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<第二十二話>
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ずぶずぶと、底無し沼に沈んでいくような感覚を覚えていた。
無理して動こうとしたのが祟ったのか、あるいは最初からそれが普通であったのか、一度退院した後で小百合はもう一度病院に逆戻りになってしまっていた。結局ただの風邪であったようだが、倒れた時の母の泣きそうな顔が今でも忘れられずにいる。
『お願い、小百合……無理はしないで』
今まで、小百合が何をやっても応援してくれていた母。母に声を荒げて叱られたこともないし、ましてや叩かれた記憶など一切ない。殆ど小百合が言うことに全肯定だった、と言っても過言ではない。仕方のない子ね、と呆れたように言われたことはあったがその程度である。
そう、そんな母が。病院に逆戻りになった後で小百合にしがみつくように言ったのである。
『小百合。……小百合が事故に遭ったって聞いた時、父さんと母さんがどれほど怖かったかわかる?小百合に一生会えなくなるかもしれない、小百合ともう二度とお話できなくなるかもしれない……そんな時が来たらどうしようって、お願いだから私達から小百合を奪わないでって、神様に心底お願いしたのよ。私達の命をあげても構わないから、小百合の命をどうか助けてくださいって』
『お母さん……どうしてそんなこと言うの。お母さんとお父さんがいなくなったら、嫌よ。私だって悲しいわ』
『そうね、悲しいわ。悲しいのがわかるんでしょ。だったら……だったらお願いだから、私達の気持ちをもう少し考えて。想像して。私達よりずっとずっと生きてない小百合が、私達より先に逝ってしまう。それがどれだけ親不孝なことかわかる?私達は小百合より絶対先に逝かないといけないの。小百合は私達より絶対先に逝ってはいけないの。それが普通なの。普通の親子なの。お願い、その“普通”を私達から奪わないで。その“普通”を大切にして……!小百合自身が、私達から小百合を奪わないで……!』
多分、泣きじゃくる母は自分自身でも何を言っているかわからなくなっていたのだろう。
初めて、母に懇願された。
小百合がしたいことを、したかったことを――反対されたのだ。
『お医者様が言ってたでしょ。今回風邪を引いたのは睡眠不足と、無理に動きすぎたせいじゃないかって。……たまたま今回はただの風邪だったけど、次はそうじゃすまないかもしれない。もう二度とこんなことしないで。小説が書けなくて苦しいのはわかるわ。でも、小百合が命を削らないと書けないなら……無理をするくらいなら書かないで欲しい。貴女には悪いと思ってるけど、お父さんとお母さんにとっては……小百合が小説家として有名になることより、小百合がきちんと生きて人生を全うしてくれる方がずっとずっと大事なの……!有名になんかならなくてもいい、小説が書けなくてもいい、それでも小百合に無理せず生きていて欲しいの、親としてそう思うのはおかしい!?』
母があんな声で、血を吐くように感情をブチまけるのを初めて聞いた。母がそんなことを思って自分を見ていたなんて、全くもって知らなかった。
――人の気持ちなんて。私、一体いつから……考えなくなってたのかしら。お父さんとお母さんの気持ち、すら。
知らなかったのは。
小百合が、知ろうとしてこなかったからだ。
――確かに、今度こそ私自身の良い作品を書こうとして、無理をしてたのは否定しない。怪我が完治してないのに無理をしたからいけなかったんだってことも。……でも、まさかお母さんに……書くのをやめてほしいなんて、そんなこと言われるなんて……。
心のどこかで、両親の気持ちも自分と同じだと決め付けていた己がいる。
自分がプロ作家になって、有名になることが。両親にとって何より誇らしいことであるはずだと、そう疑わなかった。自分が有名になることが彼らにとっても何より嬉しいことに違いない、と。
確かに、その考えはあるところまで間違っていなかったのだろう。――彼らにとっては、それよりもずっと大切なことがあったというだけで。
有名にならなくても、天才でなくても――選ばれた特別なんかじゃなくても、“普通”でも。小百合が生きているだけで十分だと、彼らはそう思っていたのである。それだけで幸せだと。それほどまでに、小百合のことを愛してくれているのだと。
