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<15・暴走。>

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 自分達の身の安全確保も大切だが、他の友人達のことも心配ではある。少し泣いて落ち着いた陸は、近所の麻耶の家も確認しておきたいと言い出した。本来寄り道などしている余裕はないが、麻耶の家は2ブロック先なのでさほど学校まで大回りになるわけでもない。他の友達の家はともかく、麻耶の家だけでも見てくるのは悪い選択ではないだろう。

「思ったより勇敢じゃねえか、お前。見直したぞ」

 亜林が褒めると、陸は頬を染めて“ありがと”と言った。

「麻耶ちゃんを助けなきゃと思ったら、ちょっとだけ元気が出たんだよ。それだけ」
「それでいいんだよ。お前も男だな。今度お菓子奢ってやる」
「ほんと?じゃあナツザカ屋のいちごたっぷりショートケーキがいい」
「お菓子つったじゃん!ケーキは高いって、小学生の小遣いナメんなよ!?」

 あはは、と少しだけ笑い声が上がった。お互い空元気なのはわかりきっている。それでもわざとジョークを交わしたのは、まだ自分達が大丈夫だと言い聞かせる為に他ならない。
 冗談が言えているうちは、自分達はまだ大丈夫。まだ前を向いて歩くことができる。生きることを、諦めずにはいられる。正気を保っていられる。
 前にどこかで聞いたことがある。戦争中の兵士達がやたらと冗談を言うのは、冗談によって自分達がまともであることを再確認するためであると。

「とりあえず、長丁場になるかもしれないから……使えそうな道具とか、武器とか可能な限り持ってくぞ。まだ、家の周囲に変な人達とかいないみたいだし、お前もリュックもってこい。いざとなったらリュックそのものが防具になるしな」
「わ、わかった」

 あまりゆっくりしている時間もない。リビングや庭の死体をあまり見ないようにしながら、飲み物のペットボトルや財布や携帯などの必需品、それからちょっとした非常食を詰めた。といっても、お菓子と缶詰くらいではあるが、こういったものでも無いよりはマシだろう。
 武器になりそうなものは、と言っても当然一般家庭にあるものなんかたかが知れている。思いついたのは、倉庫にあった頑丈そうなロープと、野球のボールにバッドくらいだった。それから。

「危なくない?」

 陸が少し不安そうな顔をした。

「それに、殺虫剤なんて役に立つの?亜林にい」
「虫を殺す薬なんだから、ニンゲンにも有害だと思うし、少なくとも目暗ましくらいにはなるだろ。万が一の時は顔面に噴きつけてやれ。使者とやらに効くかは知らんけど」

 殺虫剤のスプレー缶を何本か。こんなものでもないよりはマシだ。
 リュックはかなり重たくなってしまったが、これは仕方ないと割り切ることにする。これらの荷物がまったく役に立たない無用の長物となったなら、後で必要なかったねと笑えばいいのだ。
 そして、自分達が荷物をまとめて、さあ出発するかと立ち上がったまさにその時のことだったのである。
 ご近所に突然、五月蠅い声が響き渡ったのは。

「皆さああああん!聴こえますかああああ!」
「!?」

 ぐわんぐわんと反響して鳴り響くのは、拡声器を使っているからだろう。年輩の男性の、やけに間延びした声。聞き覚えがある声だった。何故ならそれは、麻耶のおじいさんの声であったからだ。

「麻耶のじいちゃん!?何やってんだ!?」
「しっ……待て、陸。様子が変だぞ」

 二階の窓から、そっと外を見る。丁度家の前の道を、拡声器を持った老人が歩いていくところだった。その後ろには、大人の女性二人が付き従っている。

「儀式は、繰り返されることになりましたああああ!六十年前、ジャクタ様の封印が解かれた時にも同じ事が起きました。ジャクタ様をもう一度封印し、結界を盤石とするために、六十年前も旧尺汰村で儀式が行われたのですうううう!つまりいいい、これは、何かの訓練なんかではありませええええん!今回も、同じ儀式が行われようとしているのですうううううう!」

 ぎょっとする。老人も、その後ろの女性二人も、ぎらりと光る刃物を手にしているからだ。
 細長い、むき身の刃。日本刀に間違いなかった。何でそんなものを持って彼等は一般道を練り歩いているのか。

「儀式は、四十九人生贄が出るまで終わりませえええん!四十九人の生贄が出れば、村は解放されることになりまああすう!よって、生贄になり、ジャクタ様の使者としてジャクタ様に仕えようという勇気のある人を我々は募集しまあああす!」
「は!?」

 思わず亜林は声を上げた。何を言っているのだ、彼は?

