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■本編 (ヒロイン視点)

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「おっと、もしかして作業中でした?」

 鳴瀬はリビングに置きっぱなしのタブレットに興味を示した。

「はいっ! いくつかプロットをひらめきまして……!」
「それはお邪魔しちゃいましたかねぇ」
「いえいえっ! おおおお待ちしておりました!」

(って、何を言っているんだ、私は)

 心臓が爆発しそう。自分の部屋だというのに居場所がない。

「お、お茶でも、飲まれますか。一週間、お疲れ様でした……あっ、パンプキンプリン! ありがとうございます!」

 2つある。一緒に食べましょうという意味だととらえて、琴香はさっそくテーブルにスプーンを並べた。
 プリンに合うように、お茶をいれよう。今夜は冷えるし、かぼちゃだし、あったかい緑茶はどうだろう。

「お茶、ありがとうございます。最近のコンビニスイーツ、侮れませんからね……心してかからないと。いただきます」

「ほんとですよ。ありがとうございます、いただきます……しかも季節ものは短いスパンで切り替わるから、毎作追おうと思うと結構大変で」

「っすね。季節限定は正義ですから」
「そう、秋は特にやばいです……気を抜くと体重がドンと」
「わかります。30過ぎるともっとやばいっていつも先輩に脅されてますよ」
「うっ、タイムリミットは短い」

 くしゅっとした食感のホイップがのった、鮮やかなオレンジ色の濃厚プリン。スプーンですくったプリンは口の中に運ぶとねっとりなめらか、溶けるようになくなってしまう。
 かぼちゃの甘みには、案の定あたたかい緑茶がよく合った。

 ぺろりと平らげたふたりがマグカップを手にほっと一息ついたところで、鳴瀬は持ち込んだビニール袋をひょいと持ち上げた。

「そうだ、先生、よかったら見てください。資料になるかと思って、いろいろ買ってきました」

 そう言って、テーブルの上に『いろいろ』を並べ始める。

「ローションと、コンドームと、それからこっちはバラエティショップで、女性用AV的なものをね」
「ひぇっ」
「最近ってこういうのが多いんですねえ」

 AVのおしゃれなパッケージをまじまじ見つめる鳴瀬に、なんと返答したらいいかわからない。ちらりと見えたレシートの値段が、昨日支払ったホテル代をこえている。琴香は、申し訳なくなって鳴瀬に頭を下げた。

「あっ、あの……資料ご用意くださってありがとうございます。助かります、こういうの考えつかなくて……せめて代金は払わせてください」

「いえいえ、こーゆーのは女性に払わすもんじゃないですわ」

「でも……勉強代なので」

「うーん。じゃあ、『勉強会』が終わってから考えましょっか。万が一を考えて用意したのも、あるんで……」

「えっ?」

 琴香が聞き返そうとする前に、鳴瀬は本棚の漫画を目ざとく見つけて声をあげた。

「あーっ! 今月の『ガルラブ』がある! 買ってくれてるんですね!」

 声が嬉しそうに跳ねている。

「あ、はい。毎月欠かさず買ってます」
「ありがとうございます! 嬉しいですよ、すごく」

 漫画の話になると、鳴瀬はすごく目を輝かせる。
 特に自分がかかわった作品については深い愛着を持ってくれる編集さんだ。
 彼がついていたときの漫画は本当に楽しく描けた。……あの頃のような勢いが、今の自分にはきっと足りていないのだ。

「あの、『魔法少女リン』すごい面白かったです。少女向けなのに絶妙にえっちで、ヒーローのセリフにドキドキして……すごく好きでした」

「あの先生のセンスは独特ですよね。『マーリン』は俺もすごく勉強になった作品です。ありがとうございます、白石先生がほめてたって言ったら、あの子もすごく喜びますよ」

「……いえ、ほめるだなんて……」

 相手の漫画家さんは人気絶頂で、おまけに鳴瀬がついているのに──

 正直に言えば、ただただうらやましく、自分が同じように成果があげられないことが悔しい。
 黙りこくった琴香を、鳴瀬はちょっとだけ眉をあげて見た。

「白石先生、ちょっといま、自信ない期ですかね」
「そ、そんなこと……いえ、そっか。そうなのかもしれません」

 波があるのは以前からだ。さっきだって、ちょっと描けただけで天にも昇る気持ちになれた。どん底ではない。ないけど……。

「たぶん、自信のストックが、からっぽなんです」

 だいぶ、からっぽだ。デビュー時に比べたら、本当に尽きてしまった。
 新しい仕事は失敗続き。そのくせ自分を変えきれずにいる。流行りに乗れないのは、高すぎるプライドのせいかもしれない。

「……向いていないのかなって思うときもあるんですけど……認めたくなくて、苦しくて」
「そうですか。……うーんこれって、弱ってるところにつけこんでるんですかねぇ、俺は」

 漫画を置いた鳴瀬が、琴香のそばに立つ。
 一人暮らしの部屋に、他人の気配。ふたつのカップ、ふたつのスプーン……それだけでこんなに胸が騒ぐ。

「それでもまぁ、他の人間よりは、良い相談役になれると思ってるんでね」
「鳴瀬さん……」

 穏やかな微笑み。物語のヒーローみたいな超絶イケメンではないけれど、人柄のよさがにじみ出た優しい表情が素敵な人だ。
 鳴瀬には連載時からたくさん励まされてきた。今になって、こんな迷惑をかけてしまうのは本当に申し訳ないと思うけれど。

(ああ……でも。ちょっとだけ、わかった……)

 非日常のときめき。はじまりの予感。ヒロインが恋に落ちるときの音、みたいなもの。
 いま、琴香の中にもきこえる。
 けど今は、その音に心を傾けている場合ではない──これはリベンジマッチだから。

「鳴瀬さん、お願いします」

 失敗は何度まで許されるだろう。
 もっと売れる漫画家になりたい。チャンスがあるなら、貪欲に手を伸ばしたい。
 その気持ちに嘘偽りはない。

「……このあいだの続き、教えてください。女性のときめく、素敵なこと」

 鳴瀬は真面目にうなずいた。
 漫画のキャラみたいに、意地悪くからかったり、急にドSになったりはしない。琴香にはそれが良かった。

「スパダリヒーローみたいにはできませんけどね。頑張ります」

 そう言って笑ってくれる。つられてぎこちなく笑う。
 変わらず緊張しているけど、彼に頼んでよかったと思った。
 ――彼じゃないと、きっと無理だった。


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