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<21・一知半解>

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 リリーはどんな気持ちで、全てを打ち明けることを選んだのか。
 彼女がただ自分への好意ゆえに、ケントを鼓舞して同行してくれていたわけではないことはわかっていた。グレイスのことが好きなのだろう、なんてことさ最初から周知の事実である。だから、傷つくということはなかった。正確には、リリーに対して失意を抱くようなことはなかったと言うべきだろうか。
 怒りを感じたのは、別のこと。
 今まで何も見えていなかった、自分自身に対してである。

――怒りがなかったわけじゃない。裏切られたって気持ちを、持たなかったわけじゃない。……あれだけグレイスに助けて貰っていたのに、一体僕は何を見ていたんだろう。

 そんな眉唾な話など信じられない――そう突っぱねてしまえたら良かったというのに。
 悲しいかな、リリーの泣き顔を演技だと切り捨てることが、ケントにはどうしても出来なかったのである。どれほど信じ難い話であっても、真実だと仮定すれば多くのことに辻褄が合ってしまうのも事実。ケントは、真実を受け止めた上で決断することを余儀なくされたのだった。
 つまり。グレイスの本心を知ってなお、自分は前に進むべきか否か。

『ケントが村にとどまってくれるのが、グレイスとしては一番だったんだと思う。でも、さっき話した通り、普通に力不足を理由に説得しただけじゃダメだったらしいの。ケントは本当の“弱さ”を理解できないまま、最終的には一人でもグレイスを追いかけていっちゃって……結果どこかしらで命を落とすから』

 生き延びて貰うためには、追いかけてくる可能性をさらに上げたとしても――ケントに強くなってもらうしかない。それが、グレイスの出した結論であったのである。

『このまま勇者としての道を、ケントが完全に諦めてくれたら。多分、ケントが死ぬ未来だけは回避されると思う。でも、その代わり……確実にグレイスは、死ぬ。ただでさえ魔導書を使ってしまったせいで、命の大部分を使いきってしまうことは確定しているのに』

 わたしには、どうすればいいかわからなかったの。リリーは、苦痛を噛み殺した声で告げたのだ。

『グレイスにも、ケントにも生きてほしい。生き延びてほしい。でも、一体どうやって?悩んで悩んで、答えがどうしても出なくて結局……全部ケントに話してしまった。そして、ケントに自分が選べなかった選択をさせようとしてる。……ごめんね、こんなの卑怯だよね……』

 その“ごめんね”には、様々な意味が込められていることだろう。いくらケントのためで、グレイスの願いであったとしても。結果として、リリーがケントを騙していたという言い方もできてしまうこの状況。リリーに対してケントが好意を持っていると気づいていたならば、どれほどその罪悪感はハンパないものであったことか。
 そんな事はないよ、大丈夫だよ。ケントは反射的にそう言おうとして、やめた。自分が半端な言葉で許すことが、かえって彼女の重荷になるだけだと知っていたからだ。本当はリリーは、糾弾して欲しくてこんな話を打ち明けたというのもあったのかもしれない。罪悪感を少しでも和らげるのに、当事者からの断罪は大きな意味があるからだ。
 残念ながら、それが出来るほど、ケントは彼女やグレイスに対して怒りを感じることなどできなかったわけだけれど。むしろ、自分への嫌悪が募るだけの結果になってしまったわけだけれども。

――何が、正解なのかなんて。きっとグレイスにも分からなかった。時を戻すなんて本来大罪だ。そのまま救われたかもしれない世界を、グレイスの気持ち一つでなかったことにした。例えそれが、大切な“家族”を救うためであったとしても。

 それでも、どうしても耐えられない現実があって。彼は、間違っているかもしれないとわかった上で道を選んだのだろう。独りでも、選ぶことができたのだろう。
 自分はどうか、とケントは思う。正直、未だに迷っている。リリーから話を聞いて、一頻り泣いた翌朝。準備を整え、こうして賢者の泉を目指して歩いている今であっても。本当に、このまま勇者としての道を続けていいのか、どこかにそう疑問があるのは事実だ。
 それでも、鏡を手に入れてグレイスを追いかけようと決めた理由は一つ。結局感情論である。このままグレイスを行かせて死なせたら、自分が一生後悔することが分かっていたからこそ。

『グレイスを、今からでも救う方法はあるのか?』

 獣道の草を踏みしめながら、今朝のリリーとの会話を反芻する。

『魔導書の対価は“先払い”である場合と“後払い”である場合がある。魔力だけで済む場合は先払いになることが大半だけど、それ以外にも要求される時は後払いになることが多い……って教科書にも書いてあった気がするんだ。現状グレイスが生きてるってことは、対価は後払いになったってことだと思う。ただ、正確にはどういう契約を時を戻す魔法のために結んだか、そこまでは魔導書本体がないことにはどうにもわからない。リリーはそのへん、詳しく聴いてるのか』
『えっと……ごめんなさい。わたしも、魔法についてはあまり……。ただ、魔導書によっては、対価を支払う段階で“同等のもの”が差し出せれば、土壇場で対価を入れ替えることもできるとは聴いたことがあるから……グレイスの命と同等のもの、を私達が支払えたら、救うこともできるのかも……』
『同等のもの、か』

