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Kapitel 07
初期教育カリキュラム 02
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ビシュラのカリキュラムはほかの新兵たちとは内容が異なる。男性新兵たちが燦々たる太陽の下、汗だくになって厳しい訓練に勤しんでいるなか、屋根の下で講義を受けていた。
ビシュラは階段教室になっている講義室の最前列に座していた。講師であるロスワルトとマンツーマンの集中講義。厭が応にも真面目に勤しもうというものだ。
学院では文科コースだったとはいえ、基礎的科目は武科コースと重複している。ロスワルトの講義の一部は聞いた覚えのあるものだった。専門領域は流石に未知の内容だが、元々好奇心は旺盛であり、テキストやデータに目を通すことも嫌いではないから受講自体は苦ではなかった。これは非常に助かった。毎日疲労した体で挑んでいるものだから、油断すると睡魔が襲ってくる。護衛までつけていただきカリキュラムに参加している身でありながら、マンツーマンの講義で居眠りでもしようものなら申し訳なさで胃が潰れてしまう。
講義を終えたロスワルトは、最前列のビシュラの机に近付いた。
「さすが学院卒業は違いますね。覚えがとても早い」
ロスワルトは純粋に感心していた。そのようなことは、とビシュラは気恥ずかしそうに微笑んだ。
ビシュラは机に就いたまま講義室の窓の外へと目線を移した。炎天下のグラウンドで若い男たちが大声を出して汗を流している。時折怒号や罵声のようなものも聞こえてくる。本来ならば自分も参加していたはずだ。
「わたしだけ別メニューの訓練でよいのでしょうか。ほかの方の半分以下のように思います」
ビシュラの言いたいことはロスワルトには伝わってきた。数日間、監視まがいの護衛を続けてビシュラの性情は理解した。自分だけが楽をしているようで気後れしているのだろう。
「准尉は非戦闘員。実戦への配備が前提のヤツ等とは必要な訓練は自ずと異なります。それにすでに所属大隊で任務参加経験がおありです。経験を考慮し、減免された訓練もあります」
ですが、とロスワルトは続けた。
「基礎トレーニングが少ない分、修得すべき講義単位は多く設定されています。覚えが早いと言いましたが、人一倍自学に勤しんでおられる。むしろ、准尉の勤勉さはヤツらに手本にしたいくらいです」
そう言って称賛したところで、喜ぶどころか恐縮してしまうのだ、この控え目な娘は。だからロスワルトは話題を変えることにした。
「小官にも准尉ほどの勤勉さが備わっていたら学院に入学できたでしょうかね」
「学院に入学されるのはよい考えです。ロスワルト教官はきっとよい指揮官になられます」
ビシュラは実によい考えだとパンッと手の平を合わせた。ロスワルトを見上げる瞳はキラキラと輝いていた。まさに彼が老中将のような存在になる最良のルートだと思った。
ロスワルト本人は「ハハハッ」と笑い飛ばした。言ってみただけですよ、と真面目なビシュラを本気にさせてしまったことを詫びた。
「机に齧り付いての勉強は苦手です。本当に、小官は准尉のように勤勉なタチではないのです。それに正直なところ、学院の学費なんて金があったら妹に仕送りします」
「妹さんがいらっしゃるのですか」
「ええ。ちょうど准尉と同じ年頃の」
教官の面倒見の良さはお兄ちゃんだからなのですね、とビシュラは内心で納得した。ロスワルトは護衛のみならず指導教官としての職務も充分に果たしており、単なる厳しさとは異なる思い遣りのようなものを感じていた。
「実のところ、小官は三本爪飛竜騎兵大隊への転属を希望しているんです」
「なぜですか? 危険ですし、隊員の方たちは皆こわ……厳しいですよ」
ロスワルトから突然の告白。ビシュラは完全に意表を突かれた。ビシュラが信じられないという表情をしたことは、ロスワルトも予想外だった。
「そんなに意外ですか。彼の大隊へ転属を希望している者は少なくないですよ。特に小官のような下士官は。ニーズヘクルメギル少佐は成果には給金で報いてくれる方だと有名です。学院卒か否か、上官からの評価はどうか、それどころか経歴も問わず、優秀であればチャンスがある。そういった事情から荒くれ者揃いで危険な任務も多いと聞きますが、出撃が多いということはとにかく稼ぎがいい」
ビシュラは、ロスワルトの話を聞き「あれ?」と首を傾げた。
転属希望者が少なくないというが、大隊は定員割れが常態化しており、安定した補給のアテもないはずだ。ビシュラが配属される以前は、部隊の指揮を執るべき騎兵長が書類業務に忙殺されかけていたほどの人手不足だったと聞かされている。主な原因は、騎兵隊の一部隊員しかデスクワークに献身的でないことであり、現場主義・実力主義を過度に追求した弊害なのだけれど。
「大隊長も騎兵長もいつも人が足りないと仰有っていますが」
「要は、ニーズヘクルメギル少佐の要求に耐えうる人材が少ないということです。三本爪飛竜騎兵大隊は独自の入隊試験があるという噂ですが、事実ですか。准尉はどうやってクリアされたのですか。あ、試験内容は機密事項ですか?」
ビシュラは、初めて三本爪飛竜騎兵大隊に派遣されたときのことを思い出した。何の戦闘の心得もないひ弱な文官と、敵味方の別なく魔物と怖れられる非道の歩兵長との模擬試合など、いま考えても常軌を逸している。
「機密ではないですが……。わたしのときは歩兵長との模擬試合といって差し支えないかと」
「三本爪飛竜騎兵大隊の歩兵長というと、あの《朱い魔物》ヴァルトラムと⁉」
ロスワルトは大きな声で聞き返した。
ですよね、そういうリアクションになりますよね。歩兵長は有名人ですもんね。
あの頃の自分は本当に何も知らなかったのだと実感する。三本爪飛竜騎兵大隊にしても、大貴族の大隊長にしても、恐怖の歩兵長にしても、伝聞の評判しか知らなかった。ヴァルトラムとの模擬試合など、今となっては絶対に御免被る。
「どうやってクリアしたんです?」
「んー。詳しくはお教えできないのですが、ちょっとした特技がありまして」
「やはり機密事項……」
「いえ、そうではなく」
ビシュラはパタパタと両手を振って否定した。
そうこうしていると、講義室の出入り口のほうがガヤガヤと騒がしくなってきた。屋外での訓練を終えた新兵たちが、講義の為に移動してきた。次の時限はビシュラもほかの新兵たちも一様に受講する内容だ。
「そろそろ次の講義が始まります」
それでは、と言ってロスワルトはビシュラから離れた。
彼はビシュラ専属の指導教官であり、全体講義では講師を務めない。そういった講義の間は、講義室の壁際や最後方に控えて目を光らせている。
数人の新兵たちが騒がしく講義室のなかに入ってくると、ビシュラは椅子から立ち上がった。にっこりと「おはようございます」と挨拶をした。彼等から「おはようございますッ」と挨拶が返ってきて、ビシュラは満足そうに微笑んで再び椅子に腰掛けた。
男性新兵たちは空いている席に座り、ビシュラの後ろ姿を見詰めた。
「か、かわいい……ッ。女っ気がなさすぎて挨拶だけで反応してしまう」
「学院卒の尉官がなんでこんな演習場で俺たちと初期教育受けてんだ? そもそもあんな可愛くておとなしそうな子がなんで志願したんだろな。あー、ポニーテールかわいい」
「昨日の野外訓練でへばってるのマジかわいかった。恋人いると思うか? オマエちょっと聞いてこいよ」
男性新兵たちはどれも似たような心持ちでいるが、鈍感なビシュラでは気付くはずがなかった。見え見えの下心で接近したとしても、気さくな親切な方だと勘違いしかねない。ビシュラを一目見た髭の将校の憂慮は的中したと言える。まあ、男性であれば当然予想できる情況ではあるが。
コンコン、とロスワルトが彼等が並んで座っている横長の机を小突いた。
「浮き足立つのは無理ないが、変な気は起こすなよ」
ロスワルトにキリッと睨まれた彼等は、背筋を伸ばして「ハイ!」と声を揃えた。
「忘れるな、ビシュラ准尉はお前たちよりも階級が上だ。間違っても上官に軽率に可愛いなどとお声がけすることがないように。准尉はすでにあのニーズヘクルメギル少佐指揮の大隊に配属されている。彼の方に睨まれたら出世はないと思え」
ビシュラは己の階級によって偉ぶったりしないし、異性から話しかけられた程度で白髪の大隊長に言い付けたりしない。しかしながら、新兵への牽制として威力は充分だ。
彼等は一斉に立ち上がって「勿論です、肝に銘じます!」と敬礼した。
ロスワルトは「よろしい」と言い残し、腕を腰の上で組んで階段を上っていった。新兵たちは、教官が背後から目を光らせていると考えるとすぐさま気を抜くことはできなかった。視線は真っ直ぐに講義室前方に固定し、先程よりもボリュームを絞って会話をした。
「ニーズヘクルメギル少佐って有名か?」
「バカ、ネームドだぞ。知らないのか」
「確か、同じ隊にもう一人ネームドがいたはず。《朱い魔物》っていう――」
ビシュラは階段教室になっている講義室の最前列に座していた。講師であるロスワルトとマンツーマンの集中講義。厭が応にも真面目に勤しもうというものだ。
学院では文科コースだったとはいえ、基礎的科目は武科コースと重複している。ロスワルトの講義の一部は聞いた覚えのあるものだった。専門領域は流石に未知の内容だが、元々好奇心は旺盛であり、テキストやデータに目を通すことも嫌いではないから受講自体は苦ではなかった。これは非常に助かった。毎日疲労した体で挑んでいるものだから、油断すると睡魔が襲ってくる。護衛までつけていただきカリキュラムに参加している身でありながら、マンツーマンの講義で居眠りでもしようものなら申し訳なさで胃が潰れてしまう。
講義を終えたロスワルトは、最前列のビシュラの机に近付いた。
「さすが学院卒業は違いますね。覚えがとても早い」
ロスワルトは純粋に感心していた。そのようなことは、とビシュラは気恥ずかしそうに微笑んだ。
ビシュラは机に就いたまま講義室の窓の外へと目線を移した。炎天下のグラウンドで若い男たちが大声を出して汗を流している。時折怒号や罵声のようなものも聞こえてくる。本来ならば自分も参加していたはずだ。
「わたしだけ別メニューの訓練でよいのでしょうか。ほかの方の半分以下のように思います」
ビシュラの言いたいことはロスワルトには伝わってきた。数日間、監視まがいの護衛を続けてビシュラの性情は理解した。自分だけが楽をしているようで気後れしているのだろう。
「准尉は非戦闘員。実戦への配備が前提のヤツ等とは必要な訓練は自ずと異なります。それにすでに所属大隊で任務参加経験がおありです。経験を考慮し、減免された訓練もあります」
ですが、とロスワルトは続けた。
「基礎トレーニングが少ない分、修得すべき講義単位は多く設定されています。覚えが早いと言いましたが、人一倍自学に勤しんでおられる。むしろ、准尉の勤勉さはヤツらに手本にしたいくらいです」
そう言って称賛したところで、喜ぶどころか恐縮してしまうのだ、この控え目な娘は。だからロスワルトは話題を変えることにした。
「小官にも准尉ほどの勤勉さが備わっていたら学院に入学できたでしょうかね」
「学院に入学されるのはよい考えです。ロスワルト教官はきっとよい指揮官になられます」
ビシュラは実によい考えだとパンッと手の平を合わせた。ロスワルトを見上げる瞳はキラキラと輝いていた。まさに彼が老中将のような存在になる最良のルートだと思った。
ロスワルト本人は「ハハハッ」と笑い飛ばした。言ってみただけですよ、と真面目なビシュラを本気にさせてしまったことを詫びた。
「机に齧り付いての勉強は苦手です。本当に、小官は准尉のように勤勉なタチではないのです。それに正直なところ、学院の学費なんて金があったら妹に仕送りします」
「妹さんがいらっしゃるのですか」
「ええ。ちょうど准尉と同じ年頃の」
教官の面倒見の良さはお兄ちゃんだからなのですね、とビシュラは内心で納得した。ロスワルトは護衛のみならず指導教官としての職務も充分に果たしており、単なる厳しさとは異なる思い遣りのようなものを感じていた。
「実のところ、小官は三本爪飛竜騎兵大隊への転属を希望しているんです」
「なぜですか? 危険ですし、隊員の方たちは皆こわ……厳しいですよ」
ロスワルトから突然の告白。ビシュラは完全に意表を突かれた。ビシュラが信じられないという表情をしたことは、ロスワルトも予想外だった。
「そんなに意外ですか。彼の大隊へ転属を希望している者は少なくないですよ。特に小官のような下士官は。ニーズヘクルメギル少佐は成果には給金で報いてくれる方だと有名です。学院卒か否か、上官からの評価はどうか、それどころか経歴も問わず、優秀であればチャンスがある。そういった事情から荒くれ者揃いで危険な任務も多いと聞きますが、出撃が多いということはとにかく稼ぎがいい」
ビシュラは、ロスワルトの話を聞き「あれ?」と首を傾げた。
転属希望者が少なくないというが、大隊は定員割れが常態化しており、安定した補給のアテもないはずだ。ビシュラが配属される以前は、部隊の指揮を執るべき騎兵長が書類業務に忙殺されかけていたほどの人手不足だったと聞かされている。主な原因は、騎兵隊の一部隊員しかデスクワークに献身的でないことであり、現場主義・実力主義を過度に追求した弊害なのだけれど。
「大隊長も騎兵長もいつも人が足りないと仰有っていますが」
「要は、ニーズヘクルメギル少佐の要求に耐えうる人材が少ないということです。三本爪飛竜騎兵大隊は独自の入隊試験があるという噂ですが、事実ですか。准尉はどうやってクリアされたのですか。あ、試験内容は機密事項ですか?」
ビシュラは、初めて三本爪飛竜騎兵大隊に派遣されたときのことを思い出した。何の戦闘の心得もないひ弱な文官と、敵味方の別なく魔物と怖れられる非道の歩兵長との模擬試合など、いま考えても常軌を逸している。
「機密ではないですが……。わたしのときは歩兵長との模擬試合といって差し支えないかと」
「三本爪飛竜騎兵大隊の歩兵長というと、あの《朱い魔物》ヴァルトラムと⁉」
ロスワルトは大きな声で聞き返した。
ですよね、そういうリアクションになりますよね。歩兵長は有名人ですもんね。
あの頃の自分は本当に何も知らなかったのだと実感する。三本爪飛竜騎兵大隊にしても、大貴族の大隊長にしても、恐怖の歩兵長にしても、伝聞の評判しか知らなかった。ヴァルトラムとの模擬試合など、今となっては絶対に御免被る。
「どうやってクリアしたんです?」
「んー。詳しくはお教えできないのですが、ちょっとした特技がありまして」
「やはり機密事項……」
「いえ、そうではなく」
ビシュラはパタパタと両手を振って否定した。
そうこうしていると、講義室の出入り口のほうがガヤガヤと騒がしくなってきた。屋外での訓練を終えた新兵たちが、講義の為に移動してきた。次の時限はビシュラもほかの新兵たちも一様に受講する内容だ。
「そろそろ次の講義が始まります」
それでは、と言ってロスワルトはビシュラから離れた。
彼はビシュラ専属の指導教官であり、全体講義では講師を務めない。そういった講義の間は、講義室の壁際や最後方に控えて目を光らせている。
数人の新兵たちが騒がしく講義室のなかに入ってくると、ビシュラは椅子から立ち上がった。にっこりと「おはようございます」と挨拶をした。彼等から「おはようございますッ」と挨拶が返ってきて、ビシュラは満足そうに微笑んで再び椅子に腰掛けた。
男性新兵たちは空いている席に座り、ビシュラの後ろ姿を見詰めた。
「か、かわいい……ッ。女っ気がなさすぎて挨拶だけで反応してしまう」
「学院卒の尉官がなんでこんな演習場で俺たちと初期教育受けてんだ? そもそもあんな可愛くておとなしそうな子がなんで志願したんだろな。あー、ポニーテールかわいい」
「昨日の野外訓練でへばってるのマジかわいかった。恋人いると思うか? オマエちょっと聞いてこいよ」
男性新兵たちはどれも似たような心持ちでいるが、鈍感なビシュラでは気付くはずがなかった。見え見えの下心で接近したとしても、気さくな親切な方だと勘違いしかねない。ビシュラを一目見た髭の将校の憂慮は的中したと言える。まあ、男性であれば当然予想できる情況ではあるが。
コンコン、とロスワルトが彼等が並んで座っている横長の机を小突いた。
「浮き足立つのは無理ないが、変な気は起こすなよ」
ロスワルトにキリッと睨まれた彼等は、背筋を伸ばして「ハイ!」と声を揃えた。
「忘れるな、ビシュラ准尉はお前たちよりも階級が上だ。間違っても上官に軽率に可愛いなどとお声がけすることがないように。准尉はすでにあのニーズヘクルメギル少佐指揮の大隊に配属されている。彼の方に睨まれたら出世はないと思え」
ビシュラは己の階級によって偉ぶったりしないし、異性から話しかけられた程度で白髪の大隊長に言い付けたりしない。しかしながら、新兵への牽制として威力は充分だ。
彼等は一斉に立ち上がって「勿論です、肝に銘じます!」と敬礼した。
ロスワルトは「よろしい」と言い残し、腕を腰の上で組んで階段を上っていった。新兵たちは、教官が背後から目を光らせていると考えるとすぐさま気を抜くことはできなかった。視線は真っ直ぐに講義室前方に固定し、先程よりもボリュームを絞って会話をした。
「ニーズヘクルメギル少佐って有名か?」
「バカ、ネームドだぞ。知らないのか」
「確か、同じ隊にもう一人ネームドがいたはず。《朱い魔物》っていう――」
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