
にべもなく返してくる、桜。
「分からないのが当たり前なんですよ、人の気持ちなんて。何故なら貴女は貴女以外の何かになることはできず、私は私以外の何者でもない。自分の気持ちが本当の意味で理解できるのはいつだって自分自身だけです。その本人が口にした言葉でさえ、言葉に変えた途端嘘や飾りが混ざって真実とは遠くなる。……だから私は誰に対しても言わないのです。“あなたの気持ちがわかります”なんてことは、けして。そんなものは綺麗事ですから」
最初に出会った夜よりも、まるで悟りを開いたような声だと小百合は思った。いや、お釈迦様どころかお坊さんの説法ですら、まともに聞いたことのない小百合だけれど。あくまでそれは、なんとなく、の印象でしかないのだけれど。
桜もまた、あの時と違って何かの答えを携えてそこにいる。ろくに知りもしない相手だというのに、何故だか小百合にはそう思えてならなかったのである。
「だから、私は正直に“貴女の気持ちなど分からない”と言います。わかります、なんて言ったら嘘でしかありませんから。……それでも、人が人と分かり合うことができるのは。相手の気持ちを理解しようと、努力することは誰にも可能だからです。理解できる範囲こそピンキリであっても、努力する姿勢は相手に伝わるものです。そして、自分の気持ちを理解しようとしてくれる相手は、時にどれほど己の救いになることか。貴女も、それを今痛いほど痛感しているはずです。そんな相手が欲しいからこそ、私がそうではないと思って苦しいからこそ“私の気持ちなんてわかろうとしなくせに”と怒った」
「……何が、言いたいのよ」
「人は、自分を理解しようとしてくれる相手に救われ、感謝し、そして自分もまた相手の気持ちを理解しようと努力をし始めるものなのです。……宇田川小百合さん。貴女には、そんな相手はいましたか。そして貴女自身は……誰っかを正しく理解しようと、そういう努力をしたことがありましたか」
「…………っ」
言葉に、詰まった。それは、今まさに小百合が思い知らされていたことであったからだ。
自分は、両親の気持ちを何も分かっていなかった。小説を書いて栄光を得ること、それが両親にとっても何物にも代え難い幸福であると信じて疑わなかった自分。――小説など書けなくなってもいいから、ただ生きていてくれればそれだけでいいなんて、そんな事を言われるなんて微塵も思っていなかったのは。己の価値観と、母の価値観が同じだと思い込んでいたから。
――……違う。思い込んでたんじゃない。私は……。
決め付けていた。そちらの方がきっと、正しい。
自分と同じ気持ちだと決めうっていれば、その方が間違いなく気楽であったから。相手の気持ちを慮るより、自分の感情だけ見つめている方に時間を割いていたかった。きっとそれは、想像することがどれほど疲労し、ストレスになるかが分かっていたからに他ならない。
誰かの気持ちを考えて配慮するということは即ち、自分の気持ちだけで行動することができなくなるということ。
相手の気持ちに向き合わなければいけなくなるということ。それは時に、自分の気持ちを偽り、あるいは我慢してでも向こうを立てなければならなくなる時が来るかもしれないということ。
己の心の自由が、誰かの気持ちのせいで縛られるかもしれない――ということ。
その全てが、小百合にとっては耐え難いことだった。だから、想像することを放棄して、相手の気持ちを都合の良いように決め付ける生き方をしてきたのである。小百合を世界で誰よりも愛してくれているはずの、両親の心でさえも。
「自分の気持ちを理解しようとしない相手の気持ちなど、誰も理解したいとは思いませんよ。……貴女が今まで、他の誰かの気持ちを全く鑑みてこなかったように。もし今、貴女が己の苦しみを誰にも分かって貰えないと嘆いているのならそれは。今まで貴女が他人を理解する努力を怠ってきた、その代償なのではありませんか」
桜の言葉が、ずしりずしりと背中に伸し掛る。どんな荷物よりも重く、痛みのない筈の背骨さえ軋む錯覚を覚えるほどに。
「貴女は不都合なモノ全てに蓋をして、自分を完璧だと思うことで肯定してきた。選ばれた存在だ思っていたから。自分はいつでも正しいと信じたかったから。その方がずっと楽で、自分の言葉を否定する人間は全て悪意と嫉妬にまみれた荒らしだと決めつけた。……貴女のそういう気質をご両親も分かってらっしゃらなかったのかもしれませんね。いずれにせよ、ご両親は一人娘の貴女を溺愛し、褒め殺して育ててしまった。褒め言葉ばかり浴びて、娘が甘い飴しか受け付けないようにしてしまった。……人は、自分の弱さや過ちを認めなければ、成長することなどできないというのに」
「わ、私は……私はっ……!」
「今までは、自分の実力は絶対的に評価されるはずのもの、自分に省みる点などないと信じて生きてくることができたのでしょう。でも、その逃げ道がなくなって今途方暮れている。己の過ちや弱さの認め方を知らないから」
「違う!違う違う違う違う!私はそんなんじゃない!そんなんじゃないったら!!」
何が違うのだろう。小百合は己の言葉を、どこか他人事のように聞いていた。自分でも、段々何を言っているのかわからなくなりつつあった。
違う。それは、自分は間違っていないということ?あるいは、そんな生き方なんかしていないということ?
