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第15話:むかしむかしのものがたり 3

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 上半身を露わにされた少年の肩には、貴族を害した証を示す罪人の焼き印がくっきりと残っている。あまりの苦痛に言葉を発する事も出来ず、ぐったりと倒れている少年を集めた使用人達の前に放り投げると、男は周囲を睨みつけた。
 
「この者は、我が娘レティシアの寝室に害さんとして侵入した咎により、咎人の印を押した」
 
 今までの娘や妻に対する男の振舞いを、使用人達はよく知っている。少女は男がこの領地での権勢を得る為に幽閉されており、少年は少女の心を守る為に少女の部屋へと訪れたのだと。
 男もそれを知っているのか、不機嫌を露に鼻を鳴らすと、倒れた少年の腹を蹴り飛ばした。痛みに蹲り、呼吸する事も出来ずに少年の口が開いて上質な絨毯を汚す。それに気づいた男が、忌々しさを込めて少年の頭を踏みつけた。
 
「我が娘が成人するまで父たる私が後見人として、こうした『愚か者』から娘を守り、監督する義務がある。アレを本館に写せば、この小僧のような『愚か者』が再び現れるやもしれんからな。成人するまでは離れに置き、使用人の采配も改めて考えることとする。分かったな?」
 
 怒りにより、リアの歯がカチカチと静かに鳴り始める。孤児だった自分と同じよう、使用人の中には身よりの無い幼少の頃よりマグノリアの計らいで雇われ技術を得て、職と今の暮らしを得た者達は少なくない。そのマグノリアが愛した少女が、実の父により幽閉すると宣言をしているのに。俯きそれに従うよう、あの男に頭を下げている姿が、許せなかった。
 
「この罪人は、翌朝にでも処分する。マグノリアはお前達に甘かったが、私はそうではない。努々それを忘れるな。それまでは牢にでも繋いでおけ」
 
「心得ました。旦那様」
 
 使用人の一人が静かに返答をすると、少年の肩を掴み引きずった。己の肩に刻まれた咎人の焼印は、今もまだ残っている。平民が貴族を害せば、死罪に相当する。肩に刻まれた印が他者に知られれば、己の身柄はすぐに警備兵に拘束され、縛り首になる事だろう。
 どんなに己が潔白であるかを訴えようとも、この印がある限りは誰も耳を貸す事はない。死罪を宣告された者を匿った罪もまた、平民に待つのは死ばかりなのだから。
 
 引きずり出し放り込まれた牢で、少年はただ無力感に襲われていた。レティシアを助けようとして、彼女をより辛い苦境に陥れてしまった。明日死ぬ事も恐ろしいが、それよりもレティシアにとっての『リア』になれなかった事が、辛かった。
 抗う気力を失い、蹲ったままの少年が一人死を静かに待っていると、牢屋の鍵が静かに開いた。
 
「レイ」
 
 埃と煤で汚れた少女が名前を呼び少年に近づくと、痛みに顔を歪めながらも少年は起き上がり近づいた。
 
「レティシア、どうして」 
 
「隠し扉や秘密の通路をお母様に色々と教わったの。私は次の領主になるから、覚えておきなさいって。だから、レイのこと探せたの」
 
「マグノリア様から……」
 
「酷い怪我……ごめんなさい。私の所為で」
 
 少年の肩にくっきりと浮かんでいた焼き印を見て、少女が悲し気に目を潤ませた。少女の頬に流れる涙を拭うと、少年は笑った。
 
「こんなの痛くともなんともないよ。レティシアこそ、大丈夫か?」 
 少年の笑みが強がりだと言うことは、少女もよく分かっている。だが、今少年に必要なのは、その強がりだと言う事に気づいているのか。少女は微かな笑みを浮かべた後、再び心配そうに表情を歪めた。
 
「レイ、このままだともっと酷い事をされるんでしょう? だから逃げよう、お屋敷からの逃げ道も、私知っているから」
  
 身を隠す為に、衣服を持ってきてくれたのか。少女から手渡された新しいシャツとズボンに着替えるのを確かめると、少女は強く手を握った。
  
「うん――逃げよう」 
 
 いつもは少年が手を引いていた少女が、今は逆の立場で少年の手を引き、隠し通路を歩いている。
 今まで少年が守ってきたと思っていた少女に守られる事への無力感よりも、ただその手の温もりに気が緩みして、前に進む少女に気づかれないように周囲を伺い逃げた。
 少女を離れに幽閉したことで己の権威は盤石なものになったと、男は安心したのだろう。警備は手薄で、窓から見える明かりも無い。それでも二人は警戒しながら出口へと進み、壁を模した隠し扉の前まで辿り着いた。
 
