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Kapitel 06
07:竜の壁 04
しおりを挟むドラゴンの話にヴァルトラムは関心が無かった。食事と焚火によって身体が充分に温まると、外の空気を吸ってくると言って洞穴の入り口のほうへと姿を消した。
「貴女はここで〝四本爪〟と会わなければいけません」
オタカルの発言は少しだけ予想外だった。三本爪飛竜騎兵大隊の騎兵隊員として、必要なのは三本爪ドラゴンとの交渉だと考えていたからだ。
「それは必須ですか?」
「そうするのが〝四本爪〟との約束です」
「約束……でしたら守らなくてはいけませんね」
ビシュラはうんうんと頷いた。その一言で納得して従うのだから、問題児ばかりの三本爪飛竜騎兵大隊のなかでは稀有な従順さだとオタカルは思った。
「その為に〝入り口〟を探しているのですが……今回は難しいかも知れません」
「オタカルさんがいても、ですか」
「私は案内人に過ぎません。ドラゴンに対して何か特別な力を持っているわけではない。そもそも〝四本爪〟には招かれなければ会うことなどできないのですよ。幸運なことにこれまでは我々に対して好意的でいてくれました。我々も礼を欠かないよう配慮してきた。ですが今回は、ね」
「歩兵長がいるから、ですか?」
オタカルは「フゥー」と深い深い溜息を吐いた。片膝を立て、その上に腕を乗せて額を押さえた。その仕草は、ビシュラに情況は芳しくないのだと思わせた。
「歩兵長がドラゴンに嫌われているというのはどういう意味ですか?」
「歩兵長は大隊の飛竜を殺したことがあります」
ビシュラは声もなく目を大きく見開いた。
「或る日、騎兵隊員の一人が飛竜ともめました。先程も言ったように、我々と飛竜との関係は純然たる信頼の上に成り立っています。そこに上下は無い。飛竜を絶対的に制御する手段など存在しない。飛竜は暴走し、隊員の腕を食い千切り、ブレスを噴き、隊舎は燃え…………歩兵長はその飛竜を殺しました。歩兵長がそうしなければあの隊員は命も危なかった。他の隊員にも危険が及んでいたでしょう。だがそれは我々の都合だ。ドラゴンにとって歩兵長は同胞殺しなのですよ」
オタカルは焚火を見詰めた。めらめらと揺れ動く炎が、在りし日の記憶を鮮明に呼び起こした。
建物が燃え上がって夜空を焼き、怒り狂った飛竜が高らかな嘶きを上げて両翼を広げ、猛火を噴き出した。原因が何であったかなど今となってはどうでもよい。生来、ドラゴンはヒトよりも勇敢で強靱で卓越した、生物として優位に立つ存在だ。興奮して我を失ったドラゴンを服従させる術はない。信頼関係に互いの敬意は不可欠であり、決して傲慢に振る舞ってはならないと思い出させるには充分すぎる事態だった。
「ここのドラゴンはそれを……知っているのですか」
「さあ……。ドラゴンはヒトの心を見透かしますが、我々は彼等の心を見ることもできなければ何を伝え合っているのか言語で聞くこともできない。大隊の飛竜と接する限りでは、歩兵長にいきなり襲いかかるようなことはありませんでしたが、ここのドラゴンたちがどういった行動をとるのかまでは分かりません」
オタカルは額に手を添えた体勢のまま、ビシュラに目を遣った。
「ドラゴンが危険な生き物だと知って、それでもまだ貴女は飛竜を得たいと思いますか」
「だってそれが、騎兵隊員の義務なのですよね」
「義務だから飛竜を得たいと?」
オタカルから矢継ぎ早に問い詰められたビシュラは「それは……えっと……」と口籠もった。その反応はオタカルの想像した通りであり、煮え切らない態度への怒りは無かった。正確には怒る気にもならないといったほうが正しい。オタカルはビシュラを三本爪飛竜騎兵大隊隊員の一人とも兵士とも認めていないのだから。
「貴女はただただ命令に従順で、意思は薄弱。好奇心はあるが知識は実用に耐えない。総じて無力」
「はい。評価を厳粛に受け止めます……」
ビシュラは両膝の上に手を置いて項垂れた。
