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<第十九話>
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アルルネシアが、小百合の原稿に手を加えたことはほぼ確実だと言っていい。むしろ彼女以外に、あんなことが出来る人間などいないのだから当然だ。
だが、小百合はここで初めて気付くのである。あの改稿が仮に魔法ではなく、アナログなやり方で普通に書き換えられたものだとしたら。そのクオリティを抜きにしても、かなり手間がかかっていることは事実である。こちらも小説を書いて長い身だ、それを否定するつもりはない。でも。
――アルルネシアが……そうするメリット?メリットって?
ぐるぐると考える小百合。
――それは……アルルネシアの、間違いじゃ……。
いや、あれだけ手間隙かけた行為を間違いで済ますのは、流石に無理があるだろう。意図的であったと考えた方がまだ自然だ。
――じゃ、じゃあ……アルルネシアも認められたかったのよ。自分の小説を発表するために、私の作品と願いを利用して……。
いや、あの小説は最終的に綺羅星サヨの名前で発表され、受賞している。自分が認められたいのなら、小百合の名前を使っては何の意味もないのではないか。
――だ、だったら……あれは、嫌がらせ?私に嫌な思いをさせるためにわざと……。
いや。それを認めてしまったら、つまり。
アルルネシアが小百合のファンではないと――好意から、小百合を評価したから力を貸したわけではないと――その事実を受け入れることになってしまうではないか。
小百合は選ばれた存在であるはずで。
才能があったからこそアルルネシアに呼ばれ、魔導書と廻り合い、あるべきチャンスをモノにする切っ掛けを得たわけで――。
――ほ、他に理由……理由は……っ!
そんなはずがない。姫子の言葉が正しいはずがない。
小百合の夢を叶えるためには――大賞を取らせるためには。原稿に手を加えなければ、不可能だったなんてことは。
「欲しいものがあるなら、貴女は何をするかしら?」
考え続ける小百合をよそに、姫子と名乗った少女は淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「アクセサリーやバッグならお金を払う。それが高くて払えないなら、働いて稼ぐ。叶えたい夢があるならば、それに向かって努力する。水泳選手が金メダルを取るために練習するように、コンクールで入賞するためにひたすら絵を描き続けるように。……人は誰だって、何かを手にするために対価を払うものよ。それはお金であったり努力であったりと様々だけど。……貴女、アルルネシアの力を借りるために何かを支払ったかしら?」
「ど、どういう……」
「ああ、あんたの夢を叶えるためにあんたが努力したとか、魔法を使わなくても叶った筈だとか、そういう屁理屈はもういいから。あんたが努力をしてようがしてまいが、最終的にアルルネシアの魔法に頼ったのは事実でしょ。で、あんたはアルルネシアに何かを払ったの?まさか選ばれた存在だから、何でも無料で叶えてもらえるとか……そんなどこぞのライトノベルみたいなご都合展開、本気で信じてたわけじゃないわよね?」
「……っ!」
小百合は絶句する。実際の夢は、小百合が自力で叶えることも十分できたはず。それは今でも疑ってはいない。ただ、アルルネシアの力を借りて――目が曇っていた連中の目を醒まさせたのなら、それは確かに魔法に頼ったことにはなるのだろう。
でも。何かを支払わなければならないなんて、そんなこと考えもしていなかった。だってアルルネシアは何も言わなかったではないか。
『ええ、勿論。あたしを信じて?
あたしは、貴女の願いを叶えてあげたくて、この本を貴女に託したんだもの。
数に限りはないわ。叶う願いは一つずつ。それだけが、条件。
さあ、言ってご覧なさい。
貴女にも、優先順位はあるはず。
貴女の、今一番叶えたい願いは……なあに?』
――た、確かに私はアルルネシアに、対価が必要かどうかなんて聴かなかったわ!でも、でも!
