3 / 13
それは美しくない出会いであったり 3
しおりを挟む
「わぁ、ひどいね」
そう言ってしゃがみ込んだのは、夜空の月よりもずっとまぶしい、人間の男。
男は少女の汚れた頬を長いローブの裾でこすって、「これは惜しいなぁ」とつぶやいた。
――なにが。なにが惜しいのか。まさか、こんな私の命がか。
男は口を開くこともできない瀕死の少女を連れ帰り、医者もさじを投げる怪我のすべてを、魔法というもので治してしまった。
そしてあたたかなベッドに寝かしつけ、消化のいいものをたくさん与え食べさせて、やがて少女が会話できるほど元気になったころに言ったのだ。
「『ローズ』、ってどう?」
「……?」
「新しい名前が必要だと思ってさ」
「……は……?」
手厚い治療を受けても、少女の右腕は不自由なままだった。
男はおかまいなしに、名付けた少女の右手をとって優しくさすった。
「君を見つけたとき、この身に雷が落ちたみたいだったよ。僕のなかにはまだ、誰かを大切にしたいと思う心が残っていたんだって。ああ、僕も人の子だったんだなぁってさ」
「……はぁ?」
「年食ったのかなぁ。君のような年頃の女の子がキツいめに合ってるのを見ると涙が出そうになるって言うか。僕らはなんのために世界を救ったのかなぁって。君みたいな子には、笑っちゃうほどのハッピーエンドが待ち受けていてほしいわけ。これってどういう心境なんだと思う? やっぱり加齢かなぁ、まだ三十路も迎えていないはずなんだけど」
「……、……あんたの目のどこに、なみだ?」
ローズはげんなりして言った。
この男、顔はいいけど、止めないといつまでもしゃべり続けるタイプだ、面倒くさい。
やっと口を開いたローズににっこり笑いかけて、男はうれしそうに言った。
「おや、見えないかな? 女の子たちが言うには、僕の瞳には月の精霊の流したしずくが光っているらしいんだけど」
「なに、それ。頭おかしいんじゃない?」
「ふふ、そうかも! 君はかしこく正直者だね。最初に思った通りに」
そう言う男はたしかに、ものすごくまぶしい生き物だった。
男性とは思えないほどきれいな肌も、うっとりするほど長いまつ毛も、月の精霊が住んでいるとかいう夜空色の瞳も、それらを隠す月光のごとき儚い色の髪も、ほっそりと高い鼻梁も、薄くてしっとりした唇も、今まで出会ったどの人間よりも美しいバランスでまとまっている。
こんなきれいな男を、ローズは生まれてこのかた見たことがなかった。
ちらちらと横顔を盗み見るだけでも胸がいっぱいになってしまうというのに、真正面からにらみ合うのはあまりに不利だ。
しかもこの男ときたら顔かたちが整っているだけではなく、いつでも機嫌よさげににこにこと話しかけてくる。
「ねえローズ、僕と一緒に来てくれない?」
「どこに」
「一人旅って寂しくてさぁ」
「旅ぃ?」
「君といっしょだったらきっと楽しいと思って」
「無理。嫌。無理」
「大丈夫だいじょーぶ、僕強いから、ちゃんと守ってあげられるしね」
「いや、あんた、なにいってんの?」
ローズがどれほど悪態をついても、苛立ったり声を荒げたりしない。
しかも彼はこの話について、ローズがうんと言うまで説得を続けるつもりらしかった。
おそろしくやわらかなベッドの上で毎晩のように「君がほしい」だの「一緒に来てほしい」だのと甘ったるく口説かれるのは、正直死にたくなるほど恥ずかしかった。彼が立ち去ってからのローズは眠れず、ベッドの上で長いこともんどりうってすごした。
――こんな得体の知れない男に惹かれるだなんて。
ローズは軽薄な自分にため息をつきたくなった。
(でもどうして、私なんだ……?)
何も持っていないローズは、お世話になった治療費すら支払うこともできない。
今着ている質のいい服も、不自由になりつつある片脚をかばうしっかりした靴も、なにもかも彼が与えてくれたものだ。
(だからせめて体で返せ、ってこと?)
