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22話:獣に巣食う魔が落ちる
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互いの我欲と怒りをぶつけて戦い合う二人の姿を、力なくヴィンスは見つめていた。
(私が、いなければ……)
ルナールは猟場管理者として全うに生きて、こんな蛮行を行わずに済んだ。ベートもまた、狩人として穏やかな日々を送る事ができた。二人が命を奪い合う事なんて無かった。父だって、火あぶりにされる事などなかった。
「ヴィンス――ごめんね」
自分の名前と放たれた謝罪の言葉に、ベートがこれから何をするつもりなのかをヴィンスは悟った。己の命を犠牲にして、ルナールを道連れに逝く気なのだと。ヴィンスの命を守る為に。
「ぅ……」
何もかも、虚無に返してしまいたかった。己を求めて殺し傷つけあう二人を。己を惑わしてしまった自分自身を。全部、全部。殺して自分が居たという事実さえも、無かった事にしてしまいたかった。
二人の命の屠り合いが、己によって引き起こしたものならば。
せめてこのナイフはベートではなく、元凶である己自身を貫くべきだ。
ユラユラとヴィンスは立ち上がった。二人共、この中で一番に弱い己には意識を向けていない。鈍痛に苛まれながら一歩一歩とベートに進み、精一杯の力で突き飛ばす。
「っ――」
ルナールとベート、二人の姿が驚愕に歪む。体重と速度を乗せた足は止まらず、ルナールはせめて急所を外そうとナイフの軌道を変えた。だが、ナイフを空振りさせるには、余りに距離を詰めすぎている。
ナイフはヴィンスの身体を貫く事は無かったが右腕を深く裂き、そこから生暖かい血液が滾々と溢れている。紅に染まったナイフと、血の色に段々と染まってゆくシャツを交互に見返していたルナールの瞳に段々と理性が戻り、震える手でナイフを放り投げた。
「ルナール」
温かい液体が腕をどろどろと濡らす不快感と、それを上回る強い痛みを押し殺し、ヴィンスは静かな口調で名前を呼んで、青ざめているルナールの表情を見つめた。
「ヴィンス――」
後悔と苦悶に歪む表情からは、あの狂的な熱に溺れる事を愉しんでいるような様子はない。漸く自分の知る『ルナール』と再会できた気分になった安堵で意識を失い身体が崩れ落ちそうになるが、ヴィンスは足に力を込めてそれを防いだ。
「違う、俺はこんな事がしたかったんじゃないんだ。俺は――」
「ああ、知っている。ただお前は、私という毒に犯されていただけだ」
「違う――!! お前は、毒なんかじゃない。俺が、誘惑に負けたから……」
首を横に振り、涙を流しながら膝を崩し、ルナールは自分を見上げている。深い深い後悔を露にする表情を見て、彼はいつでも直向に、分かりやすい程に思いを向けていた事を思い出した。
いつだって、ルナールは心を晒していた。自分の事を、知りたがっていた。だが己はいつもルナールの思いに対して目を逸らし、心に覆いを被せて接していた事に気が付いた。
ならばルナールに対しての罪は、己の身が放つ香りで彼を惑わせた事ではない。彼の思いをずっと蔑ろにしていた事だ。ずっと彼の思いを蔑ろにしてきたからこそ、彼も自分の思いを蔑ろにした。
自分を傷つけてしまった事実が、ルナールの胸を強く苛んでいる事が、狂乱に溺れた彼に対する報いであるならば、内と外を苛ませ続けている痛みは、自分が受ける報いであるのだろう。
「最初の望みは――私が何を思っているのか。知りたかっただけだろう? それが叶わないと思ったからこそ――お前は私を手元に置く事に執着した」
「ヴィン……ス……!!」
ヴィンスの指摘に、ルナールは大きく目を見開き、何度も何度も首を縦に振った。血が失われてゆく寒さと、熱が齎す双方の痛みに身を任せば、楽になれることだろう。だが今そうしてしまえば、己は二人を惑わせただけではなく、徹底的な傷をつけることになってしまう。
己を傷つけた事に苦しむルナールが、おしえてくれたのだ。もしも、己が死んでしまえば、ルナールやベートは、かつてのヴィンスのように、愛を呪いに変えてしまう事になる。
ベートにも、そしてルナールにも、喪失の痛みと守れなかった悔恨の苦みを与えるわけにはいかない。二人には、あんな思いをさせたくない。
ヴィンスは薄らと汗を滲ませながら、言葉に全霊を傾けているルナールに対して、口を再び開いた。
「ルナール、私は……父を殺したこの国が受け入れている『正しさ』が……憎かった。憎んでいるのに此処から離れられず、此処でしか暮らす術を持っていない事が……ずっと息苦しかったんだ――だから、抵抗なくそれを受け入れる事が出来るお前は、私にとっては『正しさ』そのものだった」
ヴィンスの言葉に、ルナールの表情がくしゃくしゃと歪む。己とルナールの思いは、どうしようもなくすれ違っている事が分かっていた。その事実を突きつければ、彼にこんな表情を浮かばせる事も、分かっていた。
けれど、告げなければならなかったのだ。たとえ傷つける事になったとしても。自分は、ルナールに向き合う事を選択しなければならなかったのだ。
「ルナール」
