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■ヒーロー視点
パンプキンプリンの言い訳1
しおりを挟む「っと、すみません、今日はこれで退社します」
金曜19時。
定時はとうにすぎたが、ガルラブ編集部の日常であれば帰宅するには早いくらいの時間だ。
「お疲れさまー。やだ、鳴ちゃんてば今日合コンでもあった? ごめんね、間に合う?」
「いやいや、私用なので、平気っす」
「そっか。そういうの聞いちゃだめよね。気を付けて。来週締切の企画書よろしくねー」
先輩方に次々に見送られ、フロアを早足で抜ける。
(帰宅に30分、着替えと軽い夕食に30分、そこから先生の家まで30分……けっこうギリギリだな)
腕時計を眺めて、早足に改札をくぐる。
通勤中はいつも仕事と無関係の漫画を読んでいるのだけど、今日はどのタイトルにも惹かれない。仕方なく、鳴瀬は吊革を掴んだまま目を閉じた。
(……先生、本当に俺のことを待っているんだろうか)
あの日、ホテルからの帰り道に、次の約束を提案したのは鳴瀬のほうからだった。
次に会うのは金曜21時に、先生の部屋で、と。
(ご自分のホームでなら、緊張せずに知りたいことが浮かぶかなと思ったんだけど……けど、さすがに部屋は、まずかっただろうか……)
目をあければ地下鉄の車窓にうつる自分がぼんやりとした顔で見返してくる。
(女性の一人暮らしだし、金曜の夜っていうのがまた、ちょっと……危ない響きだよなぁ……)
すっきりと乾いた秋風の吹く夜道を黙々と歩き、自宅マンションにつく。そのままシャワーに直行した。
(それに二つ返事でOKする白石先生の心境ってどうなんだ? まったく意識されてない? もしくはめちゃくちゃ信頼されてる?)
夕飯は途中のコンビニで買ったものを広げて、適当につまむ。
袋に入ったままのパンプキンプリンは、先生への手土産にしようと思い立ってふたつ買ったものだ。
たぶん白石先生は百貨店で用意した差し入れじゃなくても喜んでくれるはず。スイーツに貴賎なしというか、いただきものに文句をつけるような人じゃないから。
(誰かと食べるためにふたつ買うって、いつぶりだ……?)
胸にじわりとひろがるくすぐったさ。妙に浮き足立ったまま外出の支度をすすめる。
ラフできれいめな服を選んで着替えて、また夜の街へと逆戻りだ。
(そういえば今日は、具体的に何をするって決めてないんだよな……ひとまず、資料でも用意して……)
駅前のバラエティショップは深夜まで賑やかだ。鳴瀬は他の先生方に好評だったグッズなどを手あたり次第ぽいぽいとカートに入れたあと、それの売り場で足を止めた。
うすい。たのしい。ジェルたっぷり。パッケージに書かれた様々な謳い文句をざっと薄目で見やる。
(…………、……備えあれば、憂いなしッ……………)
ええいと一箱ひっつかんで、ぽいとカートに入れる。
決して、断じて、何かがしたくて彼女の部屋に行くわけではない。
何度もそう確認しつつも、買い物袋の底にあるそれの存在をどのように説明したらいいか、電車に揺られながら頭はそればかりをぐるぐると考えていた。
***
「あの、まずプロットを見ていただいてもいいですか?」
リビングテーブルに並べた3つの作品を前に、二人は唸った。
「社会人俺様ヒーローの執着、幼馴染のじれじれ、王子様系男子の溺愛って感じですかね」
「はい、あんまり個性的な設定は思いつかなくて……」
そう言って自信なさげに俯いた白石先生のつむじを見下ろす。
(別にいいのに。そんなに怖がらなくても、大丈夫なのに)
以前担当していたときの先生は、これほど人からの評価を怖がるほうではなかったと思うのだけど。本人がだいぶ自信を失っていると言ったとおり、今の彼女はとても繊細な時期らしい。
「ある程度のテンプレは掴みとしていいと思いますよ。先生はどれを一番、描きたいですか?」
「そう、ですね……。私が好きなのは純愛系なんですけど、挑戦したいのは俺様とか、強気なヒーローなんです。描いたことないし、え……っちが、激しいのがエチプチの売れ筋だって聞いたので。それで、その俺様のネームなんですけど。さっき描きあげたものがあって」