――親って、そういうものなの?……でも、私は……私は、ただ生きてるだけなんて嫌だったの。私は誰より作文が上手くて、誰より凄い小説が書けて……誰よりも特別な存在じゃなくちゃ、嫌だった。そうだって思ってた。今だって……私の作品の、何処が駄目なのか全然わかんない……。
病室でベッドから身を起こし、小百合は煌々と光るパソコンの画面を見つめている。まだ面会時間が過ぎているわけでもない。電気をつけてパソコンを動かしていたも叱られるわけではない。それなのに、今はカーテンを締切り、明かりを消した部屋で一人亡霊のような光を見ている。ワードの白い紙に浮き上がる文字を。小百合が次の新作として、会心の出来だと信じていた物語――『楽園エール』を。
***
真っ暗な部屋で、エールは泣いていた。
誰もエールの気持ちをわかってくれる人はいませんでした。エールは泣くしかありませんでした。自分の何がいけなかったのだろうとずっと考えていた。
エールの腕を切り落としたあの悪魔さえいなければ今頃自分だって戦場を駆け回っていたはずだった。あの悪魔が全ていけないと知っていた。悪魔を倒さなくてはいけなかった。あの悪魔を倒さないとエールの名誉は失われたままになってしまうそれだけは絶対だめだった。
『あの悪魔を倒さないといけないわ。だからおねがい私を戦場に出して。私は今度こそあの悪魔を倒して世界に平和をもたらしてみせます。私は選ばれた騎士なのよ絶対それができるはず』
『だめです』
『どうしてですか』
『だめなものはだめです。あなたは一度負けました。もうあの悪魔と戦うことはできません。王様がそういうふうに決めたので従ってください』
『いやです』
『従ってください』
『いやですってば』
『うるさいですしずかにしなさい』
『いやあ』
看護師はそう言った。エールはベッドに戻されてしまった。やめてくださいとエールは言った。看護師さんは行ってしまった。
『今度は負けないと言っているのにどうしてだめなんですか。私の何がいけないの誰か教えてよねえ』
エールは言った。もう一度ナースコールを押した。誰も来てくれなかった。エールは泣いた。
***
愛されチートヒロイン、というのが少々使い古されているということを編集に言われてしまったので、多少は方向転換そをしようとしたのである。この自分がまさか、誰かのアドバイスを聞こうと思う時が来るとは思わなかった。完璧な自分の設定に修正を入れるのは癪だったが、他に打開策らしい打開策は見えない。文章力がどうの、なんて言われてもそんなものは分からないのだ、ならば物語の方でどうにか差を感じて貰うしかないのである。
だから、世界最強の素質を持ちながら、それがまだ開花していないヒロイン、というものにした。戦場で華麗に、勇敢に戦う誰からも愛される美しい女騎士。しかし、彼女は悪魔の汚い罠にかけられて片腕を失ってしまうのである。そして病院に入院し、なんとか回復するも――なかなか病院から出して貰えない。自分はもう大丈夫だと言っているのに、再び戦場に戻ることはおろか退院さえもままならないのである。
これは、そのエールと、看護師との押し問答のシーンだった。実のところこの原稿はこの部分までで終わってしまっている。最終的にエールが復活し、その最強可憐な魔法剣技で悪魔を打倒して、みんなに讃えられて終わるというエンディングは決まっている。しかし、そのシーンに至るまでがどうしても想像がつかないし繋がらないのだ。
エールがただ無双してしまうとまた差別化がどうの、と言われてしまう。だからエールに試練を与えるため隻腕にして、そこからなかなか脱出できないという状況を作ったのだが。どうしてエールが退院させてもらえないのか、再び戦場に立つのを拒まれるのかがわからない。試練を作ったのはいいが、その理由が作者である小百合にも思いつかなくて困っているのである。エールは最強の素質を持った、世界で一番美しいお姫様のような騎士で、誰からも愛されているはずだというのに。
『……綺羅星先生』
この時点までの原稿を読んだ編集者は、苦い顔をして告げたのである。
『貴女はこの話で、一体何を伝えたいのでしょう?文章力とか、それ以前の問題なんです。貴女の物語からは、伝えたいメッセージが一切見えてきません。ヒロインを痛めつけたいから痛めつけたのですか?無双させるのが駄目だと言われたから強引に試練を足しただけというのなら……それは、貴女の今までの作品と何も変わりませんよ』
――何がいけないの?何が、私の作品の何が足らないっていうの……!?
何かが見えそうでいて、見えてこない。同時に、その見えそうなモノに手を伸ばすのが怖いと思ってしまう自分がいる。
それは、苦労をする身体障害者の気持ちを身をもって知ってしまったからであり――小百合を心配する両親の気持ちに触れてしまったからでもある。
他人の気持ちを想像することが――こんなにも恐ろしい。それをしたら、今までの自分の行いの意味が、ひっくり返ってしまいそうで怖いのだ。自分で自分を否定し、己の行動を省みるような結論になってしまったらどうすればいい?そんな恐ろしいこと、苦しいだけのこと、絶対にしたくないというのに。自分はいつも正しいはずで――そう信じて、他のことは何も考えずにいられたら、それ以上に楽なことなどないというのに。
――私は特別で、いつも正しくて。……もし、もしそうじゃなかったら、何?私が今までしてきたことは、何だってことになるの?そんなの嫌……そんなの絶対嫌……嫌……!
自分はエールと同じだ。
何も見たくなくて、真っ暗な病室に閉じこもっている。――パソコンの電源だけは、落とす勇気を持てないというのに。自分と同じ状況に陥っているであろうエールの気持ちならわかる。でも、エールを止める看護師の気持ちは、エールが戦場に出ることを許さない王様の気持ちがわからない。エールは特別であるはずなのに――自分と同じ、神様に愛された天才であるはずなのに――はずだったのに。
――アルルネシアに頼ったら、もう一度願いを叶えて貰ったら……今度は、今度こそ救われる?それとも……。
今度は何を失うかわからない。でも、今の自分を、この苦境を脱出するためにはもう魔法に頼るしか――。
「アルルネシア……」
引き出しに手を伸ばしかけた、その時だった。
「それでいいのですか?」
突然。部屋の明かりが点けられたのである。たおやかな一人の少女の声と共に。
う、と眩しさに目を細める小百合に、再度その声は問う。
「それでいいのですか?いいわけないことなど、本当はわかっているというのに」
目が慣れなくて、なかなか瞼を持ち上げられない。それでも小百合には、その正体がわかっていた。忘れるはずのない声だ。何かを決めなければいけない瞬間が訪れたことを、嫌でも理解させられることになる。
「日ノ本……桜」
決断しなければいけないのだろう、小百合も。
今度こそ――自分自身の手で、未来を。
無理して動こうとしたのが祟ったのか、あるいは最初からそれが普通であったのか、一度退院した後で小百合はもう一度病院に逆戻りになってしまっていた。結局ただの風邪であったようだが、倒れた時の母の泣きそうな顔が今でも忘れられずにいる。
『お願い、小百合……無理はしないで』
今まで、小百合が何をやっても応援してくれていた母。母に声を荒げて叱られたこともないし、ましてや叩かれた記憶など一切ない。殆ど小百合が言うことに全肯定だった、と言っても過言ではない。仕方のない子ね、と呆れたように言われたことはあったがその程度である。
そう、そんな母が。病院に逆戻りになった後で小百合にしがみつくように言ったのである。
『小百合。……小百合が事故に遭ったって聞いた時、父さんと母さんがどれほど怖かったかわかる?小百合に一生会えなくなるかもしれない、小百合ともう二度とお話できなくなるかもしれない……そんな時が来たらどうしようって、お願いだから私達から小百合を奪わないでって、神様に心底お願いしたのよ。私達の命をあげても構わないから、小百合の命をどうか助けてくださいって』
『お母さん……どうしてそんなこと言うの。お母さんとお父さんがいなくなったら、嫌よ。私だって悲しいわ』
『そうね、悲しいわ。悲しいのがわかるんでしょ。だったら……だったらお願いだから、私達の気持ちをもう少し考えて。想像して。私達よりずっとずっと生きてない小百合が、私達より先に逝ってしまう。それがどれだけ親不孝なことかわかる?私達は小百合より絶対先に逝かないといけないの。小百合は私達より絶対先に逝ってはいけないの。それが普通なの。普通の親子なの。お願い、その“普通”を私達から奪わないで。その“普通”を大切にして……!小百合自身が、私達から小百合を奪わないで……!』
多分、泣きじゃくる母は自分自身でも何を言っているかわからなくなっていたのだろう。
初めて、母に懇願された。
小百合がしたいことを、したかったことを――反対されたのだ。
『お医者様が言ってたでしょ。今回風邪を引いたのは睡眠不足と、無理に動きすぎたせいじゃないかって。……たまたま今回はただの風邪だったけど、次はそうじゃすまないかもしれない。もう二度とこんなことしないで。小説が書けなくて苦しいのはわかるわ。でも、小百合が命を削らないと書けないなら……無理をするくらいなら書かないで欲しい。貴女には悪いと思ってるけど、お父さんとお母さんにとっては……小百合が小説家として有名になることより、小百合がきちんと生きて人生を全うしてくれる方がずっとずっと大事なの……!有名になんかならなくてもいい、小説が書けなくてもいい、それでも小百合に無理せず生きていて欲しいの、親としてそう思うのはおかしい!?』
母があんな声で、血を吐くように感情をブチまけるのを初めて聞いた。母がそんなことを思って自分を見ていたなんて、全くもって知らなかった。
――人の気持ちなんて。私、一体いつから……考えなくなってたのかしら。お父さんとお母さんの気持ち、すら。
知らなかったのは。
小百合が、知ろうとしてこなかったからだ。
――確かに、今度こそ私自身の良い作品を書こうとして、無理をしてたのは否定しない。怪我が完治してないのに無理をしたからいけなかったんだってことも。……でも、まさかお母さんに……書くのをやめてほしいなんて、そんなこと言われるなんて……。
心のどこかで、両親の気持ちも自分と同じだと決め付けていた己がいる。
自分がプロ作家になって、有名になることが。両親にとって何より誇らしいことであるはずだと、そう疑わなかった。自分が有名になることが彼らにとっても何より嬉しいことに違いない、と。
確かに、その考えはあるところまで間違っていなかったのだろう。――彼らにとっては、それよりもずっと大切なことがあったというだけで。
有名にならなくても、天才でなくても――選ばれた特別なんかじゃなくても、“普通”でも。小百合が生きているだけで十分だと、彼らはそう思っていたのである。それだけで幸せだと。それほどまでに、小百合のことを愛してくれているのだと。
――親って、そういうものなの?……でも、私は……私は、ただ生きてるだけなんて嫌だったの。私は誰より作文が上手くて、誰より凄い小説が書けて……誰よりも特別な存在じゃなくちゃ、嫌だった。そうだって思ってた。今だって……私の作品の、何処が駄目なのか全然わかんない……。
病室でベッドから身を起こし、小百合は煌々と光るパソコンの画面を見つめている。まだ面会時間が過ぎているわけでもない。電気をつけてパソコンを動かしていたも叱られるわけではない。それなのに、今はカーテンを締切り、明かりを消した部屋で一人亡霊のような光を見ている。ワードの白い紙に浮き上がる文字を。小百合が次の新作として、会心の出来だと信じていた物語――『楽園エール』を。
***
真っ暗な部屋で、エールは泣いていた。
誰もエールの気持ちをわかってくれる人はいませんでした。エールは泣くしかありませんでした。自分の何がいけなかったのだろうとずっと考えていた。
エールの腕を切り落としたあの悪魔さえいなければ今頃自分だって戦場を駆け回っていたはずだった。あの悪魔が全ていけないと知っていた。悪魔を倒さなくてはいけなかった。あの悪魔を倒さないとエールの名誉は失われたままになってしまうそれだけは絶対だめだった。
『あの悪魔を倒さないといけないわ。だからおねがい私を戦場に出して。私は今度こそあの悪魔を倒して世界に平和をもたらしてみせます。私は選ばれた騎士なのよ絶対それができるはず』
『だめです』
『どうしてですか』
『だめなものはだめです。あなたは一度負けました。もうあの悪魔と戦うことはできません。王様がそういうふうに決めたので従ってください』
『いやです』
『従ってください』
『いやですってば』
『うるさいですしずかにしなさい』
『いやあ』
看護師はそう言った。エールはベッドに戻されてしまった。やめてくださいとエールは言った。看護師さんは行ってしまった。
『今度は負けないと言っているのにどうしてだめなんですか。私の何がいけないの誰か教えてよねえ』
エールは言った。もう一度ナースコールを押した。誰も来てくれなかった。エールは泣いた。
***
愛されチートヒロイン、というのが少々使い古されているということを編集に言われてしまったので、多少は方向転換そをしようとしたのである。この自分がまさか、誰かのアドバイスを聞こうと思う時が来るとは思わなかった。完璧な自分の設定に修正を入れるのは癪だったが、他に打開策らしい打開策は見えない。文章力がどうの、なんて言われてもそんなものは分からないのだ、ならば物語の方でどうにか差を感じて貰うしかないのである。
