虚構の国のアリス達

はじめアキラ

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<最終話・虚構の国のアリス達>

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『答えなんてなくても。
 未来なんか見えなくても。

 これだけは絶対の真実だって、その時俺は確信してたんだ』





 ***



「えっと……夏騎ー。質問なんだけどさ」

 今日も元気に鳴き出す蝉時雨の中。汗を拭いながら、有純は手に持った柄杓を振った。

「お墓に水をかけるのってマナーとしていいんだっけ?悪いんだっけ?」

 油断するとすぐ、ポタポタと汗が垂れてしまう。港には申し訳ないが、長居をするのはやめた方が良さそうだ。日頃の喧嘩とジム通いとバレーボールのクラブ活動で鍛えてる有純でも、長時間炎天下の下に居座るのは厳しいものがある。ましてや、有純より体力のない夏騎は尚更だろう。
 天気予報では、真っ赤なお日様がズラズラと習慣予報で列を成していた。長い梅雨があけたと思ったら、それを取り戻すがごとくの猛暑続きである。頼むからもう少し中間地点に着地してくれないだろうか、とは有純でなくても思うことだろう。
 三十八度の炎天下。夏休みを利用してやって来た群馬県の盆地は、尋常でない暑さで肌を焼いている。

「水をかけるのは問題ないというか、綺麗にするためにもかけた方がいい」

 そんな有純と比べて、遥かに白い肌の夏騎は帽子をしっかり被り直して言う。白くて唾の広い帽子だ。暑さがしのげそうだから、という理由で買ったらしいが――どう見ても女物であるのは気のせいではないだろう。
 見た目が好みで機能性が高いなら、男物だの女物だの気にしない夏騎である。彼らしいと言えば彼らしい。しかも、妙に似合っているからちょっと笑えてしまう。

「一時期間違ったマナーが流行してしまった時もあるんだけどな。ようは、墓石は人間だと思って扱うのがいいんだそうだ」
「どゆこと?」
「人間でも体を洗うためにシャワーは浴びる。でも酒や飲み物は浴びない。つまりそういうことだ」
「あーなるほど。じゃあ柄杓で流してあげるのはいいんだな、オッケ」

 うちの両親はたまに酔っぱらって庭でビール浴びしてるけどあれはやっぱりダメだったんだな、と再確認する有純である。
 お酒は飲んでも呑まれるな。反面教師も時には大事なのは間違いない。

「暑いし、港も水浴びできて気持ちいいだろ、きっと。ちょっと大目に流してやるかー」

 お供えの花などをに気を付けつつ、丁寧に水をかけていくことにする。夏休みを利用してやってきた墓参り。小野家の墓、と書いてあるということは港以外のご先祖も入っているということなのだろう。
 港も馬鹿なことをしたよな、と思う。
 よりにもよって電車になど飛び込まなくたって。どれほど葬儀が大変だったかと思うと、親族が実に気の毒でならない。

「……なあ、夏騎」
「ん」
「ずっと、考えてたんだけどさ」

 蝉の鳴く声と、流れる水音ばかりが木霊する墓地。少なくとも目に見える場所に、他の墓参り客はいない。

「俺が出した“答え”は、正しかったのかな」

 呟きが、蝉時雨に溶ける。
 有純は思い出していた。――約一ヶ月前の、あの逢魔時の“対決”を。



 ***



 あの時。有純と夏騎が辿り着いた屋上は、“真っ黒”だった。“真っ暗”ではない。藍色に染まりかけた夕焼けは確かに頭上に広がっているのに、屋上の光景だけが一変しているのだ。
 二人の周囲を取り囲むのは、真っ黒な顔の人間たちだった。否、人間の服を着ているだけの、真っ黒な“闇”が蠢いていたのだ。
 殆どが小学生くらいの子供のサイズである。時々スーツのような服を着た大人の姿もある。
 有純は直感していた。これは四年三組の。否、この学校に渦巻いていた教師と生徒の“闇”そのものであると。

