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Kapitel 05

25:獣の王子 01

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 一夜明けて午前中。
 アキラとビシュラは窓辺に座り込んでいた。絨毯の上に大きなクッションを敷き、その上に半ば埋もれるようにして座っていた。獣人の体躯が大きいからか、クッションもベッドも扉も調度品も二人が知っているものよりも大きめのようだった。
 ビシュラは両の手を蟀谷こめかみに当て、眉間に皺を寄せて難しい顔で意識を集中していた。手持ち無沙汰なアキラは窓ガラスにぺたりと触れてみた。ひんやりとしている。室内は快適な温度に保たれているが、外はヴィンテリヒブルク城と変わらぬ極寒に違いない。
 アキラが静かに待っていると、ビシュラが「ふう」と小さく息を吐いた。頭から手を離し、アキラのほうを向いて残念そうな表情を浮かべた。

「ダメですね。いくらこちらから発信しても応答がありません。通信妨害用の《牆壁》が展開されているかこの建物自体がその役割を果たしているかの可能性があります。通信するには建物の外に出てみないと……」

「そうですか。どうにかして外に……」

「申し訳御座いません。わたしが不甲斐ないばっかりに」

 申し訳なさそうにしてしるビシュラに対し、アキラはニコッと笑顔を作って見せた。

「気長に待つだけですよ」

 優しくされると余計に情けなくなってくる。ビシュラは肩を落として項垂れた。

「襲撃されたときお守りもできなかったばかりか今も救難信号を飛ばすことさえできない。わたしは役立たずです」

「そんなことないですよ。ビシュラさんがいなかったら多分、わたしこんなに安心していられなかったです」

「安心、していらっしゃるのですか?」

「ビシュラさんがいてくれないと困ります」

 ビシュラにはアキラが本気でそう思っているのか知る術は無かった。この状況下で他人に優しくできる技術など、この若さでどうやって身に付けたのだろうか。それほどまでに必ず天尊が救出に来ると信じているのか。

「わたしが勢いでユリイーシャですって言ったせいでビシュラさんまで巻き込んでしまってごめんなさい」

「何を仰有います。アキラさんが謝られることなど御座いません。わたしはこう見えても兵士なのですよ」

「兵士?」

 アキラはやや首を傾げて聞き返した。ビシュラはスッと目を逸らした。

「ティエンと、同じ?」

「〝大隊長と同じ〟かと言われると少々……いえ多分に……か、かなり烏滸がましいのですが……」

 ビシュラはアキラから顔を逸らしたまま頬を引き攣らせた。自分と天尊が同じ括りかと再確認すると非常に苦しいことになる。天尊は出自に頼っているだけの決してお飾りの大隊長ではない。余所では手に余されたような猛者揃いである隊のなかで最も実力が認められているから長として君臨しているのだ。あのヴァルトラムさえも力を認めているから天尊に従うのだ。そうでなければ野蛮なあの男が、忠義など持ち合わせていようはずもないあの男が、自分の意思以外の何かに従うはずがない。

「わたし、武科コースも修了してないのに本当にエインヘリヤルの一員と言えるのか、なあ……? 確かに学院ギムナジウムを卒業した時点で文官でも階級は得られるけど……。いや、でも三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターの入隊条件は入隊試験に合格することのみのはずだし、学院ギムナジウムを卒業されてない方もいらっしゃるし、規則的には問題ないはず。いやいや、そもそもあれは合格したと言えるのかなあ? 最終的には歩兵長とフェイさんのお陰なような……?」

 ビシュラは一人でぶつぶつと自問自答している様子。アキラはそれを見て苦笑した。素朴な疑問を口にしただけだったのだけれど、どうやらきいてはまずいものだったようだ。

「大隊長とは比べものになりませんが、わたしも兵士の端くれです」

 自己完結したようで、ビシュラはウンウンと頷く。それからアキラのほうに顔を向けた。

「わたしも三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターの隊員。大隊長の奥方さまであるアキラさんをお守りするのは当然のこと。頼りないことは自覚しておりますが、これでも《牆壁》と応急処置くらいは可能です。ご安心ください」

 ビシュラは両手に拳を握って力説するので、アキラはプッと笑った。

「頼りにしてます。だから……ケガするようなことはしないでくださいね」

 コンッ、コンコンッ。
 扉がノックされる音。昨日此処へ閉じ込められてから、獣人たちは扉を開ける際に律儀にも必ずノックしてくれる。ビシュラは高貴な身分の方の部屋に入るのだから当然だと言っていた。アキラ自身は自分が高貴な身分だとは到底思えないのだけれど。

「ウルリヒ王子がいらっしゃいました」

 王子とルディが部屋のなかに入ってきた。部屋の番をしているらしき獣人によって扉が閉められても、二人は扉付近で足を停めたまま黙っていた。アキラとビシュラも窓辺に座ったまま黙って二人を見詰めた。王子は顔を逸らし、腰に手を当てたり額を押さえたりソワソワして視線を忙しなく移動させている。どうにも落ち着かない様子だ。
 しばらく沈黙が続いた後、ルディが王子の背中を肘で突いた。王子はハッとした顔で一度ルディを見て何やら小声で言葉を交わし、それから意を決したようにアキラとビシュラのほうに動き出した。
 王子はアキラの前に片膝を立ててしゃがみ込んだ。見れば見るほど獣の風貌。茶と金の間の色をした真ん丸の瞳を、アキラはジッと見詰めた。色素が薄いから映り込んでいる自分の姿が見える。