か細い声でヴィンスが呼びかけた後、ヴィンスは息を吐いて小さく告げた。
「お前が歩く道を、私は一緒には歩けない」
(私が、いなければ……)
ルナールは猟場管理者として全うに生きて、こんな蛮行を行わずに済んだ。ベートもまた、狩人として穏やかな日々を送る事ができた。二人が命を奪い合う事なんて無かった。父だって、火あぶりにされる事などなかった。
「ヴィンス――ごめんね」
自分の名前と放たれた謝罪の言葉に、ベートがこれから何をするつもりなのかをヴィンスは悟った。己の命を犠牲にして、ルナールを道連れに逝く気なのだと。ヴィンスの命を守る為に。
「ぅ……」
何もかも、虚無に返してしまいたかった。己を求めて殺し傷つけあう二人を。己を惑わしてしまった自分自身を。全部、全部。殺して自分が居たという事実さえも、無かった事にしてしまいたかった。
二人の命の屠り合いが、己によって引き起こしたものならば。
せめてこのナイフはベートではなく、元凶である己自身を貫くべきだ。
ユラユラとヴィンスは立ち上がった。二人共、この中で一番に弱い己には意識を向けていない。鈍痛に苛まれながら一歩一歩とベートに進み、精一杯の力で突き飛ばす。
「っ――」
ルナールとベート、二人の姿が驚愕に歪む。体重と速度を乗せた足は止まらず、ルナールはせめて急所を外そうとナイフの軌道を変えた。だが、ナイフを空振りさせるには、余りに距離を詰めすぎている。
ナイフはヴィンスの身体を貫く事は無かったが右腕を深く裂き、そこから生暖かい血液が滾々と溢れている。紅に染まったナイフと、血の色に段々と染まってゆくシャツを交互に見返していたルナールの瞳に段々と理性が戻り、震える手でナイフを放り投げた。
「ルナール」
温かい液体が腕をどろどろと濡らす不快感と、それを上回る強い痛みを押し殺し、ヴィンスは静かな口調で名前を呼んで、青ざめているルナールの表情を見つめた。
「ヴィンス――」
後悔と苦悶に歪む表情からは、あの狂的な熱に溺れる事を愉しんでいるような様子はない。漸く自分の知る『ルナール』と再会できた気分になった安堵で意識を失い身体が崩れ落ちそうになるが、ヴィンスは足に力を込めてそれを防いだ。
「違う、俺はこんな事がしたかったんじゃないんだ。俺は――」
「ああ、知っている。ただお前は、私という毒に犯されていただけだ」
「違う――!! お前は、毒なんかじゃない。俺が、誘惑に負けたから……」
首を横に振り、涙を流しながら膝を崩し、ルナールは自分を見上げている。深い深い後悔を露にする表情を見て、彼はいつでも直向に、分かりやすい程に思いを向けていた事を思い出した。
いつだって、ルナールは心を晒していた。自分の事を、知りたがっていた。だが己はいつもルナールの思いに対して目を逸らし、心に覆いを被せて接していた事に気が付いた。
ならばルナールに対しての罪は、己の身が放つ香りで彼を惑わせた事ではない。彼の思いをずっと蔑ろにしていた事だ。ずっと彼の思いを蔑ろにしてきたからこそ、彼も自分の思いを蔑ろにした。
自分を傷つけてしまった事実が、ルナールの胸を強く苛んでいる事が、狂乱に溺れた彼に対する報いであるならば、内と外を苛ませ続けている痛みは、自分が受ける報いであるのだろう。
「最初の望みは――私が何を思っているのか。知りたかっただけだろう? それが叶わないと思ったからこそ――お前は私を手元に置く事に執着した」
「ヴィン……ス……!!」
ヴィンスの指摘に、ルナールは大きく目を見開き、何度も何度も首を縦に振った。血が失われてゆく寒さと、熱が齎す双方の痛みに身を任せば、楽になれることだろう。だが今そうしてしまえば、己は二人を惑わせただけではなく、徹底的な傷をつけることになってしまう。
己を傷つけた事に苦しむルナールが、おしえてくれたのだ。もしも、己が死んでしまえば、ルナールやベートは、かつてのヴィンスのように、愛を呪いに変えてしまう事になる。
ベートにも、そしてルナールにも、喪失の痛みと守れなかった悔恨の苦みを与えるわけにはいかない。二人には、あんな思いをさせたくない。
ヴィンスは薄らと汗を滲ませながら、言葉に全霊を傾けているルナールに対して、口を再び開いた。
「ルナール、私は……父を殺したこの国が受け入れている『正しさ』が……憎かった。憎んでいるのに此処から離れられず、此処でしか暮らす術を持っていない事が……ずっと息苦しかったんだ――だから、抵抗なくそれを受け入れる事が出来るお前は、私にとっては『正しさ』そのものだった」
ヴィンスの言葉に、ルナールの表情がくしゃくしゃと歪む。己とルナールの思いは、どうしようもなくすれ違っている事が分かっていた。その事実を突きつければ、彼にこんな表情を浮かばせる事も、分かっていた。
けれど、告げなければならなかったのだ。たとえ傷つける事になったとしても。自分は、ルナールに向き合う事を選択しなければならなかったのだ。
「ルナール」
か細い声でヴィンスが呼びかけた後、ヴィンスは息を吐いて小さく告げた。
「お前が歩く道を、私は一緒には歩けない」
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