レーゾン・デートルの炎上

はじめアキラ

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<第二話>

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 日ノ本桜ひのもとさくらは悩んでいた。
 自宅の大きな日本家屋、その和室で一人、机を前にしてうんうんと悩んでいた。ジャージ姿で、文字通り頭を抱えて。

「あああどうしよう……どーしましょう……」

 十代の少女に見られがちの外見をしている桜だが、これでも立派な社会人である――と、本人は思っている。その仕事内容が特殊であり、表に堂々と晒せるものではないため簡単に“なになにの業種”と説明できないためだ。それでも仕事をしているのは間違いないし、ちゃんとそれでお給料を貰って御飯を食べている。この広い屋敷に一人暮らしではあるが、一人でのんびりする時間が大好きな桜は特に気にしたことはない。残念ながら、ぼっち好きである割には来客が多く、たまの休みであってもなかなかゆっくり出来ない現状は間違いないことなのだが。
 その桜のたまの休みが今である。桜の悩みは、見る人間が見れば一目瞭然だろう。目の前にはまっさらなノート。筆箱。ちまちまと汚い文字が走りまくっているメモ帳に、大人気ゲームが原作のマンガ“タツマキナイン”の単行本が数冊。
 そして、印刷会社のカタログともあれば、もう悩みは一個しかあるまい。

――もう時間がない……夏の祭典までにネームくらいは書き上げておかないと間に合わないのにいいい!

 桜はオタクだった。表の世界ではクールに仕事をこなす社会人を気取っておきながら、その実情は男の子同士の恋愛が大好きな腐った乙女――いやもう乙女と呼べる年齢ではないので、腐婦人である。
 現在ハマっているのは、“タツマキナイン”という熱血野球ゲーム。そしてそのメディアミックス作品である。最近ネットで知り合った海外の友人と意気投合し、彼女の来日にあわせて夏の祭典で合同同人誌を出すことになったはいいのだが。
 浮かばないのだ、ネタが。そもそもカップリングさえ決まらない。何が問題って、桜は雑食系のオタクなのである。CP固定派ではない。丸伊キャプテン総攻め本なので、丸伊キャプテン攻め以外の選択肢はないのだが(ちなみにオタク事情に疎い読者向けに説明すると、攻め役というのは一般的に男役のことを言う。受け役、は逆の女役。前者を左側、後者を右側と称することもある。)――問題はその相手役である。
 野球やろうぜ!の眩しい笑顔でみんなを魅了する丸伊真一キャプテンは、男性女性問わずみんなに好かれる王道的主人公だ。マネージャーは全員揃って公式設定で彼のことが好きだし、友情的な意味で言うなら部員は全員彼の虜である。相手役には男も女も事欠かない。事欠かないのだが――それゆえに、誰を相手にするのがもっとも妄想が滾るのか、にいつも悩まされてしまうのである。

――笠根君にするか、いやここは親友の風見君を押していくべきか……熱血系エースピッチャーと、クールで落ち着いた瞬足のセカンド……ああでも、でも!兄のように慕ってくれる、天童君っていうのも可愛いですしおすし……!!

 ひたすら悶え続けて、既に一時間以上が経過している。真っ白なノートはネームどころか、一文字も文字が増える形跡がない。時間は待ってくれない。仕事の無い日でなければ、落ち着いて妄想を練ることさえできやしないのである。久しぶりの休みに、じっくりのんびり一人でいる時間が取れたというのに――これでは今日も、“何の成果も得られませんでしたすいまっせん!”で終わってしまう。
 これが個人誌だったら自己責任だが、今回は合同誌なのだ。相方のエリーゼに迷惑をかけてしまう。せっかくヨーロッパから原稿を郵送し、夏の祭典の日に海を渡って来日してくれると約束してくれたのに――。

「さっくらちゃーん!」

 そして。
 そんな桜をさらに絶望に突き落とす、場違いに明るい声が響き割った。まさか、と引きつった顔を上げるのと。目の前の縁側に、生垣を突き破って真っ黒な人影が飛び込んでくるのは同時だった。

「大変なことになったんだけど、とりあえずキスさせてー!チュー!!」
「出たなぁぁぁぁ変態!!」

 真っ黒なローブを着た少年が、気持ち悪いニヤケ顔で和室に上がりこんでこようとする。こういう時に限って来るんだよコイツは!と桜は怒り任せに――少年の胸ぐらを掴んだ。そして。

「私の!家は!土足!禁止!ですっ!!」

 柔道の要領で、思い切りぶん投げていた。

「ぐえっ!」

 変態少年は、蛙が潰れたような声を上げて悶絶する。
 小柄で童顔、まるで一昔前の大和撫子のよう――そう呼ばれる桜だが、実は武道はひとしきりマスターしているのだ。柔道も当然のように有段者であったりする。

――ああ、さよなら私のお休み……!

 ぴくぴく痙攣する変態の背中を踏みつけながら、ほろりと涙を流した。
 桜の休みが、なかなか平穏で終わらない理由のひとつ。それがこの、“桜美聖也さくらみさとや”がしょっちゅう家に突撃してくるからである。
 彼がやってくる時は、大抵バッドなニュースを運んでくると相場が決まっているのだ。実に忌々しいことに。



 ***



「桜ちゃんあのね?愛が毎回ちょと重すぎると思うんだよね俺」
「黙らっしゃい。いきなり人の家をぶっ壊してキス迫ってくる不審者を投げ飛ばして何がいけないのですか。ええ私は正しい。私ジャスティス」
「不審者じゃないもん!俺ら仲良しのオトモダチでしょ!?」
「貴方なんかと友達になった覚えはありませんさっさと死んでください」
「出て行ってくださいでも消えてくださいでもなく死ね!?」

 わーわー騒ぎながら、目の前で一人寂しくたんこぶをさすっている聖也。彼の顔を見てしまっただけで、今日の休みは台無し確定である。黙っていればそこそこの美少年には違いなく、それこそBL同人誌のネタにしてもいいくらいなのだが――問題はその中身。残念すぎるのは先ほどの行動で見ての通りである。彼ときたら、守備範囲が恐ろしいまでに広いのだ。好みと見れば、赤ちゃんがらジイちゃんバアちゃんまでナンパする、セクハラする、キスを迫るときている。
 桜に対してもそう。突撃してくるたび投げられるまでがお約束だというのに、どうして懲りないのだろう。あと大穴空いた生垣は弁償しろと言いたい、全力で。

「貴方がただセクハラのためだけに私の家に来る、のは稀だってことはわかってます。変態ですけど、とっても変態ですけど、恐ろしく変態ですけど……貴方の仕事は非常に忙しいのは事実ですからね」

 変態三段活用。外見年齢はそれこそ中学生くらいの聖也であるが、実年齢は桜よりもずっと年上であることを知っている。つまりは人間ではないのだ、彼は。
 彼がやっている仕事。それは簡単に説明するのならば、警察に近いものである。ただし、この国の、あるいは世界の警察ではない。“すべての異世界の”警察である。
 ライトノベルに出てくるような剣や魔法の世界。あるいは、この日本のパラレルワールド。それらはすべて、今桜達が生きているこの世界とは別の場所、異世界という言葉で括られる。ライトノベルでは普通の人間がやたらめったらトリップしたり転生を繰り返してチート無双したりするらしいが、現実にはそういうことはまず有り得ない――と、多重世界を理解する者達は知っているのである。
 人の魂は、基本その世界だけで完結するように出来ていいる。そして、他の世界への干渉は根本的に許されていない。魔法がばんばん使える魔法使いが、魔法の存在しない現実世界に来て暴れたら世界が滅茶苦茶になってしまうのと同じこと。異世界同士は基本干渉しないことで、それぞれの世界の歴史と調和を保っているのである。
 ただし、異世界を自由に渡り歩ける存在は、ごくごく一部存在しないわけではないのである。
 そういう存在を、桜達は“旅人”と呼んだり、“魔女”という呼び方をしたりする。膨大な魔力、あるいは生命力を得ることによって生き物としての枠を飛び越えることに成功した者。そういう者は、自由に世界を渡り歩き、異なる世界を観光しては楽しんだりもするのである。実は、ただ“観光して楽しむ”程度であるのなら、世界の秩序が乱れることもそうそうないのだ。問題は――“好き勝手に世界に干渉して、異世界を壊してしまう事も厭わない存在”が時に生まれるということである。
 聖也はそうやって異世界の秩序を守るための警察組織、“ラストエデン”のリーダーをしている。異世界に好き勝手に干渉し、歴史をいじくり回しては過剰な力で改変、あるいは崩壊させることを楽しむ旅人達――そういった、“異世界犯罪者”を取り締まるのが彼の仕事なのだ。

「今回は何が起きたのですか。またS級犯罪者がこの世界に来てやらかそうとしている、なんて話じゃないでしょうね?」
「当たらずとも遠からず、ってところだな。犯罪者そのものはこの世界にいない……今は、だけどよ」
「……それって」

 嫌な予感が的中したらしい。桜は眉をひそめる。異世界の存在を正しく認知し、聖也と直接接触を図ったことのある者はこの世界でもそう多くはない。桜はその数少ない一人であり、いわば“異世界からの侵略者”に対抗するための一定の人脈を保つ存在である。
 その桜に真っ先に話を持ってくる時点で、事態はそれなりに深刻だろうとは思っていたが。

「“災禍の魔女アルルネシア”。奴がこの世界に、とんでもない置き土産をしてくれたらしい。あの女、最近魔道書作りに凝ってるらしくてな。この世界にも一冊、どっかの死神のノートよろしく落としていってくれたらしいんだわ」

 聖也は先ほどのふざけた顔から一変、真剣な表情で桜に告げた。

「急いで見つけた方がいい。……奴の気配こそこの世界にはないが、その本そのものがかなり面倒くさい代物みたいでな。下手をしたら、死人が出るぜ」
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