「さあ、漸くここまで来たね!」

 唯一影たちの手が及ばない給水塔の上に座り、港がにこにこと有純と夏騎を見下ろす。

「ここまで来れば、“宝物”はもうすぐ!あとは、君達がそれを開く鍵を手に入れるだけ!」
「やっとわかった、港」

 影たちに怯みつつも、夏騎が告げる。

「宝物とは、この世界からの出口。だから本当に意味のあるものは……そこに辿り着くまでの道筋と、宝箱を開く鍵にあったんだ、そうだろう?……お前は俺達にいじめの現実と真実を知らせたかった。全ては最後の鍵を……“どうすればいじめを解決できたのか”の答えを、俺達に見つけさせるために!」

 そう。有純ももう、気付いている。港が何を求め、何を後悔したのか。
 だって彼は。

「まあ、そういうことだね」

 少しだけ寂しそうに笑う、小倉港は。

「僕の計画は失敗してしまった。相談された僕には……僕だけにはきっと、問題を解決する力も義務もあったはずだったのにね。できる限りいじめの証拠を撮影して記録して、その上で派手な自殺をしてそれらの記録が一斉にインターネットに流出すれば。いくら市川美亜の親に権力があっても、学校が隠蔽体質でも、もう誤魔化しはきかなくなるはず。少なくとも市川美亜に過剰な報復を子供たちにさせることもなく、彼女自ら学校から出ていくように仕向けることはできるようになるはず。……そう、信じていたんだけどね」
「でも実際は、証拠記録は直前に大人に見つかって差し止められてしまった。そして、お前を自殺に追い込んでも市川美亜は止まらず、いじめはターゲットを変えて続けられた……」
「そう。僕は……自分に与えられた役目を全うできなかったんだ」

 どれほど思考がぶっとんでいても、達観していても、大人びていても。
 ただ真剣に友人たちの未来を憂いて、誰かの願いを命を捨ててまで叶えようとした、それだけの魔法使いだったのだから。
 それなのに上手くいかなくて――答えが見つからないことに、囚われてしまっただけのだから。

――馬鹿だよ、お前は。

 有純は拳を握りしめる。

――俺よりずっと頭いいのに。それ以外に、言葉が見つからねえよ。

 だってそうだろう。彼は有純でさえ気づいたある事実に、未だに気付かずにいるのだから。

「今、屋上で見えている景色こそ現実。虚構ばかりのこの国にある、その皮を一枚剥いだこれこそが真実だ」

 彼は大袈裟に両手を開いて煽る。

「この悪意を、悲しみを、怒りを終わらせなければいじめは解決しない。未来は来ない。……教えてよ、夏騎君に有純さん。僕が見つけられなかった、本当に正しい答えというものを!」

 彼の言葉に反応したように、じり、と影たちが一歩前に踏み出した。途端有純の耳にもはっきりと彼らの言葉が聞こえてくる。
 彼らはみんな。何かに苛立ち、嘆き、苦しんでいた。

『何で何で何で一番悪いのはサヤカじゃん私はそれに乗っただけのにどうして私が狼になるのふざけないでサヤカが悪いサヤカが悪いなんで私なのあいつじゃなくてなんで私』
『きもい……マジきもい。あのデブ誰か殺してくれないかな』
『早く家に帰りたい……仕事増やしてんじゃねーよクソガキどもが、またアヤネに愚痴られるじゃねえか……遅すぎるって』
『仕事したくない、つらい、みんないいこにしててよ、ほんと頼むから』
『こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい』
『どうして選ばれるのが私じゃないのなんであのクソ女なの』
『あたしの字の方がずっと上手なのになんでマイナの方が金賞……?有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない』
『消えてしまえ』
『全部燃やしてしまいたい、なくなってしまえばいいのに』
『どうしてテストなんかで人生が決まるなんてことになんの』
『うちにいじめなんかない、いじめなんかない!ないないないないないないないないないったら!!』

 やがてそれは、うねるように――一気に有純たちに襲いかかった。特に強く響くのは、有純と夏騎自身に向けられた“悪意”だ。

『女の癖に俺とか言ってきもい!ブスのくせに夏騎君に近付くんじゃないわよ!!』

「!」

 一瞬怯む。暗い暗い、悪意に満ちた声は有純の胸を突き刺し、言葉にできぬ痛みを生む。
 覚悟を決めてこの場所に立っているはずの有純を、揺らがしそうになる。
 しかし。

『前からお前のスカした面が気にくわなかったんだよなあ』

 振り返った先、夏騎の腕を“影”の一体が掴んでいるのが見えた。振りほどこうともがく夏騎だが、彼の力では叶わないらしい。他にもいくつもの影が、これ幸いと夏騎を先に片付けようと手を伸ばしていく。 



『ぶっ殺してやりたいと思ってたんだ……お前がずーっと“狼”やってりゃ良かったのに!お前が自殺すりゃ港も死なないで済んだかもしれねーのにな!!』



 その言葉を聞いた、瞬間。
 有純の身体は、思うより先に動いていた。

『ぎゃっ!?』
「!」

 有純の渾身の右ストレートを食らった影の首がぐにゃりと曲がり、そして音を立てて霧散していく。

「有純……」

 戸惑うような夏騎の声。強い力で掴まれた腕をさする彼に、有純は告げる。
 今はっきりと、理解した。
 迷う必要など、何処にもなかったということを。

「夏騎は、俺が護る」

 そうだ。夏騎が有純に足らないことを補ってくれるなら。自分はその夏騎ができないことをするために此処にいる。
 頭を使って彼が道を切り開いてくれるなら――拳を使って戦うことこそ、自分の役目ではないか。

「夏騎にこれ以上触ってみろ。……俺が一匹残らず踏み潰してやる!!」

 そう決意すれば、もう有純の足を止めるものは何も無かった。近付く影たちに蹴りを見舞い、頭突きをかまし、拳で貫く。人間の形をしていても、そいつらは所詮影でしかない。襲ってきたところで、有純の体格と腕力なら充分に振りきれた。
 否。
 迷いばかりで、罪悪感ばかりで、劣等感ばかりで――そんな連中の悪意などが、決意をした者の拳に敵うはずもないのである。

『わあ、すごいすごい!』

 そして、それを見て年相応に笑う港。

『でも、結局暴力で解決するのかな?嫌いな奴、苦手な奴は殴って黙らせるのかい?それが正しい解決方法だとでも?』
「そんなの知るか」
『え?』
「正しいとか、正しくないとか、たったひとつとか絶対とか。……最初からそんなこと考えてる時点でズレてるんだよ、お前は!」

 有純は叫ぶ。これか自分の真実だと告げるように。

「俺は夏騎みたいに弁も立たない、反論できない相手を黙らせる手段は拳くらいしか思い付かない馬鹿野郎なんだろうさ!でも、どんなに言葉で戦っても勝てない奴や届かない奴が相手なら……そいつがどこまでも間違いを続けるってのがわかってんなら!暴力だろうがなんだろうが、殴ってでも止めるのが本当の仲間なんじゃないのかよ!!」

 みるみる数を減らしていく影達。有純には見えていた。彼らの波が少しずつ引いていくことを。その怖じ気づいた“弱者”達の向こうに、あの“市川美亜の影”が高見の見物を決め込んでいることを。

「それに。殴って非難されることがあっても……それで自分の正しさを証明するのが難しくても……!」

 目の前の影の頭に思いきり踵落としを決めながら、有純は。



「港!お前が……お前が死んじまうより、遥かにマシな結果だった、違うかよ!!」



『え……?』



 そこで。初めて――港の表情から、笑みが消えた。



「お前は馬鹿だ。頭はいいのに馬鹿だ。……お前の話をみんなに聞いて回ってわかったんだよ。だって誰もお前の悪口なんか言わなかったんだ。頼りにしてたとか、死んでショックだったとか、聞いたのはそんな話ばっかりだったんだよ。お前そんなに愛されてたのに……なんでそれにも気付かないで、いじめ一つ解決することに拘って、命を捨てちまったんだ」
『……僕が?』
「そうだ、お前……お前が死んでみんながどんだけ悲しんだのか、なんでわかんねーんだ!そんなことするくらいなら、ムカつく奴を……市川美亜をブン殴って解決した方が遥かにマシだったさ。俺でさえ気づくことになんでお前みたいな頭のいい奴が気づかなかったんだ、ふざけんなよ!!」