「此処を押せば、出口が出てくるの」 
 
 壁を構築するレンガの一つを少女が押すと、人一人が通れる程のスペース分の穴が出来た。小さく安堵し、少女の手を握って少年が手を引くと、少女の手がスルリと逃げた。
 
「レティシア?」 
 
「――私は、いけないよ」
 
「此処に居たって、辛いだけだろ。だから、逃げるなら一緒に逃げよう」 
 
 静かに首を振る少女に、少年は再び手を伸ばして少女の手を掴むが、再びその手はすり抜けられる。戸惑う少年に対し、少女は何かを決意したように少年を真っすぐに見つめ、そして口を開いた。 
 
「私が逃げた事が分かったら、お父様はきっと追いかけて捕まえる。そしたら、レイも捕まって……もっと、酷い目にあう」 
 
「でも……此処に居たって、アイツがお前に酷い事をするだろ」
 
「大丈夫だよ。私は次の公爵だから、命だけは奪われない」 
 
「酷い目に合うって分かっているのに、お前を置いて行けるわけない。お前が行かないなら、俺だって絶対に行かないからな」
 
 あと少しで逃げられるのに少年は一歩も動かずに、少女を説得していた。そんな少年を安心させるよう、少女は笑いかけると両手で少年の手を握った。
 
「レイ、これはお別れじゃないよ。一緒には逃げられないけど大きくなったら絶対、絶対にレイを迎えに行くから」
 
「……レティシア」
 
「どこにいても、絶対に見つけるって約束するから。一緒にはいられなくても、レイがどこかで生きてるってだけで。私は頑張れるから。だからお願い、レイ」 
 
 強く握る少女の額に、少年は額をあわせた。静かに少女の手が緩まると、少年は少女から背を向け、一歩出口へと足を進めた。
 
「マグノリア様みたいに立派なレディになって、会いに来いよ。お前が迎えに来るまで、待ってるからな」
 
「分かった。立派なレディになって、迎えに行くから」
 
 少女の言葉を背に受けて、少年は駆け出した。舞台の上で一人取り残された少女は、逃げ道を再びレンガで塞ぎ、何度も後ろを振り向きながらも離れへと歩き出す。
 
「……く、ひっく……うぅ……」 
 
 逃げる少年に聞こえないように、声を押し殺して少女は泣いていた。その小さく心細い背中は、少女の本心を観客席のリアに鮮明に物語る。少女は、少年と共に逃げたかった。けれどこの地獄に留まる事を選んだ。少年を守り生かすために。
 喩え共に逃げた結果が、少女が危惧するものだとしても。少なくともその間だけは、彼女は救われたのではないだろうか。それを選べなかった後悔と悲しみが、少女に一人残ることを選ばせた自分の無力さと、少女の本心に気付けなかった己の愚かさに、リアは静かに涙を流した。
 
 気づけば舞台の上には誰も何も居なくなっており、リアの身体に自由が戻った。舞台の裏に、まだ少女が居るのではないか。一縷の望みにリアは立ち上がろうとした時、己の隣に人の気配を感じた。短く切られた金の髪、悲しげに伏せる赤い瞳。使い古された古着を身に着けた、舞台の上に居た少女。
 
「――レイ」
 
 リアが小さく名前を呼ぶが、少女は微動だにせず静かに何もない舞台を見るだけだった。
 
「貴方が考えていたとおり、私は『レティシア』だよ。貴方を傷つけるつもりは無かったけれど――私にとって『レティシア』だった日々は――もう、見たくないものだった」
 
 押し黙るリアに対し、少し悲し気にレティシアは微笑み頬を伝う涙を拭った。
 
「お母さまと貴方と一緒だった日々は、楽しかった。それは本当よ。でもね。幸せな事以上に――辛い事が多すぎた」
 
「――レイ」
 
 リアに名前を呼ばれ、レティシアは自嘲するような、笑みとは言い難い歪んだ表情を向けた。
 
「『レイ』はね、私にとっての夢だった。この家から逃れて、自由に生きているんだって夢。だから私も『レイ』になれば、自由になれるかもしれないって思って、『レイ』って名乗る事にした――馬鹿だよね。名前を偽ってもあの家から逃げても。私が『レティシア』だったことだけからは、逃げられないのに。それに気づいていたら、貴方を傷つける事なんて、無かったのに」
 
「レイ……もう一つだけ、教えてくれ」
 
「もう一つ?」
 
「お前は――どんな目的を持って、あの屋敷から逃げたんだ?」
 
「それを知って、どうするの?」 
 
 レティシアの問いかけにリアは腰を屈め、自らの膝の上に置いている手に、己の手をそっと重ねた。
 
「お前が一人で耐えている時、俺は傍に居る事も、力になる事も出来なかった。だから、お前に目的があるなら俺も力になりたい。逃げる事が目的なら、逃げた事で生じる何もかもを、俺も分かち合いたい。お前にとっての『リア』になれるとは、今更思っていねえ。でも、俺はもうお前を一人にしたくない」
 
「……」 
 
 その一言に、レティシアは黙っているが、覚悟を決めたようにリアの手をそっと握り返した。
 
「罪悪感で、道を決めるのはお勧めしないな。貴方がどうするかを決めるのは、今から始まる第四幕を見て考えて」 
 
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