「す、少し……話でもしないか」

 王子はできる限り優しく語りかけてくれているように感じた。

「話?」

「恐ろしい目に遭わせてすまなかった。いきなり攫われてきてまだ混乱しているだろう。慣れぬ場所で緊張もしているだろう。だがお前たちに危害を加える気は一切ないと分かってほしい。お前たちにはなるだけ健やかに明るく過ごしてほしいと思っている」

 アキラとビシュラは返答に困って黙り込んでしまった。リアクションが無ければ困るのは王子も同じ。ルディのほうを振り返ると、彼は「続けて」と手を振って促してきた。

「俺を知っているか?」

 王子は自分でできうる限り穏やかな口調で話しかけた。アキラがふるふると首を横に振ると、少し嬉しそうに笑った。

「俺の名はウルリヒ。フローズヴィトニルソン王太子、ウルリヒだ。そしてアレはルディ。将軍であり俺の右腕だ」

 ウルリヒ王子はアキラのほうに少し前のめりになった。

「お前は名は何という?」

「アキラ」

「そうか、アキラか。耳に心地よい響きだ」

(あ、シッポ)

 アキラが素直に名前を答えると、機嫌が良くなったのかふさふさの尻尾が左右に動いていた。人語を解すがそういうところは獣っぽいなと、アキラは何だか少しホッとした。

「歳はいくつだ。まだ成人していないだろう」

「今年で十七歳」

「十七?」

 驚いたウルリヒは顔を引き戻して目を丸くした。当然アキラはグローセノルデンの反応を思い出した。やはり此方の世界ではこの外見でその年齢というのは常識的には考えられないことらしい。

「わたしは人間。ここではエンブラって、言うんでしょ?」

「アキラさま、それを仰有っては……っ」

 ビシュラは慌ててアキラの肩に手を置いた。一気に緊張した顔でウルリヒを見た。

「エンブラだと?」

 ウルリヒは声を抑えることを失念して大きめの声で聞き返してしまった。扉の近くに控えていたルディまで此方に寄ってきた。二人の大きな獣人に覗き込まれてもアキラは動じなかった。自分の胸に手を置いて堂々と口を開いた。

「わたしはキミたちが好きな〝こっちの世界〟の人じゃない。だから元のところへ帰して」

 ウルリヒとルディはアキラに目を見張り絶句した。自分はそうまで驚かれるような存在なのかと、アキラは内心思った。天尊からビシュラたちに紹介されたときは驚かれているように感じなかったし、ヘルヴィンとユリイーシャも驚いてはいるようだったがここまで如実な反応ではなかった。あの二人は天尊とは浅からぬ関係なので気を遣って反応を抑えてくれたのかも知れない。

「これがエンブラか。初めて見た。お前は見たことがあるか?」

「いいえ、私も初めてです王子。実在しているかどうかも疑わしいと思っておりましたから」

 ウルリヒはビシュラのほうに顔を向ける。

「お前もエンブラか?」

Neinナイン

 ウルリヒは「そうなのか」と少々残念そうに言った。それからウルリヒはビシュラには興味なさげにアキラのほうに視線を戻したが、ルディの目はビシュラに止まっていた。

「エンブラでないならば何故エンブラと一緒にいる?」

「わたしはアキラさまのお世話をする侍女です。アキラさまはウーティエンゾン・ファ=ニーズヘクルメギルさまの御婚約者なのですから当然でしょう」

 ビシュラはルディの問い掛けに嘘を吐いた。正直に兵士だと身分を明かすわけにはいかない。幸い自分でも兵士らしさなど何処にもないと思っている。身分が判れば厄介だと思われてアキラから引き離されてしまうかもしれない。そうなればアキラを守ることも支えることもできなくなってしまう。己の非力は思い知っているが、此処でアキラを守ることができるとしたら自分だけなのだ。
 アキラはウルリヒの尻尾を見て溜息を吐いた。先程よりも明らかに大きく揺れている。

「わたし〝こっちの世界〟の人と違うんだよ。それでもいいの?」

「何故エンブラではいかんのだ。愛らしいことに変わりはないではないか」

 彼らは自分とは異なるヒトのような造形を純粋に好ましく思い、愛でたい。彼らのほうこそ見た目よりも随分大らかな生き物ではないか。

「何か欲しいものは無いか? 無いと困るものでもいいぞ。俺はエンブラに詳しくはないからな。言ってくれれば欲しいものは何でも用意するぞ」

「女性ですからな、まずは着るものを、王子。いつまでも薄い寝間着のままでは体を壊しやすくなりますし、彼女たちの気も晴れますまい」

「そ、そうだな」

「とりあえずは急ぎ使いの者を遣って用意させます。ヒトの衣服を仕立てられるテーラーを探さねばなりませんね。私の知人に服飾の――」

「食べ物です」

 ルディの言葉にウルリヒは「うんうん」と頷いていたが、盛り上がっていた彼らの話をビシュラが遮った。

「エンブラであるアキラさまは限られたものしか口にすることがおできになりません。アキラさまが召し上がる物を用意してください」

「限られたものしか口にできないとはどういうことだ。体が弱いのか? 長く生きられないのか?」

 ウルリヒはオロオロとしだしアキラを色んな角度から観察する。そのようなことをしても医者でもない彼に何が分かるというわけでもないけれど。

「見た目は同じように見えてもエンブラは我々とはまったく異なります。加えてアキラさまはまだこちらにいらしてから日が浅い。何が毒になるとも分からないのです」

 ウルリヒがズイッと近付いてきてビシュラはビクッと肩を跳ねