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Kapitel 06

06:竜の壁 03

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 暮れ方に差しかかった頃、オタカルが戻ってきた。
 ビシュラはオタカルの姿を目にすると急いで岩から降りた。オタカルに向かって「お疲れ様です」と挨拶をしたが、彼は口を一文字にして機嫌が悪そうだった。
 ヴァルトラムは大岩に凭りかかった体勢のままでオタカルを待ち受けた。オタカルは浮かない表情のままヴァルトラムの前に立った。ヴァルトラムは色好い報告は出てこないだろうなと察しつつ、小さく顎を揺すって報告を促した。
 オタカルは腰の上に両拳を乗せ、胸を張った。

「周辺を捜索しましたが〝入り口〟を発見することができませんでした。じきに日没です。本日の捜索はここまでとし、野営の準備を開始します。捜索は明日再開します」

 ヴァルトラムは隠そうともせず「はあ~あ」と盛大な溜息を吐いた。オタカルはギクッと一瞬表情を変えた。

「入り口も見つからねェんじゃ話にならねェ。オメエは案内人じゃなかったか。チビの部下は無能しかいねェのか」

 そこまで仰有らなくても……、とビシュラは内心思った。目が届かなかったといえオタカルが怠けていたとは思わないし、寧ろ自分やヴァルトラムがこの場所に不慣れだから一人率先して行動してくれたのだと思う。しかしながら、ヴァルトラムとオタカルの雰囲気がピリピリと緊張しており、言葉を挟むことはできなかった。何を言えば適切なフォローになるのか判断できず、それをしたとしてもオタカルから要らぬ世話だと思われそうな気がした。
 オタカルは数秒置いて口を開いた。

「ここに何度も訪れていますが、このようなことは稀です。率直に申しまして、やはり歩兵長がドラゴンに忌避されている影響は否めないかと」

「ハッ。俺の責任か」

「滅相もありませんッ」

 オタカルは斜め上方向に向かって声を張り上げた。ビシュラに対するときとは別人のような緊張感、これが兵士からヴァルトラムへの当然の畏敬の念。
 ビシュラは意を決して口を開いた。

「あ、あの、野営の準備とは何をすればよいのですか。そろそろ暗くなってしまいます」

 ヴァルトラムは眼球だけを動かしてビシュラを見た。ビシュラはなるべくその姿を視界に入れないように努めた。性根が小心者だから、対象が自分でも他者でも譴責されている空間は苦手だ。
 さっさと始めろ、とヴァルトラムがオタカルに命じ、ビシュラは「ほう」と息を吐いた。


 一行は岩山の中腹にぽっかりと空いていた横穴に入った。
 洞穴の内部は真っ暗だった。目を凝らしても奥を見通せない。物音はなく、ザアザアと風の音だけが聞こえる。動くものはいないようだ。
 オタカルがランタンに灯を点した。ビシュラはやっと内部を視認することができた。
 此処は、三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターが飛竜を求めて訪れた際に常用している場所。つまり、そのときしか使用しないから人の手などほとんど入っていない。人為的な設備は皆無、岩肌は剥き出し、雨風が凌げる程度だ。
 飛竜は洞穴の入り口付近に丸まった。オタカルは飛竜に括り付けていた荷を一部取り外し、肩に背負った。それからビシュラに目を留めた。

「装備を背負って行軍の経験は」

「ありません」

 でしょうね、とオタカルは溜息を吐いた。ビシュラは素直に答えただけだが、またオタカルをガッカリさせてしまったようだ。
 ランタンを持ったオタカルを先頭にして奥へと進んだ。洞穴の入り口から離れるにつれ、吹き込む風は次第に弱まった。
 洞穴の入り口から十数メートルほど進んだ地点でオタカルが足を停めた。ビシュラはキョロキョロと観察し、足許に火を熾した痕跡を見つけた。此処が目的地であるようだ。急にぶるっと身震いが来た。吐く息が白いことに気付いた。日中は肌寒い程度だったが、日没に近付くと気温が急激に下がった。岩肌が剥き出しの洞穴のなかは決して温かいとは言えないが、それでも風が凌げるだけマシだ。
 ヴァルトラムは岩壁に近寄り、無作為にその辺に腰を下ろした。準備を手伝うなどという気は更々無いらしい。オタカルは片手にランタンを持ち、ヴァルトラムの傍にランタンをもう一つ置いた。
 オタカルは背負っていたバッグを地面に置いた。
 ビシュラはトトトとオタカルに近付いた。

