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<後編>
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マンションの居間、丸テーブルを囲んで思い思いに座る私達。茶色の椅子はふわふわクッションが取り付けてあり、結構座り心地がいいものだった。
「自殺すると言っても、ただ死ねばいいってもんじゃない、そうだろう?」
スバルとゲーム大会をやりまくった挙句食事の後、いよいよ“いかにして死ぬか”の会議の始まりである。まず最初に切り出したのは、明らかにこの場で一番年上であろう熊蔵だ。
「死ねればどうでもいいと思うなら、君達もこのサークルに参加していないんだろうしね」
「その通りね。だって、苦しい死に方は嫌だもの。特に焼死なんて本当に最悪よ。あれだけはいくら死ねても絶対嫌」
うんうんと頷きながら話に乗るアイコ。
「火事なんかで死ぬ人って、多くは一酸化炭素中毒だから……苦しいと言えば苦しいけど、それでも焼死ではないのよね。でも、自分でガソリン被って死ぬとなるとそれはもう純粋な焼死になるわけ。人間、案外頑丈で焼かれてもそう簡単には死ねないの。しかも、重度の火傷で死にそびれたら?そのまま生き地獄ってヤツよ。当然見た目は悲惨なことになるし、痛くて痛くてたまらない状態で中途半端に生かされて家族にも散々迷惑かけるし……良いことなんか一つもないでしょ、そんなの」
「そ、それはさすがに嫌ですね……」
「でしょう?」
熱のこもったアイコの言葉に、私は思わずリアルに想像してしまった。足の先から頭の先まで熱くて痛くて痛くて。眼球が焼けて、目も見えなくなって、熱気を吸い込むから喉も――ああ、ダメだ。これは考えてはいけないヤツ。
確かなことは一つ。焼死だけは、どんなに死にたくても選んではいけないということだ。
「首吊りっていうのも薦めない。私みたいなオジサンはともかく、君達は女性だろう?さすがに、死体があまりにも醜いことになるのは嫌だと思う。苦痛があるのもそうだし、何より首吊りってのは……綺麗には死ねないんだ」
熊蔵が、まるで怪談でも語るがごとく声をひそめる。
「とにかく顔がうっ血して膨れ上がって、それはもう悲惨なんだよ。あと、首吊り死体っていうのはわかりやすくいろいろ垂れ流しになる。……まあ、お察しの通りだ」
「え、じゃあ水死ならもう少しマシでしょうか?死んでしまうと、どうしても我慢がきかなくなるのはしょうがないことなんでしょうし、水ならそのへんわからなくなるかも……」
「と、思うかもしれないが、溺死も私は嫌だな。窒息する間相当苦しいのもそうだが……溺死体っていうのは、すぐに発見されないことも多い。すると……全身水を吸いまくって、顔だけじゃなく全部が膨張してな。もうデブデブどころではなくデブデブになり、皮膚が破れたりなんかりもして……」
「す、すみません!ナシです、ナシ!!」
それは困る。確かに、熊蔵の言う通り私は“死ぬなら楽に、できれば綺麗に”を願っている。勿論“親に迷惑をできるだけかけない”も込みだ。子供が死んだ時点で充分親不孝かもしれないが、それ以上の負担はかけさせたくないのだ。
だから、電車に飛び込む、という選択もできなかったのである。噂を聞いたことがあるのだ、人身事故で死ぬとその遺族が賠償金を請求されることがあるらしい、と。
真偽がどうかはわからない。でも万に一つ真であったなら。請求される金額は、一万や二万なんて可愛い額でないだろう。
「あんまり苦しくなさそうっていうと、手首を切ってお風呂で水流しまくって死ぬっていうのがありますよね」
これはどう、と私が言おうとしていた意見を先に言ったのはスバルである。そうだ、私もリストカットはしてしまったことがあるからわかる。カッターでちょっとすぱっと切っても大して痛くはないのだ。いや、全く痛くないわけではないがそんなに血が吹き出るわけでもないし、ちょっとヒリヒリする程度なのである。あのくらいの痛みで死ねるなら、相当儲けものだと思うのだけども。
「俺、あれについて調べてみたんです。すると、手首切って死ねる確率って結構低いんだそうで」
