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<32・解放。>
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あと十五人死ねばいい。
茅の言葉を、雫はゆっくりと噛み砕いていた。
――六十年間。辛かったけれど目を覚まさせてくれる意味あるものだったと……お前はそう言った。本当の願いは変わっていないと。でも。
思い出すのは、色褪せることのない六十年前の記憶。
窮屈な御堂家の中で、両親と妹とだけ一緒にいる時間はとても自由だった。双子の妹の方を里親に出さなければいけなかったこと、父も母も身を切られるような苦しみだったことだろう。それもあって、自分達には精一杯の愛情を注いでくれていた。
今でも覚えている。まだ赤ちゃんだった妹をだっこしたこと。ミルクを飲ませたり、おしめを替える手伝いをしたこと。自分よりずっと小さな手を引いて散歩をしたこと。可愛いお花、不思議な玩具、代わった空の色、木の上で鳴いている蝉。それらを一つ一つ見つけては、自分に何でも面白かったものとして報告してくれたこと。
尺汰村が、戦争からも戦後のごたごたからも忘れられたようなのどかな村だったことが大きかったのかもしれない。自分達のところには米軍の飛行機も飛んでこなかったという。あの時代の子供達の中では、きっと自由にのびのび暮らすことができていたことだろう。
小学校に上がってからの茅は、どこまでも聡明な女の子だった。作文がとても上手だったのをよく覚えている。
分校で、ずっと年上の子達と喧嘩しても負けるということを知らんかった。いがぐり頭の坊主たちがわんわん泣いているところ、ふんぞり返っている茅の姿を見てなんど慌てたことかしれない。しかし、彼女が喧嘩をするのは、いつもいじめっ子を守るためだったということも知っている。正義感が強く、優しい子だった。夏休みに捕まえた蝉やカブトムシを、かわいそうだからとすぐ逃がしてしまうほどには。
そう、優しい子であったのに、彼女は。
「……あの頃のお前なら」
泣きたいような気持で、雫は彼女に銃口を向ける。
「あの頃のお前なら。……そんなこと、絶対に言わなかったはずだ。私達が生き残ることができたなら、何人も他の人が死んでもいいなんて……そんなこと。やはり、私達が自らの命で、責任を取るべきだろう」
彼女を変えてしまったのは、自分だ。
彼女を生きて守る力があれば。そしてせめて、儀式が終わると同時に村から逃げ出すことができれば。
例え自分が死んでも、彼女が死んでも、こんな悲しい六十年を過ごすことにはならなかっただろう。
いや。
幽閉されてでも、自分にはできることがあったはずだ。追い詰められていく彼女を支えず、苦しみの中に取り残してしまったのは間違いなく自分の罪だろう。
「し、雫さん……」
傍にいた花林が、口を開いた。
「最初から、決めてたんですか。頃合いを見て、茅さんと……ご自分が死ぬと」
「ああ」
「待ってください。御堂の家の人間なら、生贄の十人分に該当するんですよね?だったら……他の、御堂家の人を殺して儀式を終わらせるんじゃ駄目なんですか?何故、雫さんが妹さんを殺して自分も死ななければいけないんです……?」
そんな言葉が、彼女から出てくるとは思わなかった。意外に思ってぽかんと見つめれば、花林は動揺したように首を横に振った。
「ごめんなさい、こんなこと言うべきではないのはわかってるんです。結局それって、他の人に死ぬ役目を押しつければいいって言っているようなものだから……」
「い、いや。そこではなく」
自分が、御堂家の中核にいた者達に良い感情を持っていない、のは花林にも話したことである。だからこそ、彼女がその疑問を持つのは間違っていない。その憎たらしい者達に恨みをぶつける方が、兄と妹で心中するよりよほど自然であるはずだと言いたいのだろう。
ただ。
「君達は、この儀式を取り仕切った茅が憎いはずだ。その兄であり、儀式を止められなかった私のことも。それなのに……」
彼女の物言いではまるで。
雫にも茅にも、死んでほしくないみたいではないか。
「……確かに、憎いです。この儀式がなければ、深優ちゃん達は死なずに済んだ。安藤先生も、他の人達も、ずっと優しい普通の人間でいられたのかもしれなかった。そう思ったらたまらなく悔しいです。でも」