『貴女はアルルネシアに選ばれたと思ったのでしょう。才能があるからこそ、正しい力を持つからこそ特別に選ばれたのだと。……選ばれたというのは間違いないと思います。ですが、貴女は何も知らない。彼女はこの世界を、人の運命を、捻じ曲げて悲劇に導くことに喜びを見出す魔女なのです。力を貸した結果、ハッピーエンドになるのがわかって貴女を助けたはずがない。全て、貴女が望む言葉を囁き、貴女を意のままに動かして……その先にあるバッドエンドを楽しんで見てやろうという、それだけの魂胆に過ぎないのです』
――そんなはずない!アルルネシアが、私を騙してたなんてそんなことは……!
いや――いや。
騙していた、というのは違うのだろうか。
自分は彼女に対価について尋ねなかったが。彼女は一言も、自分に対して“無料で叶えてやる”だなんてことは口にしていないのだから。
「なんならアルルネシアに確認してみる?案外、素直に全部白状してくれるかもしれないわよ」
すっ、と少女の指が、魔導書の入っている引き出しを指差す。
白状して――いや、答えてくれるとでもいうのか、アルルネシアが?だが、この間は。
「……無茶言わないで。アルルネシアは今、なんでだか私を無視してるの。答えてくれるとは……」
「ああ、なるほど?……でもそれは、事故の前だったんじゃないの?」
「え?」
そして。姫子の言葉と共に、二度目の衝撃が。
「“対価を貰う前に次の願いを言われても困るから、請求が終わるまで沈黙してた”。その可能性はないのかしらね」
対価を貰う。
請求。
ここでやっと――そう、やっとだ。小百合は全てが一本の線で繋がったのである。
「う、うそ、でしょ……」
まさか自分が事故に遭ったのは。
両足を失ったのは。
「嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よっ!そんなこと、あるわけないじゃないっ!!」
信じたくなかった。自分があの魔導書で願ったせいで、あの事故に遭っただなんて。それがアルルネシアが決めた、予定調和の出来事であっただなんて。
あれが、対価?願ったことの対価として、自分はアルルネシアが定めるまま事故に遭って、両足を失ったとでもいうのか?あんなことで?自分で叶えられるはずの夢を、ほんの少し魔法でサポートしてもらっただけだというのに?それが、両足を奪われ、一生歩けなくなるほどの大きな願いだったとでもいうのか?
釣り合わない。あまりにも釣り合わなすぎる。
いや、それだけではなく、まさか願っただけで本当に小百合の運命を大きく左右してしまうだなんて。そんな事が、現実に可能だなんて――。
「信じたくないのもわからないわけじゃないけど、指摘されるまで気づかないあんたも相当おめでたい頭してるわよね」
姫子はあくまで冷たい態度を崩さない。
「あんたは自分の夢をちょっと魔法で手助けしてもらっただけ、と思ってるようだけど。実際はさっき説明した通り。アルルネシアに律儀に物語を推敲してもらって、改稿してもらって、やっと大賞受賞にこぎつけるっていう結構な手間をかけているわけよね。そうでもしなきゃあんたの夢を叶えるのは、アルルネシアにとってもムリゲーだって判断だったわけよ」
「そ、それは……」
「反論したいならちゃんと自分の中で、反論できる理屈組み立ててからにしなさいよ。いい年した大人が感情だけで喚かないでくれる?……それにあんたが願ったのはそれだけじゃない。むしろ、こっちの対価が大きくとられたんじゃなくて?……あんたは自分が大賞を取ることだけ願えば良かったものを、あろうことか自分のライバルだった初音マイを魔法の力で蹴落とすことまで望んだ。自分の手を汚すこともなく、彼女がありもしない汚名を被せられ、作家生命を断たれるようにね。人を呪わば穴二つって言葉も知らないのかしら」
確かに、自分はそれをも望んだ。否定はしない。でも。
――しょうがないじゃない……だって、だって、だって!
賞を取るだけでは、足らないと思ったのだから仕方ないではないか。自分がどれほどトップに行っても、賞を貰って書籍化しても、初音マイの存在はいつまでもついてまわるのである。彼女の本も発売されたら、自分はえんえんと彼女の本と己の本の売上を比較してイライラし続けなければならなくなるだろう。ネット通販サイトで、少しでも自分の作品が貶されたら怒り、彼女の本が評価されたら憎むということを延々と続けなければならなくなる。
自分の方が実力は上だ。そのはずだ。本当に評価されるべきは自分のはずだと今でも確信している。――でも。いや、だからこそ。
少しでも彼女に追い抜かされるかもしれないなんて、そんな危惧など抱きたくないのだ。その可能性があるなら潰しておきたい、そうしてしまいたい。そう考えることの何が間違いだというのだろう。
「わ、私は……た、確かにそう願ったけど!でも!あ、あいつは大怪我したわけじゃなくて、ちょっとネットだ叩かれただけでっ……!」
「売春紛いの行為をしたなんて不名誉かけられて、外を歩くこともできなくなってるののどこが“怪我をしたよりマシ”なのかしらね。確かに怪我はしてないでしょうけど、作家生命を折られたらそれは腕を怪我することとどう違うの?対してあんたは、足はなくなったけど小説を書く手は残ったでしょ。アルルネシアにしちゃ有情だったかもしれないわね。……まあ、次に“お願い”をしたら、今度はその腕もなくなっちゃうかもしれないけど?」
とん、と音がした。姫子は、窓枠に腰掛けると、心底軽蔑したような眼で小百合を見つめた。
「いいわ、もう少しだけその本を貴女に預けてあげる。それで貴女が不幸になっても私は知ったことじゃないし。……事実は一つ。貴女のしたことは、人の不幸を願うということは、それだけの対価がなければ叶えられないほどのものだった。それほど大きな罪だった。それをきちんと受け止めて、次に己がどうするべきかよーく考えるのね。……じゃ。私はこれで」
次の瞬間、彼女の姿はひらりとどこかに消えてしまっていた。上に跳んだのか下に降りたのかも小百合にはわからなかった。それほどまでに、姫子の動きは速かったのである。
「わ、……私、は……」
足を失った小百合に、追いかける術などあろうはずもない。
呆然と、小百合は呟く他なかった。――ぐちゃぐちゃの頭を、整理することもできないままに。
だが、小百合はここで初めて気付くのである。あの改稿が仮に魔法ではなく、アナログなやり方で普通に書き換えられたものだとしたら。そのクオリティを抜きにしても、かなり手間がかかっていることは事実である。こちらも小説を書いて長い身だ、それを否定するつもりはない。でも。
――アルルネシアが……そうするメリット?メリットって?
ぐるぐると考える小百合。
――それは……アルルネシアの、間違いじゃ……。
いや、あれだけ手間隙かけた行為を間違いで済ますのは、流石に無理があるだろう。意図的であったと考えた方がまだ自然だ。
――じゃ、じゃあ……アルルネシアも認められたかったのよ。自分の小説を発表するために、私の作品と願いを利用して……。
いや、あの小説は最終的に綺羅星サヨの名前で発表され、受賞している。自分が認められたいのなら、小百合の名前を使っては何の意味もないのではないか。
――だ、だったら……あれは、嫌がらせ?私に嫌な思いをさせるためにわざと……。
いや。それを認めてしまったら、つまり。
アルルネシアが小百合のファンではないと――好意から、小百合を評価したから力を貸したわけではないと――その事実を受け入れることになってしまうではないか。
小百合は選ばれた存在であるはずで。
才能があったからこそアルルネシアに呼ばれ、魔導書と廻り合い、あるべきチャンスをモノにする切っ掛けを得たわけで――。
――ほ、他に理由……理由は……っ!
