魔王陛下の無罪証明

はじめアキラ

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<第三十二話>

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 本当に裁かれるべき、魔王は――悪とは、一体誰であるのか。
 裁判の様子をずっと隣室で見ていたケイニーは、一人考えていた。否、それはこの裁判が始まるよりも前から、考え続けてきたことだった。

『ケイニー、ミシェル!新聞の記事見た!?』

 冒険者として、ミシェルとキャサリンの二人と旅をしている最中。とある町に寄ったところで、ケイニーはキャサリンから新聞の記事を突きつけられたのである。冒険者としては中堅どころであった自分達は(実力で言うならかなり良いところまで行ける自信があったが、いかんせんチーム結成してまだ三年ではベテランとは言えないのである)、今ではそこそこのランクのホテルにも泊まれるくらいには稼げるようになっていた。未開の土地、危険な土地の資源や薬草、モンスターの討伐。冒険者の手を借りたい組織や個人は数多と存在する。大きな企業や団体の、危険度の高い依頼であればあるほど当然報奨金も大きくなるのだ。最近はドラゴンクラスも悠に倒せるようになってきた自分達である。多少、調子に乗っていたことは否めない。
 一定以上のランクの宿だと、新聞を置いている場所も少なくないわけで。キャサリンが見せてきたのも、そんな宿に置いてあった新聞の一つだった。新たな魔王、現る――アネモニ村の惨劇。確か、そんな見出しが出ていたのではなかっただろうか。
 その時のケイニーは、それが冤罪かもしれない、なんてことは殆ど頭に上ってこなかった。恐らくそれが普通の反応ではあるのだろう。唯一生き残った村人に、疑いの眼が向くのは当然。しかもそれが、村でトラブルを抱えていた“魔王”であるならばより一層確定有罪扱いされるのも無理からぬことではあっただろう。何より、マスメディアの影響とは馬鹿にならないもので、新聞やテレビが“この人物が真犯人に違いない”とう報じれば、多くの人々はそれをそのまま鵜呑みにして対象の人物を憎むようになるものなのである。
 ゆえに。写真に映っている美貌の青年に対してケイニーが思ったことは一つ。どうしてこの人は、こんな酷いことができたのだろう――それだけだった。焼け跡や、モザイクのかかった遺体の生々しさがより一層事件の悲惨さを物語っていた。その上で、犯人はトリアス・マリーゴールドに違いない――そんなどこか洗脳じみた記事を見てしまえば、大抵の人間は“こんな奴早く捕まってくれ”と思うのが当然に違いない。
 いや、それどころか。とっとと捕まって死刑になってくれ、同じように殺されてくれ――そう、我が身のごとく憎悪をぶつける者も少なくないことだろう。
 ましてや、前回“魔王”の事件が起きてから、まだ数年しか過ぎていないのである。ルネの事件による、心の傷を抱えたままの人間は少なくない。キャサリンもその一人だ。また同じ悲劇が繰り返されるのかと絶望する者もいれば、魔王なんてものが存在するからだと魔王そのものに怒りを向ける者も多いはずである。

『こんなこと、絶対許されていいことじゃないわ……!ケイニー、ミシェル!あたし達で、トリアスを倒すのよ。あいつの野望を、あたし達で食い止めるの!!』

 思えば。
 最初から、キャサリンの言動には違和感があったように、思う。アネモニ村の大虐殺が起きた時点では、まだトリアスの目的が何であるかは誰にもわからなかったはずだ。トリアスが魔王として“世界を支配しようとしている”らしきことが発覚したのだって、彼の宣戦布告映像が国営放送で流れてからのことのはずだ。
 だが、キャサリンは何故か、一番最初からトリアスが世界征服を目論んでいることを知っているかのような物言いをしていた。彼の目的が、アネモニ村の壊滅で既に果たされている可能性も充分あったにも関わらず。

――キャサリンが、魔王という存在を憎んでいることは知っていた。彼女は本当に、叔母さんのことが大好きだったから。

 叔母を惨たらしく殺したルネを憎んでいた彼女が、同じジョブを持つ存在である新たな魔王に憎しみを向けるのも自然なことではあっただろう。キャサリンの叔母を殺したのはトリアスではないし、トリアスからすれば完全にとばっちりのようなものであったとしても、だ。
 だから、彼女がトリアス討伐に燃えた時――ケイニーは、恐らくミシェルも、その行動が私怨だとは思わなかったのである。正確には、私怨が含まれていても、正統なものであるはずだと信じていたというべきか。実際に新たな魔王の犠牲者が出たのなら、それを無視していいはずがない。自分達で、次の惨劇を防ごう、というのは正義感に満ちた、素晴らしい行動であるはずだと本心からそう思っていたのである。
 そう、自分達は――少くとも、ケイニーは。ただ、罪のない人々がこれ以上死ぬことのないように、魔王の暴走を止めるために――トリアスを捕まえようとしたのである。ところどころに感じる、キャサリンへの違和感を見なかったことにしながら。

――でも、今なら分かる。……自分の過ちを認めるのは怖い。自分が正義だと信じてきたことが、本当は誰かにとっては悪でしかなかったと知るのは誰だって恐ろしいことだ。でも。

 もし、あの時の自分にもっと勇気があったのなら。
 少くとも――たった二人のことは、救うことができたのではないか。
 捕まえられたトリアスが、その傷口のさらに塩を塗りこむような無残な目に遭わされることも、名誉を傷つけられ罵声ばかり浴びせられるようなこともなく。
 何より、ここまでキャサリンに、間違った道を歩ませることはなかったのではないだろうか。

――キャシー。……俺は、俺達は、仲間だったのに。お前のこと、何もわかっちゃいなかったんだな。

 本当の仲間なら。殴ってでも、止めてやらなければならなかったはずだ。
 その仲間を信じることと盲信することは違う。自分は結局、彼女の言葉を鵜呑みにして、彼女の過ちに加担してしまった加害者の一人にすぎない。
 そう、今、こんなことをしたところで。その罪が消えるなどとは思っていない。でも。

『……最後に、弁護側からも証人を召喚させてください』

 映像の中で、フレイアの声が響く。ケイニーは立ち上がり、サークルの上に乗った。すぐに魔法陣が輝きだし、真っ白な光がケイニーを法廷へと転送していく。
 目を背けてきたからこそ、この愚かしい現状があるならば。自分がするべきことはきっと、一つだろう。
 真っ直ぐに目を見開いて、現実を見る。そして、あらゆる逃げ道を、自分自身の手で塞ぐのだ。

「け、ケイニー・コックスコウム、だと……」

 法廷に現れたケイニーを見て、ボルガ検事が呆然と声を漏らす。今、民衆が、“魔王を倒した勇者”であるはずの自分を見ている。何故弁護側の証人として現れるのかと無言で問いかけている。
 その視線を浴びて、震えそうになる足を叱咤して。ケイニーは、真っ直ぐに裁判長の方を見つめた。

「証人一号、お名前をどうぞ」

 フレイアの声に、ケイニーは宣言する。

「ケイニー・コックスコウムです。……俺は、この法廷で。真実を包み隠さず話すことを、誓います」

 証人は必ず一人ずつしか召喚されない仕組みになっている。ケイニーと入れ替わって個室に戻ったキャサリンは、きっと法廷の様子を見て騒いでいることだろう。何であんたが弁護側の証人なの、勇者なのにみんなを裏切る気なの!?とそれくらいの罵声は浴びそうだ。
 きっと、この様子を見ている傍聴人や、検察の中にも同じことを言いたい者は少なくないだろう。わかっている。こんなことで償えるとは思えないが――そんな彼らの憎悪の石は、自分が甘んじて受けるべきものだということくらいは。
 裏切ったというのなら。自分はきっと最初から、多くの人々を裏切り、欺いてしまっていたに違いないのだから。

「ケイニーさん。貴方は隣室で、お仲間であるキャサリンさんの証言をお聞きになっていたことと思います。まずはその補足と、事実確認をお願いします。もし、証言と異なる事実がおありでしたら、それもご報告いただければ幸いです」
「はい」

 怯えるな、前だけを向いていろ。己にそう言い聞かせ、ケイニーは口を開いた。

「俺達が、被告人の起こしたとされているアネモニ村の大虐殺事件について知った流れは、キャサリンの証言と変わりません。ホテルにあった新聞を彼女が見つけたことで、俺達は事件の発生を知りました。彼女の強い意向で、魔王を倒さなければならないという使命感を持ったのは事実ですが……被告人を追いかけて捕まえようと思ったのはけして彼女に強制されたからではなく、俺自身もそうするべきだと思ったからです。ただ、今から思うと彼女は、最初に新聞を見た時の時点で、被告が世界征服を目論んでいることを知っているかのような口ぶりだったので、少し違和感は感じていました。その時点で発生していたのは、アネモニ村の事件のみであったのも関わらずです」
「なるほど。……それで、貴方がたはキャサリンさん、ミシェルさんと共に被告人を追いかけるわけですが。被告人の潜伏先を知った流れは、どうだったのでしょうか」
「宣戦布告映像は俺も見ました。でも、俺にはあの映像がどこで撮影されたのかなんてわかりませんでしたし、そもそもあの映像が合成であることにも全く気づいていませんでした。今から思うと、宣戦布告映像が流れた時、彼女は丁度外出していていなかったように思います。でも、戻ってきた彼女は宣戦布告映像が出たことを知っていて、それで“潜伏先にアタリがついた”と俺とミシェルを連れ出しました。実際彼女の想定は当たっていて、ジェンシャンタウン北の森、盗賊の隠れ里で俺達は被告人を見つけたのですが……」

 少しだけ、迷う。それはキャサリンの証言が、事実と異なっていることを知っていたがゆえだ。キャサリンは明らかに、自分達が被害者に見えるように事実を盛っていた。それを、どこまで細かく指摘してしまうべきか。

――いや。俺は……真実をきちんと話すって、そう決めていたじゃないか。

 本当の仲間なら、その間違いに見て見ぬふりするのは優しさなどではない。
 過ちを犯したなら、嫌われても殴られても――正々堂々ぶつかって、その過ちから引きずり戻してやるべきだ。それが、本当の仲間というものではないか。

「……キャサリンの話は、事実とは大きく異なっています。被告人は……被告人は我々に見つかっても、戦意を殆ど見せませんでした。自分はアイリス地方を襲っていないし、アネモニ村の人々を殺してもいないとそう弁解してきたのです。そんな被告人を先んじて攻撃したのは……キャサリンの方でした」



『言い訳ばっかりして見苦しいのよ!あんたが全部やったのはわかってるんだから!!あんたみたいな魔王が存在するせいで……どれだけたくさんの人が傷ついて、苦しんできたと思ってるのよ。絶対、絶対許さないわっ!!』



 弱い攻撃魔法を飛ばしただけだ。それでも、トリアスを戦慄させるには充分だったのだろう。彼は反撃することなく、里から逃げ出したのである。

「キャサリンが攻撃しても、彼はすぐに反撃してきませんでした。それどころか、里から出て森の中へと逃げ出したのです」
「それは、どうしてだったと思いますか?」
「彼が反撃に転じてきたのは、里から大きく離れた場所に至ってからでした。……彼は戦闘に、里の者達を巻き込まないようにしたのだと思います。もしも被告が、本当に報道通り血も涙もない魔王であるのなら。罪のない庶民が戦闘に巻き込まれないような配慮をするでしょうか。話し合いで、物事を解決しようと試みるでしょうか。……俺は、そうは思いません」

 そして、自分達は森の中で、トリアスと戦った。
 はっきり言ってしまえば。もし彼が本気で自分達三人を殺すつもりであったのなら――自分達は今頃生きていなかっただろうと思うのである。剣士ジョブであるケイニーは魔力を感じることは極端に苦手だが、それでも放つ魔法の鋭さや身体能力の高さを見切る目は持っているつもりだ。
 魔法も、武術も、身体能力も、彼は何もかも自分達を上回っていた。にも関わらず、最終的にケイニー達に敗北した理由は――一つしか、ない。

「彼は反撃してきましたが、強い魔法は殆ど使ってきませんでしたし、こちらはさほど大きな怪我もしませんでした。もし彼が殺す気で戦っていたのなら、今頃俺達三人はこの世にいなかったことでしょう。俺は、彼が俺達を殺してしまわないように、手加減しているようにしか見えませんでした。……自分を、まさに殺そうとしている相手であるにも関わらず」

 戦って、気づいてしまったのだ。
 彼はけして悪人ではないのだと。
 気づいたのに自分は――その事実を今日まで、警察にも、誰にも言うことができずにいたのである。魔王を倒した勇者、お前のおかげで世界が救われたのだと、自分を賞賛する人々の前ではそんな言葉など到底口にできなかったのだ。

「彼は……彼はけして、人を殺せるような人間では、ありません」

 非難の眼。失望の眼。それらを感じながらも、ケイニーは言い切った。

「魔王、トリアス=マリーゴールドは……無実です」

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