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#01: Before dawn

Before dawn 01✤

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「なァ、いまウワサになってる女……知ってる?」

「何だソレ。どんなウワサだよ」

「メチャクチャケンカ強ぇ女がいんだって。人間じゃねェってくらい強くて、男相手でも一対一なら負けナシらしいぜ」

「ウソ吐けよ、そんな女ゼッテーいねェって」

 俺たちがまだ 自分の正義と信念と拳を 熱いままに振り翳せた頃
 そこには 暴力と支配と 苦痛と欲望と刺激と 曖昧な自由があった。
 野獣のような猛者たちが犇めき合う暁闇のなか ひとりの女が玉座に立つのを俺は見た。

 女帝の御代の開闢――――。
 男たちが鎬を削り織り成した長い歴史が変革を迎える。
 その変革の黎明期、暗澹たる時代に俺はいた。
 物語は、女帝が目覚める前からすでに始まっていたんだ。


   §§§§§


「遅刻、遅刻~」

 黒髪のショートカットの少女は、小走りに大通りに飛び出した。

 相模 禮[サガミ レイ]――――
 この春高校一年生になったばかり。まだ誕生日を迎えていない15歳の少女。大きな真っ黒の瞳に、それを縁取る長く艶やかな睫毛、白磁のような肌に桜色の頬、そして薄紅色の唇。総じて水際立って愛らしい顔立ちをしている。


「あちゃーあかんなぁ。道分かれへんよになってしもた」

 禮は往来の真ん中で頭を掻いた。
 今日は待ちに待った晴れの入学式だというのに、学校への道程が思い出せない。何せ、実家から実際に学校に行ったのは入試の日一度きり。その一度きりでも充分脳内に叩きこんだつもりだったが、どうやら自惚れだったらしい。しかも、新生活に向けてつい先日越してきたばかりであり、自宅周辺であっても土地勘はゼロと言ってもよい。

「う~ん、どこで間違えたんやろ……」

 禮はガードレールに腰かけ、一息吐いてのんびりと道順を脳内に思い描いてみることにした。焦っても仕方がないし、自宅で想定した道順から何処で外れてしまったのか思い出してみることにする。

(こんなコトやったら初めからツルちゃんの言うこときいとけば良かったかなぁ)

 道に迷って往来で困り果てているはずなのに、禮の脳内に思い描かれるのは道順ではなく、親しい友人の顔ばかり。鶴ちゃん、とは禮が今日から通う高校の卒業生。彼は入学式に遅刻しては大変と、禮を学校まで送ってやると申し出てくれたのだが、丁重にお断りした。御好意は有り難かったが、高校生にもなって学校へ送迎されるのは子どもっぽく感じた。兎にも角にも、自力で目的地まで辿り着く自信があった。

「後悔先に立たずやね」

 禮はそう言ってタッと地面に足をつけた。
 いつまでも此処でこうしていても仕方がない。方角さえ正しければめげずに歩いていけば辿り着くかもしれない。禮の方向感覚に因れば学校付近までは来ているはずなのだ。

「初日からこんなやと、ほんまにやってけるんかちょっと不安……。ただでさえ友だちひとりもいてへんでひとりっきりのスタートやのに」

 禮は大通り沿いに歩きながら独り言を零した。
 禮は、地元では結構名の知れた有名校、俗に「名門私立」と呼ばれる女子校附属幼稚園に入園し、そのまま初等部・中等部とそつなく卒業した。そのままエスカレータ方式で大学までもスムーズにいけるはずだった。しかし、高校進学タイミングで突如、そのエスカレーターから飛び出した。親をはじめ教師や友人たちからも口々に勿体ないだの変わり者だの言われたはしたが、決心したからには揺るがなかった。


   §§§§§


 私立荒菱館コーリョーカン高等学校――――。
 不良・ヤンキー・落ちこぼれ・社会不適合者の吹き溜まり。校内校外問わず窃盗事件・暴力事件・補導は日常茶飯事。地域一悪名高い底辺校である。
 一般の男子生徒でも耐え難い劣悪な環境であり、禮がそれまで属していた名門私立とは真逆に位置するのだから、この高校の受験を決意表明したときの周囲の猛反対も無理は無い。
 ほかにもこの高校ならではの特徴的な点がいくつか存在するが、この場で例をひとつ挙げるとすれば、女子生徒が非常に少数である点。その現状は統計的な数字を見れば顕著で、全校生徒数に対する女子生徒数の比率は1%弱。つまり、禮はこの高校に於いて稀少で珍重される〝女子生徒〟ということだ。

