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十二月六日
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寒くなってくるこの時期は、寄り道をして帰りたくなる。
多分それは俺が高校生ながら一人暮らしをしている、という事情もあるからだろう。そうなってしまった原因は、一緒に住むはずだった父の転勤が土壇場で立ち消えになり、結局自分だけ上京して高校に通うことになってしまったせいなのだが。
あの冷たい部屋に、一人で帰るのがひどく億劫だった。秋までの暖かい時期ならばさほど気になることでもないというのに。真っ暗な部屋の、電気をつける瞬間が言いようもなく淋しいとでも言えばいいのか。図体のデカイ男子高校生が、何女々しいことを言っているのかと自分でも思うのだけど。
だから基本的に、十一月に入ってからというもの、部活が終わってからは近くのカフェで一時間ほど時間を潰してから帰ることにしていた。そんなことをしたって、帰る家が明るくなるわけでもなければ、寂しさがマシになるわけではない。ただ、少し整理のつかない感情を先延ばしにするだけだと知ってはいたけれど。
暖房が聞いていて、誰かしらの気配を感じる店の中。少しだけ、ほんの少しだけ逃げたいと思ってしまうのだ。
特に今日、十二月六日は特に。
「あ、ごめん神谷。今日は先に帰っててくれ」
うちのバスケ部の練習はとにかくハードだ。コーチに容赦なくしごかれまくり、くたくたになって帰る頃にはとっくの昔の太陽は遠くへと沈みきっている。
そんな中、いつも駅まで一緒に帰るバスケ部の友人達が俺にそう言ってきた。特に同じく一年生のポイントガード、黒須が両手を合わせて拝むように謝ってくる。
「ちょっと今日、みんなと寄るところあってさ。店の場所が反対方向なんだわ。ごめんな」
「あ、そうなの?みんなで?なんだよ秘密の相談でもすんのか。俺ハブ?」
「そういうんじゃねーけど、マジでごめん!今日だけだから!」
バスケ部の空気は、嫌いではない。練習は厳しいどころでなく厳しいが、全国制覇を本気で狙うメンバーと一緒にやるバスケは楽しかったし、仲間思いの彼らと過ごすのは気持ちのいいものだった。バスケ馬鹿とゲームオタクばかりが揃っているということもあって話があうのも有難い。特に黒須とは同じクラスということもあり、ツルむことの非常に多い友人の一人だった。
だからこそ、ちょっとだけ不満に思う。何で今日に限って、だ。自分がこの日を嫌っていることを、少なくとも彼は知っていたはずだというのに。この様子だと、まるで覚えていないらしい。
「……まあ、そういう日もあるわな。わかった。じゃあな」
それでも。先輩達も一緒にどこかに行くというのなら、きっと大事な用事なのだろう。それを強引に呼び止めるほど、俺も大人気ないつもりはないのだ。少しだけ不機嫌が出てしまったかもしれないが、どうにかそう言って彼らに手を振った。――今日はいつもよりも長く、カフェに居座ろうと思いながら。
駅前にあるカフェは、俺にとってはほっと息をつくことのできるお気に入りスポットの一つだった。コーヒーショップではあるものの、サイドメニューが非常に豊富。特にサンドイッチは、運動部所属の男子高校生の腹を満たすに十分ながっつりメニューも揃っている。
落ち着いた茶色を基調にした内装に、一人席が多いというのも有難い。一人でお茶をしたり御飯をしたり、も割と抵抗なく行うことができる。店員も親切で、それでいてうっとおしくアレコレ勧めてくるということもない。一人で、それでも誰かの気配を感じて明るい場所にいたい――そういう人間には、実にうってつけの店と言っていいだろう。
俺はいつものようにカフェオレとビッグサンドを頼むと、観葉植物の隣、窓際の席の一番奥に座ることにする。窓の外の景色を見つめて、大きく一つ息をついた。
――日本人って、マジで単純だよなあ。宗教も文化もあったもんじゃねーつーか。
十一月になった途端、一気に町の飾り付けはハロウィンのオレンジからクリスマスの赤緑へとシフトチェンジした。一晩で一気に交換しなければいけなかったであろう担当者達はさぞかし大変な思いをしたことだろう。
寒さがきつくなり、クリスマスソングが流れ、一気に世間は浮かれモードに突入している。どの店も、店内にはこじんまりとツリーを飾っているし、コンビニに入ればクリスマスのお菓子やらくじ引きやらセールやらのポップが目立つ。十二月とは、そういう時期だ。そしてこれらも、二十五日が過ぎれば一気に正月モードへ切り替えられることだろう。
キリスト教なのやら仏教なのやら。楽しければなんでもいい、という日本人らしい文化ではあると思う。別にそれそのものに、文句をつけるつもりはない。それでも俺は、どうしてもクリスマスが――この時期が、好きにはなれない理由があった。
『航平君、お誕生日おめでとう!あと、メリークリスマス!』
多分、同じような悩みや苛立ちを抱えている人間は、自分一人ではないはずだ。
十二月六日――つまり、今日が俺の誕生日なのだが。十二月生まれは、宿命のように親からうけがちな扱いが一つある。つまり、クリスマスと誕生日を、いっしょくたにして祝われがちということだ。
俺の誕生日は、いつもクリスマスと一緒にお祝いされ、プレゼントがあわせて一個にされてしまうことも珍しくなかった。俺がクリスマスに対して苦い気持ちを抱くのも当然だろう。自分だけ損をしたようで嫌な気持ち、というのもあったがそれだけではない。己の誕生日を、それ単品で祝われないということは――まるで自分を大事にされていないようで、胸が締めつけられるような思いをしたというのが最大の理由だ。
わかっている。両親に、そんなつもりなど微塵もないだろうということは。
それでも俺は、誕生日とクリスマスは全く別のものとして祝って欲しかったのである。それはまったく別のイベントで、対等以上であってほしい存在であったのだから。
――でもって、クリスマスに紛れて……忘れられることも少なくないんだよなあ、俺の誕生日。
高校生にもなってまで、誕生日を誰かに祝って欲しい、だなんんてことを恥ずかしげもなく言うつもりはない。けれど、それもケースバイケースなのだ。二年前に付き合っていた彼女も、結局のところそれがきっかけとなって別れたようなものだった。誕生日はきちんと教えたはずなのに、彼女ときたら“クリスマスは絶対にあけておいてね”とそれしか言ってこなかったのである。
プレゼントなど、なくたっていい。忙しいなら一緒に過ごせなくたってそれでも構わない。
ただ、それでもただ。おめでとう、の一言があるだけで良かったのだ。クリスマスではなく、誕生日おめでとう、と。それだけで、自分が蔑ろにされていないと、大事にされているのだと思うことができるなんて。バスケ部のセンターを務めるような巨漢の男が情けないと、自分でもそう思うけれど。
――黒須達、どうすんのかな。なんか、みんな楽しそうだったな。
煌びやかな町を歩く者達はまちまちだ。会社帰りのサラリーマンらしき姿もあれば、歩きスマホをしながら顔をしかめているOLもいる。
きゃあきゃあと何が楽しいのかわからないが、はしゃぎながら歩く制服姿の少女達もいれば、見せつけるようにうちゃついて手を繋いでいるカップルもいる。
多分、いつもとさほど変わらない光景だろう。誰もがみんな楽しそうなわけでもない。今日は金曜日なので少し遅くまで遊んで帰ろう、と考えている者もいるにはいるだろうが。それは何も十二月だからという話ではない。いつもの光景だ。クリスマスだから、クリスマスまでのほぼ一ヶ月、ずっとはしゃいで暮らすほど人間は暇に生きてはいないのである。
それでも、誰も彼も浮かれているように見えてしまうのは。あくまで、俺の気持ちの問題でしかないのだろう、きっと。
――情けね。……なんで泣きそうになってんだ、俺。
不思議と、別れた彼女に誕生日を忘れられたのと同じくらい、ショックを受けている自分がいる。
いつの間にか手元のカフェオレもビックサンドもすっかり冷たくなってしまっていた。一時間以上、ぼんやりと外ばかり眺めて、一体自分は何をしているのだろう。時計が止まることもなければ、こうして時間稼ぎをしたって帰る環境が変わるわけでもないというのに。
頼んだ品を、少ししょっぱい気持ちでがつがつと食べると、重い腰を上げて店をカウンターにお盆を返した。先払いだから、もう精算は済んでいる。あとはもう、このまま駅に向かって家に帰るだけだ。
「メリークリスマス」
店を出たところで、ヤケクソ気味に小さく呟いた。まだキリストの生誕祭には早すぎる、それでも本番さながらに無駄に光り輝く風景を皮肉るように。
***
自宅は、電車で駅三つの距離だ。最寄り駅の周りもさほど変わらずビカビカと目に痛い光ばかりが飛び込んでくる。
眩しいばかりの景色なのに、どうして自分の目の前だけはこんなにも重苦しいのだろう。まるで一枚、闇色のカーテンが覆いかぶさってでもいるかのようだ。忌々しいクリスマスカラーの駅前広場を抜け、一本裏通りに出ればいつも通りの暗い住宅街が広がっている。駅の西口から約十分。そこに、俺が住む灰色のマンションがある。
――此処で過ごす十二月は、今年が初めてか。
オートロックでもなんでもない、ややボロっちい年季の入ったマンションだ。何度か黒須達を呼びつけて、ゲーム大会をしたこともある。そういえば、夏に黒須の誕生日会――という名目のゲーム大会をやったのも自分の自宅であっただろうか。
あれはバカバカしかったけれど、楽しかったな、と思う。心のどこかで、そんな風に誕生日も過ごせたらいいな、なんて期待していた自分がどこかにいるのは事実だ。約束もしていないし、黒須以外に己の誕生日も教えていなかったというのに、アホくさい話ではあるけれど。
――どうせ、今日も真っ暗なんだ。わかってるよ。
それでも、自分は家に帰るしかない。
此処にしか、自分が生きていく場所はないのだから。
それを選んだのもまた、自分なのだから。
「ただいま」
鍵を回して、誰もいない空間へ声をかける。返事など帰ってくるはずもなく、目に飛び込むのは明かりのついていない真っ黒な部屋――そのはずだった。
それなのに。
「誕生日おめでとおおおおおおおおお!」
目に入ったのは、光。
そしてクラッカーの音。
「……は?」
きょとん、と目を丸くする俺は、すっかり色とりどりのテープまみれになっている。
何故、俺の家に当然の如く、バスケ部のみんなの姿があるのだろう。
黒須が、からっぽになったクラッカーを持ってニヤついているのだろう。
先輩達が、四角い巨大な箱を置いた丸テーブルの横に、あぐらをかいて待機しているのだろう。
「よっしゃ!神谷ガチで驚いてるべ!大成功!」
「案外イケるんだなー、こんな使い古したドッキリ大作戦!」
「ですです、イケますイケます!俺超天才でしょ?でしょ?」
「おう、天才天才」
「ちょ、ちょっと待て待て待て。全くついてけてないぞ。黒須も先輩達も一体何やってんの?ていうか鍵は?」
そこまで口にしてから、あ、と俺は気づいた。そういえば、以前俺が寝坊して練習日を忘れた日に、慌てて黒須が俺の家まで呼びに来てくれたことがあって。そのままなし崩しで、合鍵を持たせておくことになっていたのではなかったか。
というか、以前ゲーム大会をやった日も、黒須は俺に先んじてさっさと家にあがりこみ、勝手に準備を進めていたような。
「黒須から聞いたぞー、誕生日くらい教えろよ神谷ー」
バスケ部の部長が、丸テーブルの箱に手をかけて言う。
「大食いのお前のために、超特大のケーキ用意してやったぞ!喜べ!」
「ぶっ」
そこから登場したのは、まるでエロゲか何かのようにどピンクで、イチゴがてんこもりに盛られた巨大なケーキだった。俺は思わず吹き出してしまう。確かにイチゴが好きだとはみんなに言っているし、甘いものも大好きだし、大食いであるのも間違いないけれど。いくらなんでもこれは、特大がすぎる。ざっと五人分くらいのサイズはありそうなものではないか、一体どこで買って来たのやら。
「面白いプレゼント、みんな一人一個用意しておいたからな。ありがたく受け取れよバーカ!あ、ちなみに二十四日もクリパすっからな、お前の家で!ちゃんと予定空けとけよな!あとそれより前にカノジョ作るとか裏切りナシだかんな!?」
楽しそうに笑う黒須に俺は。なんだかもう、胸からいろいろ突き上げてしまって。
滲んできた視界を誤魔化すように、大袈裟なくらい笑った。
「おまっ……お前らなあ!俺に内緒で、勝手に決めてんじゃねーっての!!」
なんだかもう、長年ウジウジと積み上げてしまっていた、誕生日やらクリスマスやらの微妙な感情が。今日の一日だけで、全部忘れてしまえそうな気になっている。
二千十九年、令和元年、十二月六日。
十六歳の、俺の誕生日は――笑い飛ばしたくなるくらい、幸せな光でいっぱいになった。
多分それは俺が高校生ながら一人暮らしをしている、という事情もあるからだろう。そうなってしまった原因は、一緒に住むはずだった父の転勤が土壇場で立ち消えになり、結局自分だけ上京して高校に通うことになってしまったせいなのだが。
あの冷たい部屋に、一人で帰るのがひどく億劫だった。秋までの暖かい時期ならばさほど気になることでもないというのに。真っ暗な部屋の、電気をつける瞬間が言いようもなく淋しいとでも言えばいいのか。図体のデカイ男子高校生が、何女々しいことを言っているのかと自分でも思うのだけど。
だから基本的に、十一月に入ってからというもの、部活が終わってからは近くのカフェで一時間ほど時間を潰してから帰ることにしていた。そんなことをしたって、帰る家が明るくなるわけでもなければ、寂しさがマシになるわけではない。ただ、少し整理のつかない感情を先延ばしにするだけだと知ってはいたけれど。
暖房が聞いていて、誰かしらの気配を感じる店の中。少しだけ、ほんの少しだけ逃げたいと思ってしまうのだ。
特に今日、十二月六日は特に。
「あ、ごめん神谷。今日は先に帰っててくれ」
うちのバスケ部の練習はとにかくハードだ。コーチに容赦なくしごかれまくり、くたくたになって帰る頃にはとっくの昔の太陽は遠くへと沈みきっている。
そんな中、いつも駅まで一緒に帰るバスケ部の友人達が俺にそう言ってきた。特に同じく一年生のポイントガード、黒須が両手を合わせて拝むように謝ってくる。
「ちょっと今日、みんなと寄るところあってさ。店の場所が反対方向なんだわ。ごめんな」
「あ、そうなの?みんなで?なんだよ秘密の相談でもすんのか。俺ハブ?」
「そういうんじゃねーけど、マジでごめん!今日だけだから!」
バスケ部の空気は、嫌いではない。練習は厳しいどころでなく厳しいが、全国制覇を本気で狙うメンバーと一緒にやるバスケは楽しかったし、仲間思いの彼らと過ごすのは気持ちのいいものだった。バスケ馬鹿とゲームオタクばかりが揃っているということもあって話があうのも有難い。特に黒須とは同じクラスということもあり、ツルむことの非常に多い友人の一人だった。
だからこそ、ちょっとだけ不満に思う。何で今日に限って、だ。自分がこの日を嫌っていることを、少なくとも彼は知っていたはずだというのに。この様子だと、まるで覚えていないらしい。
「……まあ、そういう日もあるわな。わかった。じゃあな」
それでも。先輩達も一緒にどこかに行くというのなら、きっと大事な用事なのだろう。それを強引に呼び止めるほど、俺も大人気ないつもりはないのだ。少しだけ不機嫌が出てしまったかもしれないが、どうにかそう言って彼らに手を振った。――今日はいつもよりも長く、カフェに居座ろうと思いながら。
駅前にあるカフェは、俺にとってはほっと息をつくことのできるお気に入りスポットの一つだった。コーヒーショップではあるものの、サイドメニューが非常に豊富。特にサンドイッチは、運動部所属の男子高校生の腹を満たすに十分ながっつりメニューも揃っている。
落ち着いた茶色を基調にした内装に、一人席が多いというのも有難い。一人でお茶をしたり御飯をしたり、も割と抵抗なく行うことができる。店員も親切で、それでいてうっとおしくアレコレ勧めてくるということもない。一人で、それでも誰かの気配を感じて明るい場所にいたい――そういう人間には、実にうってつけの店と言っていいだろう。
俺はいつものようにカフェオレとビッグサンドを頼むと、観葉植物の隣、窓際の席の一番奥に座ることにする。窓の外の景色を見つめて、大きく一つ息をついた。
――日本人って、マジで単純だよなあ。宗教も文化もあったもんじゃねーつーか。
十一月になった途端、一気に町の飾り付けはハロウィンのオレンジからクリスマスの赤緑へとシフトチェンジした。一晩で一気に交換しなければいけなかったであろう担当者達はさぞかし大変な思いをしたことだろう。
寒さがきつくなり、クリスマスソングが流れ、一気に世間は浮かれモードに突入している。どの店も、店内にはこじんまりとツリーを飾っているし、コンビニに入ればクリスマスのお菓子やらくじ引きやらセールやらのポップが目立つ。十二月とは、そういう時期だ。そしてこれらも、二十五日が過ぎれば一気に正月モードへ切り替えられることだろう。
キリスト教なのやら仏教なのやら。楽しければなんでもいい、という日本人らしい文化ではあると思う。別にそれそのものに、文句をつけるつもりはない。それでも俺は、どうしてもクリスマスが――この時期が、好きにはなれない理由があった。
『航平君、お誕生日おめでとう!あと、メリークリスマス!』
多分、同じような悩みや苛立ちを抱えている人間は、自分一人ではないはずだ。
十二月六日――つまり、今日が俺の誕生日なのだが。十二月生まれは、宿命のように親からうけがちな扱いが一つある。つまり、クリスマスと誕生日を、いっしょくたにして祝われがちということだ。
俺の誕生日は、いつもクリスマスと一緒にお祝いされ、プレゼントがあわせて一個にされてしまうことも珍しくなかった。俺がクリスマスに対して苦い気持ちを抱くのも当然だろう。自分だけ損をしたようで嫌な気持ち、というのもあったがそれだけではない。己の誕生日を、それ単品で祝われないということは――まるで自分を大事にされていないようで、胸が締めつけられるような思いをしたというのが最大の理由だ。
わかっている。両親に、そんなつもりなど微塵もないだろうということは。
それでも俺は、誕生日とクリスマスは全く別のものとして祝って欲しかったのである。それはまったく別のイベントで、対等以上であってほしい存在であったのだから。
――でもって、クリスマスに紛れて……忘れられることも少なくないんだよなあ、俺の誕生日。
高校生にもなってまで、誕生日を誰かに祝って欲しい、だなんんてことを恥ずかしげもなく言うつもりはない。けれど、それもケースバイケースなのだ。二年前に付き合っていた彼女も、結局のところそれがきっかけとなって別れたようなものだった。誕生日はきちんと教えたはずなのに、彼女ときたら“クリスマスは絶対にあけておいてね”とそれしか言ってこなかったのである。
プレゼントなど、なくたっていい。忙しいなら一緒に過ごせなくたってそれでも構わない。
ただ、それでもただ。おめでとう、の一言があるだけで良かったのだ。クリスマスではなく、誕生日おめでとう、と。それだけで、自分が蔑ろにされていないと、大事にされているのだと思うことができるなんて。バスケ部のセンターを務めるような巨漢の男が情けないと、自分でもそう思うけれど。
――黒須達、どうすんのかな。なんか、みんな楽しそうだったな。
煌びやかな町を歩く者達はまちまちだ。会社帰りのサラリーマンらしき姿もあれば、歩きスマホをしながら顔をしかめているOLもいる。
きゃあきゃあと何が楽しいのかわからないが、はしゃぎながら歩く制服姿の少女達もいれば、見せつけるようにうちゃついて手を繋いでいるカップルもいる。
多分、いつもとさほど変わらない光景だろう。誰もがみんな楽しそうなわけでもない。今日は金曜日なので少し遅くまで遊んで帰ろう、と考えている者もいるにはいるだろうが。それは何も十二月だからという話ではない。いつもの光景だ。クリスマスだから、クリスマスまでのほぼ一ヶ月、ずっとはしゃいで暮らすほど人間は暇に生きてはいないのである。
それでも、誰も彼も浮かれているように見えてしまうのは。あくまで、俺の気持ちの問題でしかないのだろう、きっと。
――情けね。……なんで泣きそうになってんだ、俺。
不思議と、別れた彼女に誕生日を忘れられたのと同じくらい、ショックを受けている自分がいる。
いつの間にか手元のカフェオレもビックサンドもすっかり冷たくなってしまっていた。一時間以上、ぼんやりと外ばかり眺めて、一体自分は何をしているのだろう。時計が止まることもなければ、こうして時間稼ぎをしたって帰る環境が変わるわけでもないというのに。
頼んだ品を、少ししょっぱい気持ちでがつがつと食べると、重い腰を上げて店をカウンターにお盆を返した。先払いだから、もう精算は済んでいる。あとはもう、このまま駅に向かって家に帰るだけだ。
「メリークリスマス」
店を出たところで、ヤケクソ気味に小さく呟いた。まだキリストの生誕祭には早すぎる、それでも本番さながらに無駄に光り輝く風景を皮肉るように。
