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5話 侍女との話
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夜の帳が降りてから数刻が経った頃、ランヴァルド邸のエルヴィラの私室。既に湯浴みを済ませたエルヴィラは専属侍女のルリアに髪を梳かれていた。
「お嬢様、第二王子殿下と誕生パーティーのお話は出来ましたか? 旦那様がとても張り切られて、今日もパーティの準備をされていましたよ」
常よりも表情の暗い主人を励まそうと努めてルリアは明るい声を出すが、エルヴィラの表情に変化はない。
「いいえ、出来なかったの。置いていかれてしまったわ」
「そう、ですか…第二王子殿下は、どうされたのでしょうね」
昨年までは一日も欠かさずに毎日毎日趣味嗜好を凝らした花束と贈り物が王城より届けられていた。全てアランが手ずから選び、メッセージカードを書いた物だ。その行動から示されるアランのエルヴィラに対する深い愛を誰一人として疑うことは無かったというのに、花束はある日からぱたりと止んだきり届いていない。使用人として、口を出すことは出来ないが侯爵邸に使える皆がその行動の変化を疑問に思っていた。
「分からない…いえ、分かっているの。わたくしが悪いのよ」
「お嬢様が悪いことなどされるはずがありません」
弱々しい声色で悲しそうにそう呟くエルヴィラにルリアはきっぱりと否定の言葉を告げた。ルリアが仕えて十八年、エルヴィラが心無い行動をとったことは一度もない。エルヴィラに今回の件について責任があるようにはとても思えなかった。
「いいえ、わたくしが悪いの…前に、アル様に好きですって、お伝えしようとしていたことがあったでしょう?」
丁度、一年前だ。エルヴィラはアランへの想いを自覚し、それを伝えようとしていた。相談を何十回も受けたルリアが忘れているはずもなく、エルヴィラの言葉にこくりと頷く。
「その時、アル様に『想うことは許す、だがそれ以上は決して許さない』って言われてしまったの。それからずっと、こんな風よ。わたくしがあの時変なことを言おうとしなければ、こんな事にはならなかっ、たのに…わたくしが、恋なんかしたせいで…ッ、台無しにしてしまったの」
エルヴィラは両手で顔を覆い、俯いてしまった。白く細い指の隙間からぽたぽたと涙の雫が落ちる。嗚咽を繰り返すエルヴィラにルリアはしゃがみ込み、ハンカチーフを差し出した。
「お嬢様は、何一つとして悪くなんかありません」
ルリアに差し出されたハンカチーフを震える手で受け取り、深い呼吸を繰り返し、時計の長針が三周回るほどの時間をかけて落ち着いたエルヴィラは一度深く息を吸ってから再び口を開く。
「わたくし…お父様に頼んで、婚約を解消しようと…思うの」
エルヴィラの言葉にルリアは目を見開いた。下級といえど、貴族の末席に座るミラも婚約の解消という重大性は十分理解していた。アランとエルヴィラは政略的な婚約で結ばれた訳では無い。だが、成婚が半年に迫った今に解消など、外聞が悪いにも程がある。
「ですが、ずっとお好きだったのでしょう? それに、今解消されるとなると…社交界でなんと噂されるか」
「そうよ、分かってるの…でも、こんな風に嫌われて、傍にいるなんて耐えられないの。友人として終われたら、どんなに良かったか分からない。わたくし、どうすれば良いと思う…?」
止まったはずの涙がまたエルヴィラの頬を伝う。それをまたそっと優しく拭ってやりながらルリアは口を開く。
「お嬢様のお好きになさってください。私は…お嬢様がお幸せになることが一番大切なことだと思います。ですが、よくお考えになって…後悔しないと思われる道をお進み下さいませ」
「ありがとう。そうね、もう少し…考えてみるわ」
エルヴィラは自ら涙を拭い、綻ぶ花のような柔らかな笑顔をルリアに向けると寝台へ向かう。後に続くルリアがティーポットを置いた台車を寝台の傍まで運ぶ。眠る前にホットミルクを飲むのがエルヴィラの習慣なのだ。
「ええ、そうなさいませ。どのティーカップにお淹れしましょうか」
「今日は────」
「お嬢様、第二王子殿下と誕生パーティーのお話は出来ましたか? 旦那様がとても張り切られて、今日もパーティの準備をされていましたよ」
常よりも表情の暗い主人を励まそうと努めてルリアは明るい声を出すが、エルヴィラの表情に変化はない。
「いいえ、出来なかったの。置いていかれてしまったわ」
「そう、ですか…第二王子殿下は、どうされたのでしょうね」
昨年までは一日も欠かさずに毎日毎日趣味嗜好を凝らした花束と贈り物が王城より届けられていた。全てアランが手ずから選び、メッセージカードを書いた物だ。その行動から示されるアランのエルヴィラに対する深い愛を誰一人として疑うことは無かったというのに、花束はある日からぱたりと止んだきり届いていない。使用人として、口を出すことは出来ないが侯爵邸に使える皆がその行動の変化を疑問に思っていた。
「分からない…いえ、分かっているの。わたくしが悪いのよ」
「お嬢様が悪いことなどされるはずがありません」
弱々しい声色で悲しそうにそう呟くエルヴィラにルリアはきっぱりと否定の言葉を告げた。ルリアが仕えて十八年、エルヴィラが心無い行動をとったことは一度もない。エルヴィラに今回の件について責任があるようにはとても思えなかった。
「いいえ、わたくしが悪いの…前に、アル様に好きですって、お伝えしようとしていたことがあったでしょう?」
丁度、一年前だ。エルヴィラはアランへの想いを自覚し、それを伝えようとしていた。相談を何十回も受けたルリアが忘れているはずもなく、エルヴィラの言葉にこくりと頷く。
「その時、アル様に『想うことは許す、だがそれ以上は決して許さない』って言われてしまったの。それからずっと、こんな風よ。わたくしがあの時変なことを言おうとしなければ、こんな事にはならなかっ、たのに…わたくしが、恋なんかしたせいで…ッ、台無しにしてしまったの」
エルヴィラは両手で顔を覆い、俯いてしまった。白く細い指の隙間からぽたぽたと涙の雫が落ちる。嗚咽を繰り返すエルヴィラにルリアはしゃがみ込み、ハンカチーフを差し出した。
「お嬢様は、何一つとして悪くなんかありません」
ルリアに差し出されたハンカチーフを震える手で受け取り、深い呼吸を繰り返し、時計の長針が三周回るほどの時間をかけて落ち着いたエルヴィラは一度深く息を吸ってから再び口を開く。
「わたくし…お父様に頼んで、婚約を解消しようと…思うの」
エルヴィラの言葉にルリアは目を見開いた。下級といえど、貴族の末席に座るミラも婚約の解消という重大性は十分理解していた。アランとエルヴィラは政略的な婚約で結ばれた訳では無い。だが、成婚が半年に迫った今に解消など、外聞が悪いにも程がある。
「ですが、ずっとお好きだったのでしょう? それに、今解消されるとなると…社交界でなんと噂されるか」
「そうよ、分かってるの…でも、こんな風に嫌われて、傍にいるなんて耐えられないの。友人として終われたら、どんなに良かったか分からない。わたくし、どうすれば良いと思う…?」
止まったはずの涙がまたエルヴィラの頬を伝う。それをまたそっと優しく拭ってやりながらルリアは口を開く。
「お嬢様のお好きになさってください。私は…お嬢様がお幸せになることが一番大切なことだと思います。ですが、よくお考えになって…後悔しないと思われる道をお進み下さいませ」
「ありがとう。そうね、もう少し…考えてみるわ」
エルヴィラは自ら涙を拭い、綻ぶ花のような柔らかな笑顔をルリアに向けると寝台へ向かう。後に続くルリアがティーポットを置いた台車を寝台の傍まで運ぶ。眠る前にホットミルクを飲むのがエルヴィラの習慣なのだ。
「ええ、そうなさいませ。どのティーカップにお淹れしましょうか」
「今日は────」
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