だから、世界最強の素質を持ちながら、それがまだ開花していないヒロイン、というものにした。戦場で華麗に、勇敢に戦う誰からも愛される美しい女騎士。しかし、彼女は悪魔の汚い罠にかけられて片腕を失ってしまうのである。そして病院に入院し、なんとか回復するも――なかなか病院から出して貰えない。自分はもう大丈夫だと言っているのに、再び戦場に戻ることはおろか退院さえもままならないのである。
これは、そのエールと、看護師との押し問答のシーンだった。実のところこの原稿はこの部分までで終わってしまっている。最終的にエールが復活し、その最強可憐な魔法剣技で悪魔を打倒して、みんなに讃えられて終わるというエンディングは決まっている。しかし、そのシーンに至るまでがどうしても想像がつかないし繋がらないのだ。
エールがただ無双してしまうとまた差別化がどうの、と言われてしまう。だからエールに試練を与えるため隻腕にして、そこからなかなか脱出できないという状況を作ったのだが。どうしてエールが退院させてもらえないのか、再び戦場に立つのを拒まれるのかがわからない。試練を作ったのはいいが、その理由が作者である小百合にも思いつかなくて困っているのである。エールは最強の素質を持った、世界で一番美しいお姫様のような騎士で、誰からも愛されているはずだというのに。
『……綺羅星先生』
この時点までの原稿を読んだ編集者は、苦い顔をして告げたのである。
『貴女はこの話で、一体何を伝えたいのでしょう?文章力とか、それ以前の問題なんです。貴女の物語からは、伝えたいメッセージが一切見えてきません。ヒロインを痛めつけたいから痛めつけたのですか?無双させるのが駄目だと言われたから強引に試練を足しただけというのなら……それは、貴女の今までの作品と何も変わりませんよ』
――何がいけないの?何が、私の作品の何が足らないっていうの……!?
何かが見えそうでいて、見えてこない。同時に、その見えそうなモノに手を伸ばすのが怖いと思ってしまう自分がいる。
それは、苦労をする身体障害者の気持ちを身をもって知ってしまったからであり――小百合を心配する両親の気持ちに触れてしまったからでもある。
他人の気持ちを想像することが――こんなにも恐ろしい。それをしたら、今までの自分の行いの意味が、ひっくり返ってしまいそうで怖いのだ。自分で自分を否定し、己の行動を省みるような結論になってしまったらどうすればいい?そんな恐ろしいこと、苦しいだけのこと、絶対にしたくないというのに。自分はいつも正しいはずで――そう信じて、他のことは何も考えずにいられたら、それ以上に楽なことなどないというのに。
――私は特別で、いつも正しくて。……もし、もしそうじゃなかったら、何?私が今までしてきたことは、何だってことになるの?そんなの嫌……そんなの絶対嫌……嫌……!
自分はエールと同じだ。
何も見たくなくて、真っ暗な病室に閉じこもっている。――パソコンの電源だけは、落とす勇気を持てないというのに。自分と同じ状況に陥っているであろうエールの気持ちならわかる。でも、エールを止める看護師の気持ちは、エールが戦場に出ることを許さない王様の気持ちがわからない。エールは特別であるはずなのに――自分と同じ、神様に愛された天才であるはずなのに――はずだったのに。
――アルルネシアに頼ったら、もう一度願いを叶えて貰ったら……今度は、今度こそ救われる?それとも……。
今度は何を失うかわからない。でも、今の自分を、この苦境を脱出するためにはもう魔法に頼るしか――。
「アルルネシア……」
引き出しに手を伸ばしかけた、その時だった。
「それでいいのですか?」
突然。部屋の明かりが点けられたのである。たおやかな一人の少女の声と共に。
う、と眩しさに目を細める小百合に、再度その声は問う。
「それでいいのですか?いいわけないことなど、本当はわかっているというのに」
目が慣れなくて、なかなか瞼を持ち上げられない。それでも小百合には、その正体がわかっていた。忘れるはずのない声だ。何かを決めなければいけない瞬間が訪れたことを、嫌でも理解させられることになる。
「日ノ本……桜」
決断しなければいけないのだろう、小百合も。
今度こそ――自分自身の手で、未来を。
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