 一気に距離を、詰める。
 目の前にはすべての元凶、市川美亜の闇が。

「喧嘩して解決するなんて、単純な問題じゃない。お前はそう言ったよな。でも俺は……俺なら、市川美亜を殴る。自分に嘘なんかつかない。それで例え、正しさをみんなに評価されなくても……それでも」

 勝負は一瞬。彼女がその嫌らしい唇を開く前に――有純の拳が、その頭蓋を粉砕していた。

「それでも。俺が俺の正しさを知っていて……一人でもそれを信じてくれる人がいるなら。俺はもう迷ったりするもんか。……護るために」

 それが、有純の出した答え。
 有純の中の、唯一無二の真実だった。



 ***



「お前はやっぱり馬鹿だな、有純」
「んなっ!?」
「正しいとか正しくないとか関係ない!って叫んだのは自分なのに、結局それを俺に訊くのか。矛盾してるぞ」

 それはそうなんだけど、と有純は垂れてきた汗を拭う。
 結局あの後、気付いたら夜の学校の校庭で、先生や親達に見つかってこっぴどく叱られたのである。どうやら港を満足させることができたらしいとはわかったが、有純にはそこまでしか理解が追い付かなかった。
 夕方の屋上の景色が溶ける瞬間、最期に彼は微笑っていたように見えたが――何か呟いたように見えた言葉を、聞き取ることはできなかったのである。

「お前が正しいと思えば、正しい。それでいいだろ」

 そんな有純に、夏騎はあっさりと言ってのける。

「あいつは自殺して、なんとか市川美亜に呪いをかけて学校に来れないようにはしたものの……それが一時しのぎなのもわかってた。下半身付随だろうと腕がなかろうと目が見えなかろうと、皮肉なことにうちの学校には車イスでも使えるエレベーターだけはある。特別待遇も、あの女の親が動けば不可能じゃない。今年中に特例でクラス復帰してくる可能性は十分ある……市川美亜の心は殺せてないからな」
「しぶとすぎんだろ……」
「悲劇が繰り返される可能性はある。……それでもあいつは、お前の答えを聞いて……俺達を帰した。“出口”……“未来を託す”という宝物をよこしたんだ。それが答えだろ。お前なら……魔女が帰ってきてもなんとかしてくれるかもしれないって、あいつがそう判断したっていうな」

 そう、思っていいのだろうか。有純は墓石を見つめ、空を見上げる。
 青い空に問いかけても、答えなど返るはずもない。結局謎は残ったままだ。それが彼が成仏できた証というなら、それで十分なのかもしれないけれど。

「そう思っていいのかなあ。……ていうか夏騎、最期になんか港が言ってたっぽいんだけど。それ、聞こえた?俺にはわかんなかったんだけど」

 有純がそう問いかけると――夏騎は。

「……」

 なぜかわかりやすく固まって、視線を逸らした。おや?と有純は思う。なんだろうその微妙な反応は。港は夏騎に何を言ったというのか。

「……有純」
「んあ?」
「それよりも俺は訊きたいことがある。……“夏騎は俺が護る”というあれは……俺の告白の答えだと思っていいのか?」
「うっ」

 実はあの後のゴタゴタで――結局返事をうやむやにしたままにしてしまっていたのである。
 両思いで嬉しかったのに、返事を返そうとすると恥ずかしくて頭が真っ白になる、を繰り返していたのだ。なんとまあ、女々しくて情けない頭であることか。あのまま放置は失礼とわかっていたというのに。

「どうなんだ?」

 ぐい、と近付く夏騎の顔。相変わらず綺麗が過ぎる。美人過ぎて目に毒だ。心臓が口から飛び出しそうとはまさにこのことか。

「そ、そ、それは、だなっ!」

 そして、有純は。

「こういうことだよ!馬鹿!!」

 勢い余って奪ってしまった唇は――少しだけ、夏のしょっぱい味がした。

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