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Kapitel 06
10:四本爪 03
しおりを挟む三本爪飛竜騎兵大隊隊舎、大隊長執務室。
ビシュラは大隊長天尊により、執務室に呼び出されていた。
飛竜への交渉へ向かった一行は〝竜の壁〟から大隊へ帰還を果たした。ビシュラはオタカルの応急措置にからくも成功した。オタカルはそのまま基地内医療施設へ送られた。今頃は適切な治療を受けていることだろう。
天尊はデスクに座していた。デスクの上には疑似モニターが浮いており、今回の報告が映し出されていた。すでに一読はしているものの、当人を前にそれに今一度目を通していた。
デスクを挟んで正面に立つビシュラは神妙な面持ちだった。騎兵隊員でありながら飛竜を得ることが叶わない結果となったことは気が重たかった。それ以上に、オタカルの負傷について責を負う覚悟はあるが、申し訳なさで身が潰れそうだった。
天尊が顔を上げ、視線が自分のほうへ向き、ビシュラは生唾を嚥下した。
「重傷を負ったオタカルを助けたそうだな。回復プログラムが使えることは知っていたが、想定以上で何よりだ」
天尊の第一声を聞いたビシュラは目を丸くした。叱責を受けなかったのは予想外であり、それが故に申し訳なさが増した。自分がヴァルトラムに退避を説得できていれば、《牆壁》維持の集中を欠かなければ、と後悔ばかりが思い起こされた。
「わたし一人で助けたわけでは……。オタカルさんが助かったのもドラゴンに襲われて無事だったのも、歩兵長がいてくださったからです」
「確かに興奮状態のドラゴンの撃退はお前には難しいだろう。だが、回復プログラムを実行したのはお前だ。これはヴァルトラムには絶対できん。そうだろう?」
天尊がフッと手を翳し、疑似モニターがデスク上から消失した。
「お前は仲間を助けたんだ。もう少し素直に誇れ」
エインヘリアルにその名を轟かせる三本爪飛竜騎兵大隊、その屈強で秀逸な隊員たちを統率する大隊長が、自分のような戦力にならない新人を仲間と言ってくれたことが嬉しかった。何を今更と笑い飛ばされそうだが、心底嬉しかった。
言われた通りに受け止め、誇ってよいのだろうか。《四ツ耳》と蔑まれてきた人生、己で決断し行動することも満足にできず、たった一人では何もできない無知で無力な自分が、胸を張って仲間を助けたと断言してよいのだろうか。
――余計なこたァ考えずにここにいろ。その内オメエのお陰で助かるヤツもいんだろ。
あのとき、酒に浮かされて上機嫌だった褐色の歩兵長の言葉を、少しは信じてもよいのかもしれない。
ビシュラはオタカルの病室を訪ねた。
オタカルは、ビシュラが顔を見せると一瞬驚いたような表情をし、そしてほんの少し気恥ずかしそうにした。ビシュラにはそう見えた。それからビシュラが「お気になさらず。そのままで」と言うのも聞かず、ベッドの上で上半身を起こした。
ビシュラはベッド脇の簡易な椅子に腰掛けた。
オタカルは特に重篤ではなく顔色も悪くなかった。尤も、最先端の施設で清潔なベッドの上にいるのだから、血液と泥土に塗れた現場よりも顔色がよく見えるのは当然であろうが。
「任務での負傷でわざわざ見舞いなど要らないのに。律儀な人ですね」
「お邪魔でしたか」
「どうせなら一人で来るのではなくて歩兵長を連れてきていただきたかったですね」
「歩兵長は騎兵長とのお話が長引いておりまして……。オタカルさんの負傷について騎兵長が大変お怒りで」
「それはそれはお二人にご迷惑をおかけしてしまいました」
ビシュラは苦笑した。厳格な騎兵長と褐色の歩兵長の為人をよく知っているオタカルには、その光景が容易に想像することができた。
ビシュラがトラジロに飛竜との交渉すらも許されなかったと報告したときは責められも詰られもしなかった。しかしながら、優秀な部下が重傷を負ったと聞くや否や大変な剣幕でヴァルトラムの許へ押しかけた。緋とマクシミリアンが間に入っていたが、あの剣幕はすぐには収まりそうにない。
貴女にも……、とオタカルが言葉を零し、ビシュラは「え」と聞き返した。
「まさか貴女に救われるとは思っていませんでした。ありがとうございます」
「いいえっ、わたしは何も……! あんな高出力で回復プログラムを実行できたのは歩兵長がいてくださったからです。わたし一人では何もできませんでした」
ビシュラはぶんぶんぶんっと激しく首を左右に振った。その様を見たオタカルは溜息を吐いた。
「謙遜も過ぎると卑屈ですよ。私はありがとうございますと言っているのです」
「きょ、恐縮です」
ビシュラは肩を竦めた。自分には過ぎたる謝辞だと思った。天尊はヴァルトラムには回復プログラムを実行することは絶対にできないと言った。それは事実だが、ビシュラもヴァルトラムがいなければオタカルを救命するほどのプログラムを実行することは不可能だった。ヴァルトラムがトラジロからの問責を一身に受け、自分だけが好意的な評価を得ることを不公平に感じていた。
「大隊長がもっと誇ってよいと仰有いました。わたしも少しは三本爪飛竜騎兵大隊の隊員らしくなれたでしょうか……」
ビシュラは独り言のように取り零した。すぐにハッとして両手をパタパタと左右に振った。
「あっ、いえ、わたしなんかが烏滸がましいことを言いました。戦えもしないで無知で狼狽えるばかりで。飛竜と交渉することもできませんでしたしっ」
騎兵隊員なのに、とビシュラは肩を落とした。自分の言葉によって自分が落ち込む、ああこれはよくないなと思いつつ、とめることもできなかった。
「貴女は隊員らしくなりたいなどと、思っていたのですか」
「わたしが大隊に来た理由は確かに自分の意思ではありませんし、向いているなんて思えません。ですが、隊員らしくなりたいと思っています。ここで皆さんのお役に立てたらと……。その為にはもっと《牆壁》や回復プログラムのスキルを高める必要があることを今回痛感しました」
三本爪飛竜騎兵大隊は、アスガルト全土を飛び回り、後方支援・予備戦力・最前線の別なく実戦に投入される即応戦力。そのなかに在り、唯一の非戦闘員。持ちうる技術は専ら防御と回復。性質は従順と献身、そして善良な精神。
善良な、精神――? オタカルは自分でも最早ピンと来なくなってしまっていた。イーダフェルトを守護するため、民の安全と安寧を確保するため、自身のため、命令を遵守し完遂する。それが善行でないとするなら、善良とは何だ。
自分のなかにあやふやに存在する概念を上手く説明することはできないが、それを体現するなら、兵士というにはあまりにも無垢で至純な、この娘のような存在ではないかと思った。
「…………。そういう戦い方もあるということでしょうか。嫌な小娘ですね、貴女」
「ええっ!?」
「冗談です。貴女のお陰で今回は命拾いしました。私はこれからも前を征きますが、後ろに貴女のような人がいると思えば心強い。精々おっかなびっくりついてきてください、ビシュラ准尉」
「っ……はい」
返事をしたビシュラの両目は今にも溢れそうに潤んでいた。オタカルは呆れ顔で溜息を吐いた。
「この程度のことで泣かないでくださいよ。私が歩兵長や緋姐たちに叱られてしまうでしょう」
「まだ泣いてませんっ」
そのあと、ビシュラとオタカルは世間話をした。大隊に配属されて以来、緋の次に長い時間を雑談に費やしてくれたかもしれない。しかも、兵士としての日が浅いビシュラに配慮してか軍人然とした戦略談義を避けてくれたように思う。
ところで、とオタカルが言い出した。
「燐光を見たことがありますか」
ビシュラは小首を傾げた。
「ネェベルの燐光現象ですか。記録映像では見たことがありますが、かなり珍しい現象です。本物を見たことはありません」
「戦場ではね、たまに見えるのですよ」
「綺麗ですか」
「綺麗ですよ。あれこそが希望です」
燐光現象――――膨大かつ高濃度のネェベルが持続的に発生した際、大気中に霧散しきれず発生源である物体表面に停滞し、微弱に発光して見える現象。通常、ネェベルは視認できない。
「燐光を散らしながら先陣を切る背中……あれについていけば、あれを目指せば、どんな戦いでも勝つことができる、生き残ることができる。そういうものには兵士は理屈抜きで惹き付けられます。貴女は自分の意思で大隊にやって来たわけではないから難しいかも知れませんが、離れられる内に離れたほうがいい。あの光に、囚われてしまってからではもう遅い」
ビシュラは、オタカルが脳裏に誰を浮かべているのか言わずとも理解した。それが、オタカルが盲目的に敬愛を傾ける理由の一端であることも。空を駆る片眼鏡の勇士は、朱髪を揺らす褐色の魔物から立ち上る燐光を見て、完全に魅了されてしまったのだ。
ビシュラは現実世界に顕現した地獄など知らない。戦場が悲惨であればあるほど、戦況が逼迫していればいるほど、敵陣を蟻が如く、はたまた羽虫が如く、蹴散らし圧倒する力は絶対的な希望の光に見えることだろう。思いを馳せ想像してみることはできても、まったく同じ絶望も希望も体感することは叶わない。褐色の魔物を全肯定して心酔する自分を想像することはできなかった。
「オタカルさんには歩兵長が光に見えるのですね。……わたしにはそんな風には見えません」
(だから、そうなってしまってからでは遅いのですよ)
このときのわたしは、その燐光を自分の目で見る日が来るなんて、思ってもみなかったのです。
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