「自分から使者になることを選んだ人を、ジャクタ様は歓迎してくれることでしょうううう!ジャクタ様の使者になることは、常世でジャクタ様に仕える、神の加護を得ることができる、などなどメリットがたくさんありまあああす!つまり、とても光栄なことなのでえええす!勇気のある人はぁ、名乗り出てきてくださあああい!我々が、すぐに楽にして差し上げまああああす!」

 おいおい、としか言いようがなかった。確かに、ジャクタ様の儀式とやらを終わらせるためには、村の中から誰かしらが死ななければいけないということにはなっている。その生贄を選ぶために、村人同士で殺し合いが起きる可能性も充分にあるとは思っていた。でも。
 だからって、人に死んでくれと頼むなんて。その介錯をしてやると言うなんて、一体どういう神経をしているのか。つまり、自分達は死にたくないから他の人に死んでほしいと言っているのと同じことではないか。

「気でも狂ったか……!?」

 思わずそう口にして、いや、とすぐに考えを改める。
 そもそも麻耶の祖父もまた、ジャクタ様の熱烈な信者として有名だった。何故なら、麻耶の祖父はそこそこ年がいっている。六十八歳くらいだったはずだから、前の儀式とやらも記憶があるのだろう。
 かつて、実際にジャクタ様のための儀式とやらを経験し、人が目の前でわんさか死ぬのを見たとしたら。その恐怖からジャクタ様に対して特別な畏怖や狂信を抱くようになってもおかしくないことなのかもしれなかった。
 とすると、恐らく後ろにいる二人は――麻耶の、年の離れた従姉たちだろう。麻耶本人は一人っ子だが、彼女には大学生と社会人の従姉があわせて二人いたはずである。麻耶の祖父、名前は斉藤権蔵さいとうごんぞうだっただろうか。記憶が正しければ従姉たちはそれぞれ、斉藤美紅さいとうみく斉藤美姫さいとうみきであったはずである。この距離だと、彼女達の顔までははっきりと見えないが。

「……後ろにいるの、麻耶の従姉だよな?」
「……た、多分」

 小声で問えば、陸も頷いてきた。

「ノッポで茶髪なのが社会人の美紅姉ちゃんで、眼鏡かけててちょっと太ってるのが美姫姉ちゃん……だったと思う」
「そうか。脅されてると思うか?」
「わ、わかんない。でも、自分の意思で従ってるかも。二人とも結構おじいちゃんっ子で、ジャクタ様の話はおじいちゃんから滅茶苦茶よく聞かされてたみたいだから……」
「……そうか」

 いくら、生贄が必要だと言われても。そして、それが神様のためにどうしても必要な犠牲だと言われても。だからって、簡単に“じゃあ人を殺そう”となるものなのだろうか。そんな簡単に、人は足を踏み外せるものなのだろうか。
 いや、それはあくまで“普段の生活の範囲、常識の範囲なら”であるとも言える。狂った世界で、狂った信仰の中では。自分達が生き残るために、特に好きでもなんでもない知り合いを殺すことはなんらおかしな発想ではないのかもしれなかった。少なくとも、彼等の中では。

「ちょっと!」

 やがて、焦ったように陸が言った。

「あの三人、麻耶ちゃんの家の方に向かってない!?」
「!!」

 その通りだった。彼等が通り過ぎたのを見計らって窓から顔を出すと、2ブロック先の一戸建ての前で三人が立ち止まっているではないか。拡声器を持った権蔵が、ぴんぽーん、とチャイムを鳴らしている様子が見える。