花林は唇を噛み締めて、俯く。
「私も、大事な……守らなきゃいけない弟がいるから。自分が雫さんや茅さんの立場だったらって思ったら、一概に否定できなくて。私だって……もし、亜林が私を守って死んじゃって、それで帰ってきたらきっと喜ぶし。もう二度といなくなってほしくない、そのためには何でもするって思ってしまうだろうから……だから。本当に、こんな結末でいいのかって、そう思って」
「花林……」
その姿に。遠い日の茅が重なった。
ああきっと――かつての茅なら、花林と同じことを言うだろう。そう思えたのである。
「……他の御堂家の人間ではなく、私と茅が死ぬべきである理由はいくつかある」
一度銃を下げて、雫は説明することにした。
「血が濃い御堂家の人間が生贄十人分に匹敵するのは、御堂家の人間が常世に行っても完全に理性や知性を失わないこと、もしくは失いにくいことにある。つまり、長らくジャクタ様の話し相手になることができ、常世に解けずに済む。普通の人間の十人分の時間を稼ぐに十分だということ」
ジャクタ様が結界を壊して生贄をくれと強請るのは、要するにさびしがり屋の子供が遊び相手を欲しがっているのと同じ事であるからだ。
「ただし、それはあくまで“この儀式を終わらせる”には充分であるというだけ。結局普段通り儀式が終わって、また六十年くらいあとにジャクタ様がまた結界を破ってくる可能性は高い」
「そ、そんな……!」
「ああ。まだ若い君達は、この村を出ていない限り六十年後にまたこの儀式に巻き込まれるだろう。そして、君達が逃れても誰かは犠牲になることになる。ジャクタ様の力で、この村は必ず一定以上の人数が引寄せられて移住してくることになっているようだからな。君達の両親が、何も知らずに村に戻ってきてしまったのもきっとそのためなのだろう」
突き詰めて考えると、ジャクタ様の力は恐ろしく強いのがわかってくる。
村にいない、遠く離れた場所にいる人間さえも間接的に操って結界を壊させてしまうほどなのだ。
そして多分、この村が滅んで住人がいなくなるような事態になったらなったで、別のところに拠点を移して同じようなことを繰り返すだろう。永遠に、罪もない人間が苦しみ、死に続けることになるのだ。
「ジャクタ様を倒す方法も殺す方法も、現世とのつながりを完全に断ち切る方法も人類にはない。だから、満足させる玩具を与えて大人しくしておいてもらおうという、この儀式のプロセスそのものは間違ってない。問題は、誰がその玩具になるかで結果が変わるということだ」
「それが、雫さんと茅さんだと?」
「ああ。私は恐らく常世に行っても、限りなく長く使者にならないし常世に溶けずに済むだろう。私と血のつながりが濃い茅も似たような状態になる可能性が高い。……特に、今からある方法を用いて死ねば、その確率は各段に上がる」
「ある方法?」
「ああ、ジャクタ様から直接教わったやり方だ。……茅も知っているよな?」
「…………」
彼女は何を思ってか、沈黙を守っている。その顔に貼りつけたような笑みが、あまりにも悲しい。
「魔術武器を使って、両手両足に楔を打ち込み、最後に心臓を破壊して死ぬ。それを、この扉の前で行うことで、この世に常識と理性を固定することができる。……それによって、狂気に満ちた常世でもより長く、自己を保ち続けることができるだろう。……その役目を、ジャクタ様に“友達を連れていく”と約束した私と茅で成し遂げるならば。きっとジャクタ様は喜んで、かなり長い期間儀式を行うことなく満足してくれる」
「――!」
絶句する様子の、花林。待ってよ、とずっと黙っていた陸が泣きそうな声を上げた。
「そ、それって……雫さんが、茅さんを拷問して殺すってことでしょ。雫さんは、茅さんが大事な妹なのに……守りたかったはずの人なのに、そんなことするの?」
そこに思い至るあたり、彼は優しい子だ。その言葉を受けて、茅が“本当にできるの?”と告げた。
「兄さんに、そんなことができるのですか?六十年前、あれだけわたくしを必死に守ってくださった兄さんが、そのすべてを否定するような拷問をわたくしに?」
「……否定なんかしない。これは、あの時の私の責任の取り方だ」
それに、と。雫は続けた。
