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#04: The flawless guy
Open the hostilities. 01
しおりを挟むブラジレイロを出た禮と渋撥は、まずは最寄り駅へと二人並んで歩いていた。
「ハッちゃんも勇ちゃんと友だちやったんやね」
「友だちちゃう」
「そうなん? お話してたのに」
顔も名前も年齢も知っている。顔を合わせれば軽口くらい叩く。時間と情況が許せば世間話くらいはするかもしれない。しかしながら決して信頼の置ける関係などでは無い。そもそも渋撥にとっては備前勇炫という人間が直感的にいけ好かない。彼が真実善人か悪人かなどは問題ではなく、時たま見せる人を値踏みするような、秤にかけるような目が気に食わない。
「禮こそ備前と知り合いなんか俺に一言も言わんかったやんけ」
「だって言う機会あれへんかったし……」
禮はキョトンとしていた。渋撥が何故そのような言い方をするのか全然分からないという表情で。
渋撥としても説明する気は毛頭無かった。可愛い恋人が、あの女と見紛おうばかりに綺麗な顔をした男と自分の知らないところで知り合いだったことが面白くないのだ、などと正直に言うはずがない。
「備前は幼馴染み言うてたで」
禮は宙に目を向けて「うん」と頷いた。
「確かに幼馴染みみたあなかんじ。半年・一年に一遍くらいのペースで顔合わせるかなあ、道場の親善試合とかで」
「試合? 禮は備前とやり合うたコトあんのか」
「ううん。勇ちゃんはいつも大将やから、勇ちゃんの相手はいっつも決まってんの」
「フツー大将言うたら一等強いヤツやろ。禮ちゃうんか」
「ちゃうよー。道場で一等強いのはお父はん。お父はん除いても、ちゃんと門下生の中にウチより強い人がいてるよ」
「禮より強いヤツがちゃんといてんなら別に禮が出らんでもええんちゃうか。試合て男だらけなんやろ。ケガしたらどうすんねん」
「だいじょぶやよ」
禮は少々気恥ずかしそうにはにかんだ。渋撥が心配してくれていることが嬉しくて。
(こんな天使みたいな顔して男と殴り合うなんか世の中どうかしとる。禮が殴ることなんかあれへん。俺に言えば禮の敵は全部殴り倒したるのに)
禮の実力は渋撥も充分に分かってはいるが、渋撥にとっては小さく可憐で愛らしい生物であることに変わりはない。
渋撥から頭をグリグリと撫でられ、禮はキャッキャッと笑った。
「ハッちゃん撫ですぎ。髪の毛ぐしゃぐしゃになってしもた」
備前の言う禮に横恋慕しているという男の存在は気にならないわけではない。しかしながら、禮と触れ合って禮の笑顔を見ている間はつまらない悋気など忘れていられる。白い歯を見せて無邪気に笑う禮を見ていると気分が良い。自分でも信じられないくらい上機嫌になるのだ。
「オウ、そこの二人」
禮と渋撥は不意に背後から声をかけられ、揃って振り返った。其処にいたのは、見慣れない学生服を着た六人の男たち。渋撥が覚えがないということは近所の学校ではあるまい。
「《荒菱館の近江》っちゅうヤツ、知っとるか?」
禮がソッと渋撥の顔を見上げると眉間に深い皺を刻んで男たちを睨んでいた。あぁこれは警戒態勢だと察知し、ひとまず男たちのほうへ視線を戻した。
「知っとるよなー? その白ラン、荒菱館の制服やろ。しかも自分、見た目バリッバリに悪そーやもん」
「直接は知らんでも噂聞いたコトとかチラッと見たコトとかあるやろ。《荒菱館の近江》ちゅうたら有名人やもんなあ?」
「オイ、ちょお待てよ……」
一人の男が仲間たちに言い、渋撥の顔を遠目にじぃーっと観察する。
「眉が無くて恐ろしい三白眼しとる190近い大男て……もしかしてアイツのコトちゃうか?」
「あー、確かに。眉ナシの大男なんかそうそういてへんもんな」
「違うとしても何か知っとるかもしれんし、取り敢えず捕まえとくか」
渋撥は一歩足を進め、禮を背後に隠すように彼等と対峙した。
「禮、走れ」
「イヤ」
渋撥は眉間に皺を寄せて禮のほうを振り返った。禮は渋撥と目を合わせてもう一度ハッキリと嫌だと断言した。
「ハッちゃん残して一人で逃げるなんて絶対イヤ」
渋撥は手の平で禮の額をグイッと押した。
「アホ。俺一人やったらどうとでもなる。禮がおったらやりにくうてかなん」
禮は大きな黒い目をウルウルさせて渋撥の三白眼を下から見詰めた。
「ウチ邪魔せえへんし。大人しゅうしてるから。おねがいハッちゃん」
「…………っ」
この場に於いて、禮の安全を優先して逃がそうという情況判断は自分のほうが正しいはずだ。これは自信を持って断言できる。しかしながら、禮の瞳と「おねがい」の呪文には抗いがたい。
渋撥は「はぁーっ」と深い溜息を吐いた。
「絶対おとなしゅうしとれよ」
渋撥は男たちのほうへ向き直った。端から順に眺めてみたが、ただでさえ人相を覚えないタチであるところ、どの顔にもピンと来なかった。相手が誰であろうと臨戦態勢でいる以上は対戦は不可避。
渋撥も臨戦態勢に突入したことを察知して、見知らぬ彼等もジリッジリッと緊張感を迫り上げる。
「イてまえーーっ!」
おおおおおおーーっ!
六人の男たちが一斉に雪崩れ込むようにして迫ってくるが、渋撥は一歩も退かずに先頭の男を見据えていた。
男は「おらあっ!」と気合いを入れて大きな動作で拳を振り上げた。
渋撥の目は、男の拳の軌道を克明に捉えていた。攻撃を易々と躱し、自分もグッと拳を握った。
ドォオンッ!
男の鳩尾に渋撥の右ストレートがめり込んだ。走り込んできた自分の加速も相俟って、到底踏み留まることなど叶わない。両膝を付いてアスファルトに前のめりに倒れ込んだ。胃酸が喉まで上がってきて口から涎を垂らす。
「げあ……ッ‼」
ガキャンッ!
渋撥は足元近くにあった男の後頭部を容赦なく踏み付けた。それを見た残りの男たちは一瞬たじろいで足を止めた。
「オラ、次」
ガゴンッ! ドボォッ! ガギャンッ!
「ぐあっ!」
渋撥の一撃で大の男が吹っ飛び、地面に叩き付けられた。それを見届けている一瞬の隙に、背後に人の気配を感じて渋撥は振り返った。
「調子乗んなやコラァッ!」
ガキャンッ! とかなり強かに顔面を殴られた。しかしながら、彼には容易く折れない屈強な肉体がある。多少殴られたところでびくともせず、即座に犯人を捕まえた。服を引っ張り力尽くで俯かせ、腹部を膝で蹴り上げた。ドゥンッ! ドゥンッ! 膝がめり込む度に体が跳ね上がった。渋撥が手を離すと男は堪らずズシャアッとアスファルトの上に転がった。
「ぎゃあっ」
高音の悲鳴が上がり、渋撥はバッと振り返った。男が禮の手首を掴まえていた。
男は突如背後から現れた為、禮の心臓はバクバク。
「あー、ビックリした……」
渋撥から「禮ッ!」と怒鳴られ、禮はビクッと肩を撥ねさせた。
「ハッちゃんごめん~~。ハッちゃんのほうに夢中になってたから~」
「アホか。のんびりごめん言うてる場合かッ」
男は禮の細い手首を力任せにグイッと引っ張った。
「一人ずつ行くな! 何の為に頭数いてる思てんねん囲めっ!」
禮を掴まえている男はそう指示を出し、渋撥はチッと舌打ちをした。
「捕まえて押さえろっ!」
「囲んでフクロにしてまえー!」
男たちは一斉に渋撥に飛び掛かった。亡者のように伸びてくる数多の腕を、渋撥は振り払っては殴り飛ばす。しかしながら、然しもの渋撥も全方位に目は付いていない。近場に気を取られている隙にドスッと脇腹に蹴りが入った。渋撥の動きが一瞬緩まり、男たちは巨躯にしがみついて押さえた。
「オラァ!」
ガゴンッ!
足を止めてしまった渋撥は顎を真面に殴られ、続けてそのまま数発叩き込まれる。
「ハッちゃん!」
禮は渋撥に駆け付けたいが、手首を掴まれているからそれも叶わない。腕力だけならば女子中学生の禮と血気盛んな男子高校生では比較になるまい。しかもこの男は禮が身動きする度に手首を引っ張るから腕がギチギチと痛くて苛々する。
「もおーっ、さっきから手痛いねんて!」
禮は男のほうへ体を向け、自分の手首を掴んでいる男の腕を素早く握って腰に力を入れて思い切り回してやった。
「なっ⁉」
魔法のように体がぐいんっと一回転したかと思うと、視界がグルッと回り、黒いアスファルトを間近に見た。ズドォンッと、男は抵抗する間もなく固いアスファルトの上に背中から落ちていた。
痛みでハッと気付いたときには自分より小柄な女子中学生に跨がられていた。何が起こったのか理解できず脳が一時的にフリーズしている間に、その女子中学生が拳を握っているのが見えた。
「うわあーっ!」
ガキンッ!
禮は確かに男の顔面に叩き込んでやろうと拳を握ったのに、腕がびくともしなくなった。
禮が背後を振り返ると、腕を渋撥にしっかりと捕まえられていた。渋撥は自分を足止めしようとする輩を必死に振り払ってきたのか「はぁはぁ」と乱れた呼吸で禮を見下ろした。
「いつもぽんぽんモノ殴るな言うてるやろ。禮の拳のほうがワヤんなったらどうすんねん。そんな細い手やのに」
「これくらい大丈夫やよ」
「あかん、ソイツ出っ歯やから」
「あァッ⁉ ナメとんかゴラァッ!」
禮に組み敷かれた男は反論をしたそうだったが、禮は無視して渋撥のほうばかりに顔を向けている。
「歯が当たる?」
「当たる」
渋撥はコクッと頷き、掴んだ禮の二の腕を引っ張って男の上から引き上げた。
男の視界を、渋撥の爪先がフッと地面から浮いたのが掠めた。男は嫌な予感がして反射的にキュッと目を閉じた。
ベギンッ!
「うぎゃッ! ぎゃぁあーッ‼」
男の鼻先を蹴り飛ばした渋撥には骨を潰した手応えがあった。アスファルトの上にピピピッと黒ずんだ血が弾け飛び、男は止め処なく血が流れ出てくる鼻を押さえてのたうち回る。
禮は「あちゃあ」という表情をして男のほうから顔を逸らした。
「ハッちゃんのヤリ方、かわいそやと思う……」
「ケンカの相手に情かけたっても何にもならん」
渋撥は禮の腕を引いて自分の背後へと押しやった。それから、禮には大きな背中だけを見せ、体の正面を敵へと向けた。
奴等は仲間の何人かを戦線離脱させられても、まだ戦意は喪失していない様子だ。名指しでやってくるだけあって道端での偶発的な小競り合いとは訳が違う。明確に目的を持って行動していることが窺える。男たちは渋撥と一定の距離を保ち、じりっじりっと攻撃を仕掛けるタイミングを計る。
ブォォオオオッ。
けたたましいエンジン音がこちらに向かって突進してくる。渋撥と禮は顔を上げて其方を見た。
愛車のスクーターに跨った鶴榮が風を切ってこちらに向かってきているではないか。
「撥ゥーーーっ!」
猛スピードでスクーターが突っ込んできて、奴等は慌ててバラバラに散った。敵の垣根を割って渋撥と禮の前に辿り着き、スクーターはキキィッと急停止した。
「正義の味方、参・上!✨」
鶴榮は白い歯をキランと光らせ、颯爽とビッと親指を立てた。渋撥はそれを全無視して禮の腕を無理矢理引っ張って鶴榮に押し付ける。
「鶴について行け」
「ちょっ……ハッちゃん!」
「オイオイオイまずはワシに何か突っ込めや! その歳で正義の味方はあれへんやろとか色々あるやろっ」
「禮連れて逃げろ」
渋撥は鶴榮の冗談には一切応えず要求だけを突き付ける。鶴榮はチッと舌打ちして禮の二の腕を捕まえた。
「お前は? ワシはお前に話あんねんけど」
「話はあとで聞く。禮逃がすほうが先や」
渋撥と鶴榮は淡々と会話を完了し、その短い会話で互いに納得し合ったようで、渋撥はクルッと背を向け、鶴榮はそれ以上何も言及しなかった。それは兎にも角にも「行け」という合図。それは兎にも角にも「やれ」という合図。
禮にはパチンと二人の間の糸が切れる音が聞こえた。ならばこれ以上駄々を捏ねることはできない。禮は名残惜しそうに渋撥の背中を見ながら鶴榮の後ろに跨がった。
ブオッブオオオオッ。
「スグに曜至が来るハズや。それまで気張れよ撥」
鶴榮は走り出すと同時に渋撥の背中にそう言った。
鶴榮のスクーターはすぐにトップスピードに突入し、登場したときと同様に颯爽と姿を消した。
「曜至なんかアテにするかボケ」
渋撥が独り言を零したあと、ジャリッジャリッと複数人の足音が聞こえた。其方を振り返ると、路地から集団の男たちが出てきたところだった。その制服は、渋撥と対峙している男たちと同じものだ。もしかしなくてもそうなのだろうなと、渋撥の口からは溜息が漏れた。
「お。合流成功」
出てきた男が零した一言が決定打。この者たちは敵の援軍だ。最初の二、三人以降は面倒臭くなって渋撥は頭数を数えるのを已めた。
「何やっとんねん! 来るのが遅いんじゃッ」
「逃がさへんぞ近江コラァッ!」
渋撥は首をグルリと回し、ゴキッと骨を鳴らした。
「ほんまコッパがゾロゾロと…………鬱陶しい」
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