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<23・不穏。>
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時は少しばかり巻き戻る。
花林は深優や他の協力者たちと共に、学校の窓を封鎖して回っていた。気休めかもしれないが、これで少しは外敵の侵入に効果があるだろう。
「君達、女の子なのに力あるねえ」
一緒に作業をしてくれたおじさんは、重い木材を運ぶ花林と深優を見て目を丸くした。
「普段から運動やってたりするのかな?」
「あはは……二人だけだけど、陸上部で毎日走ってたんです」
花林は笑って言う。腕力があるね、なんて言われて嫌な気持ちになる女の子もいるのかもしれないが、花林はそうではなかったからだ。
こちとら、陸上競技はひとしきり試している。砲丸投げも日常的にやっているので、パワフルなのを褒められるのは悪い気がしなかった。
「陸上って足だけじゃなくて、投げる競技もいろいろありますからね」
「そうかそうか。いやあ、私達だけじゃちょっと手が足りてなかったからねえ、助かるよ」
「いえいえ」
いくら同じ尺汰村の住人とはいえ、全員の名前を憶えているわけではない。人の顔と名前を覚えるのはそこそこ得意である自覚がある花林だったが、今のおじさんの名前は知らなかった。
すると、おじさんが去っていったあとで、深優が教えてくれる。
「岡部さん。岡部君の伯父さんだよ」
「あ、そうなんだ」
岡部君、というのは同じ教室で勉強している岡部眞人のことだ。現在中学二年生。さっき教室の窓を補修する手伝いをしていた。きっと家族一緒に避難してきたのだろう。
そう考えると、己は幸運だったのだと思えてくる。両親はどちらも旅行中で、ほぼ確実に今回の儀式に巻き込まれていない。親がいなくて不安に思うこともあったが、使者やおかしくなった人達のことを見てしまった今となっては巻き込まれなくて良かったという気持ちが強い。
聴けば、学校にまだ避難してきていない子供達も少なからずいるという。教室にはそこそこの人数がいるように感じていたが、それは家族一緒に学校に逃げてきたグループが多いからだ。亜林たちがいる住宅地にまだ閉じこもっている人達もいるし、それ以外のところに住んでいて学校に辿りつけていない人もいるのだろう。あるいは、既に誰かに、あるいは使者に殺されてしまっている人も――。
「あたしも、お父さんやお母さん、深瑠ちゃんといっしょに逃げてきたの」
塞いだ窓を見て顔を曇らせつつ、深優は言った。深瑠ちゃん、というのは彼女の妹の名前だ。現在小学校五年生である。
「家は襲われて大変だったけど、逃げている途中は見つからずに済んだし……死体も見たけど人に襲われることもなかった。でも、それって凄くラッキーな事だったんだなって今なら思うの」
「深優ちゃん……」
「あたし、花林ちゃんほど足早くないし。深瑠ちゃんに至っては結構ドン臭いしね。……でも、此処に閉じこもって、それで何もかも解決するわけじゃないのよね」
それは、と言いかけて花林は口ごもる。彼女が言いたいことは尤もだ。
最終的にはどうにか儀式を完了して使者を追っ払うか、あるいはジャクタ様に納得してもらって使者を引き上げて貰うしか方法がない。前者は四十九人の生贄を出すしかなく、後者は雫がなんらかの方法を知っているかもしれないといった程度。
自分達が仮にここで無事に過ごしたならば、逃げて来ていない人の誰かが犠牲になる確率が高まるということでもあるのだ。本当にそれでいいのか、と思ってしまうのも仕方ないことではあるだろう。
「先生達、今後のことを相談するって言ってた。でも、具体的にはどうするつもりなのかしら。先生の中には、まだ身内が避難で来てない人もいるはずだし……」
深優がそこまで言った時、がらら、とスライドドアが開く音がした。見れば奥の空き教室から、安藤先生や校長先生、教頭先生らがぞろぞろと出てくるところである。
「あ、先生達会議終わったんですか?」
「……ええ」
花林の言葉に、安藤はにっこりと笑う。先生達全員で会議をしていたのか、とざっと面子を見ればひとり足らない。星野真樹人という、主に自分達高校生組に高校の勉強を教えてくれる若い男の先生だ。ちなみに、中学生組の勉強も兼任することが少なくない。
「あれ?星野先生は……」
「星野先生は別の所で作業をして貰ってますから」
校長先生がほら、と花林たちを促した。
「廊下の窓の封鎖が終わったなら、小さい子達が待ってる教室へ行ってください。給食室の栗田さんたちが、みんなに給食を作ってくれましたからね」
「あ、はい」
確かに、おなかはすいてきている。促されるまま教室へ行こうとして、一瞬花林は立ち止った。
――え?