「これで。……今度こそ私達は御堂の家の呪いから、現世の柵から解放される。茅、常世でずっと……ずっと一緒にいよう。今度こそ、離れることなく」
都合の良い言葉なのは、わかっていた。
常世はけして良い場所ではない。赤い空に泥の海、あとは正気を失ったか失いかけた亡者ばかりが蠢き、バケモノに支配された場所。その場所で、自己を保ち続けるのがどれほどの拷問であることか。
その手の話は、茅にもしてある。彼女が理解していないはずがない。でも。
「……そう」
ひょっとしたら。現世の方がずっと苦しかったかもしれない、彼女にとっては。
「それも、悪くないかも、しれないわね……」
覚悟を決めたように、目を閉じた。最初から、この結末になるかもしれないことが、彼女にはわかっていたのかもしれない。
――今度こそ。全部、終わりにする。
雫は再び銃を構えた。引き金が恐ろしく重い。とっくに覚悟は決めたはずなのに、それでもこの手で妹の命を絶つことの重さを実感する。
これが自分の果たすべき責任。わかっていても、なお。
「雫さん」
そんな雫の手を、ゆっくりと抑えた人間がいた。花林だ。
「……私が、代わりにやります」
「え」
雫は、目を見開いたのだった。
***
エゴかもしれない。だって結局これは、花林たちが助かる為の行いでもあるのだから。
それでも花林は思ったのだ。――最後の一撃を、雫の手によってやらせてはいけないと。
「私がやってもいいなら、私がやります。……家族が、家族を殺すなんて。そんなこと……やらせていいとは思えません。私も、雫さんにやってほしくありません。だから、私がやります」
人殺しをする。恐ろしくないはずがない。一緒の傷になるかもしれない。
それでもたった今、花林は決めていた。兄に妹を殺させるくらいなら、第三者の自分がやるべきと。大伯母にあたる人物なので、完全に無関係の人間ではないけれど。
「あっ……」
呆然とする雫の手から銃を奪うと、花林はそれを茅に向けた。茅は目を開いて、にっこりとほほ笑む。
「強い子なのね、貴女は」
「茅、さん……」
「ごめんなさいね。……本当は、わたくしにもわかっていたんですよ。こんなこと、正しくはないということくらいは。それでも……それでもわたくしは、ただ。兄さんと一緒にいたかった。それだけなの」
「――っ」
銃を持つ手が、震える。引き金が重い。その手を、いつの間にか亜林が支えてくれていた。引き金をかける指に、自分の指を添えながら。
「俺も一緒にやる。だから……姉貴一人で、背負うな」
「亜林……っ」
一人ではない。
独りぼっちではない。
こんな時でさえ、自分は。だから。
ズダァン!
引き金が、引かれた。
亜林が支えてくれたおかげで、思ったよりにも銃口はぶれずに済んだ。あるいは、これも雫の意思なのだろうか。素人が撃ったはずの銃弾は、狙い通り茅の右腕を貫く。
――苦しませないように、なるべく、早く。
さらに左腕。
右足、左足。最後に。
「ああ、兄さん……」
仏壇に寄りかかってずるずると倒れていく茅は。涙を流しながら、ただひたすら雫だけを見ていた。
「これでずっと、ずっと、いっしょ……待ってるわ、先に行って……」
最後の一撃が、彼女の胸に突き刺さった。ずるずると地の海に沈みこむ女性。五発撃って、腕は痺れている。貸してみろ、と雫が言うので銃を彼に渡した。彼は弾を込め直すと、再び花林に銃を返す。
「こんなことをさせて、すまなかった。どっちみち、私を殺すのは第三者にやってもらうしかない。……次は私だ。私を、茅のところへ送ってくれ。迷惑をかけて、本当に申し訳なかった」
「そんなことないです!」
花林は首を横に振った。
「貴方がいなかったら……貴方がいなかったら私達は生き残れなかった。貴方は私達の命の恩人です。……本当はこれからも生きて、たくさんお話を聞かせて欲しかったほどに」
さっき。茅のことを口にしたが、本当はもちろん雫にだって死んでほしくはなかったのである。散々世話になっただけじゃない。多分、それだけではない感情が、花林の中で大きく後ろ髪を引いていた。そう。
きっと多分、初恋だった。
相手は六十も年上の、大伯父だったというのに。
「また会えるさ。常世にいるといっても、永遠じゃない。常世から離れれば魂は本当の意味のでのあの世か、もしくは現世に生まれ変わると私は思っている」
雫はそっと、花林と亜林の髪を撫でて言った。
「逢えて良かった。ありがとう……可愛い可愛い、私の子供達」
涙が頬を伝い、胸の奥を震わす。
振り絞るような感情で花林は、亜林に支えられ――再び引き金を引いたのだった。
茅の言葉を、雫はゆっくりと噛み砕いていた。
――六十年間。辛かったけれど目を覚まさせてくれる意味あるものだったと……お前はそう言った。本当の願いは変わっていないと。でも。
思い出すのは、色褪せることのない六十年前の記憶。
窮屈な御堂家の中で、両親と妹とだけ一緒にいる時間はとても自由だった。双子の妹の方を里親に出さなければいけなかったこと、父も母も身を切られるような苦しみだったことだろう。それもあって、自分達には精一杯の愛情を注いでくれていた。
今でも覚えている。まだ赤ちゃんだった妹をだっこしたこと。ミルクを飲ませたり、おしめを替える手伝いをしたこと。自分よりずっと小さな手を引いて散歩をしたこと。可愛いお花、不思議な玩具、代わった空の色、木の上で鳴いている蝉。それらを一つ一つ見つけては、自分に何でも面白かったものとして報告してくれたこと。
尺汰村が、戦争からも戦後のごたごたからも忘れられたようなのどかな村だったことが大きかったのかもしれない。自分達のところには米軍の飛行機も飛んでこなかったという。あの時代の子供達の中では、きっと自由にのびのび暮らすことができていたことだろう。
小学校に上がってからの茅は、どこまでも聡明な女の子だった。作文がとても上手だったのをよく覚えている。
分校で、ずっと年上の子達と喧嘩しても負けるということを知らんかった。いがぐり頭の坊主たちがわんわん泣いているところ、ふんぞり返っている茅の姿を見てなんど慌てたことかしれない。しかし、彼女が喧嘩をするのは、いつもいじめっ子を守るためだったということも知っている。正義感が強く、優しい子だった。夏休みに捕まえた蝉やカブトムシを、かわいそうだからとすぐ逃がしてしまうほどには。
そう、優しい子であったのに、彼女は。
「……あの頃のお前なら」
泣きたいような気持で、雫は彼女に銃口を向ける。
「あの頃のお前なら。……そんなこと、絶対に言わなかったはずだ。私達が生き残ることができたなら、何人も他の人が死んでもいいなんて……そんなこと。やはり、私達が自らの命で、責任を取るべきだろう」
彼女を変えてしまったのは、自分だ。
彼女を生きて守る力があれば。そしてせめて、儀式が終わると同時に村から逃げ出すことができれば。
例え自分が死んでも、彼女が死んでも、こんな悲しい六十年を過ごすことにはならなかっただろう。
いや。
幽閉されてでも、自分にはできることがあったはずだ。追い詰められていく彼女を支えず、苦しみの中に取り残してしまったのは間違いなく自分の罪だろう。
「し、雫さん……」
傍にいた花林が、口を開いた。
「最初から、決めてたんですか。頃合いを見て、茅さんと……ご自分が死ぬと」
「ああ」
「待ってください。御堂の家の人間なら、生贄の十人分に該当するんですよね?だったら……他の、御堂家の人を殺して儀式を終わらせるんじゃ駄目なんですか?何故、雫さんが妹さんを殺して自分も死ななければいけないんです……?」
そんな言葉が、彼女から出てくるとは思わなかった。意外に思ってぽかんと見つめれば、花林は動揺したように首を横に振った。
「ごめんなさい、こんなこと言うべきではないのはわかってるんです。結局それって、他の人に死ぬ役目を押しつければいいって言っているようなものだから……」
「い、いや。そこではなく」
自分が、御堂家の中核にいた者達に良い感情を持っていない、のは花林にも話したことである。だからこそ、彼女がその疑問を持つのは間違っていない。その憎たらしい者達に恨みをぶつける方が、兄と妹で心中するよりよほど自然であるはずだと言いたいのだろう。
ただ。
「君達は、この儀式を取り仕切った茅が憎いはずだ。その兄であり、儀式を止められなかった私のことも。それなのに……」
彼女の物言いではまるで。
雫にも茅にも、死んでほしくないみたいではないか。
「……確かに、憎いです。この儀式がなければ、深優ちゃん達は死なずに済んだ。安藤先生も、他の人達も、ずっと優しい普通の人間でいられたのかもしれなかった。そう思ったらたまらなく悔しいです。でも」
花林は唇を噛み締めて、俯く。