それとも。何かが違うはずだと信じたい、己への暗示をかける言葉?
「私は……私だって……っ!頑張ってきたわよ!とっても、とっても頑張ってきた!退屈で仕方ない仕事をしながら一生懸命小説書いて、コンテストに落ちて悔しくても諦めなくて、だからっ……!!」
そうだ、自分だって頑張ってきたのだ。だから。
「報われたいって……そう思うのの、何がいけないっていうの……!?自分より認められる奴がいるのが許せないって、そう思うのがそんなにダメなこと!?私は天才なの、選ばれた存在なの、特別なの……普通なんかじゃ、ないの!そう思うのは、そんなにおかしいこと!?そんなに痛いこと!?否定されなきゃいけないことなの、ねえ!?」
その欲求を、満たしてくれる存在に縋ったのは――そんなにおかしなことだったのだろうか。
小百合のことを、選ばれた存在だと言ってくれた。願いを叶えてくれると囁いてくれた。そんなアルルネシアの力に頼ったのは、そんなに間違っていたというのか。
「その気持ちは誰だって持っていて当然です。それでも、貴女はアルルネシアに頼ってはいけなかった。……気づいていないのですか。魔法に頼って夢を無理矢理叶えたことは……それまで地道に頑張ってきた貴女自身を誰よりも侮辱したということに」
「!!」
「確かに貴女の努力は足りていなかった。方向性も間違っていた。受賞できるほどの技量に至っていなかった、それも事実でしょう。でも、それでも努力は努力でした。いずれ自力で夢を叶えられる可能性は十分あったはずです。それなのに、貴女は自分の手で、その努力の日々を無に帰してしまった。魔法の力なら、代償次第で何でもできてしまう。貴女が六年かけて書いていようと一日しか書いていなかろうと等しく夢は叶えられてしまう。貴女は、自分が書いてきた六年を、自分の手でゼロに等しいものにしてしまったのですよ……!」
「――っ!!」
――一日しか書いてなくても……六年書いた私と、同じように……?
世界が、崩れていく音がする。小百合が信じてきたものが、ガラガラと音を立てて壊れていく。
――私……私は自分の手で。自分の夢を、汚してしまったの……?
だから、受賞したはずの自分の原稿は書き換えられてしまった?
だから、次の作品をどれほど提出しても――アルルネシアの加護がない作品は、まるで評価してもらえないというのか?
『貴女はこの話で、一体何を伝えたいのでしょう?文章力とか、それ以前の問題なんです。貴女の物語からは、伝えたいメッセージが一切見えてきません。ヒロインを痛めつけたいから痛めつけたのですか?無双させるのが駄目だと言われたから強引に試練を足しただけというのなら……それは、貴女の今までの作品と何も変わりませんよ』
担当者の言葉が、ぐるぐると頭の中で巡り出す。
何を伝えたいかなんて、考えたこともなかった。ただ自分の作品はこんなに素晴らしいのだと、世間に知らしめることができればそれでいいと思っていた。
伝えたい言葉なんて、考えたこともない。――だって、伝えるべき読者の気持ちなんて。自分はまるで、考えたこともなかったのだから。
六年書き続けてきたのに、果たして自分は己の作品にちゃんと“誰かに届けたい想い”を込めたことがあっただろうか。誰かに何かを伝えたいのならそれは。誰かの気持ちを想像することが、本当は最初から必要だったのではないか?
