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#04: The flawless guy
Showdown 02
しおりを挟む渋撥は肩を大きく上下させながら虎宗の様子を窺っていた。虎宗が立ち上がろうとし倒れ込むという所業を何度か繰り返したのち完全に意識を失ったことを確認すると、自分も三度目地面に両膝を付いた。
「ハアッ、ハァ……ハァッハァ……」
呼吸を整えようとしても心臓はまだ踊り狂っている。そうこうしているとまた例の喉越しの悪い異物が込み上げてきて、渋撥はベッとそれを吐き捨てた。
「気分はどうや」
安心しきったような鶴榮の声が降ってきた。渋撥が声のほうを振り仰ぐと、街灯に照らされた人影があった。目が霞んでろくに見えやしないから姿形からは鶴榮であるのか判断がつかなかったが、声は確かに彼のものだ。
「悪ゥはあれへん」
それを聞いて鶴榮はフッと笑みを零した。額に脂汗を浮かべながらも不貞不貞しい返事をするのが渋撥らしかった。
「真っ青な顔してよう気張るで。お前はほんまカッコマンやな、撥」
鶴榮は渋撥の隣にしゃがみ込み、背中をポンポンと叩いた。
渋撥と虎宗の決着が付いた頃には、既に曜至が率いた戦いも終わっていた。菊池はガタガタの前歯をさらにボロボロに折られ、曜至の足元に転がっていた。曜至は自分が喜び勇んでやったくせに「イテー」などと言いながら自分の手をマジマジと観察している。
それから直ぐだった、遠くからサイレンが聞こえてきたのは。音が次第に此方へ向かってきているのは明らか。大人数での乱闘を見つけた通行人の誰かか、東光高校に占拠されていた喫茶店の店主か、通報したのであろう。
鶴榮はチッと舌打ちして渋撥に肩を貸す。
「やっぱ人目に付くトコでケンカするモンちゃうな」
「うわ、ヤベ。いま何か赤いのチラッと見えた」
「なに暢気なコト言うとんねん曜至。さっさと散らばって逃げるように指示せえ」
「鶴さん……ほんまあかん。俺まだ走れへんデス」
美作は大志朗との対戦で体力を消耗しており、鶴榮へ弱々しく手を伸ばす。
「知るかボケ。ほなお前だけ捕まれ」
「薄情者ぉ……うぅっ」
「ウオォオー! やっぱり俺の大嫌いな真っ赤な回転灯が近付いて来るゥーッ‼」
「曜至くん、叫ぶ元気があるなら手ぇ貸して……」
§§§§§
渋撥と鶴榮、禮は渋撥の自宅マンションへと移動した。近江家は親が仕事で家を空けることが多い為、色々と都合がよろしい。
鶴榮は渋撥に肩を貸したまま慣れた様子でリビングのドアを開け、リビングの照明スイッチをつけた。リビングの中に入っていき、渋撥をソファにドサッと座らせた。
そこまでやり遂げると、腰に手を当てて「ヨシ」と一息吐いた。肩を借りて歩いたとはいえ渋撥にはしっかりと意識があるし、自宅まで辿り着けば一安心だ。
禮は渋撥の自宅を訪れるのはこれが初めてのことだった。付き合っている彼氏の家を訪問するなど、普通ならばドキドキソワソワするものだろうが、禮はリビングに辿り着くとフローリングの床にへたり込んでしまった。
「大丈夫か? 禮ちゃん」
鶴榮に問われ、禮はコクコクと何度も頷いた。
「安心したら力抜けた~~。ハッちゃんも鶴ちゃんもみんな捕まってしまうかと思たんやから~」
「アハハ。ワシ等は慣れとるでええんや。禮ちゃん逃がすほうが心配やったで」
勝手知ったる他人の家。鶴榮は「安心したら喉が渇いた」と、何か飲むものを探してキッチンのほうへ消えていった。
脱力しきった禮は自然と鶴榮の動線を目で追い、薄暗いキッチンをぼーっと見るともなしに眺める。
どうやってあの場にいた大人数が見事に逃げ仰せたのか、禮にはよく分からない。倒れている虎宗を大志朗が助け起こしているところをチラッと目撃したから、きっと無事に逃げたのだろう。恐らくあの二人は、自分よりもずっとああいう事態にも環境にも慣れている。それこそ鶴榮のように。
「オイ」
キッチンのほうに顔を向けていた禮は、渋撥に声をかけられて振り返った。禮が振り返ると、渋撥はソファに深く沈み込んで不機嫌な顔をしていた。虎宗に与えられたダメージが痛むのだろうかと、だとしたら責任を感じてしまう。禮がなんと言葉をかけたらよいのか途惑っていると、渋撥のほうから口を開いた。
「俺に何か言うことあれへんか」
「?」
禮は正直ピンと来なかった。禮が困ったようにやや首を傾げたのを見て、渋撥は「はあー」と溜息を吐いて天井を仰いだ。
「ゴメン……ね?」
禮は渋撥を少しでも元気付けたくて言葉を選んだが、渋撥はお気に召さなかったらしい。禮のほうへ引き戻した顔は眉間に皺を寄せいていた。
「何で謝んねん」
「トラちゃんが、ハッちゃんケガさしてしもたから……」
「ケガなんざどうでもええ。俺は勝ったんやからな」
渋撥は益々ブッス~と不機嫌になり、禮は「あれ? あれ?」と頻りに首を傾げる。
虎宗のやったことであるのに禮が責任を感じて申し訳なさそうにするのが渋撥には実に気に食わなかった。兄妹同然に育った事実は今更如何ともしがたいにしろ一心同体でもあるまいに。
「禮はアイツに勝てるヤツなんかいてへん言うたやろ。俺はソイツに勝ったんや。ほな俺に言うことあるやろ」
「あ……えと……? ……オメデト?」
言った後、禮はドキドキしながら渋撥の反応を待つ。渋撥にしても確かにそのような趣旨の言葉が欲しかったと思うのだが、実際に言葉にされる実に呆気ない。特に禮が口にすると稚拙に感じられる。禮自身にあどけなさが色濃く残るからだろうか。
「あ、あかんかった? なんかちゃう?」
禮は眉を八の字にしておろおろする。
渋撥は「はあー」と大きな溜息を吐いた。泣くし喚くし、一度は虎宗には決して勝てないとレッテルを貼られもしたが、目の前で小さくなっている姿はやはり愛らしかった。
「こっち来い」
渋撥に手招きされて、禮は膝立ちで怖ず怖ずと近付いた。渋撥は禮が手の届く範囲にやって来ると手を捕まえて引き寄せた。とさん、と禮は渋撥の胸の上に落ちた。渋撥は片腕で禮をぎゅっと抱き締めた。
頬で密着した渋撥の体は温かかった。分厚い胸板越しにトクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえてきた。熱と音が、生きているのだとこれ以上ないほど分かりやすく教えてくれる。
汗と血と埃、そして煙草のニオイを嗅ぐと安心した。安心すると自然と涙が湧き上がってきてポロリと溢れた。
「トラちゃんに勝てて良かった……。ハッちゃんが……死なんでほんま良かった……」
「なに大袈裟なコト言うてんねん」
禮が虎宗の名前を出しても渋撥はもう怒らなかった。
大袈裟などではない。渋撥は天より高いプライドを持つ王様だから、そのプライドが挫かれてしまえばきっと渋撥は渋撥でなくなってしまう。禮はそれを怖れた。
禮は渋撥の服を握り締めて次から次へとポロポロと大粒の涙を流す。禮に泣かれるのは正直困ってしまうが、渋撥は無理矢理に涙を止めようとはしなかった。
「また泣くんか禮は」
禮が泣くのは自分の所為だと、禮を笑顔でいさせてやれないのは自分の所為だと、傍若無人な渋撥にだってそのくらいの理解力はある。だから今はその涙を受け止めてやろうと思った。
「泣かしてしもて……スマンかったな」
渋撥は禮の額に唇をつけ、ポツリと言った。何をしても是と崇められる王様として君臨している彼が謝罪を口にするなど滅多にない。禮の涙は王様を滅多にないことをする気分にさせた。
渋撥は禮の頬に手を添えて顔を上げさせた。涙で濡れて夜の海のように揺れる禮の瞳には自分の姿が映り込んでいた。
「これでよう分かったやろ。……俺はこういう男や。禮が何言うても、泣かれても、とまられへん。なんぼ禮に惚れとってもこればっかりはどうしようもない」
お前の為でもできないことがあると言われても落胆はなかった。お前よりも自分の矜恃が重要だと言われても悲しみはしなかった。
汗と血と埃、そして煙草のニオイ。そのようなもので酷く安心するのは、あなたを好きだから。どれほど自分勝手でも、どれほど突き放されても、心底嫌いになることなんてできやしない。
ハッちゃんはケダモノ――――
たぶん、シロちゃんが言うようにウチ等とは真逆のモノなんやと思う。トラちゃんが言うようにウチの為には自分のプライドを捨てられへん人なんやと思う。
せやけど、ちゃんとウチに優しくしてくれるハッちゃんも知ってるよ。ウチを好きやと言うてくれるハッちゃんも知ってるよ。
ウチはハッちゃんのどこか一個だけを好きになったんとちゃう。ハッちゃんの全部が好き。
「もう知ってる……」
禮はポツリと零した。少し震えまさに鈴の音のようなその声に渋撥は聞き入った。
「ハッちゃんがそーゆー人やって知ってるけど、ウチはハッちゃんが好き」
禮は白い花が開くようににっこりと微笑み、渋撥の目は縫い付けられた。禮の手が手の甲にそっと触れ、その手はこの世のものとは思えないほど柔らかかった。自分でも碌なものではないと見限っている本性を知っても離れていかずに好きだと言ってくれるのだから、本当にこの世のものではないのかも知れない。ならばしっかりと捕まえていないと消えてしまう。
(クッソカワエエな!)