今。先生達が出てきた空き教室の方から一瞬、血の臭いのようなものがした気がしたのだ。ドアはしっかり閉まっているはずだというのに。
なんだろう、とそろりそろりとそちらに近づこうとした花林は。
「花林ちゃーん?早く行くよー」
「え?あ、うん……」
深優に呼ばれて、見に行くのを断念した。きっと気のせいだろう。ドアが閉まっているのに、中の臭いなんて感じ取れるはずがない。自分は犬ではないのだから。
そう、思ったのだこの時は。
もしドアの向こうを覗いていたら、何かは変わったのかもしれないというのに。
***
給食は、思った通りミートスパゲッティだった。美味しそう!と口の中を涎でいっぱいにしつつ、花林は席に座る。
教室の中に、避難してきたほぼ全員が集められているようだった。くっつけた机を囲むように椅子を並べ、お盆にのった給食を用意されている。よくぞこの短時間で、これだけの両を準備できたものだ。
「ごめんなさいねえ、サラダはないのよ」
給食のおばさんこと、栗田のおばちゃんが困ったように笑った。
「でも、その代わりミートパスタはたくさん用意しましたからね!皆さん、たっぷり食べてくださいね!あ、牛乳もおかわりありますよ!」
「はーい!」
「皆さん、食べる前にこちらに注目してくださーい!」
先生達と栗田さんは、黒板の前にずらっと並んで待機していた。先生達の分の食事もあるのだろうが、みんなが食べるまでは待っているつもりでいるらしい。安藤先生が教卓の前に立ち、笑顔で皆に呼びかけた。
「私達は、ジャクタ様の儀式に詳しいわけではありません。こうしている間も、使者たちが暴れ回って被害を齎しているのかもしれません。でも……だからって、人と人とが傷つけあうなんてこと、あってはならないと思います。四十九人生贄を出せなんて、無茶な話ですよね。みんな生きたいに決まっています。私達はみんなで協力して、一緒にこの苦境を乗り越えましょう!」
はい、と彼女は手に持った牛乳パックを掲げる。
「あんまり格好はつきませんけど……景気づけです。ひとまずこれで、乾杯しましょう!皆さん、かんぱーい!」
こういうのってお祝いする時にするんじゃないかなあ、と花林は思った。まあ、人を鼓舞するのには、案外悪いことではないのかもしれない。隣に座った深優や他の人達と一緒に、かんぱーいと牛乳を掲げる。案外、呑気なくらいがちょうど良いのかもしれなかった。人間、いつまでもピリピリしていたって長持ちするものでもないのだから。
乾杯して飲もうとしたところで、うっかり花林は自分がストローを刺し忘れいたことに気づいた。200mlの牛乳パックは、ストローを所定の場所に刺して飲むものである。なんかタイミング逃したなあ、と思いつつストローのビニール袋を破ろうとする花林。存外固い。そんなことを思っていた時だった。
「うっ……」
「え?深優ちゃん?」
突然、隣の深優が呻き声を上げた。どうしたんだろう、と思った時に牛乳パックの端を左手の指が触る。違和感を覚えてそちらを見れば、分かりづらいところに小さな穴があいているではないか。
なにこれ、と思った瞬間。
「ぐうううううううううううううっ!?」
ドタン。
ガタン。
バターン。
複数の呻き声が、同時に上がった。椅子が倒れる音が、次々木霊する。え、何?と花林は周囲を見回して、気づいた。
「げ、げえええええええええええええええええっ!」
「み、深優ちゃんっ!?」
深優が、すぐ隣で嘔吐しているではないか。喉とお腹を押さえ、目を血走らせて苦悶の声を上げている。びしゃびしゃびしゃ、と胃液と未消化物が床に広がり――その中に、明らかにドス黒い赤が混じっていることを花林は知った。
血だ。
胃袋から出血している。それも激しく。
「ま、まさ、か……」
花林は唖然として、教卓の先生達を見た。乾杯をした安藤先生も、ストローを刺していない。一口も飲んでいない牛乳を持ったまま、他の先生達と一緒に微笑んでいる。
「ぐううううううううううううっ!」
「ぐ、ぐるじいいいいっ」
「あああ、あああああああああああああっ」
教室の中は地獄絵図と化していた。次々子供が、大人が血まじりの嘔吐をしながら倒れていく。にも拘らず、平然と黒板の前にたたずむ先生達と給食のおばちゃん。
これは、どう見ても。
「せ、先生達なのっ……!?」
牛乳の中に、毒物を入れたのだ、彼等は。確かにここは学校。理科室もあるし、毒物も保管されていたのかもしれないが。
「先生達が……みんなに毒を盛ったの?自分達が生き残るために!」
花林の言葉に。安藤は、張りつけたような笑みを深くしたのだった。
花林は深優や他の協力者たちと共に、学校の窓を封鎖して回っていた。気休めかもしれないが、これで少しは外敵の侵入に効果があるだろう。
「君達、女の子なのに力あるねえ」
一緒に作業をしてくれたおじさんは、重い木材を運ぶ花林と深優を見て目を丸くした。
「普段から運動やってたりするのかな?」
「あはは……二人だけだけど、陸上部で毎日走ってたんです」
花林は笑って言う。腕力があるね、なんて言われて嫌な気持ちになる女の子もいるのかもしれないが、花林はそうではなかったからだ。
こちとら、陸上競技はひとしきり試している。砲丸投げも日常的にやっているので、パワフルなのを褒められるのは悪い気がしなかった。
「陸上って足だけじゃなくて、投げる競技もいろいろありますからね」
「そうかそうか。いやあ、私達だけじゃちょっと手が足りてなかったからねえ、助かるよ」
「いえいえ」
いくら同じ尺汰村の住人とはいえ、全員の名前を憶えているわけではない。人の顔と名前を覚えるのはそこそこ得意である自覚がある花林だったが、今のおじさんの名前は知らなかった。
すると、おじさんが去っていったあとで、深優が教えてくれる。
「岡部さん。岡部君の伯父さんだよ」
「あ、そうなんだ」
岡部君、というのは同じ教室で勉強している岡部眞人のことだ。現在中学二年生。さっき教室の窓を補修する手伝いをしていた。きっと家族一緒に避難してきたのだろう。
そう考えると、己は幸運だったのだと思えてくる。両親はどちらも旅行中で、ほぼ確実に今回の儀式に巻き込まれていない。親がいなくて不安に思うこともあったが、使者やおかしくなった人達のことを見てしまった今となっては巻き込まれなくて良かったという気持ちが強い。
聴けば、学校にまだ避難してきていない子供達も少なからずいるという。教室にはそこそこの人数がいるように感じていたが、それは家族一緒に学校に逃げてきたグループが多いからだ。亜林たちがいる住宅地にまだ閉じこもっている人達もいるし、それ以外のところに住んでいて学校に辿りつけていない人もいるのだろう。あるいは、既に誰かに、あるいは使者に殺されてしまっている人も――。
「あたしも、お父さんやお母さん、深瑠ちゃんといっしょに逃げてきたの」
塞いだ窓を見て顔を曇らせつつ、深優は言った。深瑠ちゃん、というのは彼女の妹の名前だ。現在小学校五年生である。
「家は襲われて大変だったけど、逃げている途中は見つからずに済んだし……死体も見たけど人に襲われることもなかった。でも、それって凄くラッキーな事だったんだなって今なら思うの」
「深優ちゃん……」
「あたし、花林ちゃんほど足早くないし。深瑠ちゃんに至っては結構ドン臭いしね。……でも、此処に閉じこもって、それで何もかも解決するわけじゃないのよね」
それは、と言いかけて花林は口ごもる。彼女が言いたいことは尤もだ。
最終的にはどうにか儀式を完了して使者を追っ払うか、あるいはジャクタ様に納得してもらって使者を引き上げて貰うしか方法がない。前者は四十九人の生贄を出すしかなく、後者は雫がなんらかの方法を知っているかもしれないといった程度。
自分達が仮にここで無事に過ごしたならば、逃げて来ていない人の誰かが犠牲になる確率が高まるということでもあるのだ。本当にそれでいいのか、と思ってしまうのも仕方ないことではあるだろう。
「先生達、今後のことを相談するって言ってた。でも、具体的にはどうするつもりなのかしら。先生の中には、まだ身内が避難で来てない人もいるはずだし……」
深優がそこまで言った時、がらら、とスライドドアが開く音がした。見れば奥の空き教室から、安藤先生や校長先生、教頭先生らがぞろぞろと出てくるところである。
「あ、先生達会議終わったんですか?」
「……ええ」
花林の言葉に、安藤はにっこりと笑う。先生達全員で会議をしていたのか、とざっと面子を見ればひとり足らない。星野真樹人という、主に自分達高校生組に高校の勉強を教えてくれる若い男の先生だ。ちなみに、中学生組の勉強も兼任することが少なくない。
「あれ?星野先生は……」
「星野先生は別の所で作業をして貰ってますから」
校長先生がほら、と花林たちを促した。
「廊下の窓の封鎖が終わったなら、小さい子達が待ってる教室へ行ってください。給食室の栗田さんたちが、みんなに給食を作ってくれましたからね」
「あ、はい」
確かに、おなかはすいてきている。促されるまま教室へ行こうとして、一瞬花林は立ち止った。
――え?
今。先生達が出てきた空き教室の方から一瞬、血の臭いのようなものがした気がしたのだ。ドアはしっかり閉まっているはずだというのに。
なんだろう、とそろりそろりとそちらに近づこうとした花林は。
「花林ちゃーん?早く行くよー」
「え?あ、うん……」
深優に呼ばれて、見に行くのを断念した。きっと気のせいだろう。ドアが閉まっているのに、中の臭いなんて感じ取れるはずがない。自分は犬ではないのだから。
そう、思ったのだこの時は。
もしドアの向こうを覗いていたら、何かは変わったのかもしれないというのに。
***
給食は、思った通りミートスパゲッティだった。美味しそう!と口の中を涎でいっぱいにしつつ、花林は席に座る。
教室の中に、避難してきたほぼ全員が集められているようだった。くっつけた机を囲むように椅子を並べ、お盆にのった給食を用意されている。よくぞこの短時間で、これだけの両を準備できたものだ。
「ごめんなさいねえ、サラダはないのよ」
給食のおばさんこと、栗田のおばちゃんが困ったように笑った。
「でも、その代わりミートパスタはたくさん用意しましたからね!皆さん、たっぷり食べてくださいね!あ、牛乳もおかわりありますよ!」
「はーい!」
「皆さん、食べる前にこちらに注目してくださーい!」
先生達と栗田さんは、黒板の前にずらっと並んで待機していた。先生達の分の食事もあるのだろうが、みんなが食べるまでは待っているつもりでいるらしい。安藤先生が教卓の前に立ち、笑顔で皆に呼びかけた。
「私達は、ジャクタ様の儀式に詳しいわけではありません。こうしている間も、使者たちが暴れ回って被害を齎しているのかもしれません。でも……だからって、人と人とが傷つけあうなんてこと、あってはならないと思います。四十九人生贄を出せなんて、無茶な話ですよね。みんな生きたいに決まっています。私達はみんなで協力して、一緒にこの苦境を乗り越えましょう!」
はい、と彼女は手に持った牛乳パックを掲げる。
「あんまり格好はつきませんけど……景気づけです。ひとまずこれで、乾杯しましょう!皆さん、かんぱーい!」
こういうのってお祝いする時にするんじゃないかなあ、と花林は思った。まあ、人を鼓舞するのには、案外悪いことではないのかもしれない。隣に座った深優や他の人達と一緒に、かんぱーいと牛乳を掲げる。案外、呑気なくらいがちょうど良いのかもしれなかった。人間、いつまでもピリピリしていたって長持ちするものでもないのだから。
乾杯して飲もうとしたところで、うっかり花林は自分がストローを刺し忘れいたことに気づいた。200mlの牛乳パックは、ストローを所定の場所に刺して飲むものである。なんかタイミング逃したなあ、と思いつつストローのビニール袋を破ろうとする花林。存外固い。そんなことを思っていた時だった。
「うっ……」
「え?深優ちゃん?」
突然、隣の深優が呻き声を上げた。どうしたんだろう、と思った時に牛乳パックの端を左手の指が触る。違和感を覚えてそちらを見れば、分かりづらいところに小さな穴があいているではないか。
なにこれ、と思った瞬間。
「ぐうううううううううううううっ!?」
ドタン。
ガタン。
バターン。
複数の呻き声が、同時に上がった。椅子が倒れる音が、次々木霊する。え、何?と花林は周囲を見回して、気づいた。
「げ、げえええええええええええええええええっ!」
「み、深優ちゃんっ!?」
深優が、すぐ隣で嘔吐しているではないか。喉とお腹を押さえ、目を血走らせて苦悶の声を上げている。びしゃびしゃびしゃ、と胃液と未消化物が床に広がり――その中に、明らかにドス黒い赤が混じっていることを花林は知った。
血だ。
胃袋から出血している。それも激しく。
「ま、まさ、か……」
花林は唖然として、教卓の先生達を見た。乾杯をした安藤先生も、ストローを刺していない。一口も飲んでいない牛乳を持ったまま、他の先生達と一緒に微笑んでいる。
「ぐううううううううううううっ!」
「ぐ、ぐるじいいいいっ」
「あああ、あああああああああああああっ」
教室の中は地獄絵図と化していた。次々子供が、大人が血まじりの嘔吐をしながら倒れていく。にも拘らず、平然と黒板の前にたたずむ先生達と給食のおばちゃん。
これは、どう見ても。
「せ、先生達なのっ……!?」
牛乳の中に、毒物を入れたのだ、彼等は。確かにここは学校。理科室もあるし、毒物も保管されていたのかもしれないが。
「先生達が……みんなに毒を盛ったの?自分達が生き残るために!」
花林の言葉に。安藤は、張りつけたような笑みを深くしたのだった。
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