1 / 33
<1・侵入。>
しおりを挟む
連日続いた雨の名残が、まだ臭いに残っている。湿った草木の青臭い臭い。それから、じっとりと肌にまとわりつくような湿気。もう少し汚れても構わない服を着て来れば良かった――遠藤奈々は心の底から後悔した。
「失敗したかもねえ、なーちゃん」
同じことを思ったのだろう。前を歩く友人の鈴木千夏が振り返って苦笑する。
「せっかくお洒落な服着て来てもさあ、この暗さじゃ全然見えないしね。田舎ナメてたわ、マジで」
「ほんとそれ。……雑草多すぎ。ちょっと木とかに触るだけで服汚れそうだよちーちゃん。転んだら一巻の終わりだろうし」
「マジそれねー」
千夏の真っ赤に染まった頭を目印に、奈々はひたすら歩くしかなかった。サンダルを履いてきたのも失敗だったと言える。山道とはいえ、まさかこんなにもぬかるんでいるとは。致命的な転倒は回避しているものの、夜の山道は暗いし何より足場が最悪である。運動靴なんてダサい、なんて言っている場合ではなかった。どうせ視聴者も、こんな暗闇の中では自分達の足元なんて見ていないだろう。というか、カメラに映るかは怪しい。
一歩踏み出すごとに、泥まみれの雑草が生い茂った足元からぐしゅり、と滲みだすような湿った音がする。滑らないように坂を上るためには、足腰に力を入れつつゆっくり歩いていくしかなかった。奈々と比べて千夏はかなり運動神経が良いはずなのだが、歩くペースが遅いのは単に奈々を気遣ってくれているだけではないだろう。お互い都会育ちの都会っ子、山登りが趣味でもない。カメラ映えを気にして、普段撮影する時と同じようなお洒落なワンピースやロングスカートを履いて来てしまっている。不慣れなのは、どうしようもないことだった。
それこそ、現時点で転ばずに済んでいるだけ奇跡というものだ。
「せめて昼間に来るべきだったんじゃないかなあ、ちーちゃん」
じめじめとした暑さが、ゆっくりと体力を削っていくのがわかる。時刻は既に夜十時を過ぎているというのに、何でこうも暑いのか。まだ、夏本番までは時間があるというのに。
「ちーちゃん道、大丈夫?私、方向音痴だから全然自信がないよ」
「一本道だから迷うことないわよ、ヘーキヘーキ。それに、夜に来るのを同意したのはあんたも同じでしょーが。いくら山だからって、昼間に来て雰囲気出ると思う?」
「そりゃあ、そうだけどさあ……」
千夏が言いたいことはわかる。オバケが出るのは逢魔時か夜と決まっているし、山奥なら夜の方が確実に雰囲気が出るだろう。ましてや、自分達は山の中の廃屋を目指して歩いている。面白いものが撮れるとしたら、やっぱり夜なのは間違いない。
ただ、此処に来るまでにここまで電灯がないのは想定外だったし、道が悪いのも予想していなかたっというだけで。
――この調子で、本当に辿りつけるのかなぁ。
段々と、奈々は不安になってきたのだった。
自分達が此処に来た理由は、そのものズバリ、とある廃村を取材して動画を作るためだった。自分達は駆け出しのユーチューバーというものである。同じ大学の友人同士で、オカルトな動画でも撮ってバズろう!と酒に酔った勢いで結成したのがユーチューバーコンビの“メロンコップ”なのだった。何でメロンコップなのかというと、たまたま結成時にメロンのマークがついたコップが手元にあったから、というなんとも安易な理由である。まあ、それなりに可愛いので奈々としては気に入っているのだけれど。
小学生人気ナンバーワンともされるユーチューバーという仕事だったが、けして簡単なものではない。自分達も、まだ仕事をしなくていい大学生だからこそ手を出したわけであって、本格的に自分達の仕事にしようとしているわけではなかった。副業程度にお金が稼げたらラッキー、くらいなものである。毎日数多の動画がアップロードされるのに、その中でもまともに視聴者に見て貰えるような動画はごくごく僅か。大半の動画は、クリックさえしてもらえずに埋もれていく。生半可な動画では、アップしたところでまともに見て貰えないのは明白だった。
ゆえに、最初のうちからガンガン過激なもの(もちろん、法は犯さない範囲でだ)を撮影してみんなの興味を引こう!という話になったのである。
そのうちの一つがこれ。今回取材予定の、“廃村となった村の跡地”なのだった。
T県、T群尺汰村。
この村には、昔からジャクタ様という神様が祀られているという。その村は、六十年ほど前に大規模な移転をしている。元々は尺汰山の山奥にあったのを、もっと隣町に近い麓のエリアに住人全員で移り住んだのだというのだ。
ゆえに、現在ある尺汰村は、この麓の場所に合ってそれなりに栄えているのだが。旧尺汰村の跡地が山奥にあり、しかも禁域になっているらしいという情報を耳にしたのである。
この尺汰村の中には今は完全に荒れ果てて放置されている、尺汰神社という神社があるという。村そのものが禁域になっているのは、この尺汰神社に人を近づけないためではないか、と言われているのだ。
――でも、何で神社もまるまる放置して、村を移転させたのか。そう言う情報は、いくら調べても出てこなかったんだよなあ。
そもそも、この尺汰村とやらも、神様も、オカルト大好きな自分達がまったく耳にしたことがないものだった。きっと地域密着型(?)のマイナーな神様と伝承なのだろう。リクエストしてきた人がよく知っていたなというレベルだ。
実際、ネットで調べても上記の情報が出て来るにとどまった。これは現地に行って調べてみるしかない、とのことで夏休み前の土曜日を使ってこの地に二人で足を運んだというわけである。
単純に、まだ二桁しかフォロワーがいない自分達にもファンがついていて、リクエストを貰えたのが嬉しかったというのもあるのだが。
ちなみに、奈々はそのままなーちゃん、千夏はちーちゃんという名前で活動している。ハンドルネームが思いつかなくて、アダ名をそのまま使ってしまっているのだった。
「そろそろカメラ回すよう。懐中電灯消すから、なーちゃんばっちり照らしててね!」
「あ、ちょっとちーちゃん!」
道の悪さに愚痴を言いながらも、千夏はまだまだ元気そうである。奈々は慌てて、進行方向に懐中電灯を向けた。満月の夜とはいえ、やっぱり暗いものは暗い。
「皆さんこんにちは、メロンコップのちーちゃんです。なーちゃんも一緒にいまーす。あたし達はリクエストにあった尺汰村の、移転前の土地に来ています。今、山道を登っていて、もうすぐ到着するところで……あ」
千夏が小さく声を上げた。目の前に、巨大な石碑のようなものが照らし出されたからである。
いつの間に、と奈々は目を見開いた。こんなに近くに来るまで気づかなかったなんて、そんなことがあるだろうか。
石碑には、はっきりと“尺汰村”とうねるような行書体で書かれている。そして、石が積み上げられただけのような古めかしい門。村の入り口だと、すぐにわかった。しかも。
「到着しました、目的地!」
千夏が嬉しそうに声を上げる。
「しかも、あの奥!きっと神社ですよう!」
入ってすぐのところに、赤い塗料がところどころ錆びたボロボロの鳥居が見えたのである。
その奥には、木造の、雑草に半ば飲み込まれるようにして苔むしている日本家屋があった。あれが神社なのだろうか、と奈々は目を凝らす。
正直、不気味だとしか言いようがなかった。
***
人が住まなくなった家は死ぬ。そんな話を聴いたことがある。手入れをすることがなくなり、埃だらけになるというだけではない。まるで、そこに一緒に住んでいた座敷童のような精霊までいなくなったように、活力が失われるのだという。
そういった空家が放置され、雑草や樹木に飲み込まれていく様を奈々は何度もニュースで見てきた。大体が、迷惑空家のせいで倒壊の危機があり、近隣の住人が困っているんですといった類いの話であったが。
――その理屈で言うなら、神社もそうなのかな?
黒々とそびえたつ家屋を見上げる奈々。黒い瓦屋根はあちこちが崩れ、あるいは剥げ落ちている。玄関は既に雑木林に飲み込まれたようになっており、根が侵食していてとてもじゃないが侵入できる様子ではなかった。
取材でなければ、怖くて近寄りたくなかったところである。が、怖いからこそ見たくもなるのが人間心理。何より、ここまで来た苦労を無駄にしたくないという気持ちも強い。どこかから入れる場所はないか、と奈々は千夏とともに庭をぐるっと回ってみることにしたのだった。
隙間から雑草が生えまくっている砂利道だったが、村の外の山道と比べると平坦だし泥にまみれてもいないのでまだ歩きやすい。ぐるりと裏手に回ったところで、奈々は妙なものを発見したのだった。
「何あれ?」
それは、小さな三角形の社のようなものである。不思議なことに、その社の周りには一切雑草が生えていなかった。ぐるり、と周囲を円形に縄が張り巡らせており、その縄の四方を木の人形のようなものが持って佇んでいる。
気持ち悪い人形。素直にそう思った。大体、奈々の腰くらいの高さの人形達は一様に目、口、鼻、耳からドス黒い液体を垂れ流していたからである。無論、実際に液体が流れているわけではなく、そのような絵が描かれているというだけではあるが。
「ひょっとして、あれがジャクタ様とやらの塚じゃない?面白そうだわ!」
わくわくした声で、千夏はずんずん進んでいく。いいのかなあ、と奈々は流石に不安に思った。素人目から見ても、明らかになんらかの結界が作られているのが目に見えるのだが。
「ちーちゃん、あんま近づくのは危ないって。ていうか先に行ったら足元が……」
見えないよ、と言いかけた時だった。案の定、千夏が縄に足をひっかけて思いきり転んだ。ずてーん!とでも文字がつきそうな派手な音がする。言わんこっちゃない、と奈々は懐中電灯を持ったまま慌てて追いかけた。
「うう、視聴者の皆さんすみません。膝打った、いったー」
千夏はすぐに置きあがったが、右膝を大袈裟に抱えてぴょこぴょこしている。子供か!と苦笑いしながら傍に駆け寄った奈々は――次の瞬間、ぎょっとすることになったのだった。
「ちょ、千夏!ロープが!」
「んあ?」
千夏が転んだ時に、だろう。ロープの一本が思いきり引っ張られてしまったのだ。四体の人形のうち一体が倒れてしまっている。その手に結ばれていた縄もほどけて外れてしまっていた。これちょっとまずいんじゃ、と奈々は慌てて人形を起き上がらせる。
「うわうわうわうわ、これやばい結界だったらどうするの?フラグ立ちまくりなんですけど!」
「え、マジで!?」
慌てる奈々をよそに、千夏は実に楽しげだ。
「もしそうなら、マジでジャクタ様とやらをカメラに収められるかも?ジャクタ様ー!見てたらあたし達の前に来てくださーい!」
そんな呑気な。呆れ果てながらも、ロープを結び直そうと躍起になる奈々。しかし、人形に結ばれたロープはやや複雑な結び方であったのか、奈々に再現することは極めて難しかった。適当に結んだものの、明らかに間違っている。これは本当にまずいのでは、とさすがに冷や汗をかいた。
今まで、本物の幽霊の類を見たことなんてない。それでも、こういう嫌な予感というのはそうそう外れないものだ。
「ちーちゃん、やっぱ帰ろう!やばいって、フラグでしかないって!」
「えー、ここから面白くなりそうなのに」
「そんなこと言ってる場合じゃないって!つか、オバケ出なくても器物破損とかで訴えられたらそれもヤバ……」
ヤバいし、と言いかけた時だった。
ぽたり、と千夏の腕を引っ張った奈々の手に、何か生ぬるい雫のようなものが落ちる。え、と思った瞬間、千夏がよろめいた。次の瞬間。
「う、うううっ……なにこれ、眼が、熱……」
懐中電灯で照らした先、異変が始まっていた。
千夏の両目から、だらだらと涙のように――赤黒い雫が、零れ落ち始めていたのである。ぎょっとして一歩後ろに下がる奈々。その脚が、さっき直したばかりの縄にぶつかった。
