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Kapitel 07
奇跡の発現 01
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シュヴューリンゲン演習場。
ロスワルトは、実戦配備を命じた新任将校へ直談判に行った。将校は着任したばかりであり、下士官とは軽く顔合わせをした程度。ロスワルトは自己紹介もまだだったが、そのようなことを気にしている余裕は無かった。将校が命じた作戦行動の開始まで時間に猶予が無い。淡々と「速やかに」と命じられれば、それは即刻という意味だ。
ロスワルトは、演習場の廊下をほかの数人の将校を引き連れて進む新任将校へ声をかけた。足を停めた将校はロスワルトを見て「君は?」と返した。
「ロスワルト曹長であります。発言してよろしいでしょうか」
「許可する」
「ビシュラ准尉の原隊復帰を進言します」
それを聞いた新任将校は意外そうに眉を引き上げた。
「准尉? 尉官がいるのかね。主に下士官の初期教育を目的としたカリキュラムだと聞いていたが」
「今次カリキュラムで唯一の女性准尉です。すでに三本爪飛竜騎兵大隊に所属なさっています」
「三本爪飛竜騎兵大隊から兵を預かっているとは。それはまた珍しい」
飛竜の名前が出てきて、新任将校はさらに表情を変えた。前任の髭の将校も言っていたように、エインヘリヤルに於いて彼の大隊は、頗る出自のよい猛将に率いられた精鋭揃いの実戦部隊と認識されている。秀逸でありさえすれば前歴を問わないことも有名だが、初期教育を必要とする新米が所属しているなど夢にも思わない。
飛竜の大隊所属だからといって戦力になると考えられては困る。ロスワルトはすぐに「非戦闘員ですが」と付け加えた。
「ビシュラ准尉については特殊な事情ですので、作戦には参加させず原隊復帰させるのが妥当――」
「却下する」
新任将校はロスワルトの発言も中途にハッキリと放言した。
「カリキュラムを終えた新兵は総員、前線配備を急げとの命令だ。例外なく、総員だ。士官であろうとなかろうと。三本爪飛竜騎兵大隊であろうとなかろうと。原隊では非戦闘員でも初期教育カリキュラムを修了した兵士には違いない。曹長、君は命令を遵守する私を間違っていると考えるかね」
ロスワルトは「いいえ」と答えるしかなかった。彼は兵士になって以来、命令違反しようなどと考えたことは一度もないし、そのような真似をする輩は莫迦だと思う。どのような人物が上官であれ、どのような作戦行動であれ、誠心誠意尽くすのが部下の務めだ。
「では、ビシュラ准尉とのツーマンセルを希望します」
「理由を述べよ」
「小官はビシュラ准尉の専属の指導教官兼護衛を務めておりました。ビシュラ准尉はカリキュラムで別メニューを課されていた為、他隊員とは連携が難しいと考えます。小官とのツーマンセルが作戦遂行にあたり最も有効であると確信します」
「よろしい。許可する」
ありがとうございます、とロスワルトは新任将校へ敬礼した。
新任将校は外套を背中へバサッと巻き上げた。呼び止められる以前に進んでいた方向へ向き直り、ほかの将校たちと歩いて行った。
ロスワルトは新任将校の背中へ敬礼しつつ、脳裏にビシュラを思い浮かべていた。
(お疲れ様をしたあとですが、もう少し長い付き合いになりそうですよ、ビシュラ准尉)
シュヴューリンゲンより南へ数十キロ――――ヴァクセン戦線。
演習場もイーダフェルトと比較すると蒸し暑いと思っていたが此処はもっとだ。ヴァクセンの多くは森林地帯であるが、新兵たちは森林が途切れた見晴らしのよい平原に配備された。
お祝いムードのカリキュラム修了式から打って変わって、新兵にとってはまさに青天の霹靂、寝耳に水の大移動。兵士になったばかりで右も左も分からない若者たちは、こういうこともあるのかと、自分はこういう者になったのだと、さして不満を覚えることもなかったのが不幸中の幸い。
ビシュラは塹壕内で、支給された軍用小銃を抱えて座り込んでいた。
空は瞑色。夕と夜が混じり合い、暗闇になりきれない昏い空を眺めていると、此処が前線であるなんて嘘みたいだった。前線の空は、想像したよりもずっと穏やかで静かだった。
