ベスティエンⅡ【改訂版】

花閂

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#05:Sign of Recurrence

A last mighty blow 02 ✤

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 渋撥シブハツレイを抱えて保健室へ直行した。
 二人の戦いを観戦していた大勢は教師も生徒も一様に、禮の外見からは全く想定できない実力にも決着にも唖然とするばかりだった。誰一人として渋撥を引き留めようとはしなかった。
 美作ミマサカだけが渋撥のあとを追った。

 保健室へ行くと、ロングの黒髪を一つ結びにした若い女性の養護教諭がいた。事情を説明すると養護教諭は禮をベッドに腰かけさせ、カーテンを閉め切った。
 渋撥と美作は長椅子の端と端に座り、禮の手当が終わるのを待った。その最中、美作は何か言いたげな表情で渋撥にひっきりなしにチラチラと視線を送る。或る程度無視していた渋撥だったがいい加減煩わしくなり、美作のほうへ顔を向けた。

「何か言いたいことでもあるんか」

「いっ、いや~、言いたいことっちゅうか……始まる前はレイちゃんとは本気でやり合わんみたいな感じやったのにいざ始まったら案外ガチやなあと。レイちゃんも本気で近江さんの腕ぶっ壊そうとしとったでしょ。まさか恋人同士であそこまでガチで殴り合いになるとは予想外ーアハハ……」

「好きでやっとると思うか」

 渋撥は前のめりの体勢になり、両腿の上に肘をついて深い溜息を吐いた。

「あんな死ぬほどカワエエ生き物を本気で殴るなんざ二度とゴメンや。有り得へんやろ……っ」

 美作は、深刻そうな表情をしてズーンッと沈み込んでしまった渋撥を見て、アハハとその場しのぎの愛想笑いを作った。

「何でレイちゃんもこんなことするんですかねえ」

 渋撥は「知るか」と不機嫌そうに放言し、美作は「ですよねぇ」と気まずそうに苦笑した。

「お前のほうが解るんちゃうか。入学したてん時のお前も似たよなことしとったやんけ」

 美作は自分を指差して「俺ですかぁ?」と聞き返した。

「お前も、俺とケンカしたい言うたやろ。入学したての小生意気なジャリが俺に勝てると思うて」

 美作は「あちゃー」という顔で額を押さえた。脳裏に描かれるのは、こっ恥ずかしいブレイブストーリー。自分は勇者だと信じる向こう見ずな少年が、自分が負けるはずはないと絶対的で圧倒的な強さを誇る魔王に挑んだ。

「え~とアレはぁ、あの頃は俺も若かったさかい~、自分の力を過信しとったっちゅうか何でもでけるて思てたっちゅうか……」

「ええ迷惑や」



 シャッ、と勢いよくカーテンが開いた。
 養護教諭は一人で中から出てきてすぐにカーテンを閉じた。カツ、カツ、と踵を鳴らして長椅子に座っている渋撥と美作のほうへ近付いてきた。

 香春 閏子[カワラ ウルウコ]――――
 ほぼ男子校状態の荒菱館高校ではただでさえ貴重な女性であり、更には20代でスレンダー美人という好条件が揃えば、言うまでもなく全校生徒の憧れの的。

 白衣姿の閏子は渋撥の前に立ち、腰を折ってズイッと顔を近付けた。その体勢になると胸の谷間がちらつくから、美作は内心「わお」と胸を躍らせた。

「近江く~ん」

「具合は」

 渋撥は簡潔に尋ねた。一千人以上の男たちが憧れる閏子を、渋撥は苦手としていた。この妙に鼻先に引っ掛かる声がどうしても好きになれず、生理的に受け付けないといってもいい。

「いくらうちのガッコの名物行事だからってねぇ、女の子相手なんだから手加減しなくちゃダメでしょ」

「具合は」

 渋撥はお説教など聞く耳持たずという態度。当たり前の説教など言われなくても解っているのだ。
 香春は腰に手を当てて「はあ」と溜息を吐いた。

「背中全体に内出血。腕はあちこち打撲だらけよ。動くと痛みがあるだろうし、しばらくは青痣が目立つでしょうね。それと一番ひどいのが脇腹ね。骨は折れてないみたいだけど――」

「そうか」

「そうかじゃないわよ」

 香春はムッとして素早く言い返した。渋撥の声に感情はなく無表情で、真剣に話を聞いているようには見えなかった。

「キミ、自分が何したか分かっているの。女の子を殴るなんてどうかしてるわ」

 香春は渋撥の肩をビシッと指で押さえた。そこまでしてようやく渋撥の目はゆっくりと香春のほうに向いた。
 渋撥には香春の言うことが大体予想ができる。何度も同じことを言われてきた。
 どうせ同じことの繰り返し。どうせ皆が口を揃えて同じことを言う。モンスターはモンスターらしく遠慮して生きろって。理解し合うことや共存することなんてできやしないんだから。

「これまでも何度か言ってきたけど、キミは自分の力を自覚しなさい。筋力も身体能力も通常の高校生のレベルではないの。ハッキリ言って、全力で殴ったりすれば子どものケンカで済まされるものじゃないのよ」

 渋撥に向けられる閏子の視線は厳しかった。緊迫感に耐えかねた美作は、苦笑しながら「まあまあ」と割って入った。

「今日はそういう学校行事やし~、近江さんも仕方なかったちゅうことで」

「仕方なければ女の子に手を上げてもいいと? あの子の肋骨、もう少しで――」

「誰が好き好んで自分のオンナと殴り合いすんねん」

 渋撥は眉間に皺を寄せて苦々しい表情で「はあーっ」と深い溜息を吐いた。

「したいて言うたのはレイや。レイがしたいて言うことを、どうしたら俺が嫌やて言えんねん」

 渋撥は不覚にも愚痴るように言ってしまった。この男が学校行事だからといって素直に言うことなど聞くものか。禮が望んだから、その一点に尽きる。ならば如何ともしがたいこの苦悩は、禮に望まれれば振り払うことのできない自業自得による。

「ゴメンねぇハッちゃん」

 禮の声がして、渋撥と美作は其方を振り返った。禮がカーテンを数センチだけ開けて顔を覗かせていた。

レイちゃん大丈夫か?」

「昔はようケガしたもん。これくらい何てことあれへんよ」

 心配そうな美作に向かって、禮はニコッと微笑んで見せた。美作は内心ホッと安堵した。そこまで考えが及ばなかったとは言え、自分が渋撥を嗾けた所為で禮が大怪我をしたのでは罪悪感が。
 椅子から立ち上がって禮に近付こうとした美作の隣を、渋撥が通過した。美作を追い抜いて禮の目の前に立った。

「何ともあれへんか」

「うん」

 カーテンの隙間から見える渋撥の表情には憂虞と悔恨があった。だから禮は意識的に明るく笑うよう努めた。

「腹もか?」

 渋撥は禮のジャージを掴んでぺろっと捲り上げた。

「~~……っ、ハッちゃん!」

 禮は顔を赤くして慌ててジャージを引き下げた。
 渋撥は言葉を失った。禮の白い肌の上に大きな青味。それは紛れもなく己の拳によるものだった。閏子は骨に異常は無いと大事ないように言っていたが、その青痣を見ただけで血の気が引いた。
 絶句している渋撥を見て、禮はプッと笑った。

「変な顔」

 お前が笑うとそれだけで罪が赦されたような気になって、少しだけ胸が軽くなった。俺を最悪の気分に突き落とすのも、其処から引き上げてくれるのも、きっと世界にお前だけなのだ。
 渋撥は禮の頭を掴んで乱暴にガジガジと撫でた。

「ハッちゃん……ウチ、変わったよね?」

 渋撥は唐突に何を言い出すのかと、禮の頭を撫でる手を停めて「あァ?」と聞き返した。

「最初にハッちゃんと会うたときとは変われた、よね?」

 渋撥が手を退かすと、禮は大きな黒い瞳の中に渋撥を映し込んでいた。言ってほしい台詞は分かるが、何となくはぐらかしたい気もした。

「…………。サイズはあんま変わってへんで」

「そーやなくて。昔のウチ、ほんま性格最悪やったから」

 禮は冗談みたいに笑いながら伏し目がちになった。
 罪悪を知らず無邪気に残忍で、〝強さ〟という武器を振り回して陶酔していた。他人の痛みに鈍感で、誰彼構わず傷付けて悦に入る、まさに悪魔の化身。最悪で大嫌いなんだよ、あの頃の自分も今の自分も。
 悪魔にトドメを刺せない自分が一番嫌い。

レイが何にこだわってんのか知らんけど、俺には同じや。あん時も今も俺には同じ、レイや」

 渋撥は一歩距離を詰め、禮を抱き締めた。禮が痛がらないようにできる限り加減をした。腕の中に囲った禮は、小さく柔らかく、何故かいい匂いがした。禮がどれほど自身を卑下しても、渋撥にとっては悪魔などとは決して思えなかった。初めて出逢った夕暮れも、鎬を削り合った直後でも、変わらず愛らしい。
 そうだ、半年前のあの時から、目を奪われていたのだ。

 シャーッ、と勢いよくカーテンが大きく開いた。
 閏子が腰に手を当てて立っていた。

「ちょっと~~、保健室でイチャつかない。やるなら先生が見てないところでやんなさい」

 禮はカーッと顔を赤くして慌てて「ごめんなさい」と言った。渋撥は腕の中から禮を離さず、忌々しそうに閏子を見る。

「オイ、手当が終わったらレイに近寄るな。レイがお前みたいになったらどうすんねん」

「どーゆー意味かしら💢」

 閏子は渋撥から好意的に思われていない自覚がある。三年以上もこの調子なのだから今更ショックなど受けない。渋撥の言葉など意にも介さず、禮のほうへ目を向けた。

「まさかキミのカノジョがこういう子とはね~」

「俺のオンナがレイやったら何か文句あるか」

「そうねえ。こんな見るからに純真無垢な女子生徒がケダモノな近江君のカノジョっていうのは、先生としては良からぬ想像をしちゃうのよ。脅迫じゃないかしら、合意かしら、とかね」

 閏子は頬に手を添えて禮に顔を近付けた。禮は大きな目をパチクリさせる。

「近江君からちゃんと優しくしてもらっているかしら。一年B組相模サガミさん」

「は、はい。ハッちゃん優しいデス」

「へえ~。あの近江君が女の子に優しくできるとはね~」

「放っとけ」

 閏子はフフッと笑い、禮の頬を指先でちょんと突いた。

「心配には違いないけど、幸せならまあいっか❤」
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