自分のしてきた努力は、本当に間違っていたというのか?
その間違った努力さえ――自分は自分の手で、ゼロにしてしまったと?
「貴女の」
混乱し、次の言葉が出てこない小百合に。
「貴女の、一番のファンの方に……話を伺ってきました」
「え……?」
桜が言ったのは、意外すぎる言葉だった。
「どうして綺羅星サヨを応援したいのですか、と尋ねたら。彼女は言っていましたよ。『サヨさんは、私以上に、創作に真剣でした。だから、批判されることが許せなくて、トラブルになることが多かったけれど。そこまで作品に誇りを持って、戦い続けることのできる強さは……コンテストに落ちてそんなに悔しいのに、それでも諦めない彼女の意思が。私には、本当に眩しかったんです』と。そして……『サヨさんの頑張りが報われるところを、もっとずっと応援していきたい』と」
誰、と小百合は思う。誰の気持ちにも寄り添ってこなかった自分。作品を出す端から酷評され、アドバイスも全て荒らしと決め付けて聴く耳を持ってこなかった自分に――そんな言葉をくれる人間が、一体何処にいるというのだろう。
全く心当たりがない。両親以外に、そんな相手なんて自分には――。
「初音マイさんです」
「え……!?」
「思い出してください。貴女の作品が、そんなまがい物の賞を取る前に。貴女の作品を真剣に読んで、貴女の話に耳を傾けてくれた人が誰であったのかということを。……ご両親と違って、親の愛情というフィルターさえかけることなく。貴女の作品を見て、貴女自身を強く応援してくれた人のことを。……マイさんは、真実を知りません。貴女が自分を陥れたなんて微塵も思わず……今でも貴女と仲直りしたいと、貴女を応援しているとそう言っていました」
まさか、彼女が。その事実は――小百合の崩れかけた世界に、最後の一撃を加えていた。
砕け散る地面を感じて、落ちていくような虚無感を覚えながら小百合は――今度こそ、理解するのである。理解、するしかなかった。何故己が、両足を奪われるほどの罰を受けなければならなかったのかを。
『サヨさん!サヨさんの新作読みましたよ!まさかあの人が裏切り者だったなんて思ってもみなかったです!!続き、楽しみに待ってますね!!』
顔も知らないはずの彼女の笑顔が、あの時の自分には見えるような気がしていたのだ。
賞を取れず、叩かれてばかりの自分を――確かに支えてくれていたのは、一体誰だった?
あの頃の自分は、確かにマイの言葉で応援され、書き続ける意欲を保っていたのではなかったか?
――そんな彼女に、私は……。
マイは、確かに大賞を取った。自分よりも先に、自分よりも短い期間で。
妬ましかった。腹立たしかった。どうして自分ではなくて彼女が、と何度も思った。でも。
彼女は一度でも――受賞できなかった小百合を見下したり、馬鹿にするようなことを言っただろうか。そう決め付けて、応援してくれていた“一番のファン”を切り捨てたのは――一体、誰だった?