「野営とは所謂、野宿ですか」

「観測所出身の文官のお嬢さんはしたことがないでしょうねえ」

 ビシュラはアハハと苦笑いした。皮肉を甘受するのはつらいがヴァルトラムの緊張から解放されたオタカルがいつもの調子を取り戻したようで良かった。

「ここはドラゴンが支配する土地ですよ。ヒトの為の宿泊施設があるとでも思っていましたか」

 そんなことは、とビシュラはオタカルから目線を逸らした。気まずさから洞穴の奥のほうへと目を伸ばした。ビシュラが目視できるのはランタンで照らされている周囲数メートルのみ。そこから先は真っ暗であり、暗闇が何処までも続いているように見えた。

「ここの奥はどうなっているのですか。この洞穴はかなり深いのですか」

「さあ。以前とはもう変わっているでしょうから。最近は必要が無ければ確認していません」

「変わっている?」

 ビシュラは小首を傾げて聞き返した。オタカルはバッグのなかを漁る手を停めることはなかった。

「《探査》で大まかな情況でしたら把握できますが」

「必要が無ければ確認しないと言っているでしょう。そんなことよりもいま必要なのは野営の準備ですよ、お嬢さん」

 ビシュラのほうを振り返ったオタカルは溜息を吐いた。「手を出して」と言われたビシュラは従順に両手を差し出した。オタカルは「燃料です」と言って抱えていたものからパッと手を離し、途端にビシュラの両手にズシンと重量がかかった。
 きゃあっ、とビシュラは前のめりに傾いた。地面に転倒する前に踏み留まり、ぷるぷると震えていた。
 オタカルは溜息混じりに頭を左右に振った。

「この調子では人並みの行軍ができるのはいつになることやら」

 ドン、とオタカルがさらに荷物を上乗せし、ビシュラはその場にぐしゃあと崩れた。
 あいたた、と地面に手を突いて上半身を起こしたビシュラのすぐ傍に、オタカルがしゃがみ込んだ。

「ここは野営地としてはマシなほうです。時には数十キロの装備を背負って熱帯や雪山を行軍し、屋根も壁もない場所で休まなければならないこともある。この貧弱さでは、とてもではないが話にならない。入隊したての新兵にも程遠い」

 オタカルの片眼鏡モノクルが、ランタンの照明に照らされてギラッと光った。

「帰ったらまずは筋トレからミッチリやってもらいましょうかねえ」

(ひぃい~~っ!)



 ビシュラ、ヴァルトラム、オタカルの三人は焚火を熾し、それを囲んで食事を開始した。
 缶詰の蓋を開けてそのまま火にかけて温めたものが今夜の食事。ビシュラはそれを、色と質感からして何らかの肉であろうと推測した。内心恐る恐る一口頬張り、ゆっくりと噛んでみた。風味や食感はやはり肉。流石に高級レストランのディナーとまではいかないが、冷え切った身体に温かい食事は十二分に美味しかった。

「想像していたよりおいしいです。普通に食べ物……」

 ビシュラがポロッと零した言葉を聞き、オタカルは片眉を引き上げて「ほお~」と唸った。

「貴女は私たちが食べ物かどうかつかないものを食べていると思っていたのですか」

「そういう意味では💦 携帯食料はあまり美味しいものではないと伺っていたので」

「確かにアレは美味ェモンじゃねェな」

 そう言いながらヴァルトラムは缶詰をペロリと空けていた。この大きな肉体で手の平に乗るサイズの缶詰を何個食べれば満たされるのだろう、とビシュラは思った。少なくとも自分の数倍は必要であることは想像に難くない。

「これは携帯食料ではありませんよ。歩兵長に少しでも御満足いただくために用意しました。1ミリも戦力にもならないド新米が、一人前の兵士よりも上等なものを食べているのですから感謝していただきたいですね」

 オタカルはトゲを隠す気が一切無い。ビシュラはしゅんと肩を窄めて小さくなった。

「覚えておきなさい、お嬢さん。精神衛生の為にも士気の維持にも食事はとても重要です。ここが自宅のキッチンであれば、こんな缶詰とは比べものにならない素晴らしい料理を歩兵長の為に振る舞うことも可能ですがね!」

 オタカルはふんすふんすと息巻き、ビシュラはやや圧倒された。オタカルからヴァルトラムへの献身は、部下から上官への当たり前のそれを超えているような気がした。そう感じたのはビシュラがまだ二人の関係性を、三本爪飛竜騎兵大隊というものを、そもそも兵士というものを理解していないからだろうか。
 ヴァルトラムがハッと鼻で笑い、ビシュラはそちらに目線を移動させた。

「ドラゴンの肉でも食わせてくれるってか?」

 歩兵長……、とオタカルは何とも言えない表情で深い溜息を吐いた。

「この地でそういったジョークはおやめください。聞こえますよ」

 オタカルは困った人だと眉尻を下げたが、ヴァルトラムはニヤリと笑うばかりで気にかけていないようだった。

(聞こえるって、誰にでしょう?)