「ち、千夏……?」
千夏が目元を抑えて呻いた、次の瞬間。彼女の口が、わななくように開かれて、そして。
「お、オロウブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ!?」
形容しがたい、鳴き声のような音とともに。彼女の口から、大量の液体が噴出した。赤黒いそれは、単なる血にしては随分と生臭い臭いを放っている。
ぶしゅう、と彼女の両耳から、そして両鼻からも赤い噴水が上がった。顔面の穴と言う穴から赤い液体を噴出しすつつ、千夏は踊るようにふらふらとよろめいて後ろに下がっていく。
「ぐぐぐ、るじい、ぐる、ウボオオオオオオオ!」
一瞬噴出が途絶えた瞬間、千夏が僅かに苦悶を訴えた。しかし、それもすぐ大量の吐血に阻まれて消えてしまう。
そのスカートの股間も、赤黒く染まり、足元に赤い海ができた。全身の穴から、体の中身が噴出している。ああ、ああ、と呆然としつつ、奈々はその場に尻持ちをつくしかできなかった。
――な、なにこれ、なにこれ……!?
何が起きたのかさっぱりわからない。わからないが、確かなことが一つある。
自分達は何か、とてつもなく大きな失敗を犯した。起こしてはいけないものを起こしてしまったのだ、と。
「あ、うぐっ……!?」
そして。
次の瞬間、奈々の目元も――溶けるように熱くなり。そしてどろり、と視界が溶けたのである。
「失敗したかもねえ、なーちゃん」
同じことを思ったのだろう。前を歩く友人の鈴木千夏が振り返って苦笑する。
「せっかくお洒落な服着て来てもさあ、この暗さじゃ全然見えないしね。田舎ナメてたわ、マジで」
「ほんとそれ。……雑草多すぎ。ちょっと木とかに触るだけで服汚れそうだよちーちゃん。転んだら一巻の終わりだろうし」
「マジそれねー」
千夏の真っ赤に染まった頭を目印に、奈々はひたすら歩くしかなかった。サンダルを履いてきたのも失敗だったと言える。山道とはいえ、まさかこんなにもぬかるんでいるとは。致命的な転倒は回避しているものの、夜の山道は暗いし何より足場が最悪である。運動靴なんてダサい、なんて言っている場合ではなかった。どうせ視聴者も、こんな暗闇の中では自分達の足元なんて見ていないだろう。というか、カメラに映るかは怪しい。
一歩踏み出すごとに、泥まみれの雑草が生い茂った足元からぐしゅり、と滲みだすような湿った音がする。滑らないように坂を上るためには、足腰に力を入れつつゆっくり歩いていくしかなかった。奈々と比べて千夏はかなり運動神経が良いはずなのだが、歩くペースが遅いのは単に奈々を気遣ってくれているだけではないだろう。お互い都会育ちの都会っ子、山登りが趣味でもない。カメラ映えを気にして、普段撮影する時と同じようなお洒落なワンピースやロングスカートを履いて来てしまっている。不慣れなのは、どうしようもないことだった。
それこそ、現時点で転ばずに済んでいるだけ奇跡というものだ。
「せめて昼間に来るべきだったんじゃないかなあ、ちーちゃん」
じめじめとした暑さが、ゆっくりと体力を削っていくのがわかる。時刻は既に夜十時を過ぎているというのに、何でこうも暑いのか。まだ、夏本番までは時間があるというのに。
「ちーちゃん道、大丈夫?私、方向音痴だから全然自信がないよ」
「一本道だから迷うことないわよ、ヘーキヘーキ。それに、夜に来るのを同意したのはあんたも同じでしょーが。いくら山だからって、昼間に来て雰囲気出ると思う?」
「そりゃあ、そうだけどさあ……」
千夏が言いたいことはわかる。オバケが出るのは逢魔時か夜と決まっているし、山奥なら夜の方が確実に雰囲気が出るだろう。ましてや、自分達は山の中の廃屋を目指して歩いている。面白いものが撮れるとしたら、やっぱり夜なのは間違いない。
ただ、此処に来るまでにここまで電灯がないのは想定外だったし、道が悪いのも予想していなかたっというだけで。
――この調子で、本当に辿りつけるのかなぁ。
段々と、奈々は不安になってきたのだった。
自分達が此処に来た理由は、そのものズバリ、とある廃村を取材して動画を作るためだった。自分達は駆け出しのユーチューバーというものである。同じ大学の友人同士で、オカルトな動画でも撮ってバズろう!と酒に酔った勢いで結成したのがユーチューバーコンビの“メロンコップ”なのだった。何でメロンコップなのかというと、たまたま結成時にメロンのマークがついたコップが手元にあったから、というなんとも安易な理由である。まあ、それなりに可愛いので奈々としては気に入っているのだけれど。
小学生人気ナンバーワンともされるユーチューバーという仕事だったが、けして簡単なものではない。自分達も、まだ仕事をしなくていい大学生だからこそ手を出したわけであって、本格的に自分達の仕事にしようとしているわけではなかった。副業程度にお金が稼げたらラッキー、くらいなものである。毎日数多の動画がアップロードされるのに、その中でもまともに視聴者に見て貰えるような動画はごくごく僅か。大半の動画は、クリックさえしてもらえずに埋もれていく。生半可な動画では、アップしたところでまともに見て貰えないのは明白だった。
ゆえに、最初のうちからガンガン過激なもの(もちろん、法は犯さない範囲でだ)を撮影してみんなの興味を引こう!という話になったのである。
そのうちの一つがこれ。今回取材予定の、“廃村となった村の跡地”なのだった。
T県、T群尺汰村。
この村には、昔からジャクタ様という神様が祀られているという。その村は、六十年ほど前に大規模な移転をしている。元々は尺汰山の山奥にあったのを、もっと隣町に近い麓のエリアに住人全員で移り住んだのだというのだ。
ゆえに、現在ある尺汰村は、この麓の場所に合ってそれなりに栄えているのだが。旧尺汰村の跡地が山奥にあり、しかも禁域になっているらしいという情報を耳にしたのである。
この尺汰村の中には今は完全に荒れ果てて放置されている、尺汰神社という神社があるという。村そのものが禁域になっているのは、この尺汰神社に人を近づけないためではないか、と言われているのだ。
――でも、何で神社もまるまる放置して、村を移転させたのか。そう言う情報は、いくら調べても出てこなかったんだよなあ。
そもそも、この尺汰村とやらも、神様も、オカルト大好きな自分達がまったく耳にしたことがないものだった。きっと地域密着型(?)のマイナーな神様と伝承なのだろう。リクエストしてきた人がよく知っていたなというレベルだ。
実際、ネットで調べても上記の情報が出て来るにとどまった。これは現地に行って調べてみるしかない、とのことで夏休み前の土曜日を使ってこの地に二人で足を運んだというわけである。
単純に、まだ二桁しかフォロワーがいない自分達にもファンがついていて、リクエストを貰えたのが嬉しかったというのもあるのだが。
ちなみに、奈々はそのままなーちゃん、千夏はちーちゃんという名前で活動している。ハンドルネームが思いつかなくて、アダ名をそのまま使ってしまっているのだった。
「そろそろカメラ回すよう。懐中電灯消すから、なーちゃんばっちり照らしててね!」
「あ、ちょっとちーちゃん!」
道の悪さに愚痴を言いながらも、千夏はまだまだ元気そうである。奈々は慌てて、進行方向に懐中電灯を向けた。満月の夜とはいえ、やっぱり暗いものは暗い。
「皆さんこんにちは、メロンコップのちーちゃんです。なーちゃんも一緒にいまーす。あたし達はリクエストにあった尺汰村の、移転前の土地に来ています。今、山道を登っていて、もうすぐ到着するところで……あ」
千夏が小さく声を上げた。目の前に、巨大な石碑のようなものが照らし出されたからである。
いつの間に、と奈々は目を見開いた。こんなに近くに来るまで気づかなかったなんて、そんなことがあるだろうか。
