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<29・祖母。>

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 まさか、としか言いようがない。
 暗い地下道を通りながら、花林も他の二人も完全にぽかん、と口を開けてしまっていた。何故ならば。

「え、えっと……」

 亜林が戸惑ったように言う。

「ひょっとすると、ひょっとしなくても。……雫さんって、結構な年?」
「ああ」
「しかも、六十年前に十九歳だったってことは……い、今は七十九歳!?」
「ああ。今年で八十になる」
「うっそぉ……」

 全員が顔を見合わせる。ジャクタ様、とやらの力恐るべし。死んで生き返ったというのもとんでもない話だが、まさかまさかの彼が本当に前回の儀式の参加者で、当時十九歳だったとは。
 そして、その見た目のまま六十年も生き続けているとは。

――そりゃ、儀式について詳しいはずだよ。前の時、本当にリアルタイムで見てるんだもの……!

 六十年も前の儀式となると、村の住人でさえ生きていて、なおかつその記憶をしっかり覚えている人間は限られていたはずだ。当時の参加者でも、小さな子供だったり、ショックで記憶が飛んでいる人は少なくないと思われるからである。
 ここまで明瞭に話すからには、それなりの年であった可能性が高い。しかし年齢が合わないので、まさか本当に参加者ってことはないだろう、と花林は思っていたのだが。

「しかも、あの……アナウンスで喋った、御堂茅、とかいうおばあちゃん、雫さんの妹なんだ」

 陸が心底困惑したように言う。

「今じゃ、孫だって言われても通るくらい外見年齢離れてるのに」
「そうだな。……ついでに、もう一つ種明かしをすると」

 そんな彼等の反応も予想済みだったのだろう。雫はやや苦笑しながら言う。

「私はけして、優等生ではなかったからな。御堂家の幽閉といっても、ずっと屋内にいたわけではなかった。時々変装して、屋敷の外に出て村の散歩をしたり、こっそり村の外に行ったりしたこともあったな。殆どバレなかった。みんな、私のことを特別扱いしながらも、ジャクタ様の世界から帰ってきた人間として恐れていたんだろう。監視するのも嫌々と言った感じだったから」
「……じゃあ、幽閉なんてしなきゃいいのに」
「そういうわけにもいかなかったんだろうさ。私が特別な祭司となってしまったことで、御堂家の力関係が大きく揺らいだ。分家筋だった妹が跡継ぎになったのも、私の存在あってこと。万が一のことがあっては困るといったところだろう。時々、予知能力のようなものを発揮することもあったし、御堂家として私の力を手放したくない気持ちもあったんだろうな」
「予知能力……」
「といっても、見たい時に見られるものじゃないし、断片的な景色でしかない。あまり実用的とは言えな能力だったが」

 狭い灰色の通路の中を、五人が歩く足音だけがひたすら続いている。にこやかに話しているように見えても、ずっと雫が気を張っているのが花林にはわかっていた。この通路にも、使者が出る可能性があると知っているからだろう。
 万が一そうなったら、その時点で引き返すか、別の道を探さなければいけなくなってしまう。無論、相手が一体だけならば雫が倒すという選択肢もあるのだろうが。

「今年七十になる茅は……実は双子だった。古臭い風習でな。双子が生まれると、大昔は不吉だということで下の子の方を殺してしまっていたらしい。七十年前はさすがにそんなことはなかったが、それでも縁起が悪いということで早々に村の外に里子に出されたんだ。茅の双子の妹の名前は、さや。本人は、自分が御堂の家の子だということも未だに知らないかもしれないな」

 ん?と花林は眉をひそめた。
 莢。なんだろう、その名前には聞き覚えがあるような。

「……あ」

 暫く考えたところで、先に亜林が答えを出した。

「……偶然か?俺と姉貴の……父方のばーちゃん。莢って名前だったような。平塚莢。ばあちゃんの旧性は、室田莢だっけ?」
「亜林、よくそんな話知ってたね……」
「家系図に興味持った事があってさ、ばあちゃんに聴いたことがあるんだ。ばあちゃんが室田家の養子だったかまでは知らないけど」