けれどこんな体で何ができる? せいぜい、話し相手がいいところ。
彼がローズに「女」の部分を求めていないことははじめからわかっている。片腕はあいかわらず不自由なままだし、旅の供にするにはなにもかもが足りていない。
「あたし、ただの足手まといじゃん」
「でも僕は、君がいいなぁと思ってるんだよね」
「あたしはヤだよ」
「そうかな?」
「そうだよっ」
優しい説得は、三ヶ月にも及んだ。
その間にローズは彼に文字を教わり、行儀作法を教わり、まるで貴族のご令嬢かのような扱いを受けて過ごした。この屋敷の人間たちはみな、ローズを彼の大切な客人として接してくれた。おいしいご飯、あたたかな寝床。清潔な衣服を着て、穏やかな会話を楽しむ。
ローズはここで、人間があたりまえに持っている、尊厳、みたいなものを思い出した。
長々と世話になるのは不本意だったし、他人に借りをつくるのだって性に合わない。
そういう理由でついに、ローズのほうが折れてやったのだ。
「もういい、貴方に救われた命だもの……好きにすればいい」
「ああ、よかった! きっと君は僕好みの女性になると思うんだよねえ」
「な、な……!?」
ボッと顔を赤くしたローズに微笑みかけて、彼はようやく自分の名前を名乗った。
そう言ってしゃがみ込んだのは、夜空の月よりもずっとまぶしい、人間の男。
男は少女の汚れた頬を長いローブの裾でこすって、「これは惜しいなぁ」とつぶやいた。
――なにが。なにが惜しいのか。まさか、こんな私の命がか。
男は口を開くこともできない瀕死の少女を連れ帰り、医者もさじを投げる怪我のすべてを、魔法というもので治してしまった。
そしてあたたかなベッドに寝かしつけ、消化のいいものをたくさん与え食べさせて、やがて少女が会話できるほど元気になったころに言ったのだ。
「『ローズ』、ってどう?」
「……?」
「新しい名前が必要だと思ってさ」
「……は……?」
手厚い治療を受けても、少女の右腕は不自由なままだった。
男はおかまいなしに、名付けた少女の右手をとって優しくさすった。
「君を見つけたとき、この身に雷が落ちたみたいだったよ。僕のなかにはまだ、誰かを大切にしたいと思う心が残っていたんだって。ああ、僕も人の子だったんだなぁってさ」
「……はぁ?」
「年食ったのかなぁ。君のような年頃の女の子がキツいめに合ってるのを見ると涙が出そうになるって言うか。僕らはなんのために世界を救ったのかなぁって。君みたいな子には、笑っちゃうほどのハッピーエンドが待ち受けていてほしいわけ。これってどういう心境なんだと思う? やっぱり加齢かなぁ、まだ三十路も迎えていないはずなんだけど」
「……、……あんたの目のどこに、なみだ?」
ローズはげんなりして言った。
この男、顔はいいけど、止めないといつまでもしゃべり続けるタイプだ、面倒くさい。
やっと口を開いたローズににっこり笑いかけて、男はうれしそうに言った。
「おや、見えないかな? 女の子たちが言うには、僕の瞳には月の精霊の流したしずくが光っているらしいんだけど」
「なに、それ。頭おかしいんじゃない?」
「ふふ、そうかも! 君はかしこく正直者だね。最初に思った通りに」
そう言う男はたしかに、ものすごくまぶしい生き物だった。
男性とは思えないほどきれいな肌も、うっとりするほど長いまつ毛も、月の精霊が住んでいるとかいう夜空色の瞳も、それらを隠す月光のごとき儚い色の髪も、ほっそりと高い鼻梁も、薄くてしっとりした唇も、今まで出会ったどの人間よりも美しいバランスでまとまっている。
こんなきれいな男を、ローズは生まれてこのかた見たことがなかった。
ちらちらと横顔を盗み見るだけでも胸がいっぱいになってしまうというのに、真正面からにらみ合うのはあまりに不利だ。
しかもこの男ときたら顔かたちが整っているだけではなく、いつでも機嫌よさげににこにこと話しかけてくる。
「ねえローズ、僕と一緒に来てくれない?」
「どこに」
「一人旅って寂しくてさぁ」
「旅ぃ?」
「君といっしょだったらきっと楽しいと思って」
「無理。嫌。無理」
「大丈夫だいじょーぶ、僕強いから、ちゃんと守ってあげられるしね」
「いや、あんた、なにいってんの?」
ローズがどれほど悪態をついても、苛立ったり声を荒げたりしない。
しかも彼はこの話について、ローズがうんと言うまで説得を続けるつもりらしかった。
おそろしくやわらかなベッドの上で毎晩のように「君がほしい」だの「一緒に来てほしい」だのと甘ったるく口説かれるのは、正直死にたくなるほど恥ずかしかった。彼が立ち去ってからのローズは眠れず、ベッドの上で長いこともんどりうってすごした。
――こんな得体の知れない男に惹かれるだなんて。
ローズは軽薄な自分にため息をつきたくなった。
(でもどうして、私なんだ……?)
