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#04: The flawless guy
Engagement with crooked teeth villain 02✤
しおりを挟む数ヶ月前。東光高等学校、体育館にて。
虎宗と大志朗は同じクラスであり、体育の授業中だった。
ゴッパァンッ!
授業の一環として虎宗は一人の生徒と模擬戦に取り組んでいたのだ。ある拍子にかなりよい掌打を真面に顔面にヒットさせてしまった。虎宗ほどの練達ならば攻撃に応じて体が動作してしまうのは条件反射だ。
虎宗の掌打を喰らった男はバターンッと畳の上に仰向けに倒れた。
「うわーっ先生! 武雄がー!」
「あぁ~あ、こりゃ完全にアウトやな。意識どっかに飛んどるで」
「能登て確か帰宅部やったよな。マグレかこれ? 武雄、空手部主将やろ」
体育教諭やクラスメイトが倒れた男の周囲にわさわさと集まって人垣を作り、体育の授業は一時中断。
カリカリと後頭部を掻く虎宗。大志朗は虎宗の隣に立ってプッと笑った。
「何してんねんトラ。体育なんかで何マジになっとんねん、ダサ」
「武雄が本気で来よるさかい咄嗟に反応してしもた。ちょお保健室まで運んでくるわ」
このときまで俺は、トラがマヌケなヘマしたくらいにしか思てへんかった。
体育の授業で反射的に相手殴ってまうのなんか、トラにしてみれば手が滑ってまうみたあなモンや。トラはガキの頃から稽古ばっかりやっとったさかい、師範と一緒に暮らしとって日常生活が稽古みたあなモンやったさかい、よう意識せんでも体が勝手に動いてまう。
とどのつまり、高校入学してからこっち、俺等の生活は如何にそれを上手いこと隠してフツーの学生みたあに振る舞うか、そんなことばっかりに気ィ遣っとった気がする。
だって寮やし。寝ても覚めても同じ顔の男ばっかやし。何事もなく平和で穏便に過ごせるならそれに越したことない。そうやって過ぎていくはずやったんや、俺等の生活は。
或る日トラが体育の授業でヘマこいた。フツーの年頃の男子として高校生活をエンジョイするっちゅう俺等のささやかな計画が狂い出したのは、たったこれだけのキッカケやった。
「能登、能登、能登!」
或る日、虎宗と大志朗は学校の廊下で呼び止められた。頻りに虎宗を呼びながら駆けてきたのは暑苦しい顔面をしたがっしりした体格の男。よく見れば先日虎宗が体育の授業中にノックアウトしてしてしまった彼であった。
「そんな急いでどうしたん、武雄」
大志朗は昼休みに購入したイチゴ牛乳のパックをちゅーっと吸いながら武雄に言った。
「この前はすまんかったな」
体育での事件を虎宗が詫びると、武雄はガシッと虎宗の両肩を掴んだ。
「前々から思ってたけど……いい体してるよなァ能登。うん、イイ。とてもイイ!」
武雄が虎宗の肩や腕を撫でながら真剣な顔をしてそのようなことを言うものだから、大志朗はイチゴ牛乳のストローから口を離してプッと噴き出した。
「武雄てソッチ系の人?」
「なっ⁉ 違うぞ伯耆!」
「イヤ、嬉しそうに男の体撫で回しながらそんなこと言うたらそう思われても仕方ないがな」
虎宗は黙って大志朗に冷ややかな視線を向ける。
「俺はただ、よく鍛えてある体だって意味で! なァ能登、お前今どこの部にも入ってないよな。良かったら空手部に……」
「悪ィ」
武雄の言葉を遮って、虎宗はキッパリと言い切った。肩に置かれた武雄の手を押し返した。それから両手をズボンのポケットの中に突っ込み「じゃあな」と言ってスタスタと歩き出してしまった。
「見学! 見学に来てくれるだけでいいんだ、能登!」
大志朗も虎宗の後を追って歩き出し、武雄は二人を早足で追いかける。
「体格に恵まれてよく鍛えてある。多分素質もある。それを使わないなんて勿体ない!」
「興味あれへんし、空手」
「だからまずは見学に来てくれ。見たら興味が湧くかも……って話くらい聞けぇーっ!」
虎宗は振り返らずに手だけをフラッと振った。武雄はその後何度も懸命に呼び止めようとしたが、虎宗と大志朗は足を止めずに去っていった。
東光高校併設学生寮。
食事や入浴、消灯時間が決まっている以外は厳格な決まり事はなく、概ね規律はそう厳しくはなかった。正面玄関は定刻きっかりに閉鎖されるが、各部屋の窓や非常口まで監視されているわけではなく、人の出入りは一晩中自由であることは寮生ならば誰でも知っている。
基本的には一部屋につき二人体制であり、虎宗と大志朗は同室であった。部屋にいる自由時間は虎宗は専らベッドの上で読書に勤しんでおり、部屋に訪問者があった場合は必然的に大志朗が応じることが多かった。
夜、約束も無いのに部屋のドアがノックされ、今夜も大志朗が向かった。
「何でお前がここにいてんねん」
大志朗は部屋のドアを開くなり第一声がソレだった。
「あっはっはっ。こんばんは」
「イヤ、こんばんはやのォて。お前寮生ちゃうやろ、自宅組やんけ」
大志朗は明らかに歓迎しない表情をしていたのだが、武雄は意にも介さず笑いながら部屋のなかへ入ってきた。そして部屋のなかを物珍しそうにグルグルと見渡す。
大志朗は、入ってしまったものはしょうがない、とでも言いたげに長めの溜息を漏らして部屋のドアを閉めた。
「お前たちは寮も同室なんだな。教室でもほとんど一緒にいるし、いつも一緒じゃないか」
「まァ、幼馴染みやしガキの頃から一緒やけど」
二人部屋なので当然ベッドは二つ。二つのベッドは対面の壁それぞれに密着して設置されている。武雄は虎宗の向かいのベッド、つまり大志朗のベッドにドサッと腰かけた。
「コラ、勝手に人様のベッドの上に乗んな」
「チッ。色々細かいヤツめ」
そうは言っても武雄は其処から退く気はなさそうだ。大志朗は武雄と少し間隔を空けて自分のベッドの上に腰かけた。
虎宗はベッドの上に両足を伸ばし上半身を壁に寄りかけた体勢のまま手には読書中の本。目だけを動かして武雄を見た。
「また俺に用か」
武雄は「オウ」と勢いよく答えた。
武雄は或る意味期待を裏切らないから、大志朗はニヤニヤする。
「寮にまで押しかけて、お前も懲りんやっちゃな。ええ加減諦めぇや。トラは空手なんかやる気あれへん言うてるやん」
「そんなこと言って見学にも来てないじゃないか。実際見てみたら考えも変わるかも知れない。一度練習を見に来てくれよ」
武雄は呆れるほどしつこいけれど憎めない男だった。物言いが直球で裏表を感じさせないからか、いつも厭味無く豪快に笑っているからか、学校で何度押しかけられても大志朗は「ようやる」と感心はするものの、不思議と嫌悪感を抱いたことはなかった。
それは恐らく、虎宗も同じだった。本当に目障りだと思っているなら力尽くでどうにかすることもできたはずだ。
「空手でも柔道でも野球でも、俺はやる気あれへん。部員が欲しいんならほか当たれ。今更三年なんか入部させてもどうにもなれへんやろ。説得するだけ労力の無駄や」
「まあ、それはそうなんだが、お前を見てると猛烈に勿体ないって気がしてくるんだよな」
武雄は白い歯を見せてニッと笑った。ほら、押し付けがましいのに嫌いになれないのはこういう屈託のない笑い方をするからだ。
「勿体ないかどうかは俺が決める」
「そんなこと言ってる間にあっという間に青春終わっちまうぞ~。卒業すぐそこだぞ~。持て余してるパワーを空手に打ち込んだら引退まで毎日きっと楽しいぞ~」
武雄の語り口は本当に空手が好きなのだなと伝わってくるから、大志朗はアハハッと笑った。虎宗も珍しくフッと笑みを零し、パタンと本を閉じた。
「確かに力は持て余しとるかも知れんな」
「だろ? な、な? そのパワーを空手に注ごう!」
武雄は満面の笑みで虎宗に向かって「さあ」と両手を拡げた。
「せやけどな、やりたいことが全くあれへんっちゅうわけでもないねん」
虎宗からそう言われ、武雄は虎宗の頭から足の先までをじっと観察した。そして虎宗が表紙を閉じて傍らに置いた本で目を留めた。
「って、ああ、読書か。まあ確かになあ、文学も大事だよな。悪くない趣味だ。でもお前の体格はスポーツに活かしたほうがいいと思うぞ。ズバリ、空手!」
ビシィッ、と武雄は人差し指で虎宗を指した。
「ちゃう。まあ、コイツは暇潰しには最高やけどな」
大志朗は自分の腿の上に頬杖を突き、虎宗を指差した。
「トラんちなぁ、道場やねん。将来的にはトラが継ぐことになるんやけど、トラの頭のなかには道場のことしかあれへんねん。やりたいことは道場で稽古、強くなる稽古、師範と稽古。せやから流派以外のモンは身に付ける気あれへんねん、今のところ」
「アホ言え。俺が継ぐなんちゅう話はあれへん」
虎宗は大志朗をチラッと睨んだ。
「せやけど、まだ一人前にもなってへんのに余所に手ェ出しとる場合ちゃう」
風が止まり汗の混じったピンと張り詰めた空気の匂い。足の裏で打つ道場の床の感触。握り込んだ拳の熱さ。すべてが当たり前のように其処にある日常だった。日常に熱中していた。それは幸福なことだったのだ。相模家で過ごした時間も禮の存在も虎宗には必要不可欠なものなのだと、遠く離れてようやく気が付いた。ほかのすべてが色褪せて無味乾燥に感じるほど、ほかには何も要らないと無欲になるほど、彼処で過ごした時間は幸福そのものだった。
「そうか……。真剣なんだな」
「お。ついに諦める気になったか?」
大志朗は頬杖をやめて武雄の横顔を覗き込む。
「あ~~っ本音は諦めたくないんだがそこまで言われるとな~。スゲエめっけもんしたと思ったのにな~……」
武雄は項垂れて深い為息を吐いた。隣で落ち込まれると少し憐憫の情が湧いてきて、大志朗はパンパンと武雄の背中を叩いた。
「トラは頭ァ固いさかいもあんな調子やけど、俺でええんなら暇なときに練習の手伝いくらいしたんで?」
「伯耆が?」
「見かけはそんなんやけど大志朗もなかなかやるで」
「伯耆がぁ~?」
「お前は見かけ通り失礼なヤツやな。俺かて忙しいのに善意で言うたってんねんで」
「伯耆が忙しいのはデートだろ。他校生からモテてモテてしょーがないって噂だぞ」
武雄に妬ましそうな目を向けられ、大志朗はあははと笑った。
「ここ男子校やし、他校生からモテなどうすんねん」
「え? 知らんのか? 伯耆は校内でもモテてるだろ」
「聞きたない聞きたない聞きたない」
大志朗は両耳を塞いだ。自分の顔面の造形は誰よりも熟知している。男子校という環境だからこそ洒落にならない話題はやめてくれ。
虎宗がクッと笑い声を漏らし、大志朗と武雄は揃って虎宗のほうを見た。
「クラスのなかにも伯耆のことイイって言ってるヤツいるもんなあ? もしかしたら卒業前に告るんじゃ……」
「やめろ言うてるやろッ」
バンッ! と大志朗は武雄の肩を強めに叩いた。
「武雄も大志朗もおもろいやっちゃ。俺と全然ちゃう」
「トラよりつまらんヤツを探すほうが難しいわ」
大志朗はブスッとして前髪を掻き上げた。虎宗は余韻のようにクックッと肩を微かに揺らして笑っていた。武雄はいつでも大口を開けて笑うような男だった。
それまで特別仲が良かったワケでも共通の友だちがいてたワケでもない。
せやけど、顔を合わせれば挨拶を交わすし、廊下で出会せばどうでもええ話をした。たまに武雄が寮に忍び込んできては勝手に泊まって帰ったこともあった。
武雄は暑苦しいのに嫌悪感を抱かせへん、無礼千万やのに友好的で、そーゆー不思議と好感を持てる男やった。
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