***
自宅は、電車で駅三つの距離だ。最寄り駅の周りもさほど変わらずビカビカと目に痛い光ばかりが飛び込んでくる。
眩しいばかりの景色なのに、どうして自分の目の前だけはこんなにも重苦しいのだろう。まるで一枚、闇色のカーテンが覆いかぶさってでもいるかのようだ。忌々しいクリスマスカラーの駅前広場を抜け、一本裏通りに出ればいつも通りの暗い住宅街が広がっている。駅の西口から約十分。そこに、俺が住む灰色のマンションがある。
――此処で過ごす十二月は、今年が初めてか。
オートロックでもなんでもない、ややボロっちい年季の入ったマンションだ。何度か黒須達を呼びつけて、ゲーム大会をしたこともある。そういえば、夏に黒須の誕生日会――という名目のゲーム大会をやったのも自分の自宅であっただろうか。
あれはバカバカしかったけれど、楽しかったな、と思う。心のどこかで、そんな風に誕生日も過ごせたらいいな、なんて期待していた自分がどこかにいるのは事実だ。約束もしていないし、黒須以外に己の誕生日も教えていなかったというのに、アホくさい話ではあるけれど。
――どうせ、今日も真っ暗なんだ。わかってるよ。
それでも、自分は家に帰るしかない。
此処にしか、自分が生きていく場所はないのだから。
それを選んだのもまた、自分なのだから。
「ただいま」
鍵を回して、誰もいない空間へ声をかける。返事など帰ってくるはずもなく、目に飛び込むのは明かりのついていない真っ黒な部屋――そのはずだった。
それなのに。
「誕生日おめでとおおおおおおおおお!」
目に入ったのは、光。
そしてクラッカーの音。
「……は?」
きょとん、と目を丸くする俺は、すっかり色とりどりのテープまみれになっている。
何故、俺の家に当然の如く、バスケ部のみんなの姿があるのだろう。
黒須が、からっぽになったクラッカーを持ってニヤついているのだろう。
先輩達が、四角い巨大な箱を置いた丸テーブルの横に、あぐらをかいて待機しているのだろう。
「よっしゃ!神谷ガチで驚いてるべ!大成功!」
「案外イケるんだなー、こんな使い古したドッキリ大作戦!」
「ですです、イケますイケます!俺超天才でしょ?でしょ?」
「おう、天才天才」
「ちょ、ちょっと待て待て待て。全くついてけてないぞ。黒須も先輩達も一体何やってんの?ていうか鍵は?」
そこまで口にしてから、あ、と俺は気づいた。そういえば、以前俺が寝坊して練習日を忘れた日に、慌てて黒須が俺の家まで呼びに来てくれたことがあって。そのままなし崩しで、合鍵を持たせておくことになっていたのではなかったか。
というか、以前ゲーム大会をやった日も、黒須は俺に先んじてさっさと家にあがりこみ、勝手に準備を進めていたような。
「黒須から聞いたぞー、誕生日くらい教えろよ神谷ー」
バスケ部の部長が、丸テーブルの箱に手をかけて言う。
「大食いのお前のために、超特大のケーキ用意してやったぞ!喜べ!」
「ぶっ」
そこから登場したのは、まるでエロゲか何かのようにどピンクで、イチゴがてんこもりに盛られた巨大なケーキだった。俺は思わず吹き出してしまう。確かにイチゴが好きだとはみんなに言っているし、甘いものも大好きだし、大食いであるのも間違いないけれど。いくらなんでもこれは、特大がすぎる。ざっと五人分くらいのサイズはありそうなものではないか、一体どこで買って来たのやら。
「面白いプレゼント、みんな一人一個用意しておいたからな。ありがたく受け取れよバーカ!あ、ちなみに二十四日もクリパすっからな、お前の家で!ちゃんと予定空けとけよな!あとそれより前にカノジョ作るとか裏切りナシだかんな!?」
楽しそうに笑う黒須に俺は。なんだかもう、胸からいろいろ突き上げてしまって。
滲んできた視界を誤魔化すように、大袈裟なくらい笑った。
「おまっ……お前らなあ!俺に内緒で、勝手に決めてんじゃねーっての!!」
なんだかもう、長年ウジウジと積み上げてしまっていた、誕生日やらクリスマスやらの微妙な感情が。今日の一日だけで、全部忘れてしまえそうな気になっている。
二千十九年、令和元年、十二月六日。
十六歳の、俺の誕生日は――笑い飛ばしたくなるくらい、幸せな光でいっぱいになった。
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