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鵤牙之郷

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第6話【未知の変異体】

#2

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 目の奥が痛い。
 これから本番だっていうのに、頭の後ろがちょっとピリピリする。寝不足が原因かも。

 先輩達は白目をむいて大人しくしている。みんなちょっとだけ下を向いて、黙って座っている。
 “顔を上げて”と念じると、全員同時に、数秒の誤差もなくパッと前を向いた。良かった。多分大丈夫。
「先輩。急にワガママ言っちゃって、ごめんなさい」
 そう言って頭を下げても、アカネ先輩は真っ白な目でただ前を見つめている。返事がないのはわかっている。アレが体に入ると、みんなこうなる。そして、私の思った通りに行動する。

 私がこの力を手に入れたのは、“お父様”と初めて出会った夜のこと。

 とても寒い夜だった。
 理由は覚えていないけど、8歳の誕生日を迎えたはずの私は、寝巻き姿でアパートのベランダに立たされていた。部屋は2階。アパートの前を人が通ると、チラチラと私を見てきた。私が見下ろすと、顔を背けて過ぎ去っていった。
 寝巻きの下にはいくつものアザがあった。
いつ頃から始まったのかはよく覚えていない。ただ、物心ついた頃には、両親から殴られていた気がする。

 まずは父親が私と母親を殴って、父親がいない時、母親が腹いせに私を虐めた。何度聞いても理由がわからなくて、そのうち私も何も言わなくなった。泣きもせず、喚きもせず。母親は、怒鳴ったり叩いたりした後、ただ黙っている私を見て、ハッとした顔をしてシクシク泣いていた。

 今思うと、父も母も、どうやって生きるのが“正しい”のかわからず、目の前のものに当たるしか無かったんだと思う。両親はこの世界で生きていくには未熟過ぎた。体が大きくなっただけだ。

周りの大人は見て見ぬふり。みんな報復が怖かったんだと思う。

 私は何も感じなくなった。アザがいくつ出来ようが、腹が減ろうが、寒かろうが、ほとんど何も感じなかった。ほんのちょっと、心に何かが引っかかっていたのが不快だったけど。

 そんな私のもとに、「お父様」がやって来た。

 背が高くて、赤いコートを着たお父様。サンタさんが遅れてやって来たみたいだった。そんな派手な格好の人が、ベランダによじ登ってきた。
 びっくりした。久しぶりに顔の筋肉が動いた。目を大きくした私に、お父様はプレゼントをくれた。
が首を傾げていると、窓をちょっと力を入れてこじ開け、中にいた両親の頭を鷲掴みにした。母親はおろか、あの父親まで悲鳴を上げていた。ニヤリ。また顔が動いた。
 お父様が手を離すと、両親の目が真っ白になって、吊られた人形みたいに棒立ちになっていた。口や鼻から、時折黒い虫みたいなものが顔をのぞかせた。



 お父様が「何をさせたい」と聞いてきた。何も浮かばず悩んでいると、私に向かってニコッと笑った。手を鳴らすと、両親は靴も履かずに玄関から表に出て、二手に分かれてお隣さんのお家のインターホンを鳴らした。それから悲鳴と激しい物音が聞こえた。何度も何度も。

 しばらくすると、血まみれの両親が帰ってきた。
お父様がもう一度、「何をさせたい」と聞いてきた。



「強く思ってごらん」



 言われるがまま、両親が“それ”をするようにイメージしてみた。
そうしたら、2人は私と彼の間を通ってベランダに立ち、抱きしめ合ったまま、頭から地面に飛び込んでいった。お父様の方を見ると、

「優しいんだね」とまた私の頭を撫でた。

 お父様には全てお見通しだった。
きっと私は愛が欲しかった。だから両親は抱きしめ合ったんだ。
何も感じなくなったんじゃない。何も感じないフリをしていたんだ。

 
お父様は「期待している」と言っていた。新しい親が見つかるまで一緒に暮らしていた。お家には他にも色んな人がいた。私が一番年下で、お父様は優しく接してくれた。
 休日はいつもパーティー。お父様がピアノを弾いて、みんなで歌った。でも、私は座って歌うよりも、体を動かす方が性に合った。そんな私に“家族”が薦めてくれたのがダンスだった。私はすぐにのめり込んだ。

 お父様に見てほしかった。
 私、これから舞台に上がるの。ダンスも上達したし、お父様から貰ったものも、うまく使えるようになった。

 2年前。新しい両親が見つかって、新しいお家で必死にダンスの練習を続けた。お父様に見てもらいたくて。どれだけ大きな音を立てても、夜更かししても、今の両親は文句ひとつ言わず好きにさせてくれる。……ズルしちゃったけど。
 バラバラだったダンス部のみんなも、私の力で1つにした。頭が痛むほど苦労した。文字通り、頭が痛むくらいに。
 お父様、どこかで見てくれてるかな。お父様の期待に応えられているのかな。

“大丈夫”

 ————え?
 当然、ここにお父様はいない。でも、今確かに……。

『さぁ、お待たせ致しました! 本日最後のグループが堂々登場!』

 手拍子が聞こえる。色んな人の声がする。
 そろそろ行かなくちゃ。

“大丈夫。私はいつも、君を見ている”

                    ◇◇◇

「どうだ、何かおかしなもんはねぇか?」
 学園内。イベントが盛り上がりを見せる一方で、鷹海署の林田と池上がスタンバイしている。

 この学校で何かが起きる。決め手は刑事の勘。あまりにくだらなくて、池上は俯いて何度も「はぁ」だの「あ~あ」だのと声を漏らしている。
「おい! 何もねぇか聞いとるだろ!」
「はいはいはい、何もないっすよ。そんなに気になるなら、もっと会場の近くに陣取れば良かったのに」

 言い出しっぺのクセに、林田が待機場所に選んだのはグラウンド横の校舎2F。イベント会場を見下ろせる休憩スペースだった。こんな場所では、トラブルが発生してもすぐに向かえない。
「若いの。お前は本当に、何もわかっとらん」
「あ?」
「下手に近づいて、ゾンビの攻撃を受けてみろ。たちまち奴等の仲間入りだ」
 またゾンビだ。この男は、今夜この学園にゾンビが現れて、ホラー映画みたいなパニックに陥るとでも思っているのだろう。この男を置き去りにして帰りたい気分だが、問題行動を起こされては困る。本庁刑事に紹介してくれるという上司の話が立ち消えになる。

 頭を抱えて項垂れていると、林田が池上の肩を掴んだ。
「何すか?」
「始まったぞ」
「え? パフォーマンスですか? 林田さんってダンス好きでした……っけ」
 窓の外を見て、池上は口を開けたまま固まった。

 今日は何かが起きる。
 刑事の勘が当たってしまった。
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