『あんたなんか、嫌い。大嫌いよ、初音マイ!』
挙句。
そんな彼女を――自分は。
「……どうすれば、いいの」
目の前が、真っ暗になる。顔を覆って、小百合はみっともない声を出した。掌が惨めに濡れていくのを感じながら、やっとの想いで言葉を絞りだす。
「教えて。……私、どうすればいいの……っ!」
生まれて、初めて。小百合は己のしたことを、消えてしまいたいと思うほどに後悔したのである。
その痛みは、あるいはそれこそが全ての始まりなのかもしれなかった。今までの傲慢な自分と決別し――新たな宇田川小百合として、生まれ変わるための。
いつからそこにいたのか、どうやって此処まで来たのか――あるいは空間を超えて、壁をすり抜けてその場にいるとでもいうのか。
窓から現れた姫子とかいう存在も異質だったが、今明るい場所でこうして見れば桜はより“異端”な存在と思えてなかなかった。それは日本人形のような彼女の容姿と和装姿もあるだろうが、なんとなくそれだけではないような気がしているのである。
そうだ。――人間ではない、ナニカ。
アルルネシアと彼女は、何処かが似ている。
「それでいいって、何?」
震える声で、小百合は問う。
「まるで何もかも、答えが出ているとでも言いたげじゃない。……何もわかんないくせに。私がどれだけ苦しんでるか、全然分かろうとしないくせに!」
「そうですね。私に貴女の気持ちは分からないでしょう」
にべもなく返してくる、桜。
「分からないのが当たり前なんですよ、人の気持ちなんて。何故なら貴女は貴女以外の何かになることはできず、私は私以外の何者でもない。自分の気持ちが本当の意味で理解できるのはいつだって自分自身だけです。その本人が口にした言葉でさえ、言葉に変えた途端嘘や飾りが混ざって真実とは遠くなる。……だから私は誰に対しても言わないのです。“あなたの気持ちがわかります”なんてことは、けして。そんなものは綺麗事ですから」
最初に出会った夜よりも、まるで悟りを開いたような声だと小百合は思った。いや、お釈迦様どころかお坊さんの説法ですら、まともに聞いたことのない小百合だけれど。あくまでそれは、なんとなく、の印象でしかないのだけれど。
桜もまた、あの時と違って何かの答えを携えてそこにいる。ろくに知りもしない相手だというのに、何故だか小百合にはそう思えてならなかったのである。
「だから、私は正直に“貴女の気持ちなど分からない”と言います。わかります、なんて言ったら嘘でしかありませんから。……それでも、人が人と分かり合うことができるのは。相手の気持ちを理解しようと、努力することは誰にも可能だからです。理解できる範囲こそピンキリであっても、努力する姿勢は相手に伝わるものです。そして、自分の気持ちを理解しようとしてくれる相手は、時にどれほど己の救いになることか。貴女も、それを今痛いほど痛感しているはずです。そんな相手が欲しいからこそ、私がそうではないと思って苦しいからこそ“私の気持ちなんてわかろうとしなくせに”と怒った」
「……何が、言いたいのよ」
「人は、自分を理解しようとしてくれる相手に救われ、感謝し、そして自分もまた相手の気持ちを理解しようと努力をし始めるものなのです。……宇田川小百合さん。貴女には、そんな相手はいましたか。そして貴女自身は……誰っかを正しく理解しようと、そういう努力をしたことがありましたか」
「…………っ」
言葉に、詰まった。それは、今まさに小百合が思い知らされていたことであったからだ。
自分は、両親の気持ちを何も分かっていなかった。小説を書いて栄光を得ること、それが両親にとっても何物にも代え難い幸福であると信じて疑わなかった自分。――小説など書けなくなってもいいから、ただ生きていてくれればそれだけでいいなんて、そんな事を言われるなんて微塵も思っていなかったのは。己の価値観と、母の価値観が同じだと思い込んでいたから。
――……違う。思い込んでたんじゃない。私は……。
決め付けていた。そちらの方がきっと、正しい。
自分と同じ気持ちだと決めうっていれば、その方が間違いなく気楽であったから。相手の気持ちを慮るより、自分の感情だけ見つめている方に時間を割いていたかった。きっとそれは、想像することがどれほど疲労し、ストレスになるかが分かっていたからに他ならない。
誰かの気持ちを考えて配慮するということは即ち、自分の気持ちだけで行動することができなくなるということ。
相手の気持ちに向き合わなければいけなくなるということ。それは時に、自分の気持ちを偽り、あるいは我慢してでも向こうを立てなければならなくなる時が来るかもしれないということ。