そんなはずがない。姫子の言葉が正しいはずがない。
小百合の夢を叶えるためには――大賞を取らせるためには。原稿に手を加えなければ、不可能だったなんてことは。
「欲しいものがあるなら、貴女は何をするかしら?」
考え続ける小百合をよそに、姫子と名乗った少女は淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「アクセサリーやバッグならお金を払う。それが高くて払えないなら、働いて稼ぐ。叶えたい夢があるならば、それに向かって努力する。水泳選手が金メダルを取るために練習するように、コンクールで入賞するためにひたすら絵を描き続けるように。……人は誰だって、何かを手にするために対価を払うものよ。それはお金であったり努力であったりと様々だけど。……貴女、アルルネシアの力を借りるために何かを支払ったかしら?」
「ど、どういう……」
「ああ、あんたの夢を叶えるためにあんたが努力したとか、魔法を使わなくても叶った筈だとか、そういう屁理屈はもういいから。あんたが努力をしてようがしてまいが、最終的にアルルネシアの魔法に頼ったのは事実でしょ。で、あんたはアルルネシアに何かを払ったの?まさか選ばれた存在だから、何でも無料で叶えてもらえるとか……そんなどこぞのライトノベルみたいなご都合展開、本気で信じてたわけじゃないわよね?」
「……っ!」
小百合は絶句する。実際の夢は、小百合が自力で叶えることも十分できたはず。それは今でも疑ってはいない。ただ、アルルネシアの力を借りて――目が曇っていた連中の目を醒まさせたのなら、それは確かに魔法に頼ったことにはなるのだろう。
でも。何かを支払わなければならないなんて、そんなこと考えもしていなかった。だってアルルネシアは何も言わなかったではないか。
『ええ、勿論。あたしを信じて?
あたしは、貴女の願いを叶えてあげたくて、この本を貴女に託したんだもの。
数に限りはないわ。叶う願いは一つずつ。それだけが、条件。
さあ、言ってご覧なさい。
貴女にも、優先順位はあるはず。
貴女の、今一番叶えたい願いは……なあに?』
――た、確かに私はアルルネシアに、対価が必要かどうかなんて聴かなかったわ!でも、でも!
『貴女はアルルネシアに選ばれたと思ったのでしょう。才能があるからこそ、正しい力を持つからこそ特別に選ばれたのだと。……選ばれたというのは間違いないと思います。ですが、貴女は何も知らない。彼女はこの世界を、人の運命を、捻じ曲げて悲劇に導くことに喜びを見出す魔女なのです。力を貸した結果、ハッピーエンドになるのがわかって貴女を助けたはずがない。全て、貴女が望む言葉を囁き、貴女を意のままに動かして……その先にあるバッドエンドを楽しんで見てやろうという、それだけの魂胆に過ぎないのです』
――そんなはずない!アルルネシアが、私を騙してたなんてそんなことは……!
いや――いや。
騙していた、というのは違うのだろうか。
自分は彼女に対価について尋ねなかったが。彼女は一言も、自分に対して“無料で叶えてやる”だなんてことは口にしていないのだから。
「なんならアルルネシアに確認してみる?案外、素直に全部白状してくれるかもしれないわよ」
すっ、と少女の指が、魔導書の入っている引き出しを指差す。
白状して――いや、答えてくれるとでもいうのか、アルルネシアが?だが、この間は。
「……無茶言わないで。アルルネシアは今、なんでだか私を無視してるの。答えてくれるとは……」
「ああ、なるほど?……でもそれは、事故の前だったんじゃないの?」
「え?」
そして。姫子の言葉と共に、二度目の衝撃が。
「“対価を貰う前に次の願いを言われても困るから、請求が終わるまで沈黙してた”。その可能性はないのかしらね」
対価を貰う。
請求。
ここでやっと――そう、やっとだ。小百合は全てが一本の線で繋がったのである。
「う、うそ、でしょ……」
まさか自分が事故に遭ったのは。
両足を失ったのは。
「嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よっ!そんなこと、あるわけないじゃないっ!!」
信じたくなかった。自分があの魔導書で願ったせいで、あの事故に遭っただなんて。それがアルルネシアが決めた、予定調和の出来事であっただなんて。
あれが、対価?願ったことの対価として、自分はアルルネシアが定めるまま事故に遭って、両足を失ったとでもいうのか?あんなことで?自分で叶えられるはずの夢を、ほんの少し魔法でサポートしてもらっただけだというのに?それが、両足を奪われ、一生歩けなくなるほどの大きな願いだったとでもいうのか?