愛おしさが喉を突くように湧いてきて、愛おしくて愛おしくてどうしようもなくなって、渋撥は衝動的に禮を両手で抱き締めた。
ぎゅうぎゅうと締め付けられた禮は苦しくて表情を歪める。
「ハッちゃん痛っ……」
「ちょお黙っとけ」
力を緩めたらこの腕をスルリと擦り抜けて消えていってしまうのだろう。そうでなければいまだ以て憎らしいあの男に掠め取られるか。どれほど抱き締めて密着しても思いの丈の十分の一も伝わらない気がする。
渋撥はただただ腕のなかの禮の匂いを温度を噛み締める。禮の持つモノすべてを独占したい。
(クソ! クソ! カワエエカワエエカワエエ! むちゃくちゃカワエエやんけ! 天使か⁉ 天使やな!)
「痛い痛い痛い! ハッちゃんほんまに痛苦しい~~っ💦」
急に息苦しさから解放されたかと思うと、禮はあれよという間にソファの上に寝かされた。抵抗する間もなく渋撥が上にどさっと覆い被さってきた。
禮が「え? なに?」と尋ねても渋撥からの返答はなかった。渋撥は素早く羽織っていたシャツとTシャツを脱ぎ捨てた。渋撥の目がギロリと光り、此処まで来れば疎い禮でも渋撥が何をしようとしているか流石に分かる。
禮は顔を真っ赤にし、腕を突っ張って渋撥と距離をとろうとする。
「急に何すんの⁉ やだやだやだ!」
バキィッ!
渋撥の後頭部を鶴榮が殴り飛ばした。飲み物を取ってキッチンから戻ってきたら禮が悲鳴を上げているのだから咄嗟に手も出る。
「ケンカのあとで昂ぶっとるさかいがっつきよって~」
「鶴ちゃん助けて~~っ」
禮は涙目になって鶴榮に助けを求めた。渋撥が本気になったら禮一人ではどうしようもない。
渋撥はガバッと頭を上げて鶴榮を睨んだ。
「邪魔すんなや!」
「せめてワシがおらんとこで盛れやーー!」
「お前が勝手に俺んちにおるんやろがッ!」
「クッソ重たいのにここまで運んだったのはワシやぞ! 性欲強すぎて死ね!」
§§§§§
――――と、まあ、この二人の間にはこんなことがありました。
ハッちゃんはこの後しばらくあの無理矢理抜け出した病院に通う羽目になったし、トラちゃんもハッちゃんに殴られた顎にヒビ入ってたらしくて、寮には帰られへんでうちで安静にしとかなあかんかったし。ついでに言えばトラちゃん受験生やのに顎が痛くてよう勉強でけへん言うてた。つまり二人の因縁はケンカが終わった後にも尾を引いてたワケ。
……そりゃあもう仲良うしてね、言うほうが無理やよ。
渋撥と虎宗は互いに銅像のように微動だにせず真正面から睨み合っていた。誰かが停めに入らねば掴み合いの喧嘩になるまでやめないだろう。どちらも仇敵と対峙して自分から折れるような性分ではない。
禮はソファの上で両膝を抱えて二人を観察していたが、あまりに変化がないので「はあ」と溜息を吐いた。
「……ねえ、ずぅっとそんなして睨み合ってんの、疲れへん?」
「別に」
渋撥と虎宗は意図的ではなかったが全く同じ単語をチョイスし、同じタイミングで口にしてしまったことを苦々しく思い「チイッ!」と盛大に舌打ちをした。
その舌打ちがまた同時だったから、禮はぷふっと噴き出した。
「何や、禮」
「禮ちゃん?」
二人はほぼ同時に禮のほうへ顔を向けた。互いに面白くなさそうに横目に相手を見る。
「あははっ。ハッちゃんとトラちゃんて似てるなあ。性格ぜんぜんちゃうのに変なの」
「似てへん!」
二人はまた同時に声が揃ってしまった。それを見て禮は無邪気にコロコロと笑うから、二人はすっかり毒気を抜かれてしまった。
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