悪役令嬢に仕立て上げられ婚約破棄された薄幸公爵令嬢は、冥府の主から溺愛され幸せになる

小津 悠理

文字の大きさ
上 下
6 / 7
本編

3

しおりを挟む
 居丈高に言い切ったエドモンドは、満足げな笑みを作った。
 反対にアネモネはそれどころではない。

「……冥府の花嫁、ですか……?」

「おい、発言は許可されていないぞ!」

 アネモネにひざまづかせる姿勢を取らせ押さえつけている護衛が言った。
 エドモンドはそれを制すると、再びアネモネに向かって口を開いた。

「その通りだ、アネモネ。王妃教育を受けていたお前なら、当然知っているな? 遙か昔にこの王国が冥府の主と交わした盟約のことを。大罪人には過ぎた立場だが、王家からの慈悲だ。光栄に思うといい」

 何が慈悲なものかと、アネモネは内心笑うしかなかった。冥府なんてものは実在しないと、子どもだって知っているのに。国内から厄介払いをし、見えないところで死んでいくことを望まれているのだとすぐに気づく。絶望を通り越し、虚無がアネモネを襲った。
 これ以上口を開く気にもなれずに俯き黙っていると、ベラが憐れむような顔をして声を上げた。

「元気を出してくださいお姉さま。あたくしお姉さまのためにウエディングドレスを準備しましたのよ。ほら、ご覧になって! 綺麗でしょう?」

 ベラが合図をすると、部屋のドアが開き、侍女が二人入ってきた。その手には美しいドレスと装飾品がある。
 確かに綺麗だ。ふんだんに布を重ねてふわりとエレガントに広がったスカート。首と腕までしっかり詰まりつつも程よく透けていることで全く着膨れしていないスマートな胴。そこにペタル王国独自の植物を象ったデザインを用いた繊細なレースや刺繍がこれでもかと敷き詰められている。蔦を絡めたようなデザインのハイヒールはよく磨かれて光っていて、豪奢な宝石の代わりに生花を編み込んで作られた花冠のティアラまである。ヴェールにも忘れることなく植物の文様が織り込まれていて、なるほど、これを纏う人間はさぞや美しく見えるだろうと思えた。
 ただ、ウェディングドレスとするにはこのドレスは些か趣味が悪い。なぜなら、細部に至るまで余すことなく真っ黒だからだ。白い部分など一糸たりとも存在しない。花冠ですら黒い薔薇を中心に黒っぽい植物を組み合わせて作られている。
 アネモネが唖然としていると、ベラが近づいてきて未だひざまづかせられている姉の前にしゃがみ込んだ。顔を覗き込み、花のように微笑む。

「お姉さまにお似合いになるだろうと、あたくしひとつずつ選んだんです! さあ、着て見せてくださいまし」

 ひとつずつ選んだ? これら一式を? その言葉でアネモネが密かに抱えていた疑念が確信に変わる。これらの婚姻衣装はとてもではないが昨日一晩で用意できるものではない。真っ白なものならともかく、こんな不吉なウェディングドレスがすぐに準備できる訳がない。
 やはり、この婚約破棄は仕組まれている!
 ……いつから? いつからだ? この妹は……、いや違う。ここにいる全ての者たちは、いつから一体いつから、自分を亡き者にする計画を練っていたのだろう?
 悲しみ、怒り、憎しみ、悔しさ、諦念……。いくつもの感情がアネモネを瞬時に渦巻いた。しかし結局この気高い公爵令嬢は、そのどれをも口にも顔にも出さなかった。
 黙っているアネモネを良いことに、あれよあれよと言ううちにドレスを持ってきた侍女たちに引きずるように部屋を出され着替えさせられ、メイクやヘアアレンジを施された。手付きは乱暴で、およそ公爵家の使用人とは思えない意地の悪さだったが、王家の人間がいる前に貧相な出来上がりの格好をお出しする訳にもいかないのだろう。その仕上がりは完璧だった。
 不吉な衣装の全てを身に付けたアネモネが部屋に戻ってくると、エドモンドたちも同じく正装に着替えていた。
 出かける準備は万全のようだ。
 何が着て見せて、だ。と自嘲を口の中だけでかすかに吐息と混ぜる。
 まさにこの瞬間、アネモネは命を失いかけているというのに、誰一人として悲しむ者はそこにはいなかった。瞳の奥には、ぎらついたアネモネへの殺意が見え隠れしている。
 エドモンドがひとつ頷くと、グリンフィンガー公爵がアネモネの前へと進み出た。乱暴に腕を掴み、睨んだ顔のまま部屋の外へと引きずり出す。連れられるままよたよたと玄関を踏み越えると、そこには王家と公爵家の馬車が二台仲良く止まっていた。王家の馬車の扉が御者によって恭しく開かれると、公爵はそのままアネモネを車内に放り込み、自身もその隣へと乗り込んだ。間を置かず、エドモンドもその向かいへと座った。

「このまま冥府と我が王国の境の谷へと向かう。貴様が途中で逃げ出すことのないように監視させてもらうぞ。ああそれと……」

 エドモンドは馬車の外にいる護衛に合図を送った。護衛はすぐさま王子の意図を察し腰から何かを取り外して渡した。エドモンドの手に握られたそれは、どうやら細い縄のようだった。

「両手を拘束する。危険物など持てないように着替えさせたが、やぶれかぶれで襲いかかってこないとも言いきれないからな」

 グリンフィンガー公爵がアネモネの腕を掴み、その華奢な手首をエドモンドの前に突き出させた。エドモンドは広げた縄をアネモネの手首に数周巻き付けるときつく縛り上げる。
 麻だろうか、毛羽立った繊維が肌に擦れて痛い。

「これで良し。馬車を出せ!」

 エドモンドが一声命じると馬車は走り出した。後ろからは公爵家の馬車に乗った夫人とベラが着いてきているのだろう。だろう、というのは馬車の窓には厚い目隠しがかけられて、外の様子を伺うことが出来ないからだ。
 視線の置き場がなく、ただひたすらにじっと俯き沈黙をやり過ごす。時折下がったアネモネの頭越しに公爵と王子がアネモネのダメさ加減やベラの素晴らしさについて語り合い、その度に殺意の籠った視線を投げてきたが、今更そんなことで動じるような繊細な神経は生憎と持ち合わせていない。もう全てがどうでもいい気持ちになって馬車の揺れだけを感じていた。
 どのくらい走っただろうか、馬車が止まった。
 馬車の扉が開けられるのとほとんど同時に、エドモンドに腕を掴まれ引きずり出された。
 拓けたその場所は緑豊かな王国には珍しく、切り立った岩や崖が大半を占めている。荒涼とした大地にはカラカラに乾いた草木が点在していて、冷たい雰囲気を醸し出す。
 アネモネの乗っていた馬車に続いて、ベラたちが姿を現した。嫌な笑い方をして、ベラがアネモネに近づいてくる。エドモンドがアネモネの手首を更に強く握った。愛するベラに危害を加えるとでも思ったのだろう。肝心のベラはエドモンドに嬉しそうに微笑んでから、アネモネに勝ち誇って口を開いた。

「さて、あたくしはここでお別れですわ。もうお姉さまのお顔を見ずに済むと思うと胸がすっといたします。それではお姉さま、『冥府の花嫁』のお役目、どうかしっかり頑張ってくださいませね。エドモンド王子とこの国は、お姉さまに代わってあたくしが支えていきますのでご心配なく。あっははは! ごきげんよう!」

 可愛らしくドレスの裾を摘みにっこり笑うとベラは一歩下がった。その前にグリンフィンガー公爵と夫人……すなわちアネモネの両親が立ち、アネモネに向き直る。公爵は冷ややかな顔で睨みつけ、夫人は哀れむような疲れたような表情で、ため息をついた。

「……もはや言うべきことはない。これ以上父を失望させるな、アネモネ。王家が与えてくださったお前の価値を全うしてみせろ」

「一体どうしてこうなってしまったのかしらね。……貴女に期待するのはもうやめています。『冥府の花嫁』のお務めを果たしなさい。それだけが、貴女がこの母の憂いをすすぐたった一つの方法です。それではね、アネモネ」

 グリンフィンガー公爵家の面々の別れの挨拶、いや最悪の送別の言葉が終わる。アネモネは何かを言い返そうと思って、そしてやめた。ただ両親に向かって黙って頭を下げた。アネモネが頭を上げると、すぐさまエドモンドは緩やかな坂のようになった斜面をアネモネを引きずるようにして降りていく。ベラが笑って手を振るのが目の端に映ったが、高いヒールがゴツゴツした地面で安定する訳もなく、アネモネは転ばないように必死にもつれそうになる足を動かすことに集中せざるを得なかった。
 そのまま数百歩ほど進むと景色は斜面の上とは様変わりした。降りてきた崖下には鬱蒼とした木々が生い茂り、人の姿を覆い隠してしまう。ふと来た方向を振り向くと道は森の中に消えていた。方向感覚を麻痺させるようなその景色を見て、さっき通った坂道は比較的安全な斜面であったと気付いた。それでもなおエドモンドの足は止まらない。ずんずんと進み行く。どうやら目的地があるようだ。
 
「……着いた。ここだ」

 エドモンドが声を上げたことでアネモネはと正気に返った。ふわふわしたドレスとヒールを木々に引っ掛けないことに全神経を払っていたからだ。この森の中でそうなってしまっては、遭難の危険性がある。
 エドモンドが指し示したところは、森の中でも一際異彩を放っていた。洞窟だろうか、森の中にぽっかりと大きな横穴が開いている。大人が立ったまま余裕で進める大きさの穴だ。暗くひんやりした土壁の入口を数歩歩くと、少し先には削り取られたようにすべらかな大岩がそびえている。暗くて見えにくいが、岩は縦に切れ目が入っていることが分かる。その上からツタ植物が岩の表面に這い沿わされ、洞窟の先へ進むことを防いでいる。岩の向こう側に光は見えず、どうやら洞窟の入口をこの岩が完全に塞いでいるようだ。
 エドモンドが大岩の端に寄りふとしゃがむ。その側には土を抉り固めたような窪みがある。エドモンドはどこからか手紙のようなものを取り出すと、その窪みに置いた。と、突然その手紙が白く発光し掻き消えた。それを確認すると、エドモンドは立ち上がる。そして大岩に手を添え、口の中で何事か呟いた。途端、地鳴りのような音が辺りを包んだ。大岩の切れ目が広がっていく。切れ目から横開きに岩が動く。ほんの数十秒でまるで元から岩など無かったかのように洞窟がその口を開けた。

「さあ、お別れだ。アネモネ」

 エドモンドが強く握っていたアネモネの手首を離す。両手首を前に縛られたままのアネモネを、そのまま洞窟の奥へと突き飛ばした。耐えられず膝をつく。すると再び地鳴りが始まった。岩より奥にいるアネモネと洞窟の入り口に立つエドモンドを隔てるかのように、再び岩が動き始める。驚いてアネモネがエドモンドを見上げると、侮蔑を顔いっぱいに浮かべて見下ろしているのが目に入った。

「エドモンド様……!?」

「そこから奥が冥府と呼ばれる場所だ、アネモネ。貴様の終の住処には相応しいだろう? さようなら、元婚約者殿。恨むなら無能な自分を恨め」

 ずしー……ん。大きな音を立てて岩は元通り閉まった。瞬間完全な暗闇と静寂が辺りを支配する。アネモネはそのただ中に独り、取り残されてしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

ヒロインに悪役令嬢呼ばわりされた聖女は、婚約破棄を喜ぶ ~婚約破棄後の人生、貴方に出会えて幸せです!~

飛鳥井 真理
恋愛
それは、第一王子ロバートとの正式な婚約式の前夜に行われた舞踏会でのこと。公爵令嬢アンドレアは、その華やかな祝いの場で王子から一方的に婚約を解消すると告げられてしまう……。しかし婚約破棄後の彼女には、思っても見なかった幸運が次々と訪れることになるのだった……。 『婚約破棄後の人生……貴方に出会て幸せです!』  ※溺愛要素は後半の、第62話目辺りからになります。 ※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。 ※連載中も随時、加筆・修正をしていきます。よろしくお願い致します。 ※ 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした

miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。 婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。 (ゲーム通りになるとは限らないのかも) ・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。 周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。 馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。 冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。 強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!? ※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。  この作品は、小説家になろう様にも掲載しています。

婚約破棄された貧乏令嬢ですが、意外と有能なの知っていますか?~有能なので王子に求婚されちゃうかも!?~

榎夜
恋愛
「貧乏令嬢となんて誰が結婚するんだよ!」 そう言っていましたが、隣に他の令嬢を連れている時点でおかしいですわよね? まぁ、私は貴方が居なくなったところで困りませんが.......貴方はどうなんでしょうね?

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...