 ひょっとして、と花林は目を瞬かせる。

「私達と雫さんは、血縁関係にあると?」
「その通りだ」

 雫はふっと笑って言った。

「私の妹、御堂莢は室田家の養子になり……そのあと平塚の家に嫁いで二十八歳で息子を産んだ。そして、その息子が君達のお母さんと出逢って君達が生まれ、その祖母となったわけだ。私は君達の大伯父にあたるというわけだな」
「お、おおおじ……」

 さっきから、頭がくらくらするような事実ばかり発覚している。目の前の二十歳にもなっていない美しい青年が――自分とさほど変わらない年齢に見える青年がまさかの大伯父とは。
 同時に、いろいろと疑問に思っていたことの謎が解けた瞬間でもあった。彼はきっと、花林が生まれた頃から自分達のことを影ながら見守っていたということなのだろう。いや、正確には生まれる前から、だ。

「だから、私のことを助けてくれた、の?」
「ああ」

 頷く美貌の青年。――青年の姿をした、老人。

「幼い頃から、分家筋とはいえ長男の私は御堂の家の教えを徹底的に叩きこまれていた。ジャクタ様の存在がどれくらい前からあるのか、村人たちには曖昧にしか伝わっていないだろうが……御堂の家の歴史が正しいのなら、本当は数百年以上は昔になるとされている。長引く日照りに耐えかねて、その土地に眠っていた“起こしてはいけないナニカ”を呼び起こして祀った最初の人間こそ、御堂の家の始祖だったというわけだ。……だからジャクタ様を起こした責任は御堂家にあり、ジャクタ様を安全に“管理”することが永遠に背負った責務だとそう言われ続けてきたわけだ」
「管理……」
「当初はジャクタ様を起こしたまま祀りを続けようとしたが、ジャクタ様の要求は無茶苦茶であまりにも非現実的だったからな。やれ、一時間以内に地球の裏側にいる珍しい猿を連れて来い、だの。一日以内にニンゲンの臓物を巻き上げる拷問具を入手して実践しろ、だの。そんな要求を聴き続けられるわけがない」

 しかも、と彼は渋い顔になった。

「その要求を聞けないと、機嫌を損ねる。不愉快になったジャクタ様は、傍にいた人間を呪う。……あの、結界を壊したユーチューバー二人みたいな死体が御堂の家から転がり出るわけだ。たまったもんじゃないだろう?しかもそれは、ジャクタ様を説得できるか、要求が叶えられるまで増え続けるときた」
「う、うわ……」

 まるでだだっこの赤ちゃんだ、と花林は思ってしまった。そういえば、亜林は麻耶のおいじちゃんから、“ジャクタ様は子供のようなもの”だと聴かされたと言っていたような。
 まさに、そういう面倒な存在だったというわけらしい。その言葉のキャッチボールがまともにできない存在が簡単に人を殺せるだけの力を持っているのだから、いくら恩ある神様とはいえ対応には苦慮したということだろう。

「だから、ジャクタ様を眠らせる方法を御堂家は選んだ。例え、眠らせるためには常世に四十九人もの使者を送るしかないとしても。……ちなみに、ジャクタ様を眠らせる人数が四十九人であるのが何故なのか、については分かっていない。大昔に編み出された方法だからな」

 通路は、あちこちに古びたランプらしきものが灯されている影響で薄明るい。少々足元はおぼつかないが、歩くのに不自由するほどではなかった。
 低すぎず高すぎず、心地よい雫の声は地下通路にゆったりと響き渡る。ゆっくりと喋るのは彼の癖なのか、それとも本当は年配者であるがゆえなのかはわからないが。

「御堂家最大の役目は、ジャクタ様がかつて貢がれた使者では満足できなくなって……再び結界を壊してきた時、再び儀式を行って眠らせることと言っても過言ではない。ちなみに儀式を行わないと、ジャクタ様はどんどん不機嫌になって、最終的に村人全員があのユーチューバー達のように呪われ、全身から血を噴出して死ぬだろうとされている」
「そ、それは……」
「だから、可能な限り早く準備を整えて儀式を行うしかなかったというわけだ。……その際、御堂の家に金を渡した村の有力者たちは、儀式が始まって村が結界で囲われるよりも前に村の外に脱出している。忌々しい話だがな。花林たちの両親が旅行中だったのは、本当に幸運なことだったと思う」
「どうせそんなことだろうと思った。だって、村長さんとか、そう言う人達全然見かけないんだもん」