己の心の自由が、誰かの気持ちのせいで縛られるかもしれない――ということ。
その全てが、小百合にとっては耐え難いことだった。だから、想像することを放棄して、相手の気持ちを都合の良いように決め付ける生き方をしてきたのである。小百合を世界で誰よりも愛してくれているはずの、両親の心でさえも。
「自分の気持ちを理解しようとしない相手の気持ちなど、誰も理解したいとは思いませんよ。……貴女が今まで、他の誰かの気持ちを全く鑑みてこなかったように。もし今、貴女が己の苦しみを誰にも分かって貰えないと嘆いているのならそれは。今まで貴女が他人を理解する努力を怠ってきた、その代償なのではありませんか」
桜の言葉が、ずしりずしりと背中に伸し掛る。どんな荷物よりも重く、痛みのない筈の背骨さえ軋む錯覚を覚えるほどに。
「貴女は不都合なモノ全てに蓋をして、自分を完璧だと思うことで肯定してきた。選ばれた存在だ思っていたから。自分はいつでも正しいと信じたかったから。その方がずっと楽で、自分の言葉を否定する人間は全て悪意と嫉妬にまみれた荒らしだと決めつけた。……貴女のそういう気質をご両親も分かってらっしゃらなかったのかもしれませんね。いずれにせよ、ご両親は一人娘の貴女を溺愛し、褒め殺して育ててしまった。褒め言葉ばかり浴びて、娘が甘い飴しか受け付けないようにしてしまった。……人は、自分の弱さや過ちを認めなければ、成長することなどできないというのに」
「わ、私は……私はっ……!」
「今までは、自分の実力は絶対的に評価されるはずのもの、自分に省みる点などないと信じて生きてくることができたのでしょう。でも、その逃げ道がなくなって今途方暮れている。己の過ちや弱さの認め方を知らないから」
「違う!違う違う違う違う!私はそんなんじゃない!そんなんじゃないったら!!」
何が違うのだろう。小百合は己の言葉を、どこか他人事のように聞いていた。自分でも、段々何を言っているのかわからなくなりつつあった。
違う。それは、自分は間違っていないということ?あるいは、そんな生き方なんかしていないということ?
それとも。何かが違うはずだと信じたい、己への暗示をかける言葉?
「私は……私だって……っ!頑張ってきたわよ!とっても、とっても頑張ってきた!退屈で仕方ない仕事をしながら一生懸命小説書いて、コンテストに落ちて悔しくても諦めなくて、だからっ……!!」
そうだ、自分だって頑張ってきたのだ。だから。
「報われたいって……そう思うのの、何がいけないっていうの……!?自分より認められる奴がいるのが許せないって、そう思うのがそんなにダメなこと!?私は天才なの、選ばれた存在なの、特別なの……普通なんかじゃ、ないの!そう思うのは、そんなにおかしいこと!?そんなに痛いこと!?否定されなきゃいけないことなの、ねえ!?」
その欲求を、満たしてくれる存在に縋ったのは――そんなにおかしなことだったのだろうか。
小百合のことを、選ばれた存在だと言ってくれた。願いを叶えてくれると囁いてくれた。そんなアルルネシアの力に頼ったのは、そんなに間違っていたというのか。
「その気持ちは誰だって持っていて当然です。それでも、貴女はアルルネシアに頼ってはいけなかった。……気づいていないのですか。魔法に頼って夢を無理矢理叶えたことは……それまで地道に頑張ってきた貴女自身を誰よりも侮辱したということに」
「!!」
「確かに貴女の努力は足りていなかった。方向性も間違っていた。受賞できるほどの技量に至っていなかった、それも事実でしょう。でも、それでも努力は努力でした。いずれ自力で夢を叶えられる可能性は十分あったはずです。それなのに、貴女は自分の手で、その努力の日々を無に帰してしまった。魔法の力なら、代償次第で何でもできてしまう。貴女が六年かけて書いていようと一日しか書いていなかろうと等しく夢は叶えられてしまう。貴女は、自分が書いてきた六年を、自分の手でゼロに等しいものにしてしまったのですよ……!」
「――っ!!」
――一日しか書いてなくても……六年書いた私と、同じように……?
世界が、崩れていく音がする。小百合が信じてきたものが、ガラガラと音を立てて壊れていく。
――私……私は自分の手で。自分の夢を、汚してしまったの……?
だから、受賞したはずの自分の原稿は書き換えられてしまった?
だから、次の作品をどれほど提出しても――アルルネシアの加護がない作品は、まるで評価してもらえないというのか?
