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16話:魂の感じ方

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 夜も更け、ベッドの上でヴィンスとベートは向かって座り合っていた。ガチガチに緊張しきっているヴィンスと、それにつられてベートもまた心臓が勝手に高鳴り、顔が朱色に染まっている。
 
「ヴィンス、それじゃあ、その……まず、何からすればいい?」
 
 ベートに問われ、ヴィンスはピクリと肩を震わせて右下の方へ視線を向けながら口を開いた。
 
「父さんは、その……よく、頭を撫でていた」
 
「じゃあ、触るね」
 
 ヴィンスの父親は、獣の剛毛と爪なんて持ってはいない。だから、人間の左腕をベートは伸ばすとおっかなびっくりとした仕草でヴィンスのウェーブのかかった長い黒髪にそっと触れると、その繊細な感触に思わず指が跳ねた。
 ヴィンスの黒髪は、柔らかくてしっとりとした艶があって、触っていて心地が良い。毛皮の肌触りとは全く異なり、包み込まれるように柔らかい。
 
 ヴィンスの父親も、触れるのが心地よかったから何度も頭を撫でていたのだろうか。ヴィンスは、自分の胸の中に居る父親の魂を感じる事が出来ているのだろうか。ヴィンスの顔へと視線を向けると、少し恥ずかしそうに視線を下げながらも、嬉しさは隠しきれていないのか唇は、柔らかく綻んでいる。
 
(――ああ、そうか)
 
 きっとヴィンスの父親は、恥ずかしながらも喜ぶヴィンスが可愛くて、愛しくて。もっと、もっと喜んで欲しくて。だから何かと頭を撫でていたのだろう。ゆっくりと、傷つけないように頭を撫でながら、ベートは問いかけた。
 
「ヴィンス、俺の触り方……どう?」 
 
「ああ。父さんもこんな風に――私の事を、宝物の様に触れていた」
 
 懐かしむ様に表情を緩ませたまま、ベートの手に委ねるように、コトンと頭が預けられた。スリスリと頬を寄せる今のヴィンスには、いつも眉間に刻まれている皺がない。リラックスして、優しい過去を思い出す事ができているのだと、ベートにも理解できた。 
 
「薬草の名前を覚えた時以外にも、寝る前にだとか、名前を呼ばれて近づく時だとか――よく、父さんに撫でられていたな」
 
「俺の触り方……ヴィンスのお父さんのと似てるの?」
 
「父さんの方は、もう少し力が強かった」
 
 ヴィンスの言葉に、ベートは手を離して力加減を調節しようとした。だが、ヴィンスは腕を伸ばしてベートの手を掴み、頭から手を離れるのを止めようとした。
 
「お前の触り方は、父さんを思い出す。だから……そのままで良い」 
 
「そっか。もっと撫でてもいい?」
 
「ああ」 
 
 ヴィンスの許しを得て、何度もベートは頭を撫でた。彼が優しい思い出に浸れるように。彼の胸の中に眠る、父親の魂を感じる事が出来るように。何度も、何度も心を込めて。
 目に優しいオレンジ色のランプの灯りに照らされているヴィンスは、今まで纏っていた緊張感や人を寄せ付けまいとする険呑な気配が消え、いつになくリラックスしているように見えていた。
 
「頭を撫でた後、父さんはよく私を抱き上げてくれていた。もう赤子じゃないんだから、と私が何度文句を言っても『お前は毎日大きく、重くなるんだ。だから父さんがお前を抱っこ出来るまでは、こうさせてくれ』と言って、抱き上げるのを止めなかった」
 
 唇を弛めて昔を懐かしむヴィンスの若草色の瞳は、やんわりとした光を放っている。その後、ヴィンスは静かに目を閉じた。きっと胸の中に宿っている父に抱き上げられた時の温もりや包容力を思い出しているのだろう。穏やかな表情を浮べているヴィンスの表情に、ベートもまた満たされた心地で何度も頭を撫でていた。
 
「私を抱き上げる度、父さんは『重くなった』と嬉しそうに笑っていた。そうして笑う父さんの笑顔が、幸せそうで。父さんの笑顔が好きだったから」
 
 ベートに昔を語る度、自分を抱き上げる父親の嬉しそうな声や、笑顔が次々と蘇る。その時感じた自分の喜びやむず痒さもまたじんわりと蘇り、小さく苦笑しながらヴィンスは懐かしさに息を吐いた。 
  
「文句は言ってはいたが、いつも素直に抱き上げられてたんだ」 
 
 今まで父親との日々を思い出す時は、無力感と口惜しさと憎しみが入り混じり、いっそ胸を引き裂かれた方がマシだとさえ思う程に痛かった。だが、今自分の胸に宿るのは幸せな思い出が生みだす暖かな気持ちと、春の日の光に包まれているような安らぎがある。
 
「それじゃあ、俺もヴィンスを抱き上げようか?」
 
 ベートの提案に、閉じていた瞳を開けてヴィンスは軽く苦笑した。
 
「私にも男としての矜持がある。流石に同年代の男に抱き上げられるのは、懐かしさの前に悔しさの方が先に来る」
 
「そういうモノなの?」
 
「そういうモノだ。だから抱き上げると、小突くぞ」
 
 唇を尖らすヴィンスには、もしも己が抱き上げたとしても本当に小突く気は無いと、ベートには分かった。ヴィンスが父親の思い出や胸に眠る魂を感じてその思い出をぽつぽつと語る度に、ベートにもまたヴィンスの心が掌越しに感じられる。
 優しいランプの灯が、ゆらゆらとヴィンスの影を揺らしている。自分の影もまた、ゆらゆらと揺れてヴィンスに重なっている。ヴィンスが今感じている安らぎを守るべく、小さく笑うとベートは柔らかな黒髪をそっと指で漉いた。
 
