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14話:悪魔の名前を持つ男 2(side:ルナール)

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 ルンペルに誘われるが侭、ルナールは神にしか告解をしなかったヴィンスの事を、洗いざらい話していた。話を聞き終わったルナールは、顎に手を当て暫く考え込んでいると、パチリと両手を叩いた。
 
「ふむ、中々に興味深い話だったね」
 
「アイツが俺以外の相手に悪魔憑きだと知られたら、どんな目に合うかわからない。ヴィンスを助けられるのは、俺だけなんだ。だから早くて見つけて、連れて帰らないと……」
 
「君は運が良い。丁度ね、悪魔憑きに出会ったって言う男を見つけて、話を聞く予定だったんだ。君の探している相手かどうかは分からないけど、君も話を聞いてみるかい?」
 
「お前……悪魔憑きに興味があるのか?」
 
 ルナールの問いかけに警戒の色を感じ取ったのか、ルンペルはカラカラと笑い声を上げて両手を広げた。
 
「君の国の人間とは全く異なる見た目だからかな、私はよく『悪魔』と言われている。ま、聖句を聞かされたり、聖水をかけられてもこのとおり人間だから、そうした所で何も起きないんだけどね。だからかな、噂の『悪魔』に憑かれてる人間とは、どんなものなのか、滞在中に是非見てみたいと思っているだけさ」
 
「……」
 
 敬虔な老人連中ならば、ルンペルの明らかに異国人の容貌を悪魔のものと誤解する事もあるだろう。それに、ルンペルの口調からは、悪魔憑きに対する興味は大いにあれど、嫌悪の感情は見られない。仮にヴィンスを見つけても、害する事は無いだろう。
 第一、ルナールにはヴィンスに対する情報が少なすぎる。どんな事でも良い、ヴィンスについて何かを知れるきっかけになる事は、何でも知りたい。
 
「俺にも話を聞かせてくれ、ルンペル」
 
「彼とは酒場で待ち合わせる事になっている。付いてくると良い」 
 
 ルンペルの言葉に従い、ルナールは教会を後にして酒場へと共に向かった。これから出会う人間が、ヴィンスへの手がかりになることを神に祈りながらルンペルが酒場のドアを開くと、陰気そうな男が壁の隅の席に座り、自分たちを静かに見つめていた。
 
「やあ! 待たせてしまったかい?」
 
「時間なら、余るほどある。そっちの坊主は?」
 
「私の連れさ。さ、積もる話なんて私と君の間には無いだろ? 悪魔憑きについて、話を聞かせてくれ」 
 
 向かいの席に座ったルンペルにつられ、ルナールもまた隣に座った。そのまま給仕にワインとエールを注文するが、男は中々口を開こうとしない。口元のみ笑いながら、暗褐色の瞳を細め男にルンペルが黙って話を促すと、苦々しい表情を浮かべて男はため息を吐いた。
 
「いくらお前が異国人とはいえ、なんであんな忌まわしいものに興味を抱くんだ」
 
「おいおい、君にかけられた聖水で汚れてしまったコートの代金を、請求する代わりに悪魔憑きについて話すと取引しただろ? 今更それを反故にするつもりかい? このまま立ち去ろうって言うのなら、此処の領主にそのことを愚痴ってしまいそうだ」
 
「っ……分かったよ。話せば良いんだろ」
 
 八つ当たり気味に男はエールを一息に飲み干すと、給仕にもう一杯追加で頼んだ。エールを待つ間、男はテーブルの上に肘を置いて気忙しく周囲を見回していたが、やがて重々しく口を広いた。
 
「俺が悪魔憑きを見たのは、25年前だ。そいつは黒い髪と薄緑の色の瞳をした一等に綺麗な奴でな、村の男達は、誰が落とすか競いあっていたもんだ」
 
「悪魔憑きにだぞ? それは罪深い悪徳だ」 
 
 ルナールの言葉に、少し酔った男は大きく鼻を鳴らして二杯目に手を出そうとしていた。
 
「知ってらあ。そいつはな、テメェが悪魔憑きってバレねぇように、女装してたんだよ。痛み止めやら熱冷ましやら、色んな薬も器用に作れる奴でね、女連中とも仲が良かった。そんな中で、そいつは急に外に出ずに家に籠もるようになっちまってな。女連中は世話やら何やらで家に入れてるってのに、男だけは絶対に入れねえ。中のそいつがどうなってるのか、聞いたって答えやしねえ。だからこそ、一層家の中のそいつはどうなってんのか。興味も引き立てられるだろう?」
 
