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30話∶旅立つ君へ
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ルナールが猟犬達と共に屋敷の門を通ろうとした時、闇色のコートを纏ったルンペルが近づいた。
「おや、随分とさっぱりとした表情をしているじゃないか。目当てのモノは、見つけたのかな」
「ルンペルさん」
興味深そうに自分を見つめるルンペルの暗褐色の瞳を、ルナールは静かに見つめ返した。彼の言葉を聞かなければ、自分は道を踏み外す事はなかった。だが耳を傾ける事も、堕ちる事も。選んだのはルナール自身だ。その責任から逃げる事は、したくない。ルナールは小さく笑みを浮かべて静かに首を横に振った。
「手に入れたんじゃなくて失ったんだ」
「失って喜ぶなんて商人の私からすれば、随分と可笑しい話だ」
「そんな事はないさ。失恋したから手に入れられるものもあったからな。求めたものとは違っていても――今胸の中にあるモノだって、そう悪いものじゃない」
ルナールの言葉を聞いたルンペルは、じっと顔を見つめていた。沼の底に引きずり堕とすような視線をしっかりと受け止めていると、ルンペルの方から視線が外された。
「随分とまあ、可愛げのない顔になったものだねぇ」
「『騙しにくい』の間違いじゃないか?」
「だからだよ。だって可愛いだろう? 自分の言う事に耳を傾けて、あれこれ翻弄される人間の姿って奴はさ」
ルンペルの言葉に、ルナールは小さく目を伏せた。彼の指し示す暗い喜びの味に、一度自分は溺れてしまった。ルンペルが放つ言葉に翻弄されるままに堕ちて動き、悲哀に歪むヴィンスの表情を、自分は確かに『可愛い』と思ってしまった。
自分の中には、そうした醜悪な側面があるという事に気づいてしまった。それに気づかなかった自分には、もう戻る事はできない。小さく押し黙っていたがゆっくりと顔を上げると、ルナールはルンペルの顔を見つめた。
「良いんだ。そういう可愛さよりも、俺はもっと美しいものを見れたから」
「先達として忠告するがね、私や君の様な歪みを自覚している人間にとって、正しく生きるってのはとても窮屈で息苦しいよ? 一度きりしか無い人生なんだ。態々苦しむ方を選ばなくとも、自分の楽しみを追求する方を選べば良いじゃないか」
「選ばない。『友達』にまた逢う事ができた時……アイツに恥じない俺で居たいから」
長い沈黙の後に首を横に振ったルナールに対して、小さくルンペルは肩を震わせて笑い始めた。スーツのポケットから封蝋がしっかりと押された封筒をルナールへと手渡した。
「そうか。つまらない顔だが――良い顔になったね、ルナール君」
意外な言葉に、ルナールはほんの少しだけ目を見開かせた。己が見つめるルンペルが身に纏う沼底の様な悪魔的な禍々しさが消え、一人きりの寂しそうな男が立っていた。
「君の目は、もう迷いを知らないようだからね。ある意味羨ましいよ」
ルンペルの声色には、何かを羨んでいるような色を帯びていた。ニコリと笑うルンペルの笑みを見ていると、胸に憐みに似た思いが静かに沸き上がった。どちらの道が、自分や彼にとって幸せな生き方なのかは分からない。ただ、この男とは違う生き方を選んだ。確かな手ごたえだけが、ルナールの胸の中でじんわりと広がっていた。
「息の吸いやすい場所で生きたいって思うなら、私の国はオススメだよ。訪れる事があったら、生活の面倒くらいは見よう」
手の上の封筒を見つめながら、ルナールはふと気が付いた。 かつて自分を魅了したルンペルの言葉は、今では違う響きを持って聞こえる。 それは成長なのか、変化なのかは分からない。だが、『先達』にどうしても聞きたい事があった。
「なあ、ルンペルさん」
ルナールは静かに聞いた。
「アンタ本当に、自分の選んだ道を楽しんでるのか?」
その問いかけに、ルンペルの薄ら笑いがピクリと小さく引き攣った。彼の暗褐色の瞳には、ほんの一瞬だけ、何か深い瑕のようなものが横切っている。じっと見つめるルナールの視線に気が付いたのか、ルンペルは芝居がかったひょうきんな笑みを浮かべると、両手を広げてケラリと笑った。
「確かに私は君よりは年上だけど。人生を結論づけるには、流石にまだ早すぎる。それまではこの道を楽しむさ」
「そうか」
「じゃあね、ルナール君。縁があったら、また今度」
「――楽しむ、か」
会釈をした後自分の横を通り過ぎ、段々と遠くなるルンペルの背中を見つめながら、ポツリとルナールは呟いた。確かに自分の選んだ道は、楽な道ではない。しかし、その分だけ一歩一歩の重みがある。
「ヴィンス、お前なら何言ってんだろうな」
新しい場所に旅立つ二人の姿を思い描きながら、ルナールは空へ向かって語り掛けた。どれ程の間、思いを馳せていたのだろうか。空を見上げたきり動かない自分を心配して、猟犬たちが心配そうに足元でくぅんと声を上げて見つめている。
彼らを安心させるようルナールは微笑んで背を屈め、犬たちの頭を撫でた後に門を潜るために歩き出した。
「おや、随分とさっぱりとした表情をしているじゃないか。目当てのモノは、見つけたのかな」
「ルンペルさん」
興味深そうに自分を見つめるルンペルの暗褐色の瞳を、ルナールは静かに見つめ返した。彼の言葉を聞かなければ、自分は道を踏み外す事はなかった。だが耳を傾ける事も、堕ちる事も。選んだのはルナール自身だ。その責任から逃げる事は、したくない。ルナールは小さく笑みを浮かべて静かに首を横に振った。
「手に入れたんじゃなくて失ったんだ」
「失って喜ぶなんて商人の私からすれば、随分と可笑しい話だ」
「そんな事はないさ。失恋したから手に入れられるものもあったからな。求めたものとは違っていても――今胸の中にあるモノだって、そう悪いものじゃない」
ルナールの言葉を聞いたルンペルは、じっと顔を見つめていた。沼の底に引きずり堕とすような視線をしっかりと受け止めていると、ルンペルの方から視線が外された。
「随分とまあ、可愛げのない顔になったものだねぇ」
「『騙しにくい』の間違いじゃないか?」
「だからだよ。だって可愛いだろう? 自分の言う事に耳を傾けて、あれこれ翻弄される人間の姿って奴はさ」
ルンペルの言葉に、ルナールは小さく目を伏せた。彼の指し示す暗い喜びの味に、一度自分は溺れてしまった。ルンペルが放つ言葉に翻弄されるままに堕ちて動き、悲哀に歪むヴィンスの表情を、自分は確かに『可愛い』と思ってしまった。
自分の中には、そうした醜悪な側面があるという事に気づいてしまった。それに気づかなかった自分には、もう戻る事はできない。小さく押し黙っていたがゆっくりと顔を上げると、ルナールはルンペルの顔を見つめた。
「良いんだ。そういう可愛さよりも、俺はもっと美しいものを見れたから」
「先達として忠告するがね、私や君の様な歪みを自覚している人間にとって、正しく生きるってのはとても窮屈で息苦しいよ? 一度きりしか無い人生なんだ。態々苦しむ方を選ばなくとも、自分の楽しみを追求する方を選べば良いじゃないか」
「選ばない。『友達』にまた逢う事ができた時……アイツに恥じない俺で居たいから」
長い沈黙の後に首を横に振ったルナールに対して、小さくルンペルは肩を震わせて笑い始めた。スーツのポケットから封蝋がしっかりと押された封筒をルナールへと手渡した。
「そうか。つまらない顔だが――良い顔になったね、ルナール君」
意外な言葉に、ルナールはほんの少しだけ目を見開かせた。己が見つめるルンペルが身に纏う沼底の様な悪魔的な禍々しさが消え、一人きりの寂しそうな男が立っていた。
「君の目は、もう迷いを知らないようだからね。ある意味羨ましいよ」
ルンペルの声色には、何かを羨んでいるような色を帯びていた。ニコリと笑うルンペルの笑みを見ていると、胸に憐みに似た思いが静かに沸き上がった。どちらの道が、自分や彼にとって幸せな生き方なのかは分からない。ただ、この男とは違う生き方を選んだ。確かな手ごたえだけが、ルナールの胸の中でじんわりと広がっていた。
「息の吸いやすい場所で生きたいって思うなら、私の国はオススメだよ。訪れる事があったら、生活の面倒くらいは見よう」
手の上の封筒を見つめながら、ルナールはふと気が付いた。 かつて自分を魅了したルンペルの言葉は、今では違う響きを持って聞こえる。 それは成長なのか、変化なのかは分からない。だが、『先達』にどうしても聞きたい事があった。
「なあ、ルンペルさん」
ルナールは静かに聞いた。
「アンタ本当に、自分の選んだ道を楽しんでるのか?」
その問いかけに、ルンペルの薄ら笑いがピクリと小さく引き攣った。彼の暗褐色の瞳には、ほんの一瞬だけ、何か深い瑕のようなものが横切っている。じっと見つめるルナールの視線に気が付いたのか、ルンペルは芝居がかったひょうきんな笑みを浮かべると、両手を広げてケラリと笑った。
「確かに私は君よりは年上だけど。人生を結論づけるには、流石にまだ早すぎる。それまではこの道を楽しむさ」
「そうか」
「じゃあね、ルナール君。縁があったら、また今度」
「――楽しむ、か」
会釈をした後自分の横を通り過ぎ、段々と遠くなるルンペルの背中を見つめながら、ポツリとルナールは呟いた。確かに自分の選んだ道は、楽な道ではない。しかし、その分だけ一歩一歩の重みがある。
「ヴィンス、お前なら何言ってんだろうな」
新しい場所に旅立つ二人の姿を思い描きながら、ルナールは空へ向かって語り掛けた。どれ程の間、思いを馳せていたのだろうか。空を見上げたきり動かない自分を心配して、猟犬たちが心配そうに足元でくぅんと声を上げて見つめている。
彼らを安心させるようルナールは微笑んで背を屈め、犬たちの頭を撫でた後に門を潜るために歩き出した。
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