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Kapitel 08
平癒の遊行 04
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まずは自分と環境にそぐう服装を入手しようということで、ビシュラたちは学園都市から離れ、人気の商業エリアへと移動した。
人の往来が盛んな賑やかで活況なショッピングビル。若年層が好むファッションを主に扱うアパレルショップが数多く入っている。ここなら学生から若手社会人まで、カジュアル、コンサバ、フェミニン様々な服装を選ぶことができる。
アキラはビシュラが好む服装をよく知らない。幅広い選択肢のなかから好きにチョイスしていただこうという魂胆だ。
ビシュラはアキラにあれは変ではないですか、これは似合っていますか、と何度も確認しながら、鏡の前で合わせたり試着したりを楽しそうに繰り返した。
アキラも同性同士の買い物は久し振りで楽しかった。同性の学友と連れ立って行くこともたまにはあるが、大抵の場合、自分の服は自分一人で買いに行くことが多い。最も仲がよいのは言わずもがな虎子だ。スケジュールさえ合えば彼女は買い物に喜んで付き合ってくれる。しかしながら、超がつくほどのお金持ちである彼女の買い物は一般の女学生とは一線を画す。アキラは高級ブティックに用は無いし、店員さん総出でお見送りをされるのは勘弁なのだ。
寧ろ、いくらか年齢が上であるはずのビシュラのほうが「あれもこれもかわいいですね」「しかし予算が……」と悩んでしまうあたり、感覚が庶民的で親しみやすかった。
天尊とヴァルトラムはショップの外、正面の壁に寄りかかって待機していた。まるっきり彼女か娘の買い物についてきて待たされている彼氏か父親の図。
女性物のアパレルショップは棚が犇めきあい通路も狭い。恰幅がよいヴァルトラムには窮屈に決まっている。最初から店に入る気にもなれなかった。
ヴァルトラムは、ゆうに人一人分の間隔を空けて隣に立っている天尊を横目で見た。自分同様に店外で待たされているのに、天尊はショップのほうを向いて満足げにしていた。この時間はヴァルトラムには退屈なばかりでその心持ちがまったく理解できなかった。
「女の買い物なんざ何が楽しい」
「遠くから近くから、色々な角度からアキラを眺めるのが楽しい」
阿呆か、とヴァルトラムは口から漏れそうになったが、その前に壁から離れた。白髪の大隊長はひどく浮かれており、罵る意味もない。
のっしのっしと歩いて行くヴァルトラムの背中に向かって、天尊は「どこへ行く」と尋ねた。
「色ボケと話してられるか。その辺ブラついて来るァ」
「問題は起こすなよ」
ヴァルトラムと天尊が別れ、しばらくしてアキラとビシュラがショップから出てきた。
ビシュラは購入したオーバーサイズ気味のプルオーバーのトップスと軽やかなスカート――所謂ミズガルズ風の衣装に着替えていた。服装が似通うと外見的年齢もアキラと同程度に見えた。ショッピングバッグを肩にかけ、友だちと街に繰り出した女子高生か女子大生にしか見えない。
アキラはショップの前でスマートフォンを取り出した。次はどこに行きますかとビシュラにスマートフォンの画面を見せた。ビシュラはアキラの手中の画面に目を落とした。
アキラは、ビシュラの横顔を間近で見て「あ」と或ることに気付いた。
「今日メイクしてます?」
「お分かりになりますか」
「勿論分かりますよ」
ビシュラは気恥ずかしそうに、かつ嬉しそうにはにかんだ。
アキラはほんの少しの変化も見落とさない。面倒臭がらず「勿論」と振りまく笑顔。流石は中等部時代は王子さまと憧れられただけはある。意識的にやっていることではないけれど。
「ヴァリイさまはいつもとどこが違うのかと仰有いました」
「男の人はあんまり気付かないのかなー。アイシャドーとかかわいいのに」
「アキラさんもリップの色お可愛らしいです」
天尊は壁に寄りかかり腕組みをしてアキラとビシュラを眺めていた。
きゃっきゃうふふと若い娘同士引っ付いたり離れたりしている光景は非常に微笑ましいではないか。それがアキラならば尚更だ。これが解らないとは褐色の歩兵長は本当に無粋だ。と、天尊は一人で納得した。
アキラはビシュラとスマートフォンの画面を何やら指し示してお喋りしながら天尊に近付いてきた。
ショッピングの次の行き先はカフェに決まった。此処からそう遠くはない。
場所を移動しようというのにヴァルトラムはまだ戻っていなかった。ビシュラは天尊にヴァルトラムはどうしたのか尋ねた。天尊は「その辺を散歩だ」と答えた。その辺と言ったからには近くにいるのだろう。
「では、わたしはヴァリイさまを探してきますね。そう遠くまではいらっしゃっていないでしょうから」
「あ。わたしも行きます。ビシュラさんだけだと迷っちゃうかも」
アキラは天尊にスマートフォンの画面をズイッと見せた。天尊はアキラの指先で目線を固定した。
「ティエン。ここのお店、席が空いてないかもだから先に行っておいて」
「俺だけでか」
「ティエンは場所、分かるよね」
「アキラと一緒なら行く」
「キミは子どもですか」
お前と一緒じゃなければイヤだと臆面も無く言明した天尊を、アキラは無碍もなくバッサリと切り捨てた。
ビシュラのほうが気を遣ってしまい、慌てて口を開いた。
「わたし一人で大丈夫ですよ。ヴァリイさまは探しやすいですから」
探しやすい? とアキラは小首を傾げた。
「プログラムを使うのか」
「《索敵》くらいでしたら平気です。そんなに範囲を広げなくてもいいでしょうしそこまでの負荷ではありません」
そこまで言うならビシュラにお願いしようということになった。天尊も駄々を捏ねていることだし。
アキラはスマートフォンに地図を表示し、目的地であるお店の場所をビシュラに見せた。此処からお店へは単純な道順だ。ビシュラは「大丈夫です。辿り着けます」と自信満々で言った。
荷物をお店に持って行っておきますね、とアキラはビシュラの肩からショッピングバッグを取り、天尊に差し出した。天尊は何ら抵抗なくそれを受け取った。夕飯の買い物の荷物持ちは慣れたものだ。
ビシュラは「ひえっ」と声を上げた。大隊長に自分の荷物を持たせるなど恐縮してしまう。
「わたしの荷物をティエンゾンさまに運んでいただくなんてそんなっ」
「荷物持ったままだと疲れますよ」
あああ、なんとお優しい心遣い。それがまたビシュラを恐縮させた。彼女は下々の者根性が根っから染みついているのだ。
ビシュラはガバッと天尊に向かって深々と頭を下げた。
「ティエンゾンさま、申し訳ございません! 申し訳ございません!💦 ヴァリイさまを見付け次第スグに戻りますから」
アキラはじ~っと天尊の横顔を凝視した。
「荷物を運ぶだけでこの反応。ティエン、職場の人に普段どんな扱いしているの」
「ヤメロヤメロ。お前が恐縮しすぎると俺がアキラに叱られる」
大隊長らしく振る舞っている天尊の素行など、アキラに言えるはずがなかった。ともすれば非人道的な鬼畜だと思われてしまう。
それでは、とビシュラは瞑色の瞳を閉じた。それがプログラムを発動する彼女の所作であることは天尊にしか分からなかった。
――――《索敵》
アキラにはビシュラがただ瞼を閉じているようにしか見えなかった。《索敵》は発動中も視覚的には変化がない。周囲に人間がいても何かを気付かれる心配はなかった。
「あ。やはり近くにいらっしゃいます」
ビシュラはパチッと目を開けた。一瞬眩暈に似た感覚を覚えた。ネェベル受容器官の異常――まだ本調子ではないのだと実感したが、問題ない程度だ。
ビシュラなりにヴァルトラムの位置を補足できたようで「スグに戻ります」と言い残して迷いなく歩いて行った。
ビシュラはヴァルトラムのネェベルを探索して公園に辿り着いた。
商業エリア内に都会のオアシスとして造られた、草木や花壇が整然と整備された公園。四方数十メートルほどの広さがある。中央にアスファルトが敷かれ、石造りのベンチが等間隔に配置されていた。ゴミ一つ落ちておらず、管理が行き届いている。
公園内にはたくさんの人間がいた。ベンチに腰掛けたり芝生で寝そべったりする人、スマートフォン片手に早足で横切っていく人、人待ち顔で立っている人など、様々な人々がいた。
ヴァルトラムの姿は発見できなかった。朱色の髪の褐色肌の大男など目立つはずなのに。
この辺のはずなのですけれど、とビシュラがキョロキョロしていると「すみません」と話しかけられた。
背広姿の三十路前後の男性。真面目そうな顔付き。一見して怪しい印象はなかった。とはいえ道を訊かれたりしたらこちらも土地勘がないので困るのだけれど。
「急に声をかけてすみません。コトバ、大丈夫ですか?」
「はい」
背広の男性はビシュラに名刺を差し出した。ビシュラは名刺を受け取り、其処に書いてある名前を小声で読み上げた。彼女には異界の名前は耳慣れないから、口に出しても人名という気があまりしなかった。
「今どこか事務所に入ってますか? もう雑誌でモデル活動とかしてますか。この国に来たばかりで事務所を探しているとか」
ビシュラは首を傾げた。彼女には、質問の意味がまったく理解できなかった。ミズガルズに興味津々といっても、その知識は観測所時代に見聞きした話や記録によるものだけだし、詳しいといっても大隊のなかではという限定的なものだ。此岸の世俗や風習にまで通じてはいない。
「事務所? わたしの所属はエインヘリヤルですが」
ビシュラは自分がまったく的外れな回答をしているとも知らず素直に答えた。
背広姿の男性は人差し指で顎をさすりながらしばし考え込んでしまった。
「エインヘリヤル? 聞いたことない事務所だなー……。事務所を移ろうかと考えたことはありませんか。うちは幅広いジャンルの案件を扱っています。失礼ですが、小さい事務所より大きい事務所のほうがいろいろと融通が利きますし、希望のお仕事も回ってきやすいですよ」
(融通とはどういう意味でしょう? 三本爪飛竜騎兵大隊も大隊長はかなり有名で顔が利くと思いますが)
先般、南方の演習場では白髪の大隊長の部下という理由だけで随分と気を遣っていただいた。ビシュラはほかの部隊や少佐を詳しく存じ上げないが、あれはかなり融通が利くと考えてよいのではないだろうか。
あの、とビシュラは控えめに口を開いた。
「実は先ほどから同じように何度かお声がけいただいています。これはどういった習慣なのでしょうか?」
「あ。海外ではこういうスカウトは珍しいんですか。え? もう何回も声かけられました? ……あー、ですよねー。そのピンとした立ち姿、雰囲気があってすごくいいなーと僕も思ったんですよ」
男性はビシュラの肩にそっと手を置いた。
「今から少し時間ありませんか。もしよければ、これから事務所に見学に来てみませんか? 所属してるモデルの子たちもいますし、直接見てもらったほうが事務所の雰囲気がよく分かると思います。移籍を考えてもらう参考になったらなーと」
「いえ、今は人を探している最中です。それに移籍とはどういう意味ですか?」
男性は見かけの割りに押しが強かった。ビシュラは穏便に断りたいのだが、密やかに肩を押されている。
突然ぬっとビシュラと男性の上に影が生まれた。いつの間にか現れた巨大な人影が日光を遮っていた。
勿論、ビシュラには誰が現れたのか分かった。彼女が知るなかでこのような人物は一人しかいない。確信めいて顔を上げた。
やはり、煙管を咥えたヴァルトラムが立っており、無表情で男性を眼下に見下ろしていた。
「テメエ、俺の女に無断で触ったな」
男性は褐色の大男を見上げ、ぽかーんと口を半開きにして半ば呆然としてしまった。三白眼と目が合った瞬間、取って食われるかと思った。
「ボ、ボディガード、とか雇ってます……?」
男性はヴァルトラムを間近で見て余程気が動転しているようだ。ボディガードが護衛対象を「俺の女」などというはずがない。
ヴァルトラムは片手はスラックスのポケットに突っ込んだまま、もう片方の手で男性の首根っこをむんずと掴んで持ち上げた。
男性は「ひああっ!」と悲鳴を上げ、地面から浮いた足でバタバタと宙を蹴った。
「さっきまでは相手にするのも面倒臭ェから放っておいたが、ブチ殺すぞエンブラ」
「わーっ、ヴァリイさま!💦 人間に怪我をさせてはいけません! ヴァリイさまのお力では簡単に死んでしまいますッ」
ビシュラはヴァルトラムの腕にしがみついて懇願した。彼等と比較して人間はあまりにも脆弱だ。ヴァルトラムの本気のデコピン一発でも命が危ない。
ビシュラは御機嫌ナナメのヴァルトラムに必死に頼み込み、この場は何とか事なきを得たのだった。
人の往来が盛んな賑やかで活況なショッピングビル。若年層が好むファッションを主に扱うアパレルショップが数多く入っている。ここなら学生から若手社会人まで、カジュアル、コンサバ、フェミニン様々な服装を選ぶことができる。
アキラはビシュラが好む服装をよく知らない。幅広い選択肢のなかから好きにチョイスしていただこうという魂胆だ。
ビシュラはアキラにあれは変ではないですか、これは似合っていますか、と何度も確認しながら、鏡の前で合わせたり試着したりを楽しそうに繰り返した。
アキラも同性同士の買い物は久し振りで楽しかった。同性の学友と連れ立って行くこともたまにはあるが、大抵の場合、自分の服は自分一人で買いに行くことが多い。最も仲がよいのは言わずもがな虎子だ。スケジュールさえ合えば彼女は買い物に喜んで付き合ってくれる。しかしながら、超がつくほどのお金持ちである彼女の買い物は一般の女学生とは一線を画す。アキラは高級ブティックに用は無いし、店員さん総出でお見送りをされるのは勘弁なのだ。
寧ろ、いくらか年齢が上であるはずのビシュラのほうが「あれもこれもかわいいですね」「しかし予算が……」と悩んでしまうあたり、感覚が庶民的で親しみやすかった。
天尊とヴァルトラムはショップの外、正面の壁に寄りかかって待機していた。まるっきり彼女か娘の買い物についてきて待たされている彼氏か父親の図。
女性物のアパレルショップは棚が犇めきあい通路も狭い。恰幅がよいヴァルトラムには窮屈に決まっている。最初から店に入る気にもなれなかった。
ヴァルトラムは、ゆうに人一人分の間隔を空けて隣に立っている天尊を横目で見た。自分同様に店外で待たされているのに、天尊はショップのほうを向いて満足げにしていた。この時間はヴァルトラムには退屈なばかりでその心持ちがまったく理解できなかった。
「女の買い物なんざ何が楽しい」
「遠くから近くから、色々な角度からアキラを眺めるのが楽しい」
阿呆か、とヴァルトラムは口から漏れそうになったが、その前に壁から離れた。白髪の大隊長はひどく浮かれており、罵る意味もない。
のっしのっしと歩いて行くヴァルトラムの背中に向かって、天尊は「どこへ行く」と尋ねた。
「色ボケと話してられるか。その辺ブラついて来るァ」
「問題は起こすなよ」
ヴァルトラムと天尊が別れ、しばらくしてアキラとビシュラがショップから出てきた。
ビシュラは購入したオーバーサイズ気味のプルオーバーのトップスと軽やかなスカート――所謂ミズガルズ風の衣装に着替えていた。服装が似通うと外見的年齢もアキラと同程度に見えた。ショッピングバッグを肩にかけ、友だちと街に繰り出した女子高生か女子大生にしか見えない。
アキラはショップの前でスマートフォンを取り出した。次はどこに行きますかとビシュラにスマートフォンの画面を見せた。ビシュラはアキラの手中の画面に目を落とした。
アキラは、ビシュラの横顔を間近で見て「あ」と或ることに気付いた。
「今日メイクしてます?」
「お分かりになりますか」
「勿論分かりますよ」
ビシュラは気恥ずかしそうに、かつ嬉しそうにはにかんだ。
アキラはほんの少しの変化も見落とさない。面倒臭がらず「勿論」と振りまく笑顔。流石は中等部時代は王子さまと憧れられただけはある。意識的にやっていることではないけれど。
「ヴァリイさまはいつもとどこが違うのかと仰有いました」
「男の人はあんまり気付かないのかなー。アイシャドーとかかわいいのに」
「アキラさんもリップの色お可愛らしいです」
天尊は壁に寄りかかり腕組みをしてアキラとビシュラを眺めていた。
きゃっきゃうふふと若い娘同士引っ付いたり離れたりしている光景は非常に微笑ましいではないか。それがアキラならば尚更だ。これが解らないとは褐色の歩兵長は本当に無粋だ。と、天尊は一人で納得した。
アキラはビシュラとスマートフォンの画面を何やら指し示してお喋りしながら天尊に近付いてきた。
ショッピングの次の行き先はカフェに決まった。此処からそう遠くはない。
場所を移動しようというのにヴァルトラムはまだ戻っていなかった。ビシュラは天尊にヴァルトラムはどうしたのか尋ねた。天尊は「その辺を散歩だ」と答えた。その辺と言ったからには近くにいるのだろう。
「では、わたしはヴァリイさまを探してきますね。そう遠くまではいらっしゃっていないでしょうから」
「あ。わたしも行きます。ビシュラさんだけだと迷っちゃうかも」
アキラは天尊にスマートフォンの画面をズイッと見せた。天尊はアキラの指先で目線を固定した。
「ティエン。ここのお店、席が空いてないかもだから先に行っておいて」
「俺だけでか」
「ティエンは場所、分かるよね」
「アキラと一緒なら行く」
「キミは子どもですか」
お前と一緒じゃなければイヤだと臆面も無く言明した天尊を、アキラは無碍もなくバッサリと切り捨てた。
ビシュラのほうが気を遣ってしまい、慌てて口を開いた。
「わたし一人で大丈夫ですよ。ヴァリイさまは探しやすいですから」
探しやすい? とアキラは小首を傾げた。
「プログラムを使うのか」
「《索敵》くらいでしたら平気です。そんなに範囲を広げなくてもいいでしょうしそこまでの負荷ではありません」
そこまで言うならビシュラにお願いしようということになった。天尊も駄々を捏ねていることだし。
アキラはスマートフォンに地図を表示し、目的地であるお店の場所をビシュラに見せた。此処からお店へは単純な道順だ。ビシュラは「大丈夫です。辿り着けます」と自信満々で言った。
荷物をお店に持って行っておきますね、とアキラはビシュラの肩からショッピングバッグを取り、天尊に差し出した。天尊は何ら抵抗なくそれを受け取った。夕飯の買い物の荷物持ちは慣れたものだ。
ビシュラは「ひえっ」と声を上げた。大隊長に自分の荷物を持たせるなど恐縮してしまう。
「わたしの荷物をティエンゾンさまに運んでいただくなんてそんなっ」
「荷物持ったままだと疲れますよ」
あああ、なんとお優しい心遣い。それがまたビシュラを恐縮させた。彼女は下々の者根性が根っから染みついているのだ。
ビシュラはガバッと天尊に向かって深々と頭を下げた。
「ティエンゾンさま、申し訳ございません! 申し訳ございません!💦 ヴァリイさまを見付け次第スグに戻りますから」
アキラはじ~っと天尊の横顔を凝視した。
「荷物を運ぶだけでこの反応。ティエン、職場の人に普段どんな扱いしているの」
「ヤメロヤメロ。お前が恐縮しすぎると俺がアキラに叱られる」
大隊長らしく振る舞っている天尊の素行など、アキラに言えるはずがなかった。ともすれば非人道的な鬼畜だと思われてしまう。
それでは、とビシュラは瞑色の瞳を閉じた。それがプログラムを発動する彼女の所作であることは天尊にしか分からなかった。
――――《索敵》
アキラにはビシュラがただ瞼を閉じているようにしか見えなかった。《索敵》は発動中も視覚的には変化がない。周囲に人間がいても何かを気付かれる心配はなかった。
「あ。やはり近くにいらっしゃいます」
ビシュラはパチッと目を開けた。一瞬眩暈に似た感覚を覚えた。ネェベル受容器官の異常――まだ本調子ではないのだと実感したが、問題ない程度だ。
ビシュラなりにヴァルトラムの位置を補足できたようで「スグに戻ります」と言い残して迷いなく歩いて行った。
ビシュラはヴァルトラムのネェベルを探索して公園に辿り着いた。
商業エリア内に都会のオアシスとして造られた、草木や花壇が整然と整備された公園。四方数十メートルほどの広さがある。中央にアスファルトが敷かれ、石造りのベンチが等間隔に配置されていた。ゴミ一つ落ちておらず、管理が行き届いている。
公園内にはたくさんの人間がいた。ベンチに腰掛けたり芝生で寝そべったりする人、スマートフォン片手に早足で横切っていく人、人待ち顔で立っている人など、様々な人々がいた。
ヴァルトラムの姿は発見できなかった。朱色の髪の褐色肌の大男など目立つはずなのに。
この辺のはずなのですけれど、とビシュラがキョロキョロしていると「すみません」と話しかけられた。
背広姿の三十路前後の男性。真面目そうな顔付き。一見して怪しい印象はなかった。とはいえ道を訊かれたりしたらこちらも土地勘がないので困るのだけれど。
「急に声をかけてすみません。コトバ、大丈夫ですか?」
「はい」
背広の男性はビシュラに名刺を差し出した。ビシュラは名刺を受け取り、其処に書いてある名前を小声で読み上げた。彼女には異界の名前は耳慣れないから、口に出しても人名という気があまりしなかった。
「今どこか事務所に入ってますか? もう雑誌でモデル活動とかしてますか。この国に来たばかりで事務所を探しているとか」
ビシュラは首を傾げた。彼女には、質問の意味がまったく理解できなかった。ミズガルズに興味津々といっても、その知識は観測所時代に見聞きした話や記録によるものだけだし、詳しいといっても大隊のなかではという限定的なものだ。此岸の世俗や風習にまで通じてはいない。
「事務所? わたしの所属はエインヘリヤルですが」
ビシュラは自分がまったく的外れな回答をしているとも知らず素直に答えた。
背広姿の男性は人差し指で顎をさすりながらしばし考え込んでしまった。
「エインヘリヤル? 聞いたことない事務所だなー……。事務所を移ろうかと考えたことはありませんか。うちは幅広いジャンルの案件を扱っています。失礼ですが、小さい事務所より大きい事務所のほうがいろいろと融通が利きますし、希望のお仕事も回ってきやすいですよ」
(融通とはどういう意味でしょう? 三本爪飛竜騎兵大隊も大隊長はかなり有名で顔が利くと思いますが)
先般、南方の演習場では白髪の大隊長の部下という理由だけで随分と気を遣っていただいた。ビシュラはほかの部隊や少佐を詳しく存じ上げないが、あれはかなり融通が利くと考えてよいのではないだろうか。
あの、とビシュラは控えめに口を開いた。
「実は先ほどから同じように何度かお声がけいただいています。これはどういった習慣なのでしょうか?」
「あ。海外ではこういうスカウトは珍しいんですか。え? もう何回も声かけられました? ……あー、ですよねー。そのピンとした立ち姿、雰囲気があってすごくいいなーと僕も思ったんですよ」
男性はビシュラの肩にそっと手を置いた。
「今から少し時間ありませんか。もしよければ、これから事務所に見学に来てみませんか? 所属してるモデルの子たちもいますし、直接見てもらったほうが事務所の雰囲気がよく分かると思います。移籍を考えてもらう参考になったらなーと」
「いえ、今は人を探している最中です。それに移籍とはどういう意味ですか?」
男性は見かけの割りに押しが強かった。ビシュラは穏便に断りたいのだが、密やかに肩を押されている。
突然ぬっとビシュラと男性の上に影が生まれた。いつの間にか現れた巨大な人影が日光を遮っていた。
勿論、ビシュラには誰が現れたのか分かった。彼女が知るなかでこのような人物は一人しかいない。確信めいて顔を上げた。
やはり、煙管を咥えたヴァルトラムが立っており、無表情で男性を眼下に見下ろしていた。
「テメエ、俺の女に無断で触ったな」
男性は褐色の大男を見上げ、ぽかーんと口を半開きにして半ば呆然としてしまった。三白眼と目が合った瞬間、取って食われるかと思った。
「ボ、ボディガード、とか雇ってます……?」
男性はヴァルトラムを間近で見て余程気が動転しているようだ。ボディガードが護衛対象を「俺の女」などというはずがない。
ヴァルトラムは片手はスラックスのポケットに突っ込んだまま、もう片方の手で男性の首根っこをむんずと掴んで持ち上げた。
男性は「ひああっ!」と悲鳴を上げ、地面から浮いた足でバタバタと宙を蹴った。
「さっきまでは相手にするのも面倒臭ェから放っておいたが、ブチ殺すぞエンブラ」
「わーっ、ヴァリイさま!💦 人間に怪我をさせてはいけません! ヴァリイさまのお力では簡単に死んでしまいますッ」
ビシュラはヴァルトラムの腕にしがみついて懇願した。彼等と比較して人間はあまりにも脆弱だ。ヴァルトラムの本気のデコピン一発でも命が危ない。
ビシュラは御機嫌ナナメのヴァルトラムに必死に頼み込み、この場は何とか事なきを得たのだった。
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