「秘密は時として、香水以上に人を魅力的に見せるエッセンスたりえるからねえ。で、君はその悪魔的な魅力に、見事に屈してしまったと」
 
「ああ。人の気配の無い深夜を狙って、家の中に入るとな。そいつは平べったい胸でーー赤ん坊に乳を与えていた。ガキ産むのは女の役目って神様が決めたってのにーーそいつは男の身で、ガキを産んだんだよ」
 
「っ……本当に、その……男が産んだのか? 女性に産ませた子を抱いていたとかではなくて?」
 
 男の言葉に、ルナールは思わず身を乗り出して尋ねた。あまりの気迫に一瞬男はたじろいだが、エールを一口飲んで落ち着くと、大仰に首を縦に降った。
 
「ああ。ガキを産んだ時のやつれ方ってのは、独特だろう? アイツのやつれ方は、まさにそれだ。間違えやしねえ」
 
「それで、その悪魔憑きはどうなったんだい?」
 
「俺は敬虔な信徒だ。神様に恥じる真似はしねえ。人を呼ぼうとした時に、思いっきり後ろから女に殴られてオネンネさ。ったく、『悪魔憑きだろう何だろうが、やや子から親を奪うような真似なんてするお前こそ悪魔だ』とか吐き捨てやがって。女ってのは、感情的で困ったもんだ」
 
「では君は、のうのう地面とキスをして、悪魔憑きをみすみす逃がしたってワケか」 
 
 ワインで唇を湿らせると、ルンペルは楽しげにクツクツと喉を鳴らした。あからさまな嘲笑の込められた反応に、男は眉間に皺を歪ませると、身を乗り出した。
 
「それだけで終わるかよ。出稼ぎでこの近くの街に着いた時、その悪魔憑きがお貴族様を誑かしている所を見つけてな。神がお定めになった聖道のとおり、悪魔が栄える事はない。その悪魔憑きは、聖なる火によって浄化されたさ」
 
「その悪魔憑きには、子どもが居たんだろう……? そいつは、どうなったんだ?」
 
 恐る恐るルナールが問いかけると、酒が回って大分顔が赤く染まった男が不思議そうに首を捻った。
 
「さあな、あの悪魔憑きがとっ捕まった時は一人だった。ガキなんて足手まといにしかならねぇから、途中で捨てでもしたんじゃねぇか?」
 
「……」
 
 男の答えに、ルナールは静かに黙って目の前にあるワインをじっと見つめていた。チラリとルンペルは隣に座ったルナールの様子を確かめると、懐から金貨を一枚取り出すと、男の前へと置いた。
 
「興味深い話をありがとう。良い夜を」
 
 ルンペルの置いた金貨を、男は目を見開いた後に素早く掴むと立去った。テーブルに二人だけになると、ルンペルは手に持った椀を回してワインの香りを楽しんだ後、ゆっくりと飲み干した。
 
「此処のワインは良いブドウを使っているね。私は甘党だから、酸味や渋みを残したものよりも、こういう糖度が高めのタイプが好きなんだ。君は飲まないのかい? ルナール君」
 
「……」
 
「それとも、さっきの話に衝撃でも受けたかい? 彼は『聖なる火で浄化』だとか言っていたけど、それって要は火あぶりって事だろ。酒の肴にしちゃあ、ちょっと焦げつきすぎだったかな」
 
 軽口を叩きながらルンペルは頬杖をつき、ニマニマと笑っている。確かに、悪魔憑きの末路について、ルナールの口の中には苦々しいものは広がった。だが、今胸を占めているものはそれではない。ルナールは沈黙を保ち、ルンペルの言葉を無視する事に集中していたが、深々とため息を吐いた瞬間、無防備な頭に悪魔のようなねっとりとした声が入り込んだ。
 
「それとも、『悪魔憑きが産んだ子』にでも、心当たりでもあったのかい?」 
 
「っ!!」
 
 思わずルンペルの方へと顔を向け、ルナールは驚愕に顔を歪めた。そんな反応がツボに入ったのか、ケラケラと肩を震わせながらルンペルは笑うと、目尻に浮かんだ涙を拭った。
 
「もう少し腹芸を覚えておいた方が、色々と便利だよ? ま、そういう素直な人間の方が私は好きだけどね」
 
「っ……当たり前、だろ。アイツに見つかったら、ヴィンスの命が……」
 
「君が心配しているのは、命だけかい?」
 
「な……に、を」
 
「彼、散々『悪魔憑き』の彼の事を悪しざまに言っていたけれど、随分とご執心みたいだったよねぇ。そんな相手にヴィンス君とやらが見つけたら、ただ殺すだけで終わると思うかなぁ?」
 
 ルンペルの問いかけに、ルナールは思わず拳を握り、テーブルに叩きつけた。テーブルの上の椀からワインが少し溢れるが、ルンペルは全く動じた気配はない。
 
「私の国ではね。人になりたがっていた狼の群れが、神に頼んで人間にしてもらったって昔話が伝わっているんだ。君の国で言う『悪魔憑き』は、私の国では『雌狼を祖とする人間』と呼ばれていてね。自分の運命の番たる『雄狼を祖とする人間』を探すために、実に魅力的な香りを放つ。対して『雄狼を祖とする人間』は、『雌狼を祖とする人間』の香りを辿って自分の運命の番を探している、と語られているのは」 
 
「そんな他所の国の昔話が、何だって言うんだよ」
 
「大ありさ。だって、狼ってのはとても一途な生き物なんだ。一度番えば先立たれたって、後添えを作ることはない。きっと狼を祖とする人間も、愛情深い性質なんだろうねぇ」
 
「だから、何を……」
 
「ねえルナール君。君にとっての運命は彼のようだけど、果たして彼の運命は君なのかな?」 
 
 ルンペルの問いかけに、ルナールは何も答えられなかった。黙ったまま、表情を曇らせているルナールの表情を、ルンペルはクスクスとなぶるような酷薄とした笑みを浮かべると、唇を舌で湿らせた。
 
「彼が惑わせていたのは、果たして君だけだったのかな? 『悪魔』って奴は、善なるモノを惑わすって言うんだろ? 君を誘惑するのに失敗した彼が、今頃他の誰かを惑わして、そいつの腕にでも抱かれてるって考えたやしないのかい?」
 
「ヴィンスは……」
 
 そんな奴じゃない。その言葉が、ルナールには言えなかった。ヴィンスは、誰かと積極的に関わろうとしようとはしない。そんなヴィンスが、己へ優しさを見せていた。だが、それは自分だけに与えられたものだという確信だけは、抱けなかった。
 
(だって過去も、何も――ヴィンスは何も、俺に語ってくれなかった)
 
「――君もそれを、危惧していた。だから確認したんだろう? 『男の悪魔憑きが、本当に子を産んだのか』ってね」 
 
「……」 
 
 口ごもり微動だにしないルナールへ、追い打ちのようにルンペルの言葉が心に刺さる。
 
「狼は、番としか子を成さない。なら、彼に君の子どもを産ませれば――君が彼の番だ」 
 
「でも、それは……神様がお定めになった事に、反する行為だ」
 
 反論するルナールの言葉は、聞き取り辛い程に弱々しい。項垂れたまま、ワインが溢れたテーブルを見つめるルナールに、ルンペルは立ち上がると脱いでいたコートを纏った。
 
「信仰を選ぶか、欲望を選ぶか。選ぶのは君だ。後悔の無い選択を祈るよ、ルナール君」 
 
 立ち去ったルンペルの背中を、一人取り残されたルナールはじっと見つめていた。どうして彼は、甘い堕落の道を提示するだけで、自分の事を堕としてくれない。その酷薄とさえ言いたくなる態度に、ルンペルこそが己が聖道を自ら踏み外す為に、悪魔が姿を変えて現れたかのようにさえ思えてしまう。
 
「……ヴィンス」
 
 小さく呟くと、ルナールはワインの残った碗をじっと見つめていた。彼が、自分では無い他の男と居る。ルンペルによって提示された可能性が、ジワジワとルナールの心を蝕み焦燥感に気が狂いそうになってしまう。
 
(俺は――) 
 
 ワインは、神が人を苦しみから救う為に作られた飲み物だ。だからこそ楽しみの為に呑む事は、神の恩情に反する事。それが教会の教えだ。それ故に、ルナールは目の前の酒に手を付けなかった。
 だが今、己は碗を持ちワインをゆっくりと飲んだ。ヴィンスと聖道に反する苦しみから逃げる為ではない。
 ワインの味を、楽しむ為に。
 
「――」
 
 初めて飲むワインは、まろやかな優しい甘みが口に広がり美味だった。口の中に残る香りは、まるでヴィンスの身体から漂っていた匂いのように甘い。
 
「――ハハ」
 
 小さく笑うと、喉につかえていた苦しみがスッキリと取れた。ヴィンスを己の運命にする。今の自分ならば、その欲望を叶えるためにどんな事でもできる。
 酒精に身を任せながら、ルナールは滾々と腹の底から笑い続けていた。
 
 
  
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