「正直に言うと、騎兵長の命令だから案内しましたが、私は貴女はドラゴンと接するべきでないと考えています。ドラゴンは恐ろしい生き物です。恐ろしくて強い生き物だ。強いものは弱いものを厭う」
オタカルは、自分の前で両膝を揃えて身動ぎ一つしないビシュラを改めて上から下まで観察した。どう見てもごく普通の若い娘。
「貴女の弱さはまるで、弱さを特権だとでも思っているかのようだ。望んで戦場に立つ者より、仕方なしにそうする者のほうが圧倒的に多い。歩兵長はあまりにも突出した前者ですが、後者のほうはね、守るべきものの為に戦うのですよ。貴女は、本当に自分の命を懸けて何かを守ろうと考えたことがありますか。自分の意志で兵士になった訳ではないから、戦えないから、弱いから、守られるのが当然という顔をしている。そんな風だから、自分の身さえ守れないのですよ」
オタカルは心底不思議だという風にビシュラを見据えたまま首を傾げた。
「歩兵長は何故、貴女のような者を傍に置いているのでしょう」
「オタカルさんはドラゴンを恐ろしい生き物だと仰有るのに、歩兵長を恐ろしいと感じることは無いのですか」
「恐ろしい……? 戦場でのあの人は、希望です」
ビシュラは、オタカルのヴァルトラムへの待遇でそうではないかとうっすらと思っていたが、肯定的な言葉により一気に確信した。オタカルはヴァルトラムに盲目的に心酔し、敬愛しているのだ。
「歩兵長が戦闘狂であることは否定しません。《朱い魔物》ヴァルトラム――――化け物じみていて無慈悲で非道だ。ですが、その圧倒的な強さが多くの仲間を救っていることは事実です。病的に戦いを好もうと敵を踏み躙ろうとどうでもよい。あの人がいるから、兵士は鼓舞され怖れず戦うことができるのです」
ビシュラは弾かれたように顔を上げて口を開いた。
「強いことだけが正しいことですか」
「それこそが、自分の命を懸けたことがない者の空論だ」
命を懸けたこともないくせにと言われてしまえば、ビシュラは反論することができなかった。オタカルの言う通り、自分の命を懸けてまで何かをしようとしたことなどない。自分の身を守ることに命を懸けたことさえない。誰かに決められて、命じられて、自分の領分を守る生き方しかしてこなかった。しかしながら、それは責められるべきことか。強さを正義だというなら、命令を遵守することの何が悪い。
嗚呼、ちがう。この場で何かを悪と定めるとしたら、己の意志を主張できないことが悪なのだ。オタカルはずっとビシュラのそういう部分を譴責している。
ああそうか、とオタカルが不意に漏らした。
「だから〝金の輪っか〟か…………面白い」
「?」
しばらくしてヴァルトラムが戻ってきた。
就寝することになり、オタカルから各自薄手の中綿の布を渡された。無論、例のバッグから取り出したものだった。
ビシュラはオタカルの見様見真似をして、それに包まりごろんと寝そべった。直接横になるよりは断然マシだろうが地面の感触が容赦なく伝わってくる。ゴツゴツしており快適とは言い難い。何より岩肌が冷たく、ぐんぐんと体温を奪われる。身体を丸めて膝を抱え、手と手を擦り合わせて息を吹きかけた。はーっ、はーっ、と何度も吹きかけても指先がじんじんと痺れる。
ヴァルトラムは「こっちに来い」とビシュラの身体を引き寄せた。腕のなかに囲って二人で一枚の布に包まった。
「どっ、どうしてくっつくのですか」
「オメエ、寒さに弱ェだろ。夜中はもっと冷え込むぞ」
ヴァルトラムは当たり前のように放言した。
固い胸板が背中に密着し、確かに薄い布一枚を羽織るよりも格段に温かかった。腰に回された太い腕にぎゅうと抱き締められ、体温のぬくもりとは別の意味で身体が熱くなった。鼓動が早鐘を打っていることが自分でも分かった。
ビシュラは、これは防寒の対処法だと思えば思うほど自分だけ意識しているのはみっともないと感じた。異性と密着するだけで心臓が反応してしまうのが恥ずかしい。経験の乏しさが恨めしい。ヴァルトラムが平然としているから尚更だ。
(いくら寒さを凌ぐ為とはいえ男性とこんなに密着して眠っていいのでしょうか。というか、暖を取っているだけなのですからドキドキしないでください心臓! わたしだけドキドキして莫迦みたいじゃないですか。歩兵長は何とも思ってないのにっ)
そうは言っても心臓の動きを意思で以て制御することは不可能だ。ドッドッドッドッと大きくなる鼓動を聞いていることに耐えられなくなった。ビシュラはくるりと身体の向きを反転させてヴァルトラムのほうを向き、硬い胸板を両手でグイグイと押した。
「は、離れてください」
「寒ィんだろ。ガタガタ震えやがって。寝てる間に凍え死ぬぞ」
「大丈夫です。丸まっていれば眠れます。だからくっつかないでくださいッ」
ヴァルトラムにとっては、突然ビシュラから拒否されたことは少々不思議だった。ビシュラは自分ほど寒さに強くない、環境に耐性が無く貧弱、温めてやることは至極当たり前の行動だと考えていたのだ。
腕のなかのビシュラをしばし観察した。細い眉根を寄せ、まるい頬が若干紅潮しており、ピンと来た。
「ああ、期待してんのか。それならしてやろうか」
「違いますッ!」
ビシュラは、目の前のニヤニヤした顔に向かってぐわっと剣幕で言い返した。
ビシュラは自分の上から丸太のような腕を懸命に退かそうとした。ヴァルトラムが腕を浮かしてやると、ずりっと人一人分くらいの距離を取った。それから「おやすみなさい」とヴァルトラムに背中を向けて丸まった。
すぐ近くに人がいると先程よりも寒さがやわらいだ。興奮した所為で身体も温まった。その上、初めての土地で緊張と疲労していたこともあり、ビシュラはすぐに眠りに落ちていった。
小一時間ほど経過し、スー、スーと寝息が聞こえてきた。決して他者の睡眠を妨害するような大きな音ではなかったが、ヴァルトラムはパチッと瞼を開いた。
寝息の主はビシュラだ。中綿入りの布に包まっていたのに、いつの間にかずり落ちて肩が露わになっていた。寝息に合わせて上下していた肩がぶるっと身震いした。寝返りを打ち、ヴァルトラムのほうへ寝顔を向けた。完全に睡眠状態のままヴァルトラムへ躙り寄った。覚醒しているときは拒絶したくせに、本能は温もりを求めた。
ヴァルトラムが腕を持ち上げると、ビシュラはぴたりと懐に収まった。胸板に額や頬をすりすりと擦り付けてきた。その仕草が愛らしかったからヴァルトラムは機嫌を良くした。意識がなければ素直なものだと、クッと笑いが漏れた。
(そっちから寄ってきたっつうことはヤっていいんだろ)
ヴァルトラムはビシュラの顎に指を添えて持ち上げた。寒冷と乾燥によって若干ひび割れた唇でもぷくりとして愛らしく見えた。意識がなく締まりのない唇は、舌の侵入を容易に許した。口内を舐め回している内に小さな舌がピクッと撥ねた。
しばらくはビシュラは「ん……ふっ、んぅ……」と吐息を漏らすだけで抵抗らしい抵抗は無かった。しかしながら、ある瞬間覚醒した途端に「んー!」と声を上げた
「何をなさるのですか!💢」
ビシュラはガバッと上半身を起こしてヴァルトラムを睨んだ。
「オメエのほうから寄ってきたんだろうが」
「そんなはずありませんっ」
「ぐっすり眠っといて何で言い切れんだ?」
「そ、それはッ……! とにかくもう離れてくださいっ」
言葉に詰まったビシュラは、布を握って立ち上がった。起き抜けの頭では適切な反証を挙げることができなかった。兎にも角にもヴァルトラムから離れることを選択した。
「どこ行く。火から離れると寒ィぞ」
「歩兵長から離れてるんですッ」
ああ、もうヴァルトラムの意見のほうが冷静で的確な気がする。それにも余計に焦らされたビシュラは、ヴァルトラムと距離を取る為に洞穴の奥へと足を進めた。一人では満足に眠れないほど冷え込もうと、岩肌の突起が骨に当たって痛かろうと、目が覚めたらキスの最中などという事態は避けたかった。
フッ、と突然足裏が空を切った。何が起こったのか瞬時に分からなかった。落下していることに気付いたときには、頭上に自分が落ちた穴が見えた。咄嗟に穴の淵を掴もうと手を伸ばしたが宙を掻いた。
「ぎゃぁああーーっ!」
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