「じゃあ、止めておく。ねえヴィンス、他にして欲しい事、ある?」 
 
 ベートの問いかけに、ヴィンスは小さく瞬きを繰り返すとベートへと身を近づけた。
 
「ヴィンス?」
 
 コツンと自分の胸に、ヴィンスの額が寄せられる。そのままゆっくりと腕が伸び、細腕に抱きしめられた。
 
「――眠る時に父さんがしてくれた事を、してほしい」
 
「どんな事?」
 
 ベートの問いかけに、抱きしめられる腕に力が込められる。
 
「向かい合って、髪や頬を撫でたり、背中を優しく叩きながら――私が眠るまで、おとぎ話をしてくれた」
 
「おとぎ話……」
 
 ヴィンスの言葉に、ベートは少しだけ困った声を上げた。子どもの頃のベートが眠る時、日々の訓練や狩で疲れきっていたのでベッドに横たわればすぐに眠れた。それに、お師匠からは生きる為の技術や知識には詳しかったが、そうした子どもに聞かせるような話を聞かせてくれた事はない。
 ヴィンスの願いを叶えられず、ベートは沈んだ表情を浮べた。それに気づいたヴィンスは、抱きしめていた腕を解くと、ベートの頭をそっと撫で始めた。
 
「あ……」
 
 優しい手つきと、細く柔らかな手がベートの銀色の髪に埋もれる。魂を直接抱きしめられているような。今まで感じた事のない安心感に、パチパチとベートは瞬きを繰り返した。その表情に、ヴィンスは口元を弛めると、優しさと愛おしさが込められた笑みを浮かべた
 
「父さんが私の頭をいつも撫でていた気持ちが、分かった気がする」
 
 その気持ちはどんな気持ちなのか。きっとそれは、ヴィンスの中で大切に大切に包まれるべきものであり、他人に解き明かされるものでも、興味本位で尋ねるべきものではない。直感的にベートはそう感じ取った。今、ヴィンスは自分の胸の中に眠る『父親』に逢っている。父親の魂を、確かに感じている。
 それに気づいたベートは、二人の邂逅の時間を邪魔しないために沈黙を選び、ヴィンスの慈しみの籠った手の温もりを静かに感じ続けていた。
 
「なあ、ベート」
 
「どうしたの?」
 
「おとぎ話は、私が話す。だから、その……お前が私の話を……聞いてくれないか?」 
  
 許しを得るようなヴィンスの声は、少し細く揺れている。今、彼は自分の心の一番柔らかい場所を見せてくれている。ヴィンスにとって、それは自分の『獣の右腕』だ。絶対に他人に見せたくない場所だ。それを今、自分に見せている。隠したいと思うものを晒す事に、どれ程の勇気と決断を要するのか。それを知っているからこそ、ヴィンスが晒す相手に自分を選んでくれた事が、ベートにとっては何よりの喜びだった。
 
「うん、俺……ヴィンスが話すおとぎ話……聞いてみたい」
 
 嬉しさに、金色の瞳から涙が滲む。何度も首を縦に振り、『聞きたい』と言うベートの反応に、ヴィンスは小さく笑うと頭を撫でる手を離し、浮かんだ涙をそっと拭った。
   
「それじゃあ、まずは横になるんだな」
 
「うん」 
 
 大人しくベートが横になると、向かい合うようにヴィンスもまた横になった。期待感にワクワクと目を輝かせるベートの姿は、今夜はどんな話をしてくれるかを楽しみにしている幼い自分の姿に重なる。腕を伸ばし、頬にかかったベートの銀髪を指でそっと整えると、ベートの手もまたヴィンスの顔に伸ばされ、頬や頭を撫で始めた。
 
 ベートの手の感触も、己を見つめる視線にも。今まで他人が自分に向けてきた欲と色の気配はない。ただ愛しさのみが宿っていた。傍に居たいのは、己の身体が放つ香りがそうさせているからではない。自分に向かってかけられたベートの言葉が、ヴィンスの胸の中にじんわりと浸透する。
 
 優しい話を聞かせたい。楽しい夢が見る事が出来るよう、悪者も犠牲者も居ない話を語りたい。ベートの顔をじっくりと見つめながら父の語ったおとぎ話を思い出し、ヴィンスは優しく語り掛けた。 
 
「ケーキを焼く時、表面にブツブツとした穴が空いている理由を知っているか?」 
 
「うーん……わからない」
 
「食いしん坊の小さな小人が、ケーキの味見をしているからだ」
 
「穴が沢山空いているケーキは、それだけ小人が沢山味見したって事になるよね。じゃあ、穴が沢山空いているケーキはすっごく美味しいって事なのかな」
 
「小人の好みが、お前の好みと一致しているかは分からんぞ? そういえば、お前はどんなものが好きなんだ?」
 
「んー……滅多に食べられないけど蜂蜜が取れたら、パンにたっぷり付けたもの。ヴィンスは何が好き?」
 
「私は――ブレッドプディングが好きだな。ミルクとバターがたっぷり沁み込んだパンの部分が特に」
 
「じゃあ、明日の朝はブレッドプディングにしよう」
 
「玉子はどうする」
 
「前に近くの村で交換したのが余ってるから大丈夫」 
  
「そうか」  
 
 他愛もないやり取りを、何度も何度も繰り返しているうちに、夜は更け、瞼もどんどんと重くなる。そして、どちらともなく眠りに落ちた。
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