 グレイスの命に等しい、別の何か。それは何だろう。当然、他の誰かの命、では全く意味がない。特にそれがケントの命であった場合、グレイスは容赦なくもう一度時の巻き戻しを敢行することだろう。それだけは避けなければならない。意味がなくなってしまうからだ。
 何にせよ、対価で正式に取られる前に、グレイスが魔王によって殺されてしまったら全く意味がない。このままグレイス達三人を魔王の元に向かわせてしまえば、そうなる公算が高いという。なんとしてでも阻止しなければいけない。つまり彼の計算を超える速さで、賢者の鏡を手に入れてグレイスに追いつかなければならないのだ。
 幸い、賢者の森と魔王の城はさほど距離が離れていない。魔王の城に一番近い街に彼らが滞在しているとすれば、今日このまま鏡を手に入れることができれば追いつくことも不可能ではないはずである。勿論、その前にグレイス達が魔王の城に突撃してしまったら意味がないのだが――。

『魔王の城へ向かうには、フラン川を渡らないといけないんだけど。昨日、局所的に大雨が降ったせいで、橋が崩落したらしいんだよね。直すまで、三日はかかるって新聞にも書いてあった』

 リリーは、ケントに全てを話したことを伏せた状態で、グレイスにも連絡を取って確認したという。すると、やはりニュースで報じていたことは正しかったということがわかった。彼らは三日は、どうにか街で足止めを食うことになりそうだという。
 その三日で。自分達は、彼らに追いつかなければならない。賢者の泉に挑戦できるチャンスは多くないだろう。できれば、この一回で成功してしまいたいところである。今の自分達ならば、門番をも倒すことができる――今はそう信じるしかない。

――グレイス。……間違ってるかもしれないけど。お前は怒るかもしれないけど。僕、お前のことを追いかけるって、そう決めたよ。

 リリーと二人だけの、挑戦。
 失敗すればここで、自分は運命に負ける可能性もある。魔王ではなく門番に殺されるなど、まったくもって無駄死にとしか思えないけれども。

――出来ることを、する。……僕も、お前も生き残ることのできる方法を全力で探すんだ。後悔するのは、精一杯やったって、胸を張れるだけ頑張った後でだって遅くはない!

 賢者の森、賢者の泉、賢者の鏡――そのように呼ばれてはいるが、これらは本来通称である。別に、正式な名称というものはあるのだが、そちらの名前の方が慣れ親しまれているということもあり、地図にもそちらで紹介されているのだ。一応“ミナハシの森”という名前も登録されていないわけではないのだが。
 賢者というのは、実はケント達の故郷の村を作った大魔術師・ローレンの師である“ロンティア”のことであったりする。ロンティアもまた、偉大な魔術師として名を知られた存在だった。孤児であったローレンを引き取り、弟子として魔法を教えながら孫のように可愛がっていたのだという。ロンティアは、世界で唯一“全てのジョブが使える天才”だった。魔術師のイメージが強いものの、若い頃は剣に弓にとあらゆる武芸に秀でており、過去に起きた他国との大きな戦争では勇猛果敢に戦った英雄としても知られているという。
 あらゆるジョブを使いこなせる者が、自分以外に現れたなら。どれほど多くの人々の助けになることができるだろうか。
 ロンティアは、魔法を使ってそのような才能を開花させることを夢見、ローレンに夢を託して隠居したとされている。彼が住んでいた場所こそ、この森の奥地であった。彼は老衰で亡くなった後も意識だけの存在となってこの森に留まり、己の魔力を継承するに相応しい猛者の訪れを待っているのだという。
 賢者の鏡は、ロンティアの意識体との戦いに勝利した栄誉ある証というだけではない。非常に貴重なお宝でもあり、大賢者の魔力の結晶として有効な“補助具”にもなることで知られているのである。といっても、生きていた頃の大賢者の全盛期ほどの力はないとはいえ、意識体の能力も相当なものだ。鏡を手に入れられる実力を持った冒険者は、何処に行っても尊敬の眼差しで見られること必至である。残念ながら、鏡を取りに森に行ったものの、門番のところまでたどり着けずに満身創痍で逃げ帰って来る者も後を絶たない現状であるのだが。

「……リリー」

 そう、この森は。

「三体だ、こっちに気づいた。来るよ」
「やっぱり。一筋縄ではいかないよね」

 他の森とは比較にならない、非常に危険なモンスターの塒になっていることでも有名なのだ。

「キシャアアアアア!」

 音とも声ともつかない鳴き声を上げて、ケントとリリーを取り囲むように三体のスライムが降って来た。赤いスライムと、青いスライム。そして、黄色のスライムである。

「よりにもよってスライム種か。無属性の物理攻撃が効きにくい、厄介な奴。こっち、黒魔法使えないコンビなんだけどなあ」

 やれやれ、とケントは肩をすくめつつ、短剣を構えることにする。リリーが即席爆薬や毒薬の準備をしつつ、ケントを振り返って言った。

「レッドスライムは炎が効かず、氷が弱点。ブルースライムは水が効かず、雷が弱点。イエロースライムは雷が効かず、水が弱点。どれも物理攻撃は効果が薄い。どう対処するつもり?ケント」
「そうだね」

 落ち着いている。自分でも、そう思う。少し前のケントなら、グレイスに頼れない状況に慌てていたはずだ。彼の指揮をアテにできない。自分でモンスターの知識を呼び起こし、その上で作戦を立てなければいけない。グレイスと離れて、リリーが促してくれなければ。自分はいつまでも、誰かに寄りかかって強くなった気でいたことだろう。
 今なら、分かる。自分の何が、グレイスを地獄に堕とすほど苦しめてしまったのかが。
 自分の何が変わって、そしてこれからも変えて行くべきなのかということが。

「……時間をかけているわけにもいかないし。ちょっと頭使って戦ってみようか」

 ケントは笑う。笑う余裕があるようになった、自分がいる。

「連携すれば、なんとでもなる。僕達は、一人で戦ってるわけじゃないんだから」
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