「私も、大事な……守らなきゃいけない弟がいるから。自分が雫さんや茅さんの立場だったらって思ったら、一概に否定できなくて。私だって……もし、亜林が私を守って死んじゃって、それで帰ってきたらきっと喜ぶし。もう二度といなくなってほしくない、そのためには何でもするって思ってしまうだろうから……だから。本当に、こんな結末でいいのかって、そう思って」
「花林……」
その姿に。遠い日の茅が重なった。
ああきっと――かつての茅なら、花林と同じことを言うだろう。そう思えたのである。
「……他の御堂家の人間ではなく、私と茅が死ぬべきである理由はいくつかある」
一度銃を下げて、雫は説明することにした。
「血が濃い御堂家の人間が生贄十人分に匹敵するのは、御堂家の人間が常世に行っても完全に理性や知性を失わないこと、もしくは失いにくいことにある。つまり、長らくジャクタ様の話し相手になることができ、常世に解けずに済む。普通の人間の十人分の時間を稼ぐに十分だということ」
ジャクタ様が結界を壊して生贄をくれと強請るのは、要するにさびしがり屋の子供が遊び相手を欲しがっているのと同じ事であるからだ。
「ただし、それはあくまで“この儀式を終わらせる”には充分であるというだけ。結局普段通り儀式が終わって、また六十年くらいあとにジャクタ様がまた結界を破ってくる可能性は高い」
「そ、そんな……!」
「ああ。まだ若い君達は、この村を出ていない限り六十年後にまたこの儀式に巻き込まれるだろう。そして、君達が逃れても誰かは犠牲になることになる。ジャクタ様の力で、この村は必ず一定以上の人数が引寄せられて移住してくることになっているようだからな。君達の両親が、何も知らずに村に戻ってきてしまったのもきっとそのためなのだろう」
突き詰めて考えると、ジャクタ様の力は恐ろしく強いのがわかってくる。
村にいない、遠く離れた場所にいる人間さえも間接的に操って結界を壊させてしまうほどなのだ。
そして多分、この村が滅んで住人がいなくなるような事態になったらなったで、別のところに拠点を移して同じようなことを繰り返すだろう。永遠に、罪もない人間が苦しみ、死に続けることになるのだ。
「ジャクタ様を倒す方法も殺す方法も、現世とのつながりを完全に断ち切る方法も人類にはない。だから、満足させる玩具を与えて大人しくしておいてもらおうという、この儀式のプロセスそのものは間違ってない。問題は、誰がその玩具になるかで結果が変わるということだ」
「それが、雫さんと茅さんだと?」
「ああ。私は恐らく常世に行っても、限りなく長く使者にならないし常世に溶けずに済むだろう。私と血のつながりが濃い茅も似たような状態になる可能性が高い。……特に、今からある方法を用いて死ねば、その確率は各段に上がる」
「ある方法?」
「ああ、ジャクタ様から直接教わったやり方だ。……茅も知っているよな?」
「…………」
彼女は何を思ってか、沈黙を守っている。その顔に貼りつけたような笑みが、あまりにも悲しい。
「魔術武器を使って、両手両足に楔を打ち込み、最後に心臓を破壊して死ぬ。それを、この扉の前で行うことで、この世に常識と理性を固定することができる。……それによって、狂気に満ちた常世でもより長く、自己を保ち続けることができるだろう。……その役目を、ジャクタ様に“友達を連れていく”と約束した私と茅で成し遂げるならば。きっとジャクタ様は喜んで、かなり長い期間儀式を行うことなく満足してくれる」
「――!」
絶句する様子の、花林。待ってよ、とずっと黙っていた陸が泣きそうな声を上げた。
「そ、それって……雫さんが、茅さんを拷問して殺すってことでしょ。雫さんは、茅さんが大事な妹なのに……守りたかったはずの人なのに、そんなことするの?」
そこに思い至るあたり、彼は優しい子だ。その言葉を受けて、茅が“本当にできるの?”と告げた。
「兄さんに、そんなことができるのですか?六十年前、あれだけわたくしを必死に守ってくださった兄さんが、そのすべてを否定するような拷問をわたくしに?」
「……否定なんかしない。これは、あの時の私の責任の取り方だ」
それに、と。雫は続けた。
「これで。……今度こそ私達は御堂の家の呪いから、現世の柵から解放される。茅、常世でずっと……ずっと一緒にいよう。今度こそ、離れることなく」
