ワケアリ彼氏とイケナイ秘密

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<8・愚者の襲来>

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 月曜日から、残業なんぞするものではない。分かっていても、なかなか思い通りに仕事が運ばない時はある。いくらノー残業デーと決めても、定時通りに仕事が終わらなければどうしようもないのだ。
 世間のそこがちょっとおかしいところと言えばそう。残業を減らしましょうと言いながら、結局仕事量が減らないならば残業orサービス残業しか選択肢がなくなってしまうのである。残業するなというなら仕事を減らしてくれ、というのが多くの社員の本心だろう。それなのに、ルールを改定することも人を増やすこともしない企業のなんと多いことか。

――まー、私の場合は要領悪いだけかもしれんけどさあ。

 ため息を吐きながら、千愛はタイムカードを切った。月曜日はどうしても仕事が増えがちだ。土日の分に溜まった請求書も、まとめて月曜日に打たないといけないからである。自分達のメイン業務は、営業のデータを打ちこむことと同時に、取引先への請求書などを作成して送信することにもある。ペーパーレスのこの時代に、未だにファックスで全部送信するのは正直どうなのだと思うが、昔ながらのやり方はなかなか変えられないのだろう。おかげさまで、請求書を全部作成したら、今度はそれを取引先ごとにまとめて、ファックスで流しまくるという作業が発生することになる。データだけでやらせてくれ、と何度思ったかしれない。
 なんせ、請求書が送れる締切が正午のところが多いのだ。その時刻までに、その日送りたい請求書を全部ファックスしなければいけない。コピーよりマシとはいえ、場合によってはファックスだってエラーが起きることがある。何より送信ミスは非常にまずい。会社Aに送るべきファックスを会社Bに誤送信なんてことになったら、一瞬で情報漏えいだ。ゆえに、本来ファックスは二人の人間が立ち合いの元送るようにというルールが設けられている――完全に形骸化しているルールだけれど。

――いやだって、あの量のファックス全部送るのにどんだけかかると……はーあ。

 どうしても、送信だけでえらく時間がかかる。そんな作業に、確認のためとはいえ二人も使えない。その間溜まる別の仕事は誰がやるんだと言う話である。営業事務の他のメンバーはその間にも次々発生するデータの打ちこみと請求書作成をしなくちゃいけないし、問い合わせ対応だってしなくちゃならないのだ。
 で、まあその日の午前中に、正午締切の請求書を打ってたらまず間に合わないので、請求書の作成はその前日までに終わらせて、取引先ごとに番号順にまとめておく作業が必要になるわけである。その量が、今日は非常に多くて残業になってしまったというわけだった。月曜あるあるである。一時間の残業で済んだだけマシと思っておくことにしよう。――年末の繁忙期と比べたら、こんなものはまだまだ忙しいうちにも入らないのだから。

――夏休み、八月に取るか九月に取るか。どっちのがいいかなあ。

「お疲れー、先に上がるわね」
「お疲れ様ですー」

 同じく残っていた華乃がオフィスから出て行くのに手を振りつつ、ぼんやりと千愛は考えていた。夏季休暇の申請は、遅くとも一週間前にはしておかなければいけない。そして、他の人と被っているのがわかると(特に営業事務の他のメンバーと可能な限り被らないように取るのが暗黙の了解だ)その時期には取りづらくなってしまうので、実質早い者勝ちになっているところはあった。できれば華乃や他のメンバーとそれとなく予定を相談しておきたいところ。恋多き乙女(?)である華乃なんぞは、今年も予定でいっぱいだろうから。
 どこか旅行にでも行きたいなら、八月よりまだ九月の方が空いているに違いない。八月は、夏休み期間の家族連れと日程が被るのでどこも混雑しがちだからだ。まあ、九月も九月で一部大学生は夏季休暇真っ最中で、あっちこっち遊びに行きまくっているのだろうが。

――旅行とまではいかなくても、どっかで日帰りで遊ぶくらいはしたいよね。橘君、何が好きかな。大学時代の印象だと、割と映画も遊園地も好き、スポーツ行くところも好きみたいなアクティブな印象あったけど……。

 つらつらと頭を回しつつ、机の上を片づけて荷物をまとめる。まだ営業部長のあたりは残っていたので、お疲れ様です、と頭を下げてオフィスを出た。既に廊下に人影はまばらである。
 今日は疲れてるし、どこかに寄らないでまっすぐ家に帰るかな。そんなことを思って階段の方へ歩き始めた、その時だった。

「梅澤、千愛さんですよね?」
「?」

 後ろから、唐突に声をかけられた。

「……えっと」

 振り返り、その人物をまじまじと見て千愛は首を傾げることになる。まったく見覚えらしい見覚えがなかったからだ。

「……どちら様?」

 ネイビーのスーツを纏った、背の高い若い男性が。何やら胡散臭い笑みを浮かべて、そこに立っていたからである。



 ***



 なんだかホストみたい。失礼ながらも、千愛の第一印象はそんなかんじだった。同じようにスーツを着ていても、同年代でも、成都とはこんなに雰囲気が違うのかと思ったのが正直なところだ。勿論彼が灰色系のスーツを好むからというのもあるのかもしれないが、多分それとはまた別の理由だろう。
 恐らく、成都よりも背が高い。180前後であろう彼より、さらに10cmほどは長身なのではないかという印象だ。女性としては背が高い方に分類される千愛が見上げるほどなのだから間違いない。髪は黒、ぱりっとした品のいいワックスで撫でつけており、肌ツヤも悪くなくしっかりと手入れしているのがわかる。男性の年齢を図るのはあまり得意ではないが、恐らく三十歳には満たないだろう。成都と同年代か、少し年上といったところか。充分イケメンの部類に入る顔立ちのはずなのだが――なんだか、ずっと笑みを浮かべているのが妙に胡散臭く見えてしまうのは何故なのか。

「突然すみませんね、帰るところだったでしょうに」

 人気の少ない階段脇まで来たところで、彼は貼りつけた笑顔のまま話し始めた。

「俺、総務部の蓮見惣介はすみそうすけって言います」
「蓮見、さん」
「はい。あれ、梅澤さんは俺のことご存知なかったんですかね。結構有名人だと思ってたんだけど」
「……すみません、人の顔と名前覚えるの、あんま得意じゃないので」

 総務部、という時点でなんだか嫌な予感しかしない。しかも丁寧語で喋っているのに妙に態度がデカい。確かにイケメンには違いないだろうが、世の女性がみんなイケメンだというだけで相手を覚えると思ったら大間違いなのである。そもそも、自分は部署も違うし階も違う。顔なんぞ合わせていなくても、相手を記憶していなくても当然と言えば当然ではないか。

――むしろ。何でこいつ、私のこと知ってたんだ?

 疑問があると言えばそっちである。こいつの自信なんぞ知ったことではないが、少なくとも千愛の方に誰かに意識されるような覚えはまったくないのである。自分で言っていて悲しくなるが、己より若くて美人な社員など同じ営業事務にだっていくらでもいるのだから。

「まあいいや。遠回しに言うの好きじゃないんで、単刀直入に言いますね」

 何やら妙な気持ち悪さを感じ始めた、その時だった。

「手を引いてくれませんかね、成都から」
「……は?」
「いやだから、成都から手を引けつってんですよ。あいつ、俺のなんで」

 フリーズした。
 あまりにも予想の斜め上すぎて、ぽかーん、と口を開けて固まってしまう。総務部の人間というからには、成都絡みで何かを言われるだろうとは薄々想像していたものの。だからといって、まさかその恋人を名乗る人間が男だなんて思わないではないか。
 それも、直接乗り込んできて、自分に文句を言ってくるとは。

「え、えっと……?」

 頭が追い付かない。すると、彼はややイラついたように深くため息を吐いて、だーかーらー、と続けた。

「俺が、成都の……橘成都のカレシだっつってんですよ。何、あんたあいつにマジで何も聴いてねぇの?なんだ、信頼されてねえんじゃん」

 さっきまでの作ったものとは違う、底意地の悪い声でけらけらと嗤って蓮見惣介という男は告げる。

「あんたほんと何も知らないんだな。あいつ、ゲイなんだよ。そういう男なの。あんた、趣味でもねえのに遊ばれてるだけ、わかる?」

 少しずつ、頭が冷えてきた。言われてみれば確かに、成都は一度も以前の恋人が“女性である”とは言っていなかったような気がする。自分が勝手に脳内で元カノと決めつけて、女王様ないけ好かない女を想像していたというだけだ。別に、男性である可能性だって充分あり得たはず。思い込みというのはなんとも恐ろしいことではないか。
 そしてもう一つ謎が解けた。もしや、華乃が自分を止めた最大の理由がここだったのではないか、と。彼女は知っていて、それでも成都がその情報を公にしていないからこそ真実をおいそれと口に出来ずに沈黙していたのではないか、と。

「……えっと」

 ちょっといきなり、情報量が多すぎる。やや眩暈を覚えながらも千愛は言った。悲しいとか困ったとかそういうもの以前に、まず処理が追いついていない。

「その言い方だと、私と彼がお付き合いをしているかのようですが?それに……確かに私はあなたのことは何も知りませんでしたけど、前の恋人さんとは別れたと聴いてますけど?」
「俺はずっとあいつを見てきたからわかんの。あいつが新しい恋愛に手を出そうとしてる気配っていうのをなんとなく察するというか?で、今日の仕事中に別件で営業部に来たら、なんかあんたと成都が話してんじゃん?」
「しましたけど、仕事の話ですよ」
「うん、内容はそれっぽかった。でもなあ、成都の目がなんか違うし、あんたの目も露骨だしさあ。これ、あんたらそういう関係になりかかってないかなーってわかっちゃったっていうか?」

 もう、形ばかりの敬語を使う気もないらしい。軽薄さを隠しもせず、男は続ける。

「だから、そういう関係にまだなってないなら近寄らないでほしいし、付き合い始めたところってんならさっさと別れて欲しいんだわ。あいつは何か勘違いしてるみたいだけど、俺は別れること了承した覚えはないし、あいつは俺のモンだからさ」

 次の瞬間、壁に思いきり追いやられていた。ドスッ、と鈍い音が顔の横で鳴る。見れば、惣介の右手が自分の顔の横に。
 ああ、いわゆる壁ドンってやつじゃんこれ、と千愛はどこか他人事のように思った。残念ながら、付き合えよ、と迫られているというわけでもなんでもなく、甘さの欠片のまったくないシチュエーションなわけだったが。

「お前みたいな、どこの馬の骨みたいな女に渡すか。何度でも言う、あれは、俺様のもんなんだ」

 にいい、と。顔だけは整った男は、凶悪に笑って千愛を見下ろしたのだった。

「手を引け、痛い目見たくねえならな」
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