「ダメ、なんですか?」
「絶対ダメではないんだけど。こうなった以上、助かってしまうのは嫌じゃないですか。自殺未遂した、となると体裁が悪いし……次のチャンスはなかなか訪れなくなるでしょうし。動脈をすっぱり行けば死ねる可能性高くなりますけど、相当深くまで切らないといけませんから……まあ、ただリスカするよりよっぽど痛いんですよね。あと縦に切らないといけないみたいです。怖くないですか?」
「それは確かに……」
私はしょんぼりしてしまった。実は、一番期待していた死に方はそれだったのである。手首を切る、ならきっとさほど痛い思いをせずに死ねるものと思ったというのに。しかも、死体は他の死に方と比べてさほど汚くはならないはずだ。
その後も、色々な意見が出た。どうやら私が思っていたよりもずっと、他の三人はしっかり“死ぬ方法”について調べていたらしい。しかし、残念ながらなかなか“楽に、綺麗に、迷惑をかけずに”死ねる方法というのは出てこなかった。
「ゆっくり考えていけばいいですよ。仕事も会社も、もう死ぬ俺達は全く気にしないでいいんですからね。時間はたっぷりあります。明日も話し合いましょう!」
最終的に、スバルのその言葉でシメになった。私は頷くしかない。ただ、“仕事も会社も気にしなくていい”という言葉は――少しだけ、私の気持ちを楽にしてくれたのだった。
***
死ぬ方法として有名なものの一つが、飛び降り自殺である。
私達が集まった町は、登山客の多い観光地でもあったりする。すぐ隣接するところに、有名な登山スポットがあるのだ。今日は、四人でそこに出かけることにした。飛び降り自殺をするのに良い場所があるかどうか下見しよう!とスバルが言い出した為である。
「わ、私……登山グッズなんか持ってないんですけど」
「大丈夫大丈夫!スニーカーとコートでしょ?なら問題ないですよ。●●山って初心者でも行けるような、本当にゆっるいコースもある山だから!」
ね、と笑うスバルはまるで自殺志願者に見えない。私の腕を嬉しそうに引っ張る彼。――気持ち悪い、バイキン、ブサイク――学校でそう呼ばれ続けてきた私が、男の子に触れて貰えるなんていつぶりだろう。ほんの少し、スバルに掴まれた腕が熱を持った気がした。私は赤くなった頬を誤魔化すように、うん、と頷いたのである。
「昨日死に方を話したけど。俺は、死ぬには天気っていうのも大事だと思うんですよ」
きっと彼は、この山を昇ったことがあるのだろう。ちょっとした手荷物だけを持ってさくさくと坂を昇っていく彼は、大して疲れた様子もない。
「自殺日和っていうのは、絶対あるというか。大雨の日に死んだらきっと綺麗じゃないし……今日みたいに快晴の日なら、とても爽やかな気持ちで死ねそうな気がしません?」
「そうですね。泥だらけの死体になるのは、嫌かも……」
「そうそう」
こんな風に、山登りをしたのはいつぶりだろうか。小学生の時の、林間学校以来であるような気がする。そしてその当時も私は友達がそんなにいなくて――他の子に置いて行かれないように、必死で登ることしかできなかったのを覚えている。
正直、良い思い出ではない。――今日のように、笑いながら誰かと話しながら登るなんて、そんなことをした記憶はない。
「ほら、あと少しで頂上よ!頑張って、ミサキちゃん!」
「大丈夫か?一緒に上に行こうな!」
そして、アイコと熊蔵も私のことをけして置いていかない。笑って手を差し出し、励ましてくれる。
私は泣きたくなった。――死ぬ為に、此処に来たはずなのに。今までこんなに人に優しくされたことなどなかったものだから。
――どうしよう、私。
死なないといけないのに。
少しだけ――ほんの少しだけ、幸せを感じてしまっているのだ。
だって私の好きなものを、私の死にたい気持ちを、目の前のこの人達はまるで馬鹿にしたりしないのだから。
「頂上だ!」
そして、静かでのんびりとした登山が終わる。頂上はシンプルなものだった。こじんまりとしたトイレの小屋と、自販機と、小さなベンチがあるだけ。でも。
「わあ……」
青く青く、吸われてしまいそうな広い空。その奥に見える、まるでミニチュアのような町の姿。緑の海に埋もれてしまいそうな建物達が、いかに人間の存在が自然と比べてちっぽけであるかを示しているかのよう。
此処からなら、飛べるのだろうか。感動しながら、私は。――足が震えてしまう自分に、気づいていた。
――凄く綺麗なのに。飛べそうなのに。吸い込まれそうなのに。
ここから飛び降りたくない。この景色を汚したくない。――何故今更。知ってしまったのだろう。この世界に、素敵なものがあるなんてことを。
狭い世界に閉じこもり、世界のすべてに絶望していれば。こんなものを知らずに、気づかずに、死ぬことがきっと出来たはずのなのに。
「……ミサキちゃん、どうしたの?」
アイコが心配そうに、私の顔を覗きこんでくる。他の二人も、どうしたの?と私のことを気にかけてくれる。
「……私、不思議で」
震える声で、どうにか絞り出した。
「皆さんは、どうして死にたいんですか。……自殺するような人達に見えない。皆さん、凄く優しいのに。私……私みたいに役立たずと、全然違うのに」
生きたいと、思ってしまった。
この優しい人達と――生きてみたい、と。
「……あのね、ミサキちゃん」
涙ぐむ私の頭を撫でて、アイコは言った。
「私ね。恋人に騙されたの。結婚詐欺ってヤツだったわ」
「!」
「それでね、ガソリン被ったの。……焼死だけは、ダメよ。中途半端に生き残って、苦しい苦しい思いを散々した上にベッドの上で死んじゃって。お父さんにもお母さんにも凄く凄く迷惑かけちゃったから」
何を言っているのだろう、彼女は。言葉の意味が追いつかない私の肩を、ぽん、と叩いたのは熊蔵だ。
「私は首を吊った。妻に出て行かれた挙句……ブラック企業ってヤツでな。もう何もかも嫌になったんだ。……死んだ後自分の体を見て絶望したぞ。あんな汚い死に方だとわかっていたら、もう少しマシな死に方を選んだはずだ、とな」
ねえ、それは、どういうことなの。
私は最後の一人――スバルを振り返る。その、少し困ったような笑顔は、やっぱり少年にしか見えなくて。
「俺が死んだのは、中学生の時でした」
ざあ、と吹き抜ける風の音を聞いたような気がした。
「……部活の先輩に無理やりトイレに連れ込まれて、酷いことをされました。怖くて悲しくて気持ち悪くて……でも、誰にも相談できなかったんです。男がレイプの被害者になんかなるはずないってみんな信じてたから。勇気を出して相談した先生にも笑われてしまいました。……当時はね、強姦罪って名前だったんです。でもって……被害者は、女性に限定されていた。そういう時代でした。俺は誰のことも信じられなくて、怖くて……手首を切って、自殺したんです」
昨晩、散々話したことを思い出した。思い出して私は――涙が、止まらなくなった。
彼らはみんな、知っていたのだ。全部全部――知っていて、私に教えてくれていたのである。
「ミサキさん。……イジメに遭って、死にたいと願ったあなたの心を、俺達は否定しません。死ぬのも確かに権利です。でも、いいんですか?……あなたをそんなに苦しめた人達に、復讐しなくていいんですか?そいつらが笑ってるかもしれないと思うと悔しくないですか?……どうせ死ぬなら、もう少し世界の綺麗なものを、見てから死んでも遅くはないのではないですか?」
中学生のまま時を止めた、生きていれば大人であったはずであろう彼は。そう言って、私の肩をそっと抱き寄せた。
「学校なんて行かなくてもいいじゃないですか。復讐のために、誰かを憎んでもいいじゃないですか。……生きていれば、何を生きる理由にしたって、いいじゃないですか。迷惑をかける?……きっとどんな迷惑をかけられても、あなたが生きている方が百倍いいと思っている人達はいますよ」
「……綺麗事じゃないですか、そんなの」
「そうかもしれません。……でもどんな綺麗事も。現実にしてしまえば、それが真実です」
私は、この時初めて理解したのである。
セイカンクラブ。セイカン。その意味は。
「“生還クラブ”にようこそ、ミサキさん。俺達は死んでしまったけれど、生きるあなたのお手伝いならきっとできる。……今日をあなたの自殺日和ではなく……生還日和にしませんか」
何かが解決したわけでもない。
新しい未来を掴んだわけでもない。
それでもきっと、青い空の下で涙を零す私は、もう少しだけ生きてみようと足掻いてみるのだろう。
私に生きて欲しいと願ってくれるかもしれない、そんな誰かがいる限り。
「自殺すると言っても、ただ死ねばいいってもんじゃない、そうだろう?」
スバルとゲーム大会をやりまくった挙句食事の後、いよいよ“いかにして死ぬか”の会議の始まりである。まず最初に切り出したのは、明らかにこの場で一番年上であろう熊蔵だ。
「死ねればどうでもいいと思うなら、君達もこのサークルに参加していないんだろうしね」
「その通りね。だって、苦しい死に方は嫌だもの。特に焼死なんて本当に最悪よ。あれだけはいくら死ねても絶対嫌」
うんうんと頷きながら話に乗るアイコ。
「火事なんかで死ぬ人って、多くは一酸化炭素中毒だから……苦しいと言えば苦しいけど、それでも焼死ではないのよね。でも、自分でガソリン被って死ぬとなるとそれはもう純粋な焼死になるわけ。人間、案外頑丈で焼かれてもそう簡単には死ねないの。しかも、重度の火傷で死にそびれたら?そのまま生き地獄ってヤツよ。当然見た目は悲惨なことになるし、痛くて痛くてたまらない状態で中途半端に生かされて家族にも散々迷惑かけるし……良いことなんか一つもないでしょ、そんなの」
「そ、それはさすがに嫌ですね……」
「でしょう?」
熱のこもったアイコの言葉に、私は思わずリアルに想像してしまった。足の先から頭の先まで熱くて痛くて痛くて。眼球が焼けて、目も見えなくなって、熱気を吸い込むから喉も――ああ、ダメだ。これは考えてはいけないヤツ。
確かなことは一つ。焼死だけは、どんなに死にたくても選んではいけないということだ。
「首吊りっていうのも薦めない。私みたいなオジサンはともかく、君達は女性だろう?さすがに、死体があまりにも醜いことになるのは嫌だと思う。苦痛があるのもそうだし、何より首吊りってのは……綺麗には死ねないんだ」
熊蔵が、まるで怪談でも語るがごとく声をひそめる。
「とにかく顔がうっ血して膨れ上がって、それはもう悲惨なんだよ。あと、首吊り死体っていうのはわかりやすくいろいろ垂れ流しになる。……まあ、お察しの通りだ」
「え、じゃあ水死ならもう少しマシでしょうか?死んでしまうと、どうしても我慢がきかなくなるのはしょうがないことなんでしょうし、水ならそのへんわからなくなるかも……」
「と、思うかもしれないが、溺死も私は嫌だな。窒息する間相当苦しいのもそうだが……溺死体っていうのは、すぐに発見されないことも多い。すると……全身水を吸いまくって、顔だけじゃなく全部が膨張してな。もうデブデブどころではなくデブデブになり、皮膚が破れたりなんかりもして……」
「す、すみません!ナシです、ナシ!!」
それは困る。確かに、熊蔵の言う通り私は“死ぬなら楽に、できれば綺麗に”を願っている。勿論“親に迷惑をできるだけかけない”も込みだ。子供が死んだ時点で充分親不孝かもしれないが、それ以上の負担はかけさせたくないのだ。
だから、電車に飛び込む、という選択もできなかったのである。噂を聞いたことがあるのだ、人身事故で死ぬとその遺族が賠償金を請求されることがあるらしい、と。
真偽がどうかはわからない。でも万に一つ真であったなら。請求される金額は、一万や二万なんて可愛い額でないだろう。
「あんまり苦しくなさそうっていうと、手首を切ってお風呂で水流しまくって死ぬっていうのがありますよね」
これはどう、と私が言おうとしていた意見を先に言ったのはスバルである。そうだ、私もリストカットはしてしまったことがあるからわかる。カッターでちょっとすぱっと切っても大して痛くはないのだ。いや、全く痛くないわけではないがそんなに血が吹き出るわけでもないし、ちょっとヒリヒリする程度なのである。あのくらいの痛みで死ねるなら、相当儲けものだと思うのだけども。
「俺、あれについて調べてみたんです。すると、手首切って死ねる確率って結構低いんだそうで」
「ダメ、なんですか?」
「絶対ダメではないんだけど。こうなった以上、助かってしまうのは嫌じゃないですか。自殺未遂した、となると体裁が悪いし……次のチャンスはなかなか訪れなくなるでしょうし。動脈をすっぱり行けば死ねる可能性高くなりますけど、相当深くまで切らないといけませんから……まあ、ただリスカするよりよっぽど痛いんですよね。あと縦に切らないといけないみたいです。怖くないですか?」
「それは確かに……」
私はしょんぼりしてしまった。実は、一番期待していた死に方はそれだったのである。手首を切る、ならきっとさほど痛い思いをせずに死ねるものと思ったというのに。しかも、死体は他の死に方と比べてさほど汚くはならないはずだ。
その後も、色々な意見が出た。どうやら私が思っていたよりもずっと、他の三人はしっかり“死ぬ方法”について調べていたらしい。しかし、残念ながらなかなか“楽に、綺麗に、迷惑をかけずに”死ねる方法というのは出てこなかった。
「ゆっくり考えていけばいいですよ。仕事も会社も、もう死ぬ俺達は全く気にしないでいいんですからね。時間はたっぷりあります。明日も話し合いましょう!」
最終的に、スバルのその言葉でシメになった。私は頷くしかない。ただ、“仕事も会社も気にしなくていい”という言葉は――少しだけ、私の気持ちを楽にしてくれたのだった。
***
死ぬ方法として有名なものの一つが、飛び降り自殺である。
私達が集まった町は、登山客の多い観光地でもあったりする。すぐ隣接するところに、有名な登山スポットがあるのだ。今日は、四人でそこに出かけることにした。飛び降り自殺をするのに良い場所があるかどうか下見しよう!とスバルが言い出した為である。
「わ、私……登山グッズなんか持ってないんですけど」
「大丈夫大丈夫!スニーカーとコートでしょ?なら問題ないですよ。●●山って初心者でも行けるような、本当にゆっるいコースもある山だから!」
ね、と笑うスバルはまるで自殺志願者に見えない。私の腕を嬉しそうに引っ張る彼。――気持ち悪い、バイキン、ブサイク――学校でそう呼ばれ続けてきた私が、男の子に触れて貰えるなんていつぶりだろう。ほんの少し、スバルに掴まれた腕が熱を持った気がした。私は赤くなった頬を誤魔化すように、うん、と頷いたのである。
「昨日死に方を話したけど。俺は、死ぬには天気っていうのも大事だと思うんですよ」
きっと彼は、この山を昇ったことがあるのだろう。ちょっとした手荷物だけを持ってさくさくと坂を昇っていく彼は、大して疲れた様子もない。
「自殺日和っていうのは、絶対あるというか。大雨の日に死んだらきっと綺麗じゃないし……今日みたいに快晴の日なら、とても爽やかな気持ちで死ねそうな気がしません?」
「そうですね。泥だらけの死体になるのは、嫌かも……」
「そうそう」
こんな風に、山登りをしたのはいつぶりだろうか。小学生の時の、林間学校以来であるような気がする。そしてその当時も私は友達がそんなにいなくて――他の子に置いて行かれないように、必死で登ることしかできなかったのを覚えている。
正直、良い思い出ではない。――今日のように、笑いながら誰かと話しながら登るなんて、そんなことをした記憶はない。
「ほら、あと少しで頂上よ!頑張って、ミサキちゃん!」
「大丈夫か?一緒に上に行こうな!」
そして、アイコと熊蔵も私のことをけして置いていかない。笑って手を差し出し、励ましてくれる。
私は泣きたくなった。――死ぬ為に、此処に来たはずなのに。今までこんなに人に優しくされたことなどなかったものだから。
――どうしよう、私。
死なないといけないのに。
少しだけ――ほんの少しだけ、幸せを感じてしまっているのだ。
だって私の好きなものを、私の死にたい気持ちを、目の前のこの人達はまるで馬鹿にしたりしないのだから。
「頂上だ!」
そして、静かでのんびりとした登山が終わる。頂上はシンプルなものだった。こじんまりとしたトイレの小屋と、自販機と、小さなベンチがあるだけ。でも。
「わあ……」
青く青く、吸われてしまいそうな広い空。その奥に見える、まるでミニチュアのような町の姿。緑の海に埋もれてしまいそうな建物達が、いかに人間の存在が自然と比べてちっぽけであるかを示しているかのよう。
此処からなら、飛べるのだろうか。感動しながら、私は。――足が震えてしまう自分に、気づいていた。
――凄く綺麗なのに。飛べそうなのに。吸い込まれそうなのに。
ここから飛び降りたくない。この景色を汚したくない。――何故今更。知ってしまったのだろう。この世界に、素敵なものがあるなんてことを。
狭い世界に閉じこもり、世界のすべてに絶望していれば。こんなものを知らずに、気づかずに、死ぬことがきっと出来たはずのなのに。
「……ミサキちゃん、どうしたの?」
アイコが心配そうに、私の顔を覗きこんでくる。他の二人も、どうしたの?と私のことを気にかけてくれる。
「……私、不思議で」
震える声で、どうにか絞り出した。
「皆さんは、どうして死にたいんですか。……自殺するような人達に見えない。皆さん、凄く優しいのに。私……私みたいに役立たずと、全然違うのに」
生きたいと、思ってしまった。
この優しい人達と――生きてみたい、と。
「……あのね、ミサキちゃん」
涙ぐむ私の頭を撫でて、アイコは言った。
「私ね。恋人に騙されたの。結婚詐欺ってヤツだったわ」
「!」
「それでね、ガソリン被ったの。……焼死だけは、ダメよ。中途半端に生き残って、苦しい苦しい思いを散々した上にベッドの上で死んじゃって。お父さんにもお母さんにも凄く凄く迷惑かけちゃったから」
何を言っているのだろう、彼女は。言葉の意味が追いつかない私の肩を、ぽん、と叩いたのは熊蔵だ。
「私は首を吊った。妻に出て行かれた挙句……ブラック企業ってヤツでな。もう何もかも嫌になったんだ。……死んだ後自分の体を見て絶望したぞ。あんな汚い死に方だとわかっていたら、もう少しマシな死に方を選んだはずだ、とな」
ねえ、それは、どういうことなの。
私は最後の一人――スバルを振り返る。その、少し困ったような笑顔は、やっぱり少年にしか見えなくて。
「俺が死んだのは、中学生の時でした」
ざあ、と吹き抜ける風の音を聞いたような気がした。
「……部活の先輩に無理やりトイレに連れ込まれて、酷いことをされました。怖くて悲しくて気持ち悪くて……でも、誰にも相談できなかったんです。男がレイプの被害者になんかなるはずないってみんな信じてたから。勇気を出して相談した先生にも笑われてしまいました。……当時はね、強姦罪って名前だったんです。でもって……被害者は、女性に限定されていた。そういう時代でした。俺は誰のことも信じられなくて、怖くて……手首を切って、自殺したんです」
昨晩、散々話したことを思い出した。思い出して私は――涙が、止まらなくなった。
彼らはみんな、知っていたのだ。全部全部――知っていて、私に教えてくれていたのである。
「ミサキさん。……イジメに遭って、死にたいと願ったあなたの心を、俺達は否定しません。死ぬのも確かに権利です。でも、いいんですか?……あなたをそんなに苦しめた人達に、復讐しなくていいんですか?そいつらが笑ってるかもしれないと思うと悔しくないですか?……どうせ死ぬなら、もう少し世界の綺麗なものを、見てから死んでも遅くはないのではないですか?」
中学生のまま時を止めた、生きていれば大人であったはずであろう彼は。そう言って、私の肩をそっと抱き寄せた。
「学校なんて行かなくてもいいじゃないですか。復讐のために、誰かを憎んでもいいじゃないですか。……生きていれば、何を生きる理由にしたって、いいじゃないですか。迷惑をかける?……きっとどんな迷惑をかけられても、あなたが生きている方が百倍いいと思っている人達はいますよ」
「……綺麗事じゃないですか、そんなの」
「そうかもしれません。……でもどんな綺麗事も。現実にしてしまえば、それが真実です」
私は、この時初めて理解したのである。
セイカンクラブ。セイカン。その意味は。
「“生還クラブ”にようこそ、ミサキさん。俺達は死んでしまったけれど、生きるあなたのお手伝いならきっとできる。……今日をあなたの自殺日和ではなく……生還日和にしませんか」
何かが解決したわけでもない。
新しい未来を掴んだわけでもない。
それでもきっと、青い空の下で涙を零す私は、もう少しだけ生きてみようと足掻いてみるのだろう。
私に生きて欲しいと願ってくれるかもしれない、そんな誰かがいる限り。
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