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第1話【鷹海にはゾンビがいる】
#2
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海の香りが漂う道を突き進み、喫茶・北風に到着。
店先に自転車を停め、ヘルメットを脱ぐ。押さえられていた短めの茶髪が風に吹かれ、こもっていた熱気が吹き飛ばされた。
入口から店内に入ると、常連客らが手を挙げて軽く挨拶した。メロもそれに応え、お菓子の陳列された棚とレジの右横、暖簾で仕切られた調理場に入ってゆく。
「はい、遅刻」
調理場では店主・村井翠が腕を組んで甥っ子を待っていた。紫色の頭巾とエプロンが今日もよく似合う。そんなお世辞も叔母には通じなかった。
「何だよ、そんな仏像みたいな格好して」
「誰が仏像だよ!」
「そんなに遅刻してないっしょ! まぁ途中で色々あったから5分くらいは……」
「5分? 時計見てごらん! 1時間も経ってるじゃない!」
翠の言う通り、時刻は15時を回っていた。
「あっ。いや、その、色々あって」
◇◇◇
事故の衝撃は、当時4歳のメロにはとてつもなく大きなものだった。
翠に引き取られたメロは、しばらくの間心を閉ざしていた。しかし、翠の持ち前の明るさと深い愛情から、少しずつ元気を取り戻していった。
その中で、メロは店主としての翠の姿、そして彼女と客のやり取りをずっと見てきた。翠と話しているうちに客が笑顔になり、「元気になった」と感謝の気持ちを伝える。常連客とメロが喋る日もあった。そんな時は、メロが彼等から元気を貰えた。 翠と町の常連客らの繋がりに胸を打たれたのか、いつしか彼の中で、人助けをすること、誰かを元気にすることがモットーになった。
誰かが困っていればすぐに助けに入り、誰かが喜ぶと一緒になって笑う。服装はさて置き、翠が喫茶店での手伝いを認めたのも、共に生活する中で育まれた彼の優しさを知っているからだ。
ところがこの青年、人助けとなると他の事が目に入らなくなってしまう。
今日もあの老婆を助けただけでなく、商品を届けた先で世間話に付き合い、帰り道で知らない少年のために木の上のサッカーボールを取り、これまた全く知らないカップルの喧嘩の仲裁に入り……。 兎に角、散々人助けをして帰って来たのだ。
◇◇◇
「田所さんは喋り出すと長いから早々に切り上げてねって言ったでしょ?」
「違うんだよ、あのじいちゃんの話し方が上手いから」
「言い訳にならんわっ! それに何の連絡も無いんだから」
「ごめん! 次は気をつけるからさ」
「次? 次って言った? あんた、今月コレで27回だからね」
「に、27? そんなに? ってか、何数えてんだよ」
思わず溜め息をつく翠。 翠からエプロンを受け取ると、それを身に付けて調理場から出て来た。
ほぼ毎日こんなやり取りが調理場から聞こえてくる。常連客にとっては楽しい時間だ。帰るなり説教されて気まずい気分だったが、客の笑顔を見ているとメロも楽しくなる。
ただ、今日は何かがおかしかった。
違和感の原因を探ろうと、メロが店内を見回す。
出入り口の左手の席。灰色のジャンパーを着た中年男性が、椅子に背を預けて腰かけている。何も注文しなかったのか、テーブルにはお冷だけ。そのお冷も中身が減っていない。 男性は虚ろな表情で天井を見つめている。……黒く縁取られた、真っ白な目で。
横断歩道で出くわした男が脳裏をよぎる。まさか短期間に2度もゾンビような人物を見かけるとは。
「ボーっとしてんじゃないよ」
ちょうど翠も店の方に出てきた。
「ねぇ、あの人誰?」 小声で翠に尋ねる。
メロが腰元で指差す方向を見て、翠も小さく「あぁ」と言った。
「ご近所の真島さん。メロが配達に行ってる時間に、よくここに来てくれるの。でも、いつもは仕事があるからって、もっと早く帰られるのよ。今日はずっとあそこに座ったまんまで、ひと言も喋らないし、何だか顔付きも変なのよね」
「そう、そうなんだよ。なんて言うか、ゾンビみたい……」
言い終える前に額を叩かれた。
「ははは、こっちでも怒られてらぁ」
「翠さん、そろそろお会計」
「あたしも」
「あっ、ごめんなさいね! くだらないこと言ってないであんたも手伝う!」
翠に言われるがまま、メロはテーブルに置かれた食器を持ち上げた。
片付けをする間も、真島という客のことが気になっていた。 翠の話を聞くに、突然様子が変わったらしい。だとすると先程出くわした男も、少し前までは“いつも通り”だったのだろうか。
ふと左手の席に目をやると、そこにはもう真島の姿は無かった。
ゾンビのような特徴を持つ者たち。 しかし、横断歩道で出くわした男も、真島という客も、映画やゲームのように襲いかかってくるわけではない。道路を渡っただけ、店に来ただけ。だからこそ、鷹海市の噂話は“面白い都市伝説”止まりなのかもしれない。
メロも、この町の多くの住民も気付いていなかった。
この町で、少しずつ、何かが変わっていることに。
入口から店内に入ると、常連客らが手を挙げて軽く挨拶した。メロもそれに応え、お菓子の陳列された棚とレジの右横、暖簾で仕切られた調理場に入ってゆく。
「はい、遅刻」
調理場では店主・村井翠が腕を組んで甥っ子を待っていた。紫色の頭巾とエプロンが今日もよく似合う。そんなお世辞も叔母には通じなかった。
「何だよ、そんな仏像みたいな格好して」
「誰が仏像だよ!」
「そんなに遅刻してないっしょ! まぁ途中で色々あったから5分くらいは……」
「5分? 時計見てごらん! 1時間も経ってるじゃない!」
翠の言う通り、時刻は15時を回っていた。
「あっ。いや、その、色々あって」
◇◇◇
事故の衝撃は、当時4歳のメロにはとてつもなく大きなものだった。
翠に引き取られたメロは、しばらくの間心を閉ざしていた。しかし、翠の持ち前の明るさと深い愛情から、少しずつ元気を取り戻していった。
その中で、メロは店主としての翠の姿、そして彼女と客のやり取りをずっと見てきた。翠と話しているうちに客が笑顔になり、「元気になった」と感謝の気持ちを伝える。常連客とメロが喋る日もあった。そんな時は、メロが彼等から元気を貰えた。 翠と町の常連客らの繋がりに胸を打たれたのか、いつしか彼の中で、人助けをすること、誰かを元気にすることがモットーになった。
誰かが困っていればすぐに助けに入り、誰かが喜ぶと一緒になって笑う。服装はさて置き、翠が喫茶店での手伝いを認めたのも、共に生活する中で育まれた彼の優しさを知っているからだ。
ところがこの青年、人助けとなると他の事が目に入らなくなってしまう。
今日もあの老婆を助けただけでなく、商品を届けた先で世間話に付き合い、帰り道で知らない少年のために木の上のサッカーボールを取り、これまた全く知らないカップルの喧嘩の仲裁に入り……。 兎に角、散々人助けをして帰って来たのだ。
◇◇◇
「田所さんは喋り出すと長いから早々に切り上げてねって言ったでしょ?」
「違うんだよ、あのじいちゃんの話し方が上手いから」
「言い訳にならんわっ! それに何の連絡も無いんだから」
「ごめん! 次は気をつけるからさ」
「次? 次って言った? あんた、今月コレで27回だからね」
「に、27? そんなに? ってか、何数えてんだよ」
思わず溜め息をつく翠。 翠からエプロンを受け取ると、それを身に付けて調理場から出て来た。
ほぼ毎日こんなやり取りが調理場から聞こえてくる。常連客にとっては楽しい時間だ。帰るなり説教されて気まずい気分だったが、客の笑顔を見ているとメロも楽しくなる。
ただ、今日は何かがおかしかった。
違和感の原因を探ろうと、メロが店内を見回す。
出入り口の左手の席。灰色のジャンパーを着た中年男性が、椅子に背を預けて腰かけている。何も注文しなかったのか、テーブルにはお冷だけ。そのお冷も中身が減っていない。 男性は虚ろな表情で天井を見つめている。……黒く縁取られた、真っ白な目で。
横断歩道で出くわした男が脳裏をよぎる。まさか短期間に2度もゾンビような人物を見かけるとは。
「ボーっとしてんじゃないよ」
ちょうど翠も店の方に出てきた。
「ねぇ、あの人誰?」 小声で翠に尋ねる。
メロが腰元で指差す方向を見て、翠も小さく「あぁ」と言った。
「ご近所の真島さん。メロが配達に行ってる時間に、よくここに来てくれるの。でも、いつもは仕事があるからって、もっと早く帰られるのよ。今日はずっとあそこに座ったまんまで、ひと言も喋らないし、何だか顔付きも変なのよね」
「そう、そうなんだよ。なんて言うか、ゾンビみたい……」
言い終える前に額を叩かれた。
「ははは、こっちでも怒られてらぁ」
「翠さん、そろそろお会計」
「あたしも」
「あっ、ごめんなさいね! くだらないこと言ってないであんたも手伝う!」
翠に言われるがまま、メロはテーブルに置かれた食器を持ち上げた。
片付けをする間も、真島という客のことが気になっていた。 翠の話を聞くに、突然様子が変わったらしい。だとすると先程出くわした男も、少し前までは“いつも通り”だったのだろうか。
ふと左手の席に目をやると、そこにはもう真島の姿は無かった。
ゾンビのような特徴を持つ者たち。 しかし、横断歩道で出くわした男も、真島という客も、映画やゲームのように襲いかかってくるわけではない。道路を渡っただけ、店に来ただけ。だからこそ、鷹海市の噂話は“面白い都市伝説”止まりなのかもしれない。
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