隣に座っているロスワルトから「准尉」と話しかけられた。
「ツイていませんでしたね。イヤ、修了式からそのまま前線送りとは、かなり最悪のほうだ」
「珍しいことなのですね」
「そうですね。こういったことは珍しい」
そうか、やはりツイていないのか。なんとなくそういう気はしていたけれど。
ビシュラはほかの新兵たちが文句を言わないからそういうものだと思い込もうとしていた。
「ここでも教官と組めて嬉しいです」
「もう教官ではありません」
ビシュラは「あっ」と零して反射的に手で唇を押さえた。
「またご迷惑をおかけすることになるかと思うと大変申し訳ないですが、ここでもロスワルト曹長と一緒にいられるのは心強いです」
心強いと言われてもお守りの効力などないのだけれど。ロスワルトは、もう戦場にいるのにいまだ悲壮感がないのが新兵らしいと思った。
「ここで迷惑をかけられるのは流石に困りますよ、准尉。命が懸かってますから」
「も、勿論ですッ」
「緊張されていますね。とにかく訓練の通りにやるしかありません。教範はダウンロード済みですか。装具点検を怠らないように」
ビシュラは「はい!」と返事をして自分の小銃に目を落とした。
ロスワルトは、もう教官と教え子ではないのに、階級は自分のほうが下なのに、素直に言うことを聞く彼女を笑って眺めた。
(俺は、自分の妹と歳の変わらないこの方を、生きて帰すことができるだろうか)
愛する妹と女性准尉は、髪や瞳の色も顔立ちもまったく似ていないのに、歳が近いというだけで重なって見えた。もしいま狭い塹壕内で並んで座り込んでいるのが、小銃を抱えているのが、実の妹だったらと想像するとゾッとする。だからこそ、この人を生きて家に帰してあげたいと思った。
「新兵のあなたを戦場に来させたくはなかったのですが」
「でも同じカリキュラムを受けたほかの方々も皆ここにいます」
「あなたは非戦闘員です。本来ならこんなところにいる人じゃないんです。ニーズヘクルメギル少佐の許にいて、御自分の能力を発揮するべきなんです」
「ええ。ですから、わたしも三本爪飛竜騎兵大隊なのですからいずれは……」
本当に――? 自分の口から出ているのに、他人の言葉を借りているみたいに気持ちが乗らなかった。いつかは戦場に行くだろうと言いながら、早く飛竜の大隊の隊員らしくなりたいと言いながら、本気で想像したことがあっただろうか。具体的な想像が追いつく前に、現実に追い抜かれてしまったのではないか。では、想像に追い抜かれた場合はどうなってしまうのだろう。
「准尉はなぜ軍人に?」
「そのように命じられました」
「軍人になれという命令ですか。軍人になる前からそんな無茶な命令をきくなんて奇特ですね」
「わたしは命令に従うことしかできないので」
「軍人の模範のような人だ。見習わなければ」
ロスワルトは冗談じみて笑った。笑ってくれてよかったとビシュラは思った。己の意志が介入することなくただただ命令を聞き入れ、こんなところにいて命を懸けているとは、なんて中身の無い人物だと蔑まれなくてよかった。
「ロスワルト曹長が三本爪飛竜騎兵大隊に入隊したい理由は稼ぎがいいからと仰有っていましたが、何か欲しいものでもあるのですか?」
「欲しいもの……。イヤ、これと言っては」
ロスワルトは宙を見つめて思い当たらないという風だった。ビシュラが「え」と零したので、慌てて手を左右に振った。
「借金があるとかではありませんよ。貯金がしたいんです」
「貯金ですか。欲しいものは無いのに?」
妹がいると言ったのを覚えておいでですか、とロスワルトに言われ、ビシュラはコクンと頷いた。
「両親は早くに亡くなりまして、二人きりの兄妹です。両親が死んだのはいきなりのことで……まあ、こういうことは大抵いきなり起こるのでしょうが、特に裕福というわけではなかったから、大人になるまでの充分な蓄えなんてなかったんです。小官は学もないし、特別な才能もない。だから、妹を食わせる為に兵士になりました。兵士は真っ当な仕事で毎日メシが食えて、普通の仕事よりも給金が出ましたから。大戦中に比べれば昨今の戦争はイザコザに毛が生えた程度で、マシなモンだという話でしたしね」