「…………であるからしてー、本日から晴れて本校の生徒となった諸君には一層の誇りと熱意、自覚を持っていただきたい所存であります。本日は諸君の生涯にとって節目となる記念すべき日であり、私を含め職員一同――……」

 朗々と校長の挨拶が続くなか、服装や髪型が悪目立ちする新入生が多いのはこの高校の入学式の恒例であり、上級生に空席が目立つのも例年のこと。生徒たちはおろか、教師陣すらもそのようなことは気にも留めなかった。

 三年生の列に並ぶ金髪の男は、背伸びをしたりキョロキョロしたりして一年生の一団を熱心に観察した。

 美作 純[ミマサカ ジュン]――――
 荒菱館高校の№2。
 人相が悪い生徒が多い荒菱館高校のなかでは珍しく爽やかで人懐っこそうな顔立ち。性格もどちらかといえば平和主義で通っている。
 平生から愛想のよい彼の最大の悩みは、彼女イナイ歴十八年目を迎えようとしていること。顔立ちもスタイルも並以上なのだから、このような環境でなければ恋人のひとりやふたりは出来ただろうに。


「禮ちゃんいてまへんなぁ。近江さん」

 美作は、隣に座っている強面の男に話しかけた。
 男は入学式が始まってずっと腕組みをして沈黙。美作の言葉を聞いて眉間の皺をさらに深くした。

 近江 渋撥[オーミ シブハツ]――――
 強烈な三白眼である上に、眉を潔く剃り落とし、かなりの強面だ。黒髪は短く刈り上げられている。肌は生まれ付き浅黒く、肩幅のある屈強な体付き、日本人離れした長身。常に無表情で他人を見下ろすことになり、かなり近寄りがたい風貌だった。
 彼こそが「鬼」「暴君」と怖れられるこの街最強の男にして、荒菱館高校に君臨する唯一の帝王だ。


「どうせ道にでも迷っとんやろ」

 近江はいつも通り無表情だけれども、いつもにも増して不機嫌そうに答えた。

「禮ちゃん、入学式あんな楽しみにしとったのに可哀想でんな」

「知らん」

 近江はキッパリと言い切った。
 美作は横目で近江の表情を窺った。

「知らんて。禮ちゃん、せっかく受験受かって荒菱館に入れたんやからもう少し褒めたっても」

 美作の視線には「薄情者」という意味も含まれていた。
 近江はまるで相手にせずハッと鼻で笑った。

「禮が勝手にせんでもええベンキョしてんねん。俺は知らん」

 禮は自ら望んで大学まで安寧のはずのエスカレータから降り、苦労が目に見えている受験戦争に参戦した。それは近江にとってはまったく理解不能な決断だった。
 この件に関して近江はそう簡単に折れそうにないから、美作は別の話題に切り替えることにした。

「……ちゅうか、禮ちゃん道に迷ってんねやったら近江さん心配ちゃいますの?」

 バキッ! ――近江は突然美作の足を蹴り飛ばした。

「いったァッ!」

「心配せえへんわけないやろ! 当たり前のことぬかすなッ」

 近江にギロッと睨みつけられ、美作の口許はヒクッと引き攣った。

「俺の禮はむちゃくちゃカワエエ」

「あっ、ハイ。デスネ」

 近江が脈絡なく自信満々に断言した言葉を、美作は抵抗なく認めた。

「迷子になってその辺の頭の悪い男に声かけられとるんちゃうか考えたらほんまこんなトコにのんびり座ってられへん」

「ほな何で今年に限って入学式にちゃんと出てはるんですか。毎年サボらはるのに」

「禮が絶対出ろ言うさかい仕方なくやッ」

 近江の八つ当たりで怒鳴られ、美作は苦笑した。

「まぁ、近江さんが心配しはる気持ちも解りまっせ。禮ちゃんほんまカワエエですもん❤ 俺がカレシやったら心配で居ても立っても……」

 バキィッ! ――再び臑に襲い来る激痛!
 美作は足を押さえてその場で悶絶した。

(俺に当たってもどうもなれへんのに😢)

「クソッ、イライラする。禮がいてへんのに入学式なんぞ出て何になんねん」

「そおっすねぇ……」

「俺はツルに送ってもらえて言うたんや。せやったら道に迷うこともあれへん。せやけどひとりで大丈夫や言い張りよって。案の定禮ひとりじゃ間に合うてへんやんけ」

 近江はブスくれた表情でブチブチと愚痴る。禮が登場しなくて相当面白くないらしい。これ以上八つ当たりついでに近江に蹴られては堪らないから、美作はまたもや話題の転換を試みることにした。

「そう言えば鶴さん元気にしてはりますか」

「知らん」

 またソレですか。近江の機嫌の悪さは最高潮で、せっかく用意した新しい話題もお気に召さないらしい。しかし、美作はめげなかった。

「鶴さんの話がもうすでに懐かしく感じますわ。ついこの間卒業しはったばっかなのに……」

 そこまで言ってしまって、美作の言葉が止まった。
 ………………。
 近江と美作の間に数十秒間の沈黙が流れた。
 それだけの時間をかけても美作の口からは機転の利いた台詞が出てこなかった。

「卒業してへんで悪かったのォ」

 近江が低い声で言葉を発し、美作はビクッと肩を撥ねた。以後の沈黙が居たたまれず、額からじとりと汗が流れ落ちた。

(わ、話題間違えた……💦 俺のイージーミス!)

 実は先ほどから話題に上る鶴榮[ツルエ]とは禮の言う「鶴ちゃん」と同一人物であり近江と幼馴染みの同い年の悪友。鶴榮は何の問題なく卒業したが、近江は留年してしまった為に一年分、取り残されてしまったのだ。


   §§§§§


 結局、禮が登場することなく入学式はつつがなく終了。入学式終了後、新入生は各自自分の教室に入り教科書の配布を受ける段取りになっている。新入生たちはのらりくらりと自分の教室に入っていった。
 或る新入生のクラスの担任教師は、教壇に立って教室内を一望した。そして、ひとつの空席にふと目を留めた。廊下側から二列目の、後ろから二番目の席がひとつぽつりと空いている。
 それも別段珍しいことではなく、担任教師は溜息混じりにクラス名簿を手にした。おそらくは毎年恒例の入学式サボタージュ。ほとんどの新入生は流石に我が晴れの日ということもあって入学式には出席するが、それすらも出席しない横着な生徒が毎年数名は必ずいるものだ。

(今年の入学式サボりはどんなヤツだ。……え~と、斎藤川原サイトーガワラはいるな。その後ろ……)

 担任教師は名簿の名前を指で押さえて苦虫を噛み潰したような表情をした。

相模サガミレイ? ……コレが例の女生徒か。勘弁してくれよ~。ただでさえ女子は目立つからモメ事の原因になりやすいんだよなー。俺が受け持っている間はフツーに生活してくれよ相模ィ~~~)

 ガラッ。――教室の扉がいきなり開いた。
 この場にいるクラス全員の目玉がそちらを向いた。

「ごめんなさい。遅れました」

 禮は担任教師と目が合うなり、ペコッと頭を下げた。
 担任教師はクラス名簿を手に少々面食らった。入学式に出席しなかった生徒はその日は顔を見せないものだ。というよりも、このように素直な謝罪はこの学校に赴任してこの方、お目にかかったことがなかった。
 禮は両手で丁寧に教室の扉を閉め、担任教師がいる教卓に近づいた。申し訳なさそうな顔をして口を開いた。

「あの……相模サガミレイです。入学式、間に合わへんくてほんまごめんなさい」

「イ、イヤ、いいよ」

 ――いや、よくはないけど。
 担任教師は想定外の低姿勢に面喰らい、ついすんなりと許してしまった。
 聖職者である彼の目にも、肩を竦めてやや上目遣いにしている禮は、愛らしく映った。

(えらく素直だなー。ホントに荒菱館の生徒か? しかも可愛いし❤)

 ざわざわざわざわ。
 禮の登場により教室中の男子生徒がにわかにざわめいた。なにせ女子生徒は1%満たないこの環境で、女子生徒がいるクラスに当たるというのは大変な幸運だ。
 よしんば、同じクラスに女子生徒がいたとしても、このような学校を選ぶぐらいだから、何処ぞの暴走族総長の女だとか、現役のレディースだとか、ハッキリ言って口も態度も悪い、女らしさの欠片もない可愛げのない女ばかりだと高を括っていた。にも拘わらず、遅れて現れた少女は、見るからに清純そうで水際立って可愛らしい。クラスメイトたちは揃いも揃って入学早々心のなかでガッツポーズ。