石碑には、はっきりと“尺汰村”とうねるような行書体で書かれている。そして、石が積み上げられただけのような古めかしい門。村の入り口だと、すぐにわかった。しかも。
「到着しました、目的地!」
千夏が嬉しそうに声を上げる。
「しかも、あの奥!きっと神社ですよう!」
入ってすぐのところに、赤い塗料がところどころ錆びたボロボロの鳥居が見えたのである。
その奥には、木造の、雑草に半ば飲み込まれるようにして苔むしている日本家屋があった。あれが神社なのだろうか、と奈々は目を凝らす。
正直、不気味だとしか言いようがなかった。
***
人が住まなくなった家は死ぬ。そんな話を聴いたことがある。手入れをすることがなくなり、埃だらけになるというだけではない。まるで、そこに一緒に住んでいた座敷童のような精霊までいなくなったように、活力が失われるのだという。
そういった空家が放置され、雑草や樹木に飲み込まれていく様を奈々は何度もニュースで見てきた。大体が、迷惑空家のせいで倒壊の危機があり、近隣の住人が困っているんですといった類いの話であったが。
――その理屈で言うなら、神社もそうなのかな?
黒々とそびえたつ家屋を見上げる奈々。黒い瓦屋根はあちこちが崩れ、あるいは剥げ落ちている。玄関は既に雑木林に飲み込まれたようになっており、根が侵食していてとてもじゃないが侵入できる様子ではなかった。
取材でなければ、怖くて近寄りたくなかったところである。が、怖いからこそ見たくもなるのが人間心理。何より、ここまで来た苦労を無駄にしたくないという気持ちも強い。どこかから入れる場所はないか、と奈々は千夏とともに庭をぐるっと回ってみることにしたのだった。
隙間から雑草が生えまくっている砂利道だったが、村の外の山道と比べると平坦だし泥にまみれてもいないのでまだ歩きやすい。ぐるりと裏手に回ったところで、奈々は妙なものを発見したのだった。
「何あれ?」
それは、小さな三角形の社のようなものである。不思議なことに、その社の周りには一切雑草が生えていなかった。ぐるり、と周囲を円形に縄が張り巡らせており、その縄の四方を木の人形のようなものが持って佇んでいる。
気持ち悪い人形。素直にそう思った。大体、奈々の腰くらいの高さの人形達は一様に目、口、鼻、耳からドス黒い液体を垂れ流していたからである。無論、実際に液体が流れているわけではなく、そのような絵が描かれているというだけではあるが。
「ひょっとして、あれがジャクタ様とやらの塚じゃない?面白そうだわ!」
わくわくした声で、千夏はずんずん進んでいく。いいのかなあ、と奈々は流石に不安に思った。素人目から見ても、明らかになんらかの結界が作られているのが目に見えるのだが。
「ちーちゃん、あんま近づくのは危ないって。ていうか先に行ったら足元が……」
見えないよ、と言いかけた時だった。案の定、千夏が縄に足をひっかけて思いきり転んだ。ずてーん!とでも文字がつきそうな派手な音がする。言わんこっちゃない、と奈々は懐中電灯を持ったまま慌てて追いかけた。
「うう、視聴者の皆さんすみません。膝打った、いったー」
千夏はすぐに置きあがったが、右膝を大袈裟に抱えてぴょこぴょこしている。子供か!と苦笑いしながら傍に駆け寄った奈々は――次の瞬間、ぎょっとすることになったのだった。
「ちょ、千夏!ロープが!」
「んあ?」
千夏が転んだ時に、だろう。ロープの一本が思いきり引っ張られてしまったのだ。四体の人形のうち一体が倒れてしまっている。その手に結ばれていた縄もほどけて外れてしまっていた。これちょっとまずいんじゃ、と奈々は慌てて人形を起き上がらせる。
「うわうわうわうわ、これやばい結界だったらどうするの?フラグ立ちまくりなんですけど!」
「え、マジで!?」
慌てる奈々をよそに、千夏は実に楽しげだ。
「もしそうなら、マジでジャクタ様とやらをカメラに収められるかも?ジャクタ様ー!見てたらあたし達の前に来てくださーい!」
そんな呑気な。呆れ果てながらも、ロープを結び直そうと躍起になる奈々。しかし、人形に結ばれたロープはやや複雑な結び方であったのか、奈々に再現することは極めて難しかった。適当に結んだものの、明らかに間違っている。これは本当にまずいのでは、とさすがに冷や汗をかいた。
今まで、本物の幽霊の類を見たことなんてない。それでも、こういう嫌な予感というのはそうそう外れないものだ。
「ちーちゃん、やっぱ帰ろう!やばいって、フラグでしかないって!」
「えー、ここから面白くなりそうなのに」
「そんなこと言ってる場合じゃないって!つか、オバケ出なくても器物破損とかで訴えられたらそれもヤバ……」
ヤバいし、と言いかけた時だった。
ぽたり、と千夏の腕を引っ張った奈々の手に、何か生ぬるい雫のようなものが落ちる。え、と思った瞬間、千夏がよろめいた。次の瞬間。
「う、うううっ……なにこれ、眼が、熱……」
懐中電灯で照らした先、異変が始まっていた。
千夏の両目から、だらだらと涙のように――赤黒い雫が、零れ落ち始めていたのである。ぎょっとして一歩後ろに下がる奈々。その脚が、さっき直したばかりの縄にぶつかった。
「ち、千夏……?」
千夏が目元を抑えて呻いた、次の瞬間。彼女の口が、わななくように開かれて、そして。
「お、オロウブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ!?」
形容しがたい、鳴き声のような音とともに。彼女の口から、大量の液体が噴出した。赤黒いそれは、単なる血にしては随分と生臭い臭いを放っている。
ぶしゅう、と彼女の両耳から、そして両鼻からも赤い噴水が上がった。顔面の穴と言う穴から赤い液体を噴出しすつつ、千夏は踊るようにふらふらとよろめいて後ろに下がっていく。
「ぐぐぐ、るじい、ぐる、ウボオオオオオオオ!」
一瞬噴出が途絶えた瞬間、千夏が僅かに苦悶を訴えた。しかし、それもすぐ大量の吐血に阻まれて消えてしまう。
そのスカートの股間も、赤黒く染まり、足元に赤い海ができた。全身の穴から、体の中身が噴出している。ああ、ああ、と呆然としつつ、奈々はその場に尻持ちをつくしかできなかった。
――な、なにこれ、なにこれ……!?
何が起きたのかさっぱりわからない。わからないが、確かなことが一つある。
自分達は何か、とてつもなく大きな失敗を犯した。起こしてはいけないものを起こしてしまったのだ、と。
「あ、うぐっ……!?」
そして。
次の瞬間、奈々の目元も――溶けるように熱くなり。そしてどろり、と視界が溶けたのである。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
『忌み地・元霧原村の怪』
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は月森和也(語り部)となります。転校生の神代渉はバディ訳の男子です》
【投稿開始後に1話と2話を改稿し、1話にまとめています】
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。

牛の首チャンネル
猫じゃらし
ホラー
どうもー。『牛の首チャンネル』のモーと、相棒のワンさんです。ご覧いただきありがとうございます。
このチャンネルは僕と犬のぬいぐるみに取り憑かせた幽霊、ワンさんが心霊スポットに突撃していく動画を投稿しています。
怖い現象、たくさん起きてますので、ぜひ見てみてくださいね。
心霊写真特集もやりたいと思っていますので、心霊写真をお持ちの方はコメント欄かDMにメッセージをお願いします。
よろしくお願いしまーす。
それでは本編へ、どうぞー。
※小説家になろうには「牛の首」というタイトル、エブリスタには「牛の首チャンネル」というタイトルで投稿しています。

本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる