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#13: The identification
She bares her teeth. 02
しおりを挟む紗英が校舎から校庭へ出てくる数十分前。
真珠は紗英に誘われるまま、誰もいない教室へと足を運んだ。普段は何部かの活動に使われているが、本日は部活動休止日だから誰もいなかった。多くの部活生たちもたまの休みをエンジョイしようと足早に下校し、校舎内全体が普段よりも静かだった。
真珠が先に教室の中に入り、続いて紗英が入室してドアを閉めた。紗英は真珠の隣を擦り抜けて窓に近付き、空を見上げた。
「何だか急に暗くなってきたね。雨降ったらどうしよー。アタシ傘持ってきてなーい」
先程までカンカンに晴れていたのに、いつの間にか空は雲に覆われていた。分厚い雲に陽光が遮られ、照明をつけていない教室内は薄暗かった。
「話って何?。蔚留くんのことなんでしょ」
真珠から話を切り出した。窓から振り返った紗英はニコニコとしていた。
「カワセミさんってさー、人当たりいいし大人しそうだけど、蔚留くんのことだと強気だよね」
「だって、カノジョだもん」
強気になって当然だ。真珠は歴とした下総蔚留の恋人。それに誇りを持っているし誰にも譲れない。
「カワセミさんは何で蔚留くんと付き合い出したんだっけ? ナレソメってゆーの? キッカケは何?」
「…………? そんなこと訊く為にわざわざ呼び出したの? そんな話、教室でもできるのに」
「まー、ちょっと興味あって。恋バナは好きだよ」
紗英は窓の下にある背の低い棚に腰掛けた。
「ねえ、どこで蔚留くんと知り合ったの? カワセミさんって転校生じゃん。転校してきていきなり付き合いだしたからさー、不思議だったんだよね」
「病院。……真珠、入院してたから」
真珠は無意識に紗英から顔を逸らし、小さめの声で答えた。長期の入院していた話を誰かにするのは好きではない。気の毒そうな顔をされたり、過剰に気を遣われたり、腫れ物に触るように接せられたりするから。
「え?」
「だからっ、蔚留くんとは入院してるときに知り合ったの。蔚留くんがケガして病院に来て、そこで。カラダがだいぶ良くなって退院して、転校先がたまたま蔚留くんと同じ学校だったの」
言いたくないことだから、真珠はやや早口で捲し立てた。
へー、と紗英から感嘆染みた声が聞こえてきた。
「スゴイ偶然だね。〝運命の人キタコレ!〟とか思っちゃった?」
思ったよ。思ったに決まってるじゃん。
蔚留くんと初めて話をしたとき、初めて名前を呼ばれたとき、もう会えないと思ったとき、再会したとき、それから「好き」って言ってもらえたとき――――全部の瞬間、これは運命だと思ったよ。
ツライことやキツイこともいっぱいあったけど、今まで生きてて良かったって、やめちゃわないで良かったって、この人と出会う為に頑張って生きてたんだって思ったよ。
「思ったよ……。真珠は今でも思ってるよ」
紗英と張り合う為ではなく威嚇する為ではなく、真珠の口から自然とスルリと言葉が滑り落ちた。
そうだ、運命の相手なのだ。きっと二度と出逢えない。世界中探しても他にはいない。だから、怒鳴られても叱られても詰られても、もしも「嫌いだ」と腕を振り払われても、あなたを好きでいる。わたしのセンサーはあなたの方角ばかり向いていて、一緒にいない今も、わたしはあなたを探している。
「じゃあカワセミさんと蔚留くん、付き合ってそんなに長くないんだ。転校してきたのいつだっけ。二年の終わり頃? 三年になって?」
「蔚留くんと付き合って四ヶ月くらい」
「へー、意外」
紗英の顔は面白くなさそうであり、声には感情が籠もっていなかった。どのような回答が返ってきても、次に言ってやろうと思っている台詞は決まっている。
「カワセミさんの四ヶ月は新記録かも。蔚留くん、色んな子と付き合ってたけど、どの子もあんまり長続きしないんだよね」
「紗英ちゃんのときは三ヶ月だったし?」
真珠は皮肉の意を込めてハッキリと言葉にした。瞬間、紗英の顔がピリッと硬直した。紗英は真顔で真珠を凝視して黙り込んだ。
これが癇に障った、逆鱗に触れたというやつなのだろう。幼い頃から平和主義であり、友人とさえ衝突らしい衝突を経験したことがない真珠は、このようなことには慣れていない。動揺を露呈しないように拳を握って自身を奮い立たせた。
「紗英ちゃんは今でも蔚留くんのこと好きなんでしょ。だから真珠が嫌いなんでしょ」
「アタシ、カワセミさんが嫌いなんて一言も言ってないよ?」
紗英は尻を乗せていた棚から降り、トンと床に両足を着けた。ゆっくりと一歩ずつ足を進め、真珠へ近付いてゆく。
「じゃあ……?」
「蔚留くんと付き合う女はみんなキライ」
紗英は真珠の目の前で足を停めた。可愛らしい顔でまたニコッと微笑んだ。
真珠は、笑顔でそのようなことを言ってのける紗英は悪魔だと思った。世界平和を願う自分とは何もかもが異なる、利己的で排他的で、攻撃することに躊躇などない強い悪魔だと。
「あ、ゴメーン。でもやっぱりカワセミさんはその中でも一番嫌いかも」
ズキッ。
バシィインッ!
真珠は、胸の痛みが脳に到達するより前に頬を張り飛ばされた。頬が破れそうに熱くて、痛くて、心痛が脳に到達する頃にはもう肉体的痛覚によって掻き消されていた。
「蔚留くんが好きになる女はみんな目障り。だけどアンタが今まででダントツ一番ムカツク」
真珠は撲たれた頬を押さえ、目を大きく見開いて紗英を見た。
「何、その目。アタシみたいな馬鹿が何言ってんのって見下してんの?」
「そんなことッ……」
「天然ぶっていい子ぶって、教師も男も味方に付けていい気になってんじゃねーよブス」
余裕の笑みが消え失せた紗英の形相は、真珠がゾッとするくらい恐ろしかった。
紗英の足許から鬼気迫るオーラが滲み出て室内に充満する。恐怖によって血の気が引き、撲たれた頬から熱が引いていく。誰かと敵対するとは、誰かと対峙するとはこうも恐ろしいことなのだと、真珠は思い知った。
天空に立ち籠める暗雲によって太陽は遮られ、教室は暗闇に支配された。奇しくも時刻は逢魔が時。眼前に降臨した悪魔は、強い強い爪を持っていた。
「何でアンタ程度が蔚留くんと付き合えてんの。カオ? カラダ? 優等生だっつーんなら、その辺のクソマジメなジミ男とでも付き合ってろっつーの。なに蔚留くんまで無理矢理マジメにさせようとしてんの? バカじゃん? 天然なら何やっても許されると思ってんのかよ。勘違いだよ、バーカ」
真珠は身体の底から震えが来て、何も言い返せなかった。
ドンッ、と紗英は真珠の肩を突き飛ばした。小柄な真珠と女子のなかでは長身部類に入る紗英とでは同性といえども体格差が大きい。突き飛ばされた拍子に蹌踉けた真珠の髪の毛を、紗英が乱暴に鷲掴みにした。
「天然ドブスが勘違いして付き合ってんじゃねーよ! 今スグ別れろッ!」
「ヤっ、ヤダ‼ それだけはできない!」
「このッ! ドブスが調子乗ってんじゃねーよ!」
紗英は真珠に抵抗されてカッとし、黒い髪の毛を引きちぎるほど渾身の力で引っ張った。前のめりになった真珠を力任せに床に引き倒した。真珠の上に馬乗りになり動きを封じた。
スパァンッ!
紗英は真珠の頬に思いっ切り平手を喰らわした。
「蔚留くんと別れろ!」
「絶対にヤダ!」
真珠は、自分より大きな人間に上に乗っかられ、息苦しくて咳き込みそうだった。何より単純に痛いのが嫌で嫌でつらくて、涙が込み上げてきた。唇を噛み締めて苦痛を耐え、懸命にジタバタと足を動かした。しかしながら、非力な真珠の力ではどれほど藻掻いても足掻いても上に乗る人一人を引っ繰り返すことは叶わなかった。
ギリッ、と紗英は真珠のシャツをリボンごと握り締め、胸を押し潰すほど圧迫した。苦しそうな真珠の顔を真っ直ぐに見て、さらにギシギシと圧迫しつつ鼻の先まで顔を近付けた。
「ねえ。何でさあ……蔚留くんがオンナと長続きしないと思う……?」
真珠は胸が苦しくて到底答えることなどできなかった。
紗英は真珠の顔色などお構いなしで話を続けた。
「アタシの次に付き合った女は蔚留くんとタメの三年生だったよ。ヒッドイドブスでさァ……。その女はトイレでボコボコにしたらビビッて蔚留くんと別れた。その次はアタシと同じクラスの女。取り敢えずガッコのプールに沈めたけど。高校入ってから最初のカノジョは超チョロかった。何人かとつるんで〝死ね〟って毎日メッセしたらアッサリ別れたよ。その次は蔚留くんにあの子浮気してるよって言ってあげたらいつの間にか終わってた」
紗英はアハッと無邪気な笑い声を上げた。
真珠は苦しさに耐え、どうにかうっすらと目を開けて紗英の顔を見た。彼女は嗤っていた。悪魔のように口の端を吊り上げて。
「みんなみんな、簡単に別れた。そんなんなら初めから付き合わなきゃいいのに」
そんな簡単に壊れるキモチで、そんな簡単に捨てられるキモチで、アタシと蔚留くんの間に割っては入ってこないでよ。
どーせ、どいつもこいつも大して好きじゃない。大して好きじゃなくても蔚留くんが笑うから、カッコイイから、優しいから、勘違いして付き合う。どいつもこいつも勘違い女ばっかり。どいつもこいつも消えてなくなればいいんだ。
「別れたらみんな他人みたいな顔するんだよ。蔚留くんを避けるか無視すんの。〝彼女〟はダメだね、別れたら終わりだもん」
好きだと言って言われて確かめ合って付き合っても、終われば初めから何も無かったことになるくらいなら、彼女の地位なんて要らない。
だから友だちでいい。わたしは友だちの位置にいる。友だちの定位置はゼロ座標。χもyもない。右にも左にも振れない。ゼロもプラスもマイナスもない。友だちでいれば、大好きなあなたといつも同じ距離でずっとずっと繋がっていられる。
桜色にコーティングされた悪魔の爪が真珠の胸に突き刺さり、パキッと音を立てた。真珠は鋭い痛みに思わず声が漏れた。顔を顰めて自分の間近にある紗英の顔を睨んだ。
「別れさせてんのっ……そっちじゃん……!」
ガキンッ!
紗英は真珠の顔を拳で殴りつけた。
「人の所為にしてんじゃねーよ。別れるのも付き合うのも本人のキモチの問題だろーが」
一瞬視界が歪んで意識が朦朧としたのに、痛みで現実に引き戻された。
窒息しそうな息苦しさと火を噴きそうな顔面の熱さに耐える真珠の脳内は、今でも下総への恋しさで占められていた。苦しくても痛くてもつらくても、ぐちゃぐちゃに泣く羽目になっても、彼の許から去るなんて考えられなかった。どのような目に遭ってもやはり、彼への想いは薄れない。
「真珠は絶対……蔚留くんと別れない……!」
「あっそう!」
紗英は左手で真珠を押さえ付け、右手で再び拳を握った。
バキッ! ガキンッ!
「アンタ何様⁉ ちょっと可愛いからって調子に乗んなよバカ女! 死ね! 死ね! ヘラヘラ笑って息吸ってんじゃねーよ! オメーなんか死ねよ!」
ゴメンね、千恵ちゃん。ゴメンね、蔚留くん。
頑張ろうと思ったんだけど、ここから先はよく覚えてないんだよ。顔も腕も痛くて…………痛かったことしか覚えてないや。
やっぱり真珠はダメだね。もっとしっかりしなくちゃダメだね。でもね、必死に涙は堪えたんだよ。自分でも嫌んなるくらい泣き虫だけど、歯を食い縛って、泣くのは我慢できた。蔚留くんのことが本当に好きならこんなことで泣いてちゃダメだと思ったら、信じられないくらい頑張れた。
本当に、言葉じゃ足りないくらい本当に――――蔚留くんが大好きだよ。
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