『貴女はこの話で、一体何を伝えたいのでしょう?文章力とか、それ以前の問題なんです。貴女の物語からは、伝えたいメッセージが一切見えてきません。ヒロインを痛めつけたいから痛めつけたのですか?無双させるのが駄目だと言われたから強引に試練を足しただけというのなら……それは、貴女の今までの作品と何も変わりませんよ』
担当者の言葉が、ぐるぐると頭の中で巡り出す。
何を伝えたいかなんて、考えたこともなかった。ただ自分の作品はこんなに素晴らしいのだと、世間に知らしめることができればそれでいいと思っていた。
伝えたい言葉なんて、考えたこともない。――だって、伝えるべき読者の気持ちなんて。自分はまるで、考えたこともなかったのだから。
六年書き続けてきたのに、果たして自分は己の作品にちゃんと“誰かに届けたい想い”を込めたことがあっただろうか。誰かに何かを伝えたいのならそれは。誰かの気持ちを想像することが、本当は最初から必要だったのではないか?
自分のしてきた努力は、本当に間違っていたというのか?
その間違った努力さえ――自分は自分の手で、ゼロにしてしまったと?
「貴女の」
混乱し、次の言葉が出てこない小百合に。
「貴女の、一番のファンの方に……話を伺ってきました」
「え……?」
桜が言ったのは、意外すぎる言葉だった。
「どうして綺羅星サヨを応援したいのですか、と尋ねたら。彼女は言っていましたよ。『サヨさんは、私以上に、創作に真剣でした。だから、批判されることが許せなくて、トラブルになることが多かったけれど。そこまで作品に誇りを持って、戦い続けることのできる強さは……コンテストに落ちてそんなに悔しいのに、それでも諦めない彼女の意思が。私には、本当に眩しかったんです』と。そして……『サヨさんの頑張りが報われるところを、もっとずっと応援していきたい』と」
誰、と小百合は思う。誰の気持ちにも寄り添ってこなかった自分。作品を出す端から酷評され、アドバイスも全て荒らしと決め付けて聴く耳を持ってこなかった自分に――そんな言葉をくれる人間が、一体何処にいるというのだろう。
全く心当たりがない。両親以外に、そんな相手なんて自分には――。
「初音マイさんです」
「え……!?」
「思い出してください。貴女の作品が、そんなまがい物の賞を取る前に。貴女の作品を真剣に読んで、貴女の話に耳を傾けてくれた人が誰であったのかということを。……ご両親と違って、親の愛情というフィルターさえかけることなく。貴女の作品を見て、貴女自身を強く応援してくれた人のことを。……マイさんは、真実を知りません。貴女が自分を陥れたなんて微塵も思わず……今でも貴女と仲直りしたいと、貴女を応援しているとそう言っていました」
まさか、彼女が。その事実は――小百合の崩れかけた世界に、最後の一撃を加えていた。
砕け散る地面を感じて、落ちていくような虚無感を覚えながら小百合は――今度こそ、理解するのである。理解、するしかなかった。何故己が、両足を奪われるほどの罰を受けなければならなかったのかを。
『サヨさん!サヨさんの新作読みましたよ!まさかあの人が裏切り者だったなんて思ってもみなかったです!!続き、楽しみに待ってますね!!』
顔も知らないはずの彼女の笑顔が、あの時の自分には見えるような気がしていたのだ。
賞を取れず、叩かれてばかりの自分を――確かに支えてくれていたのは、一体誰だった?
あの頃の自分は、確かにマイの言葉で応援され、書き続ける意欲を保っていたのではなかったか?
――そんな彼女に、私は……。
マイは、確かに大賞を取った。自分よりも先に、自分よりも短い期間で。
妬ましかった。腹立たしかった。どうして自分ではなくて彼女が、と何度も思った。でも。
彼女は一度でも――受賞できなかった小百合を見下したり、馬鹿にするようなことを言っただろうか。そう決め付けて、応援してくれていた“一番のファン”を切り捨てたのは――一体、誰だった?
『あんたなんか、嫌い。大嫌いよ、初音マイ!』
挙句。
そんな彼女を――自分は。
「……どうすれば、いいの」
目の前が、真っ暗になる。顔を覆って、小百合はみっともない声を出した。掌が惨めに濡れていくのを感じながら、やっとの想いで言葉を絞りだす。
「教えて。……私、どうすればいいの……っ!」
生まれて、初めて。小百合は己のしたことを、消えてしまいたいと思うほどに後悔したのである。
その痛みは、あるいはそれこそが全ての始まりなのかもしれなかった。今までの傲慢な自分と決別し――新たな宇田川小百合として、生まれ変わるための。
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