レーゾン・デートルの炎上

はじめアキラ

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<第三話>

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 小百合は確信していた。この本こそ、自分が求め続けていたもの――魔導書と呼ばれる存在である、と。
 わくわくしすぎて、どうやってその本を持って家に帰ったのかも覚えていない。玄関で靴を脱ぎ捨て、家族にただいまを言うことさえ惜しんで自室に篭った。

――現実には、何も面白いことなんかない。先生も、家族も、友達も私の作文を評価してくれたけれど……裏を返せば、私にあるものはいつもそれだけだった。

 特別な美人ではない、ということくらい自覚はあった。けれど世の中には、そんな私に対してあまりにも不条理が満ちている。勉強も運動もさほど得意ではなく、いわゆる“人気者”の女の子に擦り寄るということもしなかった小百合は、いつも誰かにひそひそ影口を言われる子供だった。本ばっかり読んでいる。妄想ばかり。空気が読めない。根暗で協調性がない――そう言われるたびに思っていたのである。
 好きに思えばいい。自分の本当の価値をわからない奴なんかに興味なんかない。上辺だけ見て、人の本当の才能を見抜く眼もない連中に何て思われたって気にするものか、と。
 自分に必要はのは、ちゃんと自分を見て、自分の作品を評価してくれる僅かな友人と家族、先生だけ存在すればそれでいいのだ、と。

――現実では、ああいう根性の腐った奴ばかりがチヤホヤされ、良い学校に合格しただのそんなくだらないことで評価され、私のような本物の天才が肩身の狭い思いをしている。こんな世界、面白くもなんともない。どうして現実には、選ばれた人間だけが行くことのできる素晴らしい異世界、なんてものがないのかしら。

 自分が望むのは、安易な異世界転生や、頭の悪いライトノベルにあるような誰でもチヤホヤされるようなファンタジー空間ではない。真に選ばれた、真に価値のある人間だけが到達することのできる高尚な世界だ。そんな世界が、本当は何処かに存在するはず。ただ、自分はその世界に選ばれるのが遅れているだけに違いないのだ。小百合はいつしかそう思い始め、己の“理想とする世界”を描くため、普通の作文から小説へとシフトしていったのである。
 恋愛を描くことが多いのは、自分に相応しい知的な美青年が何処かに存在するはずだから、という思いゆえのこと。ファンタジーも描くことはあったものの、バカバカしくてありきたりな下らない小説ばかりが溢れているせいで、そちらの内容が頭にチラついてなかなか良いものが書けずにいたのである。あんな、何が面白いのかもわからない流行は存在するだけで害でしかない。自分をこんなに不快にさせ、本当に素晴らしい作品が書けるはずの小百合の執筆作業さえ実質妨害してくるわけなのだから。

――必ず報われる日が来るはず。私だけが認められ、私の考えこそ正しいとみんなに祝福され……私を馬鹿にしてきた奴らを土下座して謝らせることのできる日が、必ず来る筈。ずっとそう、信じてきた……そして!

 今。小百合の目の前には、その“選ばれた人間の証”が存在している。
 この魔導書は明らかに自分を呼んでいた。あの古書店で、小百合に見つけて貰うのを今か今かと待ち望んでいたのである。だから、あの店主さえこの本の存在を認識していなかった。それが何より、選ばれた存在だけが扱える魔法の本であることの証明ではないか。

――神様は、頭も根性も悪い連中に虐められてもなお屈せず、地道な努力を続けた私をけして見捨ててはいなかったんだわ……!

 うっとりしながら机の上のパソコンを横にどかし、震える手で本を取り出して置いた。まだ、うっすらと赤く輝いているように見える。まるでそこに心臓があって脈打っているかのよう。本の表紙に手を置けば、そこから伝わってくるのはとても無機物のものとは思えない、確かな熱だった。
 この本は、生きている。
 いや――この本を書いた偉大な存在の意思が、ここに生きたまま宿っているのだ。

――私は間違ってなかった!私は選ばれたの……偉大な魔女に!災禍の魔女、アルルネシアに!!

 これは、望んだ場所に行くための唯一の鍵。
 異世界でも、あるいはこの世界の栄光でも。自分が一番欲しいものを、小百合が本来もっと早く手にするべきだったものを――なんでも届けてくれる、素晴らしい魔導書だ。
 何故それが分かるのか?――この本を手にとってから、ずっと聞こえてくるのである。この本の執筆者である“彼女”の声が。

「アルルネシア……偉大な魔女、アルルネシア。お願い、私の声を聞いて。私の願いを届けて……!」

 本の上に手を置いて呟いた後、誘われるようにして――表紙を開いた。瞬間、目に飛び込んでくるのは真っ白なページと赤い文字。
 しかし、そこに書かれた文字は、本を買った時に目にしたものとは異なっていた。



『初めまして、宇田川小百合。
 貴女のような人に会えるのを、ずっと待っていたわ。
 この本は、選ばれた存在だけが見つけることのできる特別なもの。
 あたしが真に望む相手にしか見つけられないように、そう細工された魔導書。

 この本は、貴女の本当の望みを叶えてくれるでしょう』



 浮かび上がる文字と共に、妖艶な女性の声が脳内で響き渡る。

――ああなんて、甘美な響きなの……!