都合の良い言葉なのは、わかっていた。
常世はけして良い場所ではない。赤い空に泥の海、あとは正気を失ったか失いかけた亡者ばかりが蠢き、バケモノに支配された場所。その場所で、自己を保ち続けるのがどれほどの拷問であることか。
その手の話は、茅にもしてある。彼女が理解していないはずがない。でも。
「……そう」
ひょっとしたら。現世の方がずっと苦しかったかもしれない、彼女にとっては。
「それも、悪くないかも、しれないわね……」
覚悟を決めたように、目を閉じた。最初から、この結末になるかもしれないことが、彼女にはわかっていたのかもしれない。
――今度こそ。全部、終わりにする。
雫は再び銃を構えた。引き金が恐ろしく重い。とっくに覚悟は決めたはずなのに、それでもこの手で妹の命を絶つことの重さを実感する。
これが自分の果たすべき責任。わかっていても、なお。
「雫さん」
そんな雫の手を、ゆっくりと抑えた人間がいた。花林だ。
「……私が、代わりにやります」
「え」
雫は、目を見開いたのだった。
***
エゴかもしれない。だって結局これは、花林たちが助かる為の行いでもあるのだから。
それでも花林は思ったのだ。――最後の一撃を、雫の手によってやらせてはいけないと。
「私がやってもいいなら、私がやります。……家族が、家族を殺すなんて。そんなこと……やらせていいとは思えません。私も、雫さんにやってほしくありません。だから、私がやります」
人殺しをする。恐ろしくないはずがない。一緒の傷になるかもしれない。
それでもたった今、花林は決めていた。兄に妹を殺させるくらいなら、第三者の自分がやるべきと。大伯母にあたる人物なので、完全に無関係の人間ではないけれど。
「あっ……」
呆然とする雫の手から銃を奪うと、花林はそれを茅に向けた。茅は目を開いて、にっこりとほほ笑む。
「強い子なのね、貴女は」
「茅、さん……」
「ごめんなさいね。……本当は、わたくしにもわかっていたんですよ。こんなこと、正しくはないということくらいは。それでも……それでもわたくしは、ただ。兄さんと一緒にいたかった。それだけなの」
「――っ」
銃を持つ手が、震える。引き金が重い。その手を、いつの間にか亜林が支えてくれていた。引き金をかける指に、自分の指を添えながら。
「俺も一緒にやる。だから……姉貴一人で、背負うな」
「亜林……っ」
一人ではない。
独りぼっちではない。
こんな時でさえ、自分は。だから。
ズダァン!
引き金が、引かれた。
亜林が支えてくれたおかげで、思ったよりにも銃口はぶれずに済んだ。あるいは、これも雫の意思なのだろうか。素人が撃ったはずの銃弾は、狙い通り茅の右腕を貫く。
――苦しませないように、なるべく、早く。
さらに左腕。
右足、左足。最後に。
「ああ、兄さん……」
仏壇に寄りかかってずるずると倒れていく茅は。涙を流しながら、ただひたすら雫だけを見ていた。
「これでずっと、ずっと、いっしょ……待ってるわ、先に行って……」
最後の一撃が、彼女の胸に突き刺さった。ずるずると地の海に沈みこむ女性。五発撃って、腕は痺れている。貸してみろ、と雫が言うので銃を彼に渡した。彼は弾を込め直すと、再び花林に銃を返す。
「こんなことをさせて、すまなかった。どっちみち、私を殺すのは第三者にやってもらうしかない。……次は私だ。私を、茅のところへ送ってくれ。迷惑をかけて、本当に申し訳なかった」
「そんなことないです!」
花林は首を横に振った。
「貴方がいなかったら……貴方がいなかったら私達は生き残れなかった。貴方は私達の命の恩人です。……本当はこれからも生きて、たくさんお話を聞かせて欲しかったほどに」
さっき。茅のことを口にしたが、本当はもちろん雫にだって死んでほしくはなかったのである。散々世話になっただけじゃない。多分、それだけではない感情が、花林の中で大きく後ろ髪を引いていた。そう。
きっと多分、初恋だった。
相手は六十も年上の、大伯父だったというのに。
「また会えるさ。常世にいるといっても、永遠じゃない。常世から離れれば魂は本当の意味のでのあの世か、もしくは現世に生まれ変わると私は思っている」
雫はそっと、花林と亜林の髪を撫でて言った。
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