釣り合わない。あまりにも釣り合わなすぎる。
いや、それだけではなく、まさか願っただけで本当に小百合の運命を大きく左右してしまうだなんて。そんな事が、現実に可能だなんて――。
「信じたくないのもわからないわけじゃないけど、指摘されるまで気づかないあんたも相当おめでたい頭してるわよね」
姫子はあくまで冷たい態度を崩さない。
「あんたは自分の夢をちょっと魔法で手助けしてもらっただけ、と思ってるようだけど。実際はさっき説明した通り。アルルネシアに律儀に物語を推敲してもらって、改稿してもらって、やっと大賞受賞にこぎつけるっていう結構な手間をかけているわけよね。そうでもしなきゃあんたの夢を叶えるのは、アルルネシアにとってもムリゲーだって判断だったわけよ」
「そ、それは……」
「反論したいならちゃんと自分の中で、反論できる理屈組み立ててからにしなさいよ。いい年した大人が感情だけで喚かないでくれる?……それにあんたが願ったのはそれだけじゃない。むしろ、こっちの対価が大きくとられたんじゃなくて?……あんたは自分が大賞を取ることだけ願えば良かったものを、あろうことか自分のライバルだった初音マイを魔法の力で蹴落とすことまで望んだ。自分の手を汚すこともなく、彼女がありもしない汚名を被せられ、作家生命を断たれるようにね。人を呪わば穴二つって言葉も知らないのかしら」
確かに、自分はそれをも望んだ。否定はしない。でも。
――しょうがないじゃない……だって、だって、だって!
賞を取るだけでは、足らないと思ったのだから仕方ないではないか。自分がどれほどトップに行っても、賞を貰って書籍化しても、初音マイの存在はいつまでもついてまわるのである。彼女の本も発売されたら、自分はえんえんと彼女の本と己の本の売上を比較してイライラし続けなければならなくなるだろう。ネット通販サイトで、少しでも自分の作品が貶されたら怒り、彼女の本が評価されたら憎むということを延々と続けなければならなくなる。
自分の方が実力は上だ。そのはずだ。本当に評価されるべきは自分のはずだと今でも確信している。――でも。いや、だからこそ。
少しでも彼女に追い抜かされるかもしれないなんて、そんな危惧など抱きたくないのだ。その可能性があるなら潰しておきたい、そうしてしまいたい。そう考えることの何が間違いだというのだろう。
「わ、私は……た、確かにそう願ったけど!でも!あ、あいつは大怪我したわけじゃなくて、ちょっとネットだ叩かれただけでっ……!」
「売春紛いの行為をしたなんて不名誉かけられて、外を歩くこともできなくなってるののどこが“怪我をしたよりマシ”なのかしらね。確かに怪我はしてないでしょうけど、作家生命を折られたらそれは腕を怪我することとどう違うの?対してあんたは、足はなくなったけど小説を書く手は残ったでしょ。アルルネシアにしちゃ有情だったかもしれないわね。……まあ、次に“お願い”をしたら、今度はその腕もなくなっちゃうかもしれないけど?」
とん、と音がした。姫子は、窓枠に腰掛けると、心底軽蔑したような眼で小百合を見つめた。
「いいわ、もう少しだけその本を貴女に預けてあげる。それで貴女が不幸になっても私は知ったことじゃないし。……事実は一つ。貴女のしたことは、人の不幸を願うということは、それだけの対価がなければ叶えられないほどのものだった。それほど大きな罪だった。それをきちんと受け止めて、次に己がどうするべきかよーく考えるのね。……じゃ。私はこれで」
次の瞬間、彼女の姿はひらりとどこかに消えてしまっていた。上に跳んだのか下に降りたのかも小百合にはわからなかった。それほどまでに、姫子の動きは速かったのである。
「わ、……私、は……」
足を失った小百合に、追いかける術などあろうはずもない。
呆然と、小百合は呟く他なかった。――ぐちゃぐちゃの頭を、整理することもできないままに。
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