 麻耶が不満そうに漏らす。大人は汚い。その感情が、ありありと漏れ出ている。御堂家には御堂家の、大人には大人の事情があったのかもしれないが――それでも卑怯だと思うのはどうしようもないことだろう。

「……儀式が、村を守るためにあるのはわかっている。それでも、私は……納得することができなかった」

 ぎゅっと、雫が拳を握りしめるのがわかった。

「この村は、ジャクタ様を恐れるがゆえに人として大事なものを失った者達に支配されている。……ジャクタ様を眠らせるためだからと言って、村人たちから生贄を捧げることになんの不満も罪悪感も抱かなくなってしまった御堂の家が、私は幼い頃から大嫌いだった。だから……妹が、莢がよそに里子に出されると知って少しだけ安堵したんだ。これで、この子は呪われた村を出ることができ、御堂家の束縛から逃れることができると」
「でも……巡り巡って、お父さんとお母さんが、村に戻ってきてしまった?」
「そうだ。ジャクタ様に呼び寄せられたのかどうかはわからない……君達は、自分達の祖母が御堂家の血筋だとは知らなかったようだしな。私は心の底からショックを受けた。莢の息子たち、孫達には……外の世界で、自由に生きて欲しかったからだ。戻ってきてしまったならせめて、彼等が幸せに生きられるよう……私にできることをしようと考えていた」
「雫さん……」

 だから、彼はずっと自分達を助けてくれたのだ。花林は、祖母の顔を思い浮かべた。
 今年七十歳の彼女は、祖父と仲良く二人、東京で暮らしている。目元にも口元にも皺が増えたし、白髪も増えたけれど、いつもにこにこと明るく元気な女性だ。年に依らず、パソコンやスマホなんかの機械操作も堪能。正月に遊びに行くと、一緒にユーチューブを見て盛り上がることもあるほどである。
 そんな祖母を、いつも優しく見守る祖父。二人が幸せに生きているのは、火を見るよりも明らかなことだと思う。

「……おばあちゃんは」

 花林は、想いを絞り出すように言った。

「東京で、幸せに暮らしてます。夏休みとかお正月に遊びに行くと、一緒に動画見たりテレビ見たり……温泉に行くこともあります。元気で、明るくて、一緒にいてとっても楽しいおばあちゃんです」
「そうか」
「とっても幸せに暮らしてます。……それから、私達も、こんな儀式には巻き込まれたけど、それでも」

 雫の顔を真っ直ぐに見つめて、花林は告げる。

「それでも。私は今、幸せです。今日まで本当に幸せに過ごしてきました。村の人も優しくしてくれた、良い友達もできた、たくさんの自然と遊んでのびのび過ごすことができた。確かにジャクタ様に呪われていたかもしれないけれど、私にとってはこの村は……とっても大切な、故郷なんです」

 不幸なことばかりじゃない。
 悲しいことばかりじゃない。
 だから心配しなくていい。そんなに自分を責めなくていい。――花林の気持ちは、雫に伝わっただろうか。

「改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございます、雫さん。私達を、助けてくれて」
「……花林」

 なんだか、今更大伯父さんと呼ぶのも違和感があって。結局、名前のまま通してしまうことにした。
 雫はそんな花林を見つめて、少しだけ泣きそうな顔で笑ったのだった。

「ありがとう。私も、君達みたいな子孫を持てて、誇りに思う」

 幸運にも、使者とは遭遇せずに済んだ。
 二股に別れた通路の右をしばらく進むと、地上へ繋がる梯子が現れる。ここだ、と雫は告げた。

「……御堂家は、まだ隠していることがある。……儀式を、もっと少ない犠牲で終わらせる方法があるという事実を」

 彼は目を細めて、宣言したのである。

「行こう、決着をつける」
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