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<8・殺人。>
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柿本紀子と花村真奈美は、花林の目からは正反対のタイプに見えていた。明るく快活でちょっとお節介な紀子と、彼女よりも大人しくてちょっと引っ込み思案に見える真奈美。
不思議な組み合わせのようにも見えるが、人は自分と似ていないタイプの方がうまく付き合えると聞いたこともある。同族嫌悪を避ける意味でもだ。また、お互い自分にないところを補える関係は強いともいう。だから気に留めていなかった――彼女達が仲良しなのは、何もおかしいことではないと思っていたのだが。
――ちょっと、花村さん……何、してるの?
花村家に遊びに行ったこともある。娘三人のうち、長女は花林の一つ年下だ。話が合うことも少なくない。旦那さんは賑やかな人だし、娘三人の誰かの誕生パーティには学校の子供達の多くが呼ばれていた。品が良くて真面目な花村真奈美という母親とも付き合いは深い。悪い印象はまったくなかった、だからこそ。
彼女が後ろ手で包丁を隠して出てきたことが、信じられない。あれでは、まるで。
「儀式なんて、まさか本当にやるのかしら」
そんな真奈美に一切気づかない様子で、紀子は不安そうに語る。
「使者が放たれたと言っていたけど、いまいちあたしには実感ないのよ。だって、まだそれっぽいものも見たことないし。そりゃ、昔から“万が一”の時の事は聴かされてはいたけど、まさか本当に、っていうか。だって、こんな田舎臭い村とはいえ……令和の世の中でしょ?」
「そうですね」
「いくらジャクタ様を封印し直す為とはいえ、四十九人も生贄に捧げるなんてそんな無謀な事するとはとても思えないわ。そんな形でたくさん人が死んだりしたら、警察とかにどう言い訳するつもりなのかしら。そんな真似するくらいなら、大人しくジャクタ様を封印したりしないでお祀りし続けるのが一番いいと思うんだけど」
「それができれば、とっくにやっていると思いますよ」
どうやら、多くの大人達は“ジャクタ様を封印する方法”について前から知っていたということらしい。この様子だと、それを本気で信じていた人間とそうではない人間がいそうだが。
それより今気がかりなのは。話しながら、それとなく真奈美が紀子との距離を詰めていっているということだった。
――まさか、花村のおばさん、柿本さんを殺すつもりなの?
もしそうなら、止めなければ。花林は雑木林の中から飛び出そうとして――直前に、雫に腕を掴まれた。
「ちょ、雫さん!」
控えめな声で非難すれば、彼は険しい顔でゆっくりと首を横に振る。
「君が出ていってもどうにもならない」
「そ、そりゃ私はフツーの女子高校生ですけど!」
「黙って見ていろ。それに、近くにまた使者の気配を感じる。今出ていったら君も見つかるかもしれない」
「!」
また、あの化物が近くに?その言葉が花林の背筋を凍らせた。目の前でピンチに陥っている人を助けないのは、自分の理念に反する。しかし、じゃああの怪物と戦えるかどうかは話が別だ。
だって、茂木のおじさんでも太刀打ちできなかったのである。腕力でかなうとも思えない。ろくに武器もないのに、どうやって戦うのかと言われれば――。
「今みたいな、封印したジャクタ様を鎮めるためのお祭りではなく、神社に正式に祀るジャクタ様を祝うお祀りの方法に関しては……神社を取り仕切る御堂の家しか知らないと思います。でもって、大昔の御堂家は、生贄を捧げてでも封印をする方がマシだって判断した。……ならきっと、ものすごく惨たらしい方法なんですよ」
花林が迷っているうちに、事態は動いていた。
「そう、例えば四十九人どころじゃない、大量の生贄が要求される、とか……」
「ええ、そうかもしれないわね。だからって、使者に四十九人も食わせるなんて馬鹿げてるわ。何か別の意味があると信じたいんだけど」
「そうですね、柿本さ……」
話しながら、柿本紀子のすぐ目の前まで近づいた花村真奈美。彼女が包丁を突きだす、まさにその直前だった。
ぷしゅうう、と何かが噴出すような音。次の瞬間、紀子を襲おうとしていた真奈美の方が、悲鳴を上げて崩れ落ちていた。
「きゃあああああああ!あ、あぐうっ……目、目が……っ!」
――あ、あれ……スプレー?