ビシュラが慎み深い顔つきで「それは、大変でしたね」言うと、ロスワルトは「両親は家を残してくれたので、そうでもありません」と笑った。
或る日突然両親亡くした身の上がそのようなはずがないのに、何の苦労もなかったように振る舞う。妹を、家族の生活を、大切な人の安寧を守る為に、自分は苛烈な環境に身を置く、それを悲観しない彼は篤実で実直な人物だった。
ビシュラは、赤の他人である自分にも惜しみなく注がれる彼の思い遣りは、やはり本物だと思った。
「妹も年頃です。いつ嫁にいくと言い出すか、家を空けがちの兄貴には分かりません。そうなったときに、たった一人の兄貴として盛大に送り出してやりたいじゃないですか」
そうですね、とビシュラは破顔した。
§ § § § §
イーダフェルトベース技術研究所。
天尊は〝竜の壁〟での顛末の報告を受け、ビシュラに技術研究所にて各種測定の実施を命じていた。その結果が出たというので、遠い土地で訓練中の本人に代わって受け取りに来た。そもそも結果に最も関心が高いのは、本人ではなく測定を命じた天尊だ。
思い起こせば、ビシュラが配属されたとき、手許にあったプロフィールに目を通すだけでその真偽を追及しようとは考えなかった。能力主義で通っている観測所所長イヴァンが試験を免除してまで抱え込んでいた、一見して凡庸な人材、当然〝何かしら〟あるだろうと所思はあったが、自分の思惑にとって然したる影響は無いと考えた。
天尊の思惑、つまりはヴァルトラムに対する実効性のある抑止。イヴァンが遣わした者が何者であれ、それ以上の効果を期待しなかった。ビシュラが西方森林にて示したその効果は、期待通り絶大であった。それで満足していた。それ以上があるなど考えもしなかったのだ。
ビシュラが、瀕死の損傷を回復させたという顛末を知るまでは。
応接室に通された天尊とトラジロはそれほど待たされることなく、白衣を着用した技術研究所の所員が現れた。彼は天尊とトラジロに薄い平面の端末を手渡した。ビシュラの名前を冠し、いくつもの数値やグラフが映し出されていた。
天尊とトラジロは端末に目線を固定し、しばし沈黙した。
「これが、ビシュラの測定結果ですか。本当に?」
「…………。測定ミスじゃないんだろうな」
トラジロと天尊は眉根を寄せて怪訝だった。己の常識を超越するものを目にしたときには慎重になるべきだ。所員からは「ええ、勿論」と確かな言葉が返ってきた。専門家が断言するのだから事実として受け取るしかない。
天尊が御苦労だったと告げると、所員は「何かありましたらお呼びください」と言い残して去って行った。
トラジロはまだ信じられないという表情で端末に映し出された数値に釘付けになっていた。
「〝回路〟の回転数やネェベルの総量は概ねプロフィール通りです。しかし、ネェベル伝導率の高さが異常だ。こんな数値は見たことがない。機器を使ったとしてもこんな高効率は弾き出せないでしょう」
「ビシュラは、現時点でのどんな最先端機器よりも高性能というわけだ」
天尊にはトラジロほどの喫驚は無かった。報告を受けたときから、この結果を或る程度は予見していた。そうでなくてはああいうことにはなるまい。回復になど一切気が回らない乱暴者と、経験が浅く決断力に欠ける新人と、人も住んでいない僻地に赴いて内臓が溢れそうな深手を負ったオタカル、そのような彼が数日で自分の足で動き回れるなど。
天尊にとってこの測定結果は、己の想像の裏付けを取ったに過ぎなかった。そして同時に、ビシュラがやって来たときから引っかかっていた点について腑に落ちた。
「これが、あのイヴァンがビシュラを優遇した理由か」
フフン、と天尊からは笑いが漏れた。何が愉快なのか、トラジロには分からなかった。狡猾とすればいいのか頼もしいとすればいいのか、白髪の大隊長は口角を引き上げてほくそ笑んでいた。
「〝金の輪っか〟というだけでも価値があったが、これはそれどころじゃない価値だ」
これは新人が兎にも角にも我武者羅になって同僚を救ったなどという単純な話ではない。
プログラムの知識はあっても熟練者と言えるほどの経験は無い、先端の機器などない、支援も期待できない、何を措いても絶対的に動力が不足している状況下で、明々白々己の力量を超える莫大なネェベルを費やすプログラムを実行せしめた――――奇跡の発現。
まるで、清らかなる乙女の祈りが悪魔の魔力をも奇跡に転換したような。
ロスワルトは、実戦配備を命じた新任将校へ直談判に行った。将校は着任したばかりであり、下士官とは軽く顔合わせをした程度。ロスワルトは自己紹介もまだだったが、そのようなことを気にしている余裕は無かった。将校が命じた作戦行動の開始まで時間に猶予が無い。淡々と「速やかに」と命じられれば、それは即刻という意味だ。
ロスワルトは、演習場の廊下をほかの数人の将校を引き連れて進む新任将校へ声をかけた。足を停めた将校はロスワルトを見て「君は?」と返した。
「ロスワルト曹長であります。発言してよろしいでしょうか」
「許可する」
「ビシュラ准尉の原隊復帰を進言します」
それを聞いた新任将校は意外そうに眉を引き上げた。
「准尉? 尉官がいるのかね。主に下士官の初期教育を目的としたカリキュラムだと聞いていたが」
「今次カリキュラムで唯一の女性准尉です。すでに三本爪飛竜騎兵大隊に所属なさっています」
「三本爪飛竜騎兵大隊から兵を預かっているとは。それはまた珍しい」
飛竜の名前が出てきて、新任将校はさらに表情を変えた。前任の髭の将校も言っていたように、エインヘリヤルに於いて彼の大隊は、頗る出自のよい猛将に率いられた精鋭揃いの実戦部隊と認識されている。秀逸でありさえすれば前歴を問わないことも有名だが、初期教育を必要とする新米が所属しているなど夢にも思わない。
飛竜の大隊所属だからといって戦力になると考えられては困る。ロスワルトはすぐに「非戦闘員ですが」と付け加えた。
「ビシュラ准尉については特殊な事情ですので、作戦には参加させず原隊復帰させるのが妥当――」
「却下する」
新任将校はロスワルトの発言も中途にハッキリと放言した。
「カリキュラムを終えた新兵は総員、前線配備を急げとの命令だ。例外なく、総員だ。士官であろうとなかろうと。三本爪飛竜騎兵大隊であろうとなかろうと。原隊では非戦闘員でも初期教育カリキュラムを修了した兵士には違いない。曹長、君は命令を遵守する私を間違っていると考えるかね」
ロスワルトは「いいえ」と答えるしかなかった。彼は兵士になって以来、命令違反しようなどと考えたことは一度もないし、そのような真似をする輩は莫迦だと思う。どのような人物が上官であれ、どのような作戦行動であれ、誠心誠意尽くすのが部下の務めだ。
「では、ビシュラ准尉とのツーマンセルを希望します」
「理由を述べよ」
「小官はビシュラ准尉の専属の指導教官兼護衛を務めておりました。ビシュラ准尉はカリキュラムで別メニューを課されていた為、他隊員とは連携が難しいと考えます。小官とのツーマンセルが作戦遂行にあたり最も有効であると確信します」
「よろしい。許可する」
ありがとうございます、とロスワルトは新任将校へ敬礼した。
新任将校は外套を背中へバサッと巻き上げた。呼び止められる以前に進んでいた方向へ向き直り、ほかの将校たちと歩いて行った。
ロスワルトは新任将校の背中へ敬礼しつつ、脳裏にビシュラを思い浮かべていた。
(お疲れ様をしたあとですが、もう少し長い付き合いになりそうですよ、ビシュラ准尉)
シュヴューリンゲンより南へ数十キロ――――ヴァクセン戦線。
演習場もイーダフェルトと比較すると蒸し暑いと思っていたが此処はもっとだ。ヴァクセンの多くは森林地帯であるが、新兵たちは森林が途切れた見晴らしのよい平原に配備された。
お祝いムードのカリキュラム修了式から打って変わって、新兵にとってはまさに青天の霹靂、寝耳に水の大移動。兵士になったばかりで右も左も分からない若者たちは、こういうこともあるのかと、自分はこういう者になったのだと、さして不満を覚えることもなかったのが不幸中の幸い。
ビシュラは塹壕内で、支給された軍用小銃を抱えて座り込んでいた。
空は瞑色。夕と夜が混じり合い、暗闇になりきれない昏い空を眺めていると、此処が前線であるなんて嘘みたいだった。前線の空は、想像したよりもずっと穏やかで静かだった。
隣に座っているロスワルトから「准尉」と話しかけられた。
「ツイていませんでしたね。イヤ、修了式からそのまま前線送りとは、かなり最悪のほうだ」
「珍しいことなのですね」
「そうですね。こういったことは珍しい」
そうか、やはりツイていないのか。なんとなくそういう気はしていたけれど。
ビシュラはほかの新兵たちが文句を言わないからそういうものだと思い込もうとしていた。
「ここでも教官と組めて嬉しいです」
「もう教官ではありません」
ビシュラは「あっ」と零して反射的に手で唇を押さえた。
「またご迷惑をおかけすることになるかと思うと大変申し訳ないですが、ここでもロスワルト曹長と一緒にいられるのは心強いです」
心強いと言われてもお守りの効力などないのだけれど。ロスワルトは、もう戦場にいるのにいまだ悲壮感がないのが新兵らしいと思った。
「ここで迷惑をかけられるのは流石に困りますよ、准尉。命が懸かってますから」
「も、勿論ですッ」
「緊張されていますね。とにかく訓練の通りにやるしかありません。教範はダウンロード済みですか。装具点検を怠らないように」
ビシュラは「はい!」と返事をして自分の小銃に目を落とした。
ロスワルトは、もう教官と教え子ではないのに、階級は自分のほうが下なのに、素直に言うことを聞く彼女を笑って眺めた。
(俺は、自分の妹と歳の変わらないこの方を、生きて帰すことができるだろうか)
愛する妹と女性准尉は、髪や瞳の色も顔立ちもまったく似ていないのに、歳が近いというだけで重なって見えた。もしいま狭い塹壕内で並んで座り込んでいるのが、小銃を抱えているのが、実の妹だったらと想像するとゾッとする。だからこそ、この人を生きて家に帰してあげたいと思った。
「新兵のあなたを戦場に来させたくはなかったのですが」
「でも同じカリキュラムを受けたほかの方々も皆ここにいます」
「あなたは非戦闘員です。本来ならこんなところにいる人じゃないんです。ニーズヘクルメギル少佐の許にいて、御自分の能力を発揮するべきなんです」
「ええ。ですから、わたしも三本爪飛竜騎兵大隊なのですからいずれは……」
本当に――? 自分の口から出ているのに、他人の言葉を借りているみたいに気持ちが乗らなかった。いつかは戦場に行くだろうと言いながら、早く飛竜の大隊の隊員らしくなりたいと言いながら、本気で想像したことがあっただろうか。具体的な想像が追いつく前に、現実に追い抜かれてしまったのではないか。では、想像に追い抜かれた場合はどうなってしまうのだろう。
「准尉はなぜ軍人に?」
「そのように命じられました」
「軍人になれという命令ですか。軍人になる前からそんな無茶な命令をきくなんて奇特ですね」
「わたしは命令に従うことしかできないので」
「軍人の模範のような人だ。見習わなければ」
ロスワルトは冗談じみて笑った。笑ってくれてよかったとビシュラは思った。己の意志が介入することなくただただ命令を聞き入れ、こんなところにいて命を懸けているとは、なんて中身の無い人物だと蔑まれなくてよかった。
「ロスワルト曹長が三本爪飛竜騎兵大隊に入隊したい理由は稼ぎがいいからと仰有っていましたが、何か欲しいものでもあるのですか?」
「欲しいもの……。イヤ、これと言っては」
ロスワルトは宙を見つめて思い当たらないという風だった。ビシュラが「え」と零したので、慌てて手を左右に振った。
「借金があるとかではありませんよ。貯金がしたいんです」
「貯金ですか。欲しいものは無いのに?」
妹がいると言ったのを覚えておいでですか、とロスワルトに言われ、ビシュラはコクンと頷いた。
「両親は早くに亡くなりまして、二人きりの兄妹です。両親が死んだのはいきなりのことで……まあ、こういうことは大抵いきなり起こるのでしょうが、特に裕福というわけではなかったから、大人になるまでの充分な蓄えなんてなかったんです。小官は学もないし、特別な才能もない。だから、妹を食わせる為に兵士になりました。兵士は真っ当な仕事で毎日メシが食えて、普通の仕事よりも給金が出ましたから。大戦中に比べれば昨今の戦争はイザコザに毛が生えた程度で、マシなモンだという話でしたしね」
ビシュラが慎み深い顔つきで「それは、大変でしたね」言うと、ロスワルトは「両親は家を残してくれたので、そうでもありません」と笑った。
或る日突然両親亡くした身の上がそのようなはずがないのに、何の苦労もなかったように振る舞う。妹を、家族の生活を、大切な人の安寧を守る為に、自分は苛烈な環境に身を置く、それを悲観しない彼は篤実で実直な人物だった。
ビシュラは、赤の他人である自分にも惜しみなく注がれる彼の思い遣りは、やはり本物だと思った。
「妹も年頃です。いつ嫁にいくと言い出すか、家を空けがちの兄貴には分かりません。そうなったときに、たった一人の兄貴として盛大に送り出してやりたいじゃないですか」
そうですね、とビシュラは破顔した。
§ § § § §
イーダフェルトベース技術研究所。
天尊は〝竜の壁〟での顛末の報告を受け、ビシュラに技術研究所にて各種測定の実施を命じていた。その結果が出たというので、遠い土地で訓練中の本人に代わって受け取りに来た。そもそも結果に最も関心が高いのは、本人ではなく測定を命じた天尊だ。
思い起こせば、ビシュラが配属されたとき、手許にあったプロフィールに目を通すだけでその真偽を追及しようとは考えなかった。能力主義で通っている観測所所長イヴァンが試験を免除してまで抱え込んでいた、一見して凡庸な人材、当然〝何かしら〟あるだろうと所思はあったが、自分の思惑にとって然したる影響は無いと考えた。
天尊の思惑、つまりはヴァルトラムに対する実効性のある抑止。イヴァンが遣わした者が何者であれ、それ以上の効果を期待しなかった。ビシュラが西方森林にて示したその効果は、期待通り絶大であった。それで満足していた。それ以上があるなど考えもしなかったのだ。
ビシュラが、瀕死の損傷を回復させたという顛末を知るまでは。
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天尊とトラジロは端末に目線を固定し、しばし沈黙した。
「これが、ビシュラの測定結果ですか。本当に?」
「…………。測定ミスじゃないんだろうな」
トラジロと天尊は眉根を寄せて怪訝だった。己の常識を超越するものを目にしたときには慎重になるべきだ。所員からは「ええ、勿論」と確かな言葉が返ってきた。専門家が断言するのだから事実として受け取るしかない。
天尊が御苦労だったと告げると、所員は「何かありましたらお呼びください」と言い残して去って行った。
トラジロはまだ信じられないという表情で端末に映し出された数値に釘付けになっていた。
「〝回路〟の回転数やネェベルの総量は概ねプロフィール通りです。しかし、ネェベル伝導率の高さが異常だ。こんな数値は見たことがない。機器を使ったとしてもこんな高効率は弾き出せないでしょう」
「ビシュラは、現時点でのどんな最先端機器よりも高性能というわけだ」
天尊にはトラジロほどの喫驚は無かった。報告を受けたときから、この結果を或る程度は予見していた。そうでなくてはああいうことにはなるまい。回復になど一切気が回らない乱暴者と、経験が浅く決断力に欠ける新人と、人も住んでいない僻地に赴いて内臓が溢れそうな深手を負ったオタカル、そのような彼が数日で自分の足で動き回れるなど。
天尊にとってこの測定結果は、己の想像の裏付けを取ったに過ぎなかった。そして同時に、ビシュラがやって来たときから引っかかっていた点について腑に落ちた。
「これが、あのイヴァンがビシュラを優遇した理由か」
フフン、と天尊からは笑いが漏れた。何が愉快なのか、トラジロには分からなかった。狡猾とすればいいのか頼もしいとすればいいのか、白髪の大隊長は口角を引き上げてほくそ笑んでいた。
「〝金の輪っか〟というだけでも価値があったが、これはそれどころじゃない価値だ」
これは新人が兎にも角にも我武者羅になって同僚を救ったなどという単純な話ではない。
プログラムの知識はあっても熟練者と言えるほどの経験は無い、先端の機器などない、支援も期待できない、何を措いても絶対的に動力が不足している状況下で、明々白々己の力量を超える莫大なネェベルを費やすプログラムを実行せしめた――――奇跡の発現。
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