 ビシュラはそのようなことをぼんやりと考え、ヴァルトラムとオタカルを見ながら食事を口に運んだ。オタカルがヴァルトラムの分のついでとはいえ折角用意してくれたのに冷めてしまっては勿体ない。それに此処は寒いから、温かいものを身体に入れることができるのは純粋に有り難かった。

 ヴァルトラムはオタカルから差し出されるものを次から次へと平らげた。ビシュラはそれをすべて数えていたわけではないが、ヴァルトラムの食事量と焚火の為の燃料や諸々の道具を合わせると、オタカルのバッグの容量を超えていないだろうか。そういえば缶詰の空は何処へ行ったのだろう。

「バッグの中身はほとんど食糧だったのですか」

 ビシュラは不思議そうな表情でオタカルに尋ねた。彼はビシュラと目を合わせてピタリと停止し、ニタリと口の端を引き上げた。

「バッグの中身? ……本当に知りたいですか」

 オタカルからジーッと見詰められ、ビシュラはピキーンと硬直した。まさかそのように聞き返されるとは思っていなかった。もしや聞いてはいけなかったのだろうか。いいえ、知りたくないですと答えれば凝視から解放されるのだろうか。

「コイツのプログラムだ」

 ビシュラとオタカルはヴァルトラムのほうへ目線を向けた。
 ヴァルトラムから「だろう?」と言われ、オタカルは溜息を漏らして肩を竦めた。

「理屈は知らねェが、別の場所にあるモンをここに移動させる。便利だぜ」

「歩兵長。いくらお気に入りのお嬢さんでも、私の能力をベラベラと話してしまわないでください」

 ビシュラはオタカルに向かって両膝を揃えて前のめりになりズイッと顔を近付けた。その目はキラキラと輝いていた。元来小心者で臆病であるクセに、好奇心には純粋だ。

「どういったフローで実現しているのですか? 構築は御自分で? 基礎は学院ギムナジウムで学ぶ領域ですか? 追加モジュールは必要ですか?」

「どうして私が貴女に手の内を明かさなければならないのです。貴女は訊かれたからといって独自プログラムのタネを簡単に明かしますか」

 オタカルはビシュラからツンと顔を背けた。ビシュラは「申し訳ございません」とまたしゅんと肩を落とした。
 あのォ、とビシュラは上目遣いにオタカルを見ながら小声で言った。

「ドラゴンについて質問することは許されますか?」

 見た目の割りに好奇心の強い娘だと、オタカルは思った。邪険にされていることは分かるだろうに、己の好奇心の瞬間風速が勝れば引き下がらない。純粋な好奇心を無碍にはできず、「どうぞ」と応えてしまった。

「ここに来てからドラゴンを間近で見たのは一頭だけです。ドラゴンが稀少な生き物であることは知っていますが、〝竜の壁〟という名前からもっと多くのドラゴンが生活しているのかと思っていたのです」

「ドラゴンは基本的にヒトと接することを好みません。我々が来たから姿を隠しているのですよ」

「そうなのですか。三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターでは多くの飛竜を所有していますし、観測所にもドラゴンの制御についてかなり古い記録がありますが……」

「そもそもドラゴンを所有、制御などというのが思い違いです」

 オタカルはビシュラから焚火のほうへ目線を移し、燃料を投げ入れた。火が一瞬ボワッと大きくなり、再びもとの大きさに戻っていくのを黙って見詰めた。

「ドラゴンは人を見透かします」

「見透かす?」

「ドラゴンは三本爪で人を選び、四本爪で人の内を読み、五本爪ともなれば神格。ドラゴンを駆るとは、ドラゴンを服従させることではない。ドラゴンから選ばれ信頼を得るということなのです。つまり、騎兵隊員とドラゴンには信頼関係がある。命懸けの決して覆らない信頼――……。だから戦場でも最後まで共に戦える」

 ビシュラは真剣な面持ちでオタカルの話を聞いた。突然、オタカルは何かを思い出したようにクスッと笑った。ビシュラは初めて彼の柔らかい表情を見た。

「ズィルベルナーなどはもう愛されていると言えます。ズィルベルナーのオフェリアは、彼が命じても女性を乗せませんから」

 オタカルの話を聞くビシュラはまるでお伽話に熱心に耳を傾ける子どものようだった。オタカルが語るドラゴンは、今まで読んだり聞いたりした単なる情報とはまるで異なる。初めて聞く部分も多いのに、生き生きとして、温度のようなものを持ち、ビシュラの胸をドキドキと昂揚させた。
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