「カ、カワエエ……」

「センセー許したってよ。カワエエ子にイケズしたらバチ当たんねんでー」

「へー、こんな女が荒菱館にいてるとは思てへんかったわ。嬉しい予想外やな。ちゅーかあの顔で性格ブスちゃうやろな」

「少々の性格の悪さは問題じゃねェ。このガッコにあのレベルが存在してることが奇跡だ」

「あっはっはっ。一年間楽しみやで」

 入学早々歓声に似たどよめきに包まれた禮は、訳が分からずにキョトンとして教室中を見回した。
 担任は溜息をひとつ吐いた。当人が素直だろうと愛らしかろうとこの環境では、そこにいるだけで問題のタネであることには変わりない。

「お前たちウルサイよ。少し静かにしなさい」

 担任教師は禮にひとつの机を指し示した。

「あそこがキミの席だよ。早く座んなさい相模サガミ

「はーい」

 禮は教壇にクルッと背を向けて自分の席へと向かった。
 禮が担任教師に言われたとおり教室の真ん中を割って歩く間中、男子生徒の目は釘付けだった。禮はじゃっかんの居心地の悪さを感じながら自分の席に辿り着き、机の上に通学鞄を下ろして椅子に腰かけた。
 禮が一呼吸吐くよりも早く、前方の席の男子生徒が振り返った。

「なあ、名前何て言うん? 俺、斎藤川原サイトーガワラシノグ。ヨロシクな」

 禮は内心、高校生活に不安を抱えていたから、気さくに自己紹介してくれたことが嬉しかった。ニッコリと満面の笑みを見せた。

「ウチ、相模サガミレイ。ヨロシク」

(うおおおお~ッ! カワエエ~💕💕)

 男子生徒の心の中は全員一致で相模サガミレイが荒菱館高校ナンバーワン美少女に確定した。


   §§§§§


 入学式終了後。荒菱館高校の王様御用達喫茶・ブラジレイロ。
 若者に人気がある舶来のコーヒーショップや女性受けしそうな小洒落たカフェとは趣が異なり、壁紙や木目のカウンターやテーブル席のソファ、コーヒーカップやランプ、至る所すべてのパーツが古き良き芳しさを残す店内。マスターは店内同様に古めかしい雰囲気を持で、無口で程よく不干渉。
 この店は近江たちの行き付けだが、いつ訪れても繁盛している様子はない。それがまた居心地がよかった。

 しかしながら、居心地が良いはずの店内で、近江は先ほどからずっと貧乏揺すりが止まらなかった。煙草を咥えて腕組みをしたまま、足を小刻みに動かし続けている。
 テーブルを挟んで近江の対面に座っているサングラスをかけた男は、不思議そうに首を傾げた。

「コイツは何をイライラしてんねん」

 羽後 鶴榮[ウゴ ツルエ]――――
 近江の幼馴染み。バイク屋の跡継ぎであり、家業を継ぐために日夜懸命に修行中。
 長い揉み上げと、いつもかけているサングラスがトレードマーク。サングラスの下の素顔は禮もいまだに見たことがない。学生服を着ていなければ高校生には見られない近江と比較しても、かなり老けて見えるが、この春、禮とは入れ違いに荒菱館高校をめでたく卒業したばかりだ。


「いやぁ~。それが禮ちゃんが入学式に来えへんかったんですわ。近江さんには入学式に絶対出てや言うてたらしいんですけど」

「道に迷ったかなあ、禮ちゃん。せやさかいワシが送ろうかァ言うたのに」

 鶴榮はカカッと笑って近江のほうへ顔を向けた。

「入学式から先が思い遣られるなァ、ハツ

「今も先も知るか。元々禮みたいなのが荒菱館に入ってタダで済むわけあれへん」

「せやけど、禮ちゃんが荒菱館受ける言い出したときはそんな反対しはらへんかったような」と美作。

ハツのことや、頭のなかで猛反対しとってもどうせ顔には出さん。禮ちゃんには甘いさかいな~」

 鶴榮は近江を揶揄って笑うから、美作は内心冷や冷やものだ。近江から八つ当たりされるのは自分なのだから。
 近江は険しい表情で紫煙を吐き出した。

「禮がそうしたい言うてんのに、俺がどうやって邪魔でけんねん」

 近江は誰よりも禮に御執心にして御寵愛。故に禮のお願いも我が儘も、ついには首を縦に振らないわけにはいかない。

「オイ、ツル。何やソレ」

 近江が指摘したのは、鶴榮の横に置かれている大きな花束。男が花束を用意する理由などは大体知れているが一応訊いてみた。

「禮ちゃんへのプレゼントやで。何か文句あるか?」

「あれへん」

「自分のカノジョがほかの男から花束貰ういうても高校入学のお祝いなんやから、まさかそんなもんでカレシが一々文句言うたりせんよなァ? カレシなんやからビクともせんやろ、なあハツ?」

「せやさかい何も言うてへんやろがッ」

 ダンッ! ――近江がテーブルの上に拳を落とし、美作はビクッとした。

(絶対わざとや。鶴さん、絶対わざと近江さんを刺激して楽しんではる……!)

 鶴榮は近江の幼馴染みであり、自ずと付き合いが最も長い。唯一近江を揶揄うことのできる存在であり、鶴榮にとっては冗談でも美作の心臓には悪い。

 チリリンッ。――店のドアに付いた鈴が鳴った。
 近江と鶴榮、美作の三人はそちらを振り向いた。
 入店してきたのは予想通り、話題の主人公だった。禮は近江たちを見つけ、笑顔でテーブルに近づいた。入学式諸々学校での行事が済んだらブラジレイロで落ち合う約束をあらかじめ交わしていた。

「鶴ちゃん久し振りー」

 真新しいセーラーの襟やスカートを揺らして愛らしい少女に微笑まれては、流石の鶴榮も口角が上がる。
 禮は、鶴榮の隣が空いていたから自然とそこに座った。すると近江からジロッと睨まれ、鶴榮はククッと笑みを零した。

「入学式サボって何しとった、禮」

 近江は禮がソファに腰かけるや否や責めるように尋ねた。

「サボったんちゃうよ。道に迷ってしもただけ」

「そんなことやと思たで。せやさかい鶴に送ってもらえ言うたやろ」

「だって迷うなんて思わへんかったんやもん。学校の場所は知ってたし。マンションから行くのは初めてやったけど」

「あんなァお前、自分の……」

 ハイハイそこまで、と鶴榮に遮られ、近江はチッと舌打ちした。
 鶴榮は傍らに隠してあった花束を禮に差し出し、白い歯を剥き出しにしてニカッと笑ってみせた。

「禮ちゃん入学おめでとう」

「わー、花束や。こんな大きいのええの? 鶴ちゃんおおきにー」

 禮は自分の肩が隠れてしまいそうなほどの花束を受け取り、鶴榮に満面の笑みを返した。
 しかしながら、彼氏である近江としては、その笑顔を自分以外の男に引き出されては心中穏やかではないわけで。近江の表情と雰囲気が険難になり、美作の胃はキリキリと締めつけられる。

「禮ちゃんが喜んでくれるんやったら、花束くらいなんぼでも持ってくるで。ワシ、禮ちゃんのこと好きやから」

「ウチも鶴ちゃんスキー」

 パリーンッ!
 鶴榮が禮の肩に腕を回して顔を近づけた瞬間、近江は水が入ったコップを握り潰した。

「ッ~~~!💢💢」

(ヒィィイイイッ💦!)

 美作は胸中で悲鳴を上げていた。
 鶴榮は近江の心中を察して確信的に煽っており、不機嫌な近江を見てニヤニヤする。

「ほんまよかったなぁ禮ちゃん。ハツと同じガッコ通えるようになって」

「うん」

「受験自体は禮ちゃんのアタマなら心配してへんかったけどな」

 鶴榮に頭を撫でられ、禮はえへへとはにかんだ。
 鶴榮は禮を気に入っており、禮は鶴榮に全幅の信頼を寄せている。つまり、このふたりはとても仲が良い。

「つ、鶴さん……も、その辺に💧」

 美作の弱々しい声。ふたりが仲良くすればするほど胃がきゅぅううと絞まる。

「お前も嬉しいやろ、ハツ

 鶴榮から話を振られた近江は「別に」とだけ淡白に答えた。

「別にてお前なあ。今日くらい嘘でも嬉しい顔でけへんか。せっかくの禮ちゃんの入学式やで」

「嘘でもほんまでも俺は嬉しかない」

 禮の顔がピクッと緊張したのを、鶴榮は見逃さなかった。少々困った顔で後頭部を掻いた。
 ズキッ、と近江に投げつけられた言葉で禮の胸は軋んだ。
 近江は何でも無い顔をしているから、自分も何でも無い振りをしなくてはいけないと思って、笑った。

「ごめんね」

 禮は無理して笑って一言だけそう言った。
 花束を自分の横に置いてメニューを手に取った。関心をメニューの注文に向けたのは、この話をやめてにしてという合図。
 美作と鶴榮は、禮の気持ちを察し、はあ、と溜息を吐いた。

(あーあ……禮ちゃんかわいそ)

(やらかしたな、ハツのアホ)
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