魔王陛下の無罪証明

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<第十四話>

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 馬鹿なことをしている、という自覚はケイニーにもあった。それでも、フレイアの事務所に足を運ぶことにしたのは――どうしても、納得が出来ないことが多々あったからである。
 勿論今回の訪問は、キャサリンとミシェルには内緒である。魔王は滅ぶべき、死罪以外には有り得ない――そう思っているキャサリンが知ったら間違いなく激昂するだろうし、ミシェルだって良い顔をしないことは明白だからだ。
 自分達は、魔王トリアスを退治した勇者。世間的にはそういうことになっている。三人で学んだ学校の教師たちもそれぞれの両親も、みんな自分達の功績を讃えて喜んでくれたものだ。お前は私の誇りだよ、と笑いながら涙を流した母の顔は、今でも忘れられそうにない。彼女の想いを、みんなの想いを――無駄にしたいなんて、ケイニーもけして思ってはいないのだ。
 ただ、どうしてもこの事件に違和感を感じるのである。同時に――恐れてもいるのだ。もしもこれが、冤罪であったならどうしよう、と。

「だって、俺はトリアスが人を殺したところを見たわけじゃないんだ。大量殺人犯だって言われても正直ピンと来ないんだよ」
「ピンと来ない?」
「ああ。……殆ど勘みたいなものなんだけど、さ。人をたくさん殺したにしては、あいつはあんまりにも”普通”なんだ」

 あの、一目見たら忘れられそうにない美貌の青年を“普通”と表現するのはいささか違和感があるのかもしれないが。ケイニーには、正直それ以外にどう説明したらいいのかわからないのである。
 見た目は確かに美しいが。その所作や、中身に近い部分が。極めて人間的に見えた、とでも言えばいいだろうか。殺人鬼がその欲求を強引に抑え込んでいるようにも、冷徹な仮面を深く被って本心を押さえ付けて演技をしている印象でもなかったというか。
 そう、彼は――驚いていたのだ。自分達が、彼が潜伏していた盗賊の集落に奇襲を仕掛けた時は。

「勘か。……勘ねぇ」

 フレイア=ブロッサム。名前だけは知っている。賠償金が取れない刑事事件ばかりを引き受ける変わり者の弁護士。そして、推定有罪が当たり前のこの世界で、数少ない無罪判決を勝ち取ってきた凄腕の人物でもある。
 だらしない座り方やぶっきらぼうなしゃべり方は、正直聞いていたイメージとあまりにもかけ離れたものであったが。

「そんで、お前はどうしたいんだい?ケイニー君よ」
「どうって?」
「何を相談したいのさ。俺がトリアスの弁護士なのはわかってるだろ?つか、その上で尋ねたのはなんでたよ。今更トリアスを捕まえたことを後悔してるとか言うんじゃねぇだろうな。罪悪感を感じるから、あいつが死刑にならないように頑張ってくれとでも言いに来たか?」
「そんなつもりじゃ……!」

 いや、とケイニーは口ごもる。そこまでのことを考えていたつもりはないが――それでも、何もかも否定する権利は自分にはないはずだ、と。トリアスの犯行を心底疑っていたなら、何故潜伏している集落を巻き込む形で奇襲を行う必要があった?トリアスの圧倒的な力に押されつつも、三人がかりで彼を拘束し警察に引き渡したのは一体誰だと思っているのやら。
 後悔するにはあまりにも遅く、矛盾している。わかっている――ケイニーだって、そこはちゃんと理解しているのた。なのに。
 それでも此処に来たのは――単純に、自分が楽な気持ちになりたかったからではないのか?死刑にしていい相手なのかと、今更迷ったのは事実なのだから。

「不愉快だ」

 そしてケイニーが次の言葉を発するより前に。ぴしゃり、とフレイアは言い放った。隣ではパラリーガルらしき小柄な少年が戸惑ったように自分達を見守っている。

「犯人でないかもしれないと思ったのなら、行動が遅すぎる。お前達がトリアスに襲われてやむなく応戦し、トリアスを拘束して警察に引き渡したってのならわかるさ。でもお前達は違うだろう。最初からトリアスが世界征服を企み、大量虐殺を行ったと確信を持ったからこそ盗賊の集落を襲ったんじゃないのか?確信がなかったなら何故そこまでのことをした。お前達がやらなくちゃいけない理由もなかったはずだし……その時点でどうして冤罪の可能性をわずかでも考えない?この世界が実質逮捕されれば推定有罪だというのはお前だってわかってるだろう。誤認逮捕であっても、真実は検察がちゃんと見つけてくれるはず……とでも信じてたのか」

 まったくもって、正論。正論以外の何物でもなかった。だって自分達は知っていたのだから。容疑者として逮捕された人が、無罪になるケースが本当に少ないということを。そして、無罪になったところでそれが報道されることは極端に減るということも。
 トリアスを警察に“一連の事件の犯人として”自分達が突き出せばどうなるか。それは彼を直接殺害することと、一体何が違うというのだろうか。

「……返す言葉も、ねぇよ。あんたの言う通りさ。後悔するくらいなら、もっと早く行動に移すべきだった。もし、あんたの力でトリアスが無罪になったとしても。一度捕まったという経歴は一生あいつについて回るんだろう。無罪になっても、いつものパターンなら大して報道されない。冤罪でもあいつは生涯犯罪者扱いされて生きていく羽目になるかもしれないんだろ……わかってる。ここまでわかってるのに、今から俺にできることなんていくらもないってことくらい。それでも……っ」

 目の前の青年の碧い眼を見つめる。怒りを静かに燃やす瞳の奥に、確かに映る己を見たのだ。
 そう、今更だとしても。
 それでも何もしないでやるよりは――未来を掴める可能性も、きっとあるのである。

「弁護士さんは、その立場でいろいろ調べてるんだろう!?頼む俺に……俺に真実を教えてくれ……っ!」

 そして真実と共に。
 己が勇者として、此処にいることに意味を与えてほしい。

「……甘えないでください」

 そこに、割って入ったのは。立ったまま成り行きを見守っていたであろう、もう一人の人物だ。眼鏡をかけていて非常に童顔、パラリーガルならばもう成人していてもおかしくないはずが、その見目だけみればまるで子供のようである。
 だが。その瞳に宿る焔は、フレイアのそれと遜色のないもので。

「僕達は、トリアスさんの弁護側です。当たり前のことですけど、トリアスさんが無罪を勝ち取れるように動いているんです。場合によってはトリアスさんに不都合な事実が出てきても、見て見ぬふりするかもしれないのが僕達の立場なんです。けして中立なんかじゃない。……それなのに、どうして僕達から情報を聞き出したがるんですか。真実?僕らがそれを“真実として”語れば、貴方はそれを信じるんですか?」
「そりゃそうさ、だって……!」
「それは信じるんじゃなくて、曇った眼のまま盲進しているのと同じです。魔王は須く悪であり、問答無用で断罪するべき、死刑台に送るべき……そう主張する者達と一体何が違うんでしょうね?」
「……っ!!」

 その声に滲んでいたのは、強い嫌悪と軽蔑の色。彼が何を言いたいかなど明白だった。――何をやっているのか自分は。ケイニーは唇を噛み締める。

「…………わかって、いる」

 片寄った立場からだけ物を聞いて、それを妄信するなど愚の骨頂である。例えそれがどれほど、ケイニーにとって都合のいい、あるいは求め続けてきた真実であったとしても、だ。

「人は結局、自分に都合のいい真実しか信じないもんだ。魔王は悪、そんなイメージが爆発的に広まったのも、有罪率が高いのもつまりそういうことなんだろう。俺も人間だ。教えられた真実が都合のいいものであればあるほど、思い込んじまって他の真実が見えなくなることはある。実際俺は、自分であいつを捕まえるまで……トリアスが殺人犯だってことを、まったく疑わなかったんだからな。冤罪なら、あいつを苦しめたって意味じゃ俺の罪は途方もなく重いんだろう」
「わかっているじゃないですか、なら」
「真実は自分で見つけなくちゃいけないモンだ。わかってる。だからあんた達に頼るなんて、情けないにもほどがあるってことは。でも!……俺、馬鹿だから……どうやればいいのか、全然わかんねーんだよ!!」
「……わかりませんね。貴方の言い分は単なる勘なんてものじゃない。殆ど、トリアスが冤罪であることを確信しているように聞こえるのですが?」

 それは、彼らにとって当然の疑問だろう。ぎゅっと拳を握りしめ、ケイニーは口を開く。それは――警察には話したものの、けして信じてくれることも取り上げてくれることもなく流されてしまった事実。ケイニーの視点から見た、トリアス=マリーゴールドの確かな真実の一部だ。

「トリアス、は……っ」

 それは。自分がキャサリンに印象づけられた“悪の魔王”のイメージを覆すのに十分で。

「逃げたんだ。俺たちを三人まとめて圧倒できる実力がありなから……雑木林の方まで。盗賊の集落から少しでも離れようとした……集落の人々に、少しでも迷惑をかけないために」

 勘だが、勘だけではない。
 あんなことをする男が、人々に理不尽な痛みを与えて破壊行為を繰り返すだろうか?
 答えは、否。それがケイニーの、悩み抜いた末の結論だった。

「あんた達の主観でいい、教えてくれ。……トリアスは本当に、無罪なのか?俺にできることは、本当にもう何もないのか?」
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