何も持っていないローズは、お世話になった治療費すら支払うこともできない。
今着ている質のいい服も、不自由になりつつある片脚をかばうしっかりした靴も、なにもかも彼が与えてくれたものだ。
(だからせめて体で返せ、ってこと?)
けれどこんな体で何ができる? せいぜい、話し相手がいいところ。
彼がローズに「女」の部分を求めていないことははじめからわかっている。片腕はあいかわらず不自由なままだし、旅の供にするにはなにもかもが足りていない。
「あたし、ただの足手まといじゃん」
「でも僕は、君がいいなぁと思ってるんだよね」
「あたしはヤだよ」
「そうかな?」
「そうだよっ」
優しい説得は、三ヶ月にも及んだ。
その間にローズは彼に文字を教わり、行儀作法を教わり、まるで貴族のご令嬢かのような扱いを受けて過ごした。この屋敷の人間たちはみな、ローズを彼の大切な客人として接してくれた。おいしいご飯、あたたかな寝床。清潔な衣服を着て、穏やかな会話を楽しむ。
ローズはここで、人間があたりまえに持っている、尊厳、みたいなものを思い出した。
長々と世話になるのは不本意だったし、他人に借りをつくるのだって性に合わない。
そういう理由でついに、ローズのほうが折れてやったのだ。
「もういい、貴方に救われた命だもの……好きにすればいい」
「ああ、よかった! きっと君は僕好みの女性になると思うんだよねえ」
「な、な……!?」
ボッと顔を赤くしたローズに微笑みかけて、彼はようやく自分の名前を名乗った。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢はオッサンフェチ。
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
侯爵令嬢であるクラリッサは、よく読んでいた小説で悪役令嬢であった前世を突然思い出す。
何故自分がクラリッサになったかどうかは今はどうでも良い。
ただ婚約者であるキース王子は、いわゆる細身の優男系美男子であり、万人受けするかも知れないが正直自分の好みではない。
ヒロイン的立場である伯爵令嬢アンナリリーが王子と結ばれるため、私がいじめて婚約破棄されるのは全く問題もないのだが、意地悪するのも気分が悪いし、家から追い出されるのは困るのだ。
だって私が好きなのは執事のヒューバートなのだから。
それならさっさと婚約破棄して貰おう、どうせ二人が結ばれるなら、揉め事もなく王子がバカを晒すこともなく、早い方が良いものね。私はヒューバートを落とすことに全力を尽くせるし。
……というところから始まるラブコメです。
悪役令嬢といいつつも小説の設定だけで、計算高いですが悪さもしませんしざまあもありません。単にオッサン好きな令嬢が、防御力高めなマッチョ系執事を落とすためにあれこれ頑張るというシンプルなお話です。
ちょいぽちゃ令嬢は溺愛王子から逃げたい
なかな悠桃
恋愛
ふくよかな体型を気にするイルナは王子から与えられるスイーツに頭を悩ませていた。彼に黙ってダイエットを開始しようとするも・・・。
※誤字脱字等ご了承ください
森でオッサンに拾って貰いました。
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。
ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。
人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい
青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。
ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。
嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。
王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥
親友の断罪回避に奔走したら断罪されました~悪女の友人は旦那様の溺愛ルートに入ったようで~
二階堂まや
恋愛
王女フランチェスカは、幼少期に助けられたことをきっかけに令嬢エリザのことを慕っていた。しかしエリザは大国ドラフィアに 嫁いだ後、人々から冷遇されたことにより精神的なバランスを崩してしまう。そしてフランチェスカはエリザを支えるため、ドラフィアの隣国バルティデルの王ゴードンの元へ嫁いだのだった。
その後フランチェスカは、とある夜会でエリザのために嘘をついてゴードンの元へ嫁いだことを糾弾される。
万事休すと思いきや、彼女を庇ったのはその場に居合わせたゴードンであった。
+関連作「騎士団長との淫らな秘めごと~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~」
+本作単体でも楽しめる仕様になっております。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?
もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。
王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト
悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる