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10話:取引の対価

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「さあ、茶は私が淹れるから、君達は座っていると良い」
 
 ベートの家でありながら、まるで自分の家であるようにふてぶてしく、ルンペルは湯を沸かし茶器を並べ始めた。この家の主である当のベートは、自分の隣に座っているヴィンスの様子を伺い案じている。あまりに無警戒な様子に、小さくヴィンスは肘で小突くと小声で囁いた。
 
「おい、好き放題にさせておいて良いのか?」
 
「ルンペルが此処に来る時は、俺よりも自分の方が上手だからって、淹れてるから」
 
「お前――ルンペルと取引したのか?」
 
「うん、パンや野菜とか、日常に必要なものを動物の毛皮だったり、植物や鉱石と取引してる」
 
 ルンペルの『取引』が、物々交換のみを意味していない事を初めて知ったのか。ベートは包帯に包まれた右腕を、落ち着かない様子でしきりに撫でている。この包帯の下に包まれている獣の腕をルンペルに知られてしまえば、ベートの身もまた『商品』として彼に目を付けられる事になるかもしれない。
 少しでも落ち着かせようと、ヴィンスはベートの太腿をそっと撫でて顔を見つめた。
 
「私が支払うべきものは、もう払った。だから少しは落ち着け」
 
「……うん」
 
「おいおい。君達を取って食う訳じゃないんだし、そんなに警戒しないでくれよ」
 
 警戒と不審さえもルンペルにとっては道楽であるのか、実に楽し気に鼻歌を歌いながら優雅にお茶をベートとヴィンスの前に置き、真向かいに座って足を組んだ。
 
「さて。君が知りたいのは私の国の知識と言ったが、文学、経済学、哲学。どの分野から話そうか」
 
「お前の国には――私の様に、この国で『悪魔憑き』と呼ばれる症状を持つ男は居るのか?」 
 
 問いたいことを黙って吟味した後、ヴィンスは最も知りたい問を、ルンペルに向かって問いかけた。涼し気で優雅な仕草で紅茶を飲むと、一度だけ瞼を閉じると暗褐色の瞳がヴィンスのニガヨモギ色の瞳をじっと見つめた。
 
「そうだね……『悪魔憑き』を自身が漂わせている香りで周囲の男の欲情を煽り、交配へと至り子を成す事の出来る男、だと言うのなら居るよ」
 
「お前の国では……そうした男は『悪魔憑き』と呼ばれ、処刑や投獄の目に合う事は無いのか?」 
 
「何故彼らの香りは我々の理性を狂わせるのか。男の身体を持ちながら、何故子を成し遂げられるのか。君の国で言われる『悪魔憑き』達の容姿以上に、彼らの生態は魅力的だ。勿論、痴情の縺れなんかは起きやすいから、巻き込まれたくなくて忌避される傾向はあるが、医者や学者連中なんかはこぞって調べたりもしてるね」 
 
「……」 
 
 ルンペルの回答に、ヴィンスは口元を手で抑えた。

「く……」

『悪魔憑き』を忌む事なく係わろうとする人間が居る。自分のように、『悪魔憑き』の仕組みを解き明かそうとする人間が居る。何故、この国ではそんな動きが起きていなかった。何故、父の周りにはそんな相手がいなかった。そんな相手がもしも居れば。この国が、ルンペルの国のようであれば。共に、この国で暮らす事さえなかったならば。父は火あぶりになって死ぬことはなかっただろうに。
 父の死は、もうとうに過ぎ去った事だ。それでも新しい知識を得る度に、もっと早くこれを知れば、父を救えたかもしれない。そんな『たられば』をどうしても考え、未だ父が己の胸に深々と突き刺さっている事を思い知らされる。
 静かに身を戦慄かせているヴィンスが落ち着くまで、ルンペルはじっと静かに見つめながら待っていた。

「お前の国では……悪魔憑きは、告発により特定しているのか?」

「まさか!! そんな事で白黒つけたら、商売敵を嵌める為なんかに使われて、あらゆる場面で足を引っ張り合うことになるだろう。第一、人の口程に信用できないものはない。だから特定には別の方法を使う」

「別の方法とは、どうやって……」

「それより前に、今私達の国で男女の性の他に、新たな性別の区分けを定義づけようって動きがあるんだけど、そっちにについて語っていいかい? 知っておいた方が、より理解もできるだろう」
 
「ああ。頼む」

「まず、昔は私の国も、男女二つしか性はないものと考えていた。だが、女性しかいないはずの後宮で子を孕ませる女性が現れた事例や、逆に男しか居ない環境下で男が孕むという事例があってね。これは我々がまだ気づかなかっただけで、実は男女以外にも性別はあるんじゃないかっていう疑問があがって、仮説として男女以外にもう一つ、異なる性別をあてはめた」

「それは何だ?」

「まず身体的に非常に優れているα、次に一般的な身体能力のβ、最後に相手を誘う美しい容姿と、劣情を刺激する香りを放つことで繁殖を求める身体を持つΩ。現在私の国では、この3つの性が新たな性の区分けとなるか、審議と研究が進んでいる」 
 
「ではお前の国で……悪魔憑きの私は、Ωという事か?」

「機械的でお気に召さないかい?」

 その問いかけに、ヴィンスは黙ってカップを手に取ると、中に注がれている琥珀色の紅茶を飲んだ。屋敷で口にしたものよりも香り高く、コクのある味わいは、胸の中の動揺を落ち着かせてくれた。

「『悪魔憑き』と呼ばれるよりは、余程に良い。3つの性の特定について、お前の国では教えてくれ」 
 
「αやβの特定は、残念ながらほとんど進んでいないな。繁殖能力か才覚ぐらいでしか測れないから、その人の素養なのか性差なのか。どうしても曖昧になってしまう。反対に、Ωの特定は比較的用意だ」

「その方法は?」

 ヴィンスに問われ、ルンペルはテーブルを指で軽くノックをしながら口を開いた。

「まずは、項の辺りから漂う香りでだいたいの目星をつける。そのうえで腰を触診して骨盤の位置を確かめたり、内臓や排泄孔の位置や具合を確かめて特定をすることが一般的だな」

「っ……」

 ルンペルの指摘にヴィンスは、先程彼が自分の身体を弄った時の感覚を思い出し、顔色を朱色に染めて押し黙る。性別を特定したいのであれば、そう言ってくれればあそこまで羞恥を覚える事はなかった。もっとも、ルンペルの方は凌辱されると誤解して苦しみ戸惑う自分の顔が見たいが故に、あえて誤解されるように振る舞ったのかもしれないが。


「ヴィンス、確かめさせてもらった結果だが、君の身体は典型的なΩだね。骨盤の配置は女性に近いし、排泄孔は会陰の部分にある。男のΩによく見られる特徴だ」

 ルンペルの言葉にヴィンスの頭から羞恥が冷えて、カップを置く仕草を静かに監察した。ルンペルは、自分をΩだと目星を付けた上で確かめるべく、あの取引を行った。どうして、ルンペルは自国の知識の対価に、己の身体を『確かめる』ことを要求したのか。その意味を考えたヴィンスはカップを机に置き、暗褐色の瞳をルンペルに向けた。
 
「Ωの需要は研究対象だけじゃないだろう。ざっと思いつくのは妾か性奴隷か娼婦送りだが、どれに私を売り飛ばすつもりでいた」

「!! ルンペル!!」

 ヴィンスの質問に、ベートは立ち上がり銀の髪を逆立て唸り声を上げた。ベートの殺意は、隣にいる自分でさえも震えてしまうほどに鋭く激しい。だが、それを真っすぐ向けられているルンペルは、ニヤニヤと意地悪く頬を緩めながら紅茶を優雅な仕草で飲んでいる。

「確かに君はとても美しい。市場に出せば、高値で売れることも否定はしない。だがまあ、君を売り飛ばすつもりは無いから、安心してくれ」 
 
「信じられんな」

「それは酷い。有象無象に君を売るくらいなら、私が手元で愛でていたいくらいには、君の事は気に入っているのになあ」 

「ハ、お前にだけは気に入られたくないな」

「おやおや、随分嫌われてしまった」 
 
 大きく肩を竦めた後、ルンペルは顔に貼り付けていた道化のような笑みを止めた。底の知れない暗褐色の瞳は、言葉を奪うには充分すぎる力を持ち、威圧感さえ抱かせる。黙っているヴィンスをじっと見つめると、ルンペルは少しだけ身を乗り出した。

「私は顔は広いが、ただの一商人に過ぎない。君が自身の事を解き明かしたいと思うなら、又聞きの知識を仕入れるんじゃなくて、私の国で本格的に学んだ方が良いんじゃないか?」
 
「今度は、何を対価に要求するつもりだ」

 暗褐色の瞳から目を外さずに、ルンペルへとヴィンスは問いかけた。警戒と不信を隠そうとしない態度を受けて尚、ルンペルは楽しげに喉を鳴らして手を叩いた。

「はは、確かに慈善目的じゃない事は認めるよ。だが君も知っているとおり、他国の文化や知識と言うものはとても希少で物珍しい。だからこそ君を私の国に持ち込むだけでも、充分私にとっては益がある」

「別の国に……行けるのか?」

 大人しくヴィンスとルンペルのやり取りを聞いていたベートが、不思議そうに声を出した。ベートの問いかけに我が意を得たようにルンペルは片眉を上げ、頬を歪めた。

「色んな事情で私の国に落ち延びて来た奴は居る。だが、野盗やら危険も多いし、その後の生活でも何かと不便ではあるから、オススメはしない」

「……」

 此処を離れるという事すら思い至らなかったのか、ベートの金色の瞳が未知への好奇心で輝いている。隣のヴィンスもまた、この国で生きる限り、二度とは無いチャンスに冷静ではいられない。
 だが、それ以上にヴィンスは自分の足元がツタが絡み覆うような重苦しさを感じていた。確かにルンペルは信用ができない人間だ。彼が信用できないのなら、それこそ単独で彼の国に行く手段も充分考慮の価値はある。第一、父を殺した迷信が染み付いたこの国を、自分は嫌っている。思い入れなんて、無いはずだ。
 なのに、どうして。その申し出に手を伸ばそうとしないのだ。
 小さく喉を上下しながら黙るヴィンスに対し、ルンペルはカップの中の茶を飲み干すと立ち上がった。

「暮らし難かろうとも、住み慣れた場所を離れる事に抵抗感を覚える気持ちは分かるつもりだ。まだ暫く、私は此処で取引の為に滞在している。出発する日になったらまた此処に来るから、どうするかじっくり考えてごらん」 
 
 優雅な仕草で一礼をすると、ルンペルは立去った。
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