「麻耶ちゃーん!おじいちゃんですよーう!」

 家の中に向けて、拡声器で権蔵が話しかけている。

「おじいちゃんが、迎えに来ましたよーう!お母さんはいますかあ?アナウンスは聞いたかな?ジャクタ様の儀式が始まりましたのでえ、これからおじいちゃんは“選ばれし者”としてお仕事をしようと思っていまああす!ジャクタ様が少しでも早く安らかに眠れるように、みんなで協力して、一刻も早く四十九人の使者を常世に送って差し上げましょう!麻耶ちゃああん!協力してくれますよねええ?」

 まさか。権蔵は、自らの孫をも殺そうというのか?しかし、選ばれし者とは一体何なのか。他の、麻耶の二人の従姉もそれに賛同したと言うのか?

「麻耶ちゃあああん!早く、出てきてくださーい!お母さんと、喧嘩しちゃってるのかな?ここを開けてくださあああい!」

――んなこと言われて、開けるわけねえだろ!ていうか、家の中にまだ麻耶はいるのか?

 権蔵たちは、家の中に母親と一緒にいると思っているようだが(そういえば、父親は出張で県外に出ていると言っていた気がする)、実際はどうなのだろう?時間が時間なだけに、まだ二人とも家にいる可能性は高いと思われるが、今のところ家の中から反応が返ってくる気配はない。
 居留守を決め込んでいるのか、不在なのか。いや、場合によっては部屋にいるけれど麻耶一人という可能性もある。

「あ!」

 陸が小さく声を上げた。

「い、今、二階の窓のカーテンがちょっと動いた……!」
「ほんとか!?」
「うん。しかも二階って麻耶ちゃんの家だから、多分家にいるのは麻耶ちゃんだと思う……」

 そういうこしているうちに、痺れを切らした権蔵は家の門をくぐり、ドアノブをがちゃがちゃと回し始めた。そして呑気に、鍵がかかっているなあ、なんてぼやいている。

「麻耶ちゃーん、ここを開けてくださーい!駄目ですよう、ジャクタ様の儀式に逆らったりしたら!この村では、すすんで使者になることが一番良いことなんですよーう!このままでは、天罰が食らってしまいます、それでもいいんですかーあ?」
「何言ってんだよあいつ。自分達だって生き延びようとしてるくせに!」

 思わず亜林は吐き捨てていた。昔から大嫌いなのだ、人に善意を強要しようとする人間が。言うなれば、電車の中で自分も座席に座っているくせに、隣に座っている別の人に“あそこのおじいさんに席を代わってあげなさい、あんたは若いんだから!”とか言い出すタイプ。おじいさんが心配なら自分が席を代わればいいのに、それをしないで人に強要して、自分は善人の側にいるというような顔をする人間。時々いるのだ、こういう厚かましい存在が。
 結局、「おじいさんに席を用意してあげたあたしって優しい人」に浸っているだけで、本人は何の対価も払わない。疲れていたかもしれない、内部障害があったかもしれない人が無理矢理席を譲らさせられて嫌な気分になるというオチ。――それが正しいことだと思うのなら、何故その善行を自分でやらずに人にやらせようというのか。
 ましてや、今回の場合は座席を譲るどころの話ではない。自分達が死なないために、人に死ぬことを強要するなんて。あまつさえ、それがまるで正義であるかのように語るなんて、論外もいいところだ。

「うーん困ったなあ。このままだと、ドアを破っちゃいますけど、いいんですかあー?」

 そして、権蔵はとんでもないことを言い始めている。鍵がかかっていて、二階に人の気配があるというのなら。家の中に麻耶がいることはほぼ確定と言っていいだろう。

「ど、どうしよう亜林にい……!」

 陸が不安げな顔で亜林を見上げる。気づいてしまった以上、助けないという洗濯は既に亜林にはなかった。

「……麻耶ちゃんの家、裏口があったはずだ。そこから麻耶ちゃんを逃がしたい」

 決断が早い。それが己の長所だと、亜林は自負していた。

「俺が囮になって、あのじいさんたちを引きつける。その間に、陸は麻耶ちゃんを頼む!」
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