「なるほど。ではそちら拝見します」
わざわざ用意して待っていたのだという。やはり先生は本気で悩んでいる。何か自分が力になれたらいいという気持ちがますます強くなって、鳴瀬は気持ちを改めてタブレットを手に取った。
表示された画像をスワイプしてすぐに、その世界の虜になる。
──白石先生の描きたいもの。チャレンジしたいこと。線から、台詞から、ぐいぐい伝わってくる。
(あえて指摘するなら、濡れ場でまだ照れが見られるところだろうか……せっかくの盛り上がりをもっと思い切って読者に見せつけていただきたい……うーんなるほど、これかぁ。未経験ゆえというか、性格のせいなのかなぁ。自信をもって発表していいと思うんだけどなぁ)
「白石先生」
「はっ、はいっ!」
「その……今日はひとまず、こちらのネームをなぞるかんじでどうでしょうか。そうすればヒロイン視点もヒーロー視点も確認できると思うので……臨場感をアップさせたいという先生の要望はクリアできるかなと」
「そうですね、充分です。ありがとうございます、こんなことにお付き合いくださって」
そう言った彼女は、ほっとしたように眉を下げた。
「あの鳴瀬さん。どうか、不快に思ったらいつでも止めてください……」
この作品のヒーローとヒロインは今まさに恋人になるかならないかという微妙な関係で、なおかつTL漫画であるからばっちり性的な接触がある。これをなぞる、というのだから、気を付けていてもそれなりに距離は近くなるだろう。
(そこは不快……というより……)
「いえいえ、先生こそ気をつけてくださいね。やっぱり『初めて』は好きな人とがいいと思いますから」
「えっ!? あ、そ、そうですね、あはは」
何度も忠告しているつもりだけど、どうも彼女に伝わっていないような気がする。
<初めての相手が自分になるかもしれない>ということを警告しているのに、たぶんまったく気付いていない。
(これは、かなーり信頼されているな、俺……。ははは、喜ぶべきか、悲しむべきか……)
今夜の白石先生はリラックスしたふわふわのルームウェアを着て、長い髪をゆるく束ねている。他人に見せるためというより、自分の心地よさや、気を許した人間と会うための格好だ。
つまり自分は、先生の緊張の対象ではないのだろう。
(たしかに、俺にとっても『ただの他人』では、ないけど……)
たとえば他の先生に──ついこのあいだまで担当していた魔リンの先生などに、恋愛指南をしてほしいと言われたらどうしただろう。
本やDVDや、思いつく資料を用意して送付するか、はたまた電話やメールでじっくり話を聞くことはすると思う。けど少なくとも、二人きりになることは避ける。それはもう業務の範囲をこえていると判断するからだ。
(じゃあ、俺のこの、白石先生への献身具合っていったいなんだ……?)
もう担当でもないのに。頼まれたからと言って、こんなに真剣になるものだろうか。
自分は……なんだかんだとこの週末を楽しみにしていなかっただろうか。
食べ終わって空になった二人分のパンプキンプリン。そのほろ苦い甘さがふいに思い出される。
「よろしく、お願いします」
白石先生は生真面目にそう頭を下げた。
自分ときたらろくに返事もできず、初めて女性の部屋に入ったときと同じくらい浮ついている。
ネームの再現のために、キッチンに並び立つ。あ、と鳴瀬は昔を思い出した。
(そうそう。ここで、珈琲飲んだな)
どこからか珈琲のほろ苦い芳ばしさが漂っている気がする。その香りが、そわそわと落ち着かない心を現実に引き戻してくれる。
しっかりしろ、仕事だぞ、と鳴瀬は眉間を揉んだ。
(はー……、俺、こんなプレッシャー弱い人間だっけかな)
ネームを片手にキッチンに立つ自分がどんなに緊張しているか。真面目で一生懸命で、それから今夜鳴瀬と顔をあわせてからずっとずっと真っ赤なままの先生は、まったくわかってないに違いない。
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