花林は目を見開いた。紀子の手元には、スプレー缶のようなものが握られている。これでも視力にはかなり自信があった。スプレーに書かれているのは、有名な殺虫剤のメーカーの名前だと。
「あ、ああ、ああ、あ……」
「残念だわ、花村さん。あたし、あなたのこと本当に友達だと思ってたのよ」
そんな花村真奈美を、彼女の顔面にスプレーを吹きかけたと思しき柿本紀子が冷たく見下ろす。
「それなのに、あたしを殺そうとするのね。……あたしを殺して、さっさと四十九人を達成して、自分達だけ生き残ろうっていうのね!そんな意地汚い人だとは思ってなかったわ、この裏切り者!!」
どうやら、紀子もただ能天気に話をしていたわけではなかったらしい。
四十九人を達成すれば、残った村人たちは無事で助かる。そう考えた他の村人たちが他人を殺そうとする可能性がある、ということも一応考慮していたらしかった。ただ、武器として持ってきたのが人間に対して即死性のあるものではなく、殺虫剤のスプレー(無論、それも充分危ないと言えば危ないだろうが)だったことを考えると――。
「今の世の中に、そんなわけのわからない神様のために人が死ぬなんてあってはいけないことよ。何を血迷ったか知らないけど、あなたのご家族も同じ考えかしら?まずはその包丁を渡してもらうわ」
「い、嫌ですっ!」
「花村さん!」
「わ、私は……私は母親として、娘と夫を守る責務があるの……!だ、誰を犠牲にしてでも、守らなくちゃいけないの。使者とやらに襲われる前に、何がなんでも……!」
「そんなもの、本当にいるわけ……!」
真奈美の右手の包丁を奪い取ろうと、もみあいになる女性二人。しかし、紀子の言葉は中途半端に途絶えた。何が起きたのか、こちらの角度からではよく見えない。目を凝らす花林の視界の向こうで、真奈美の左腕が不自然に動くのが見えた。次の瞬間、紀子の脇腹がびゅう、と血を噴く。
気が付いた。真奈美が、左手に隠し持っていたもう一本部武器を使ったのだということが。
「包丁は、二本あったんです。油断しましたね。ふうふふふふ、包丁二刀流なんてかっこいいでしょ?」
どうやら、真奈美は殺虫剤の直撃は回避していたらしい。派手に痛がってみせたのは演技だったようだ。生理的な涙を流しながらも、顔面をごしごしとぬぐって立ち上がる。その左手に、典子の脇腹を刺した包丁を携えて。
だらり、とその刃先から赤い雫が滴るのが見えた。
「いいいいいいい!痛い、痛い痛い痛い痛い!ま、真奈美さっ……貴女、本気で、あたしを……?」
紀子の手から殺虫剤のスプレー缶がからりと落ちた。
「何で?ぎ、儀式が本物だったとしても……あ、あたし達、友達でしょ?それなのに、なんで……!」
「理由は言ったじゃないですか」
苦しんで蹲る紀子の顔を、真奈美は容赦なく蹴とばした。呻き声と共に仰向けに転がる紀子。彼女の腰の上に跨る真奈美。
「それに、元々私……貴女のこと、とってもメーワクだったんです。いつもお節介で、空気読めなくて……人が急いでる時に限ってどうでもいいことばっかりピーチクパーチク!あんたの飼い犬だって、朝に夜にと関係なく吠えて五月蠅いったらありゃしない!!いつもいつもいつも、本当は心底うざいって思ってたんです。丁度良い機会ですから、このタイミングで死んでください。どうせ、この儀式の中で死んだ人間は全部事故扱いになってくれます。オマワリさんたちだって、村の人間なんですから!」
あははははははは、と笑いながら語る真奈美。発狂したのか、それとも理性で考えた末にその結論を出してしまったのか。
いずれにせよ、このまま紀子を見逃してくれるとはまったく思えなかった。
――花村のおばさん、なんで、なんでっ!確かに家族は助けたいけど、だからって……!
悔しい。こんな酷いことなんてない。ぽろり、と花林の頬を涙の雫が伝った。
――やっぱりだめ。まだ、柿本のおばさんは助かるかもしれない!このまま見殺しにするなんて……!
雫の腕を振り払って駆けつけよう。そう決意した直後、真奈美は再び包丁を振り下ろしていた。紀子の首筋から、ぴゅるる、と赤い噴水が上がる。それだけでは飽き足らず、女は何度も“友人”の首に両手の包丁を振り下ろし続けた。
「死ね!」
「あがっ」
「死ね!」
「うぐっ」
「死ね!」
「がうっ!」
「死ね!」
「ぐぎゃっ」
「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「あ、あああ、あ……!」
紀子の顔に、首に、胸に、腹に、腕に、肩に。包丁は、デタラメな場所を狙って次々振り下ろされた。そのたびに赤い飛沫が跳ね上がり、真奈美の顔や胸を赤く汚していく。
花林は呆然と、その光景を見るしかできなかった。もう手遅れだとわかったからだけではない。鬼気迫る形相の真奈美が、あまりにも恐ろしかったからだ。
家族と自分を守るため。そういう名目ならば人は、こうも簡単に悪魔になれてしまうのだろうか。つい昨日まで普通に談笑していた相手を、こんなにも簡単に?
それとも、真奈美がそれほどまで心の弱い人間だったからこそ、一夜にしてそこまで思い詰めてしまったということなのか。
「……箱庭の空間では、狂気が蔓延する。ジャクタ様の気にあてられるんだ。心の弱い人間から発狂するし、他人を殺してでも生き残ろうとする」
花林の手を掴んだままの雫が、苦しげに呻いた。
「彼女は一目見てまずいとわかった。だから、止めたんだ」
「でも、でもっ……!柿本のおばさんも、花村のおばさんも、悪い人なんかじゃないのに……!」
「だからって簡単に信じていいわけじゃない。此処はもう、今までの常識が通用する場所ではなくなってしまったんだ。……見ろ」
「!!」
紀子を刺すことで必死の真奈美は、気づいていない。その後ろの生垣からのっそりと現れた、あの黒い影に。
黒焦げの体に、灰色の鬣、鋭い牙に真っ赤な目。ジャクタ様の使者だ。
「は、花村さっ……!」
次の瞬間、花村真奈美は背中から使者に齧りつかれていた。
「は、え……?」
ばりばり、ぼきぼき。骨を砕き、肉を引きはがす音が響き渡る。
「あ、ああああ。ああああああ!」
花林はその場にしゃがみこみ、己の手の甲を見てしまった。
さっきまで、カウントは残り47となっていたはず。それが、今は。
――の、残り……42!?
まだ辛うじて真奈美は生きている。死んだのは紀子だけなのに、一気に五人も減った。ということは、つまり。
――他にも、誰か死んだ人がいるってことなの……!?
もはや、花林も悟るしかなかったのである。
この絶望はまだ、序の口でしかないということを。
不思議な組み合わせのようにも見えるが、人は自分と似ていないタイプの方がうまく付き合えると聞いたこともある。同族嫌悪を避ける意味でもだ。また、お互い自分にないところを補える関係は強いともいう。だから気に留めていなかった――彼女達が仲良しなのは、何もおかしいことではないと思っていたのだが。
――ちょっと、花村さん……何、してるの?
花村家に遊びに行ったこともある。娘三人のうち、長女は花林の一つ年下だ。話が合うことも少なくない。旦那さんは賑やかな人だし、娘三人の誰かの誕生パーティには学校の子供達の多くが呼ばれていた。品が良くて真面目な花村真奈美という母親とも付き合いは深い。悪い印象はまったくなかった、だからこそ。
彼女が後ろ手で包丁を隠して出てきたことが、信じられない。あれでは、まるで。
「儀式なんて、まさか本当にやるのかしら」
そんな真奈美に一切気づかない様子で、紀子は不安そうに語る。
「使者が放たれたと言っていたけど、いまいちあたしには実感ないのよ。だって、まだそれっぽいものも見たことないし。そりゃ、昔から“万が一”の時の事は聴かされてはいたけど、まさか本当に、っていうか。だって、こんな田舎臭い村とはいえ……令和の世の中でしょ?」
「そうですね」
「いくらジャクタ様を封印し直す為とはいえ、四十九人も生贄に捧げるなんてそんな無謀な事するとはとても思えないわ。そんな形でたくさん人が死んだりしたら、警察とかにどう言い訳するつもりなのかしら。そんな真似するくらいなら、大人しくジャクタ様を封印したりしないでお祀りし続けるのが一番いいと思うんだけど」
「それができれば、とっくにやっていると思いますよ」
どうやら、多くの大人達は“ジャクタ様を封印する方法”について前から知っていたということらしい。この様子だと、それを本気で信じていた人間とそうではない人間がいそうだが。
それより今気がかりなのは。話しながら、それとなく真奈美が紀子との距離を詰めていっているということだった。
――まさか、花村のおばさん、柿本さんを殺すつもりなの?
もしそうなら、止めなければ。花林は雑木林の中から飛び出そうとして――直前に、雫に腕を掴まれた。
「ちょ、雫さん!」
控えめな声で非難すれば、彼は険しい顔でゆっくりと首を横に振る。
「君が出ていってもどうにもならない」
「そ、そりゃ私はフツーの女子高校生ですけど!」
「黙って見ていろ。それに、近くにまた使者の気配を感じる。今出ていったら君も見つかるかもしれない」
「!」
また、あの化物が近くに?その言葉が花林の背筋を凍らせた。目の前でピンチに陥っている人を助けないのは、自分の理念に反する。しかし、じゃああの怪物と戦えるかどうかは話が別だ。
だって、茂木のおじさんでも太刀打ちできなかったのである。腕力でかなうとも思えない。ろくに武器もないのに、どうやって戦うのかと言われれば――。
「今みたいな、封印したジャクタ様を鎮めるためのお祭りではなく、神社に正式に祀るジャクタ様を祝うお祀りの方法に関しては……神社を取り仕切る御堂の家しか知らないと思います。でもって、大昔の御堂家は、生贄を捧げてでも封印をする方がマシだって判断した。……ならきっと、ものすごく惨たらしい方法なんですよ」
花林が迷っているうちに、事態は動いていた。
「そう、例えば四十九人どころじゃない、大量の生贄が要求される、とか……」
「ええ、そうかもしれないわね。だからって、使者に四十九人も食わせるなんて馬鹿げてるわ。何か別の意味があると信じたいんだけど」
「そうですね、柿本さ……」
話しながら、柿本紀子のすぐ目の前まで近づいた花村真奈美。彼女が包丁を突きだす、まさにその直前だった。
ぷしゅうう、と何かが噴出すような音。次の瞬間、紀子を襲おうとしていた真奈美の方が、悲鳴を上げて崩れ落ちていた。
「きゃあああああああ!あ、あぐうっ……目、目が……っ!」
――あ、あれ……スプレー?
花林は目を見開いた。紀子の手元には、スプレー缶のようなものが握られている。これでも視力にはかなり自信があった。スプレーに書かれているのは、有名な殺虫剤のメーカーの名前だと。
「あ、ああ、ああ、あ……」
「残念だわ、花村さん。あたし、あなたのこと本当に友達だと思ってたのよ」
そんな花村真奈美を、彼女の顔面にスプレーを吹きかけたと思しき柿本紀子が冷たく見下ろす。
「それなのに、あたしを殺そうとするのね。……あたしを殺して、さっさと四十九人を達成して、自分達だけ生き残ろうっていうのね!そんな意地汚い人だとは思ってなかったわ、この裏切り者!!」
どうやら、紀子もただ能天気に話をしていたわけではなかったらしい。
四十九人を達成すれば、残った村人たちは無事で助かる。そう考えた他の村人たちが他人を殺そうとする可能性がある、ということも一応考慮していたらしかった。ただ、武器として持ってきたのが人間に対して即死性のあるものではなく、殺虫剤のスプレー(無論、それも充分危ないと言えば危ないだろうが)だったことを考えると――。
「今の世の中に、そんなわけのわからない神様のために人が死ぬなんてあってはいけないことよ。何を血迷ったか知らないけど、あなたのご家族も同じ考えかしら?まずはその包丁を渡してもらうわ」
「い、嫌ですっ!」
「花村さん!」
「わ、私は……私は母親として、娘と夫を守る責務があるの……!だ、誰を犠牲にしてでも、守らなくちゃいけないの。使者とやらに襲われる前に、何がなんでも……!」
「そんなもの、本当にいるわけ……!」
真奈美の右手の包丁を奪い取ろうと、もみあいになる女性二人。しかし、紀子の言葉は中途半端に途絶えた。何が起きたのか、こちらの角度からではよく見えない。目を凝らす花林の視界の向こうで、真奈美の左腕が不自然に動くのが見えた。次の瞬間、紀子の脇腹がびゅう、と血を噴く。
気が付いた。真奈美が、左手に隠し持っていたもう一本部武器を使ったのだということが。
「包丁は、二本あったんです。油断しましたね。ふうふふふふ、包丁二刀流なんてかっこいいでしょ?」
どうやら、真奈美は殺虫剤の直撃は回避していたらしい。派手に痛がってみせたのは演技だったようだ。生理的な涙を流しながらも、顔面をごしごしとぬぐって立ち上がる。その左手に、典子の脇腹を刺した包丁を携えて。
だらり、とその刃先から赤い雫が滴るのが見えた。
「いいいいいいい!痛い、痛い痛い痛い痛い!ま、真奈美さっ……貴女、本気で、あたしを……?」
紀子の手から殺虫剤のスプレー缶がからりと落ちた。
「何で?ぎ、儀式が本物だったとしても……あ、あたし達、友達でしょ?それなのに、なんで……!」
「理由は言ったじゃないですか」
苦しんで蹲る紀子の顔を、真奈美は容赦なく蹴とばした。呻き声と共に仰向けに転がる紀子。彼女の腰の上に跨る真奈美。
「それに、元々私……貴女のこと、とってもメーワクだったんです。いつもお節介で、空気読めなくて……人が急いでる時に限ってどうでもいいことばっかりピーチクパーチク!あんたの飼い犬だって、朝に夜にと関係なく吠えて五月蠅いったらありゃしない!!いつもいつもいつも、本当は心底うざいって思ってたんです。丁度良い機会ですから、このタイミングで死んでください。どうせ、この儀式の中で死んだ人間は全部事故扱いになってくれます。オマワリさんたちだって、村の人間なんですから!」
あははははははは、と笑いながら語る真奈美。発狂したのか、それとも理性で考えた末にその結論を出してしまったのか。
いずれにせよ、このまま紀子を見逃してくれるとはまったく思えなかった。
――花村のおばさん、なんで、なんでっ!確かに家族は助けたいけど、だからって……!
悔しい。こんな酷いことなんてない。ぽろり、と花林の頬を涙の雫が伝った。
――やっぱりだめ。まだ、柿本のおばさんは助かるかもしれない!このまま見殺しにするなんて……!
雫の腕を振り払って駆けつけよう。そう決意した直後、真奈美は再び包丁を振り下ろしていた。紀子の首筋から、ぴゅるる、と赤い噴水が上がる。それだけでは飽き足らず、女は何度も“友人”の首に両手の包丁を振り下ろし続けた。
「死ね!」
「あがっ」
「死ね!」
「うぐっ」
「死ね!」
「がうっ!」
「死ね!」
「ぐぎゃっ」
「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「あ、あああ、あ……!」
紀子の顔に、首に、胸に、腹に、腕に、肩に。包丁は、デタラメな場所を狙って次々振り下ろされた。そのたびに赤い飛沫が跳ね上がり、真奈美の顔や胸を赤く汚していく。
花林は呆然と、その光景を見るしかできなかった。もう手遅れだとわかったからだけではない。鬼気迫る形相の真奈美が、あまりにも恐ろしかったからだ。
家族と自分を守るため。そういう名目ならば人は、こうも簡単に悪魔になれてしまうのだろうか。つい昨日まで普通に談笑していた相手を、こんなにも簡単に?
それとも、真奈美がそれほどまで心の弱い人間だったからこそ、一夜にしてそこまで思い詰めてしまったということなのか。
「……箱庭の空間では、狂気が蔓延する。ジャクタ様の気にあてられるんだ。心の弱い人間から発狂するし、他人を殺してでも生き残ろうとする」
花林の手を掴んだままの雫が、苦しげに呻いた。
「彼女は一目見てまずいとわかった。だから、止めたんだ」
「でも、でもっ……!柿本のおばさんも、花村のおばさんも、悪い人なんかじゃないのに……!」
「だからって簡単に信じていいわけじゃない。此処はもう、今までの常識が通用する場所ではなくなってしまったんだ。……見ろ」
「!!」
紀子を刺すことで必死の真奈美は、気づいていない。その後ろの生垣からのっそりと現れた、あの黒い影に。
黒焦げの体に、灰色の鬣、鋭い牙に真っ赤な目。ジャクタ様の使者だ。
「は、花村さっ……!」
次の瞬間、花村真奈美は背中から使者に齧りつかれていた。
「は、え……?」
ばりばり、ぼきぼき。骨を砕き、肉を引きはがす音が響き渡る。
「あ、ああああ。ああああああ!」
花林はその場にしゃがみこみ、己の手の甲を見てしまった。
さっきまで、カウントは残り47となっていたはず。それが、今は。
――の、残り……42!?
まだ辛うじて真奈美は生きている。死んだのは紀子だけなのに、一気に五人も減った。ということは、つまり。
――他にも、誰か死んだ人がいるってことなの……!?
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