 魔女は、小百合がずっと望んでいた言葉を、まるで小百合の心を読んだかのようにくれる存在だった。会えるのを待っていた。選ばれた存在。真に望む相手――まさに、自分に相応しい言葉ばかり。
 己はこの世界でも特別才能を持った人間だと、そう疑わずに生きてきた小百合にとって。誰かにその価値を“正しく”評価されることこそ当然であり、最大の歓喜に違いないのだった。
 しかも今回自分を認めてくれた相手は、どんな人間よりも上位の存在。バカバカしい、浮かれた作家どもの書いたどんな異世界ファンタジ―を浚っても見たことのないような――それこそ彼らの物語のどんな“レベル999のチート勇者”が束になっても絶対に叶わないような、最強最高の魔法を使える魔女なのである。
 小百合は優越感に酔いしれた。どもりながらも、再度本に呼びかける。

「は、は、初めまして、アルルネシア。私も、貴女に逢えて嬉しいわ。私の望みを叶えてくれるって、本当に?本当にどんな望みでも叶えてくれるの?」

 心臓がうるさいくらい高鳴っている。今日この日から、自分の世界が180°ひっくり返るであろうという、絶対の予感。
 本の中から、姿の見えない魔女がその麗しい声で嗤うのを小百合は聞いた。



『ええ、勿論。あたしを信じて?
 あたしは、貴女の願いを叶えてあげたくて、この本を貴女に託したんだもの。
 数に限りはないわ。叶う願いは一つずつ。それだけが、条件。

 さあ、言ってご覧なさい。
 貴女にも、優先順位はあるはず。
 貴女の、今一番叶えたい願いは……なあに?』



 何でも叶う。どんな願いでも――叶えて貰える。
 小百合は全身から湧き上がる歓喜に震えながら、大きく息を一つ吸って――告げた。

「じゃ、じゃあ!私の、私の願いは……っ!!」



 ***



「まだ私自身は見たことがありませんが。その名前は存じ上げています」

 桜は眉をひそめて、そう返した。

「数多くいる異世界犯罪者の中でも、尤も厄介で凶悪……S級の認定を受けた、最悪の犯罪者。そのうちの一人が、災禍の魔女アルルネシアである、と」
「そういうこったな。……魔女や魔術師の二つ名は、そのまま本人の性質を表す。過去多くの世界をぶっ壊して回ってお縄についた俺の二つ名が“終焉”であることからもお察しってな。奴の名前は“災禍”。とにかく、人の世の中に災いを齎すことそのものが本質なんだ。なんといっても、奴は生まれついて人間じゃない。人間の悪意や欲望から産まれた存在と言っても過言ではないからな。別名“最強最悪にチョー迷惑な愉快犯”だ」
「……シリアス台無しですね」

 桜はまだ、聖也と知り合ってさほど長い月日を経ていない。聖也自身はパラレルワールドの桜や、全く違うファンタジーな世界で生きている桜などとも交流があるようで、出会った当初から“初対面な気がしない”なんてことを言われてはいたが。
 彼の仕事を考えるなら、この世界でそれなりに影響力を持ち、かつそれなりにファンタジーやオカルトな事にも精通している人間とコンタクトを取っておくのは必須であったのだろう。何故なら桜の仕事は、この日本の法律では裁けない相手を捕まえ、裏の法をもって処罰する――いわば、現代の忍に通じるものであったからだ。といっても、桜自身はどちらかというと裏方の事務処理が基本であったし、前線に出て戦うよりは机の前でパソコンに向かっていることの方が多いのだけれど。それに、扱う武器も刀であるので、どちらかというと忍よりも侍だ、なんてことも言われたりするのである。

「そのアルルネシアが、この世界で……魔導書を落として行った、と。確かに異世界から危険物を持ち込むのは、世界の崩壊を招く意味でも非常に大きな制約があるでしょうが。魔導書、と呼ばれるモノならばこの世界にも存在しないわけではありません。表立って活躍することは減りましたが、私の世界にも魔術師、陰陽師と呼ばれる存在はいますから。……ですが、聖也。貴方はそこまで警戒するということは、つまり……」

 桜が声をひそめると、察しがよくて助かるわー、と彼はやや投げやりに答えた。

「この世界にも似て非なる魔法はあるが、禁じ手とされている。つまりそういう類の魔術ってわけだな。この世界の根幹を揺るがしかねない類だ。なんといっても、“どんな願いも叶える”ってなチートアイテムだからよ」
「どんな願いも……そんなこと、可能なんですか?」
「究極的に言えば、魔法に出来ないことなんかないんだよ、ただし」

 はあ、と机の上で肘をついて、聖也は心底嫌そうに告げるのである。

「タダ、なわけがない。対価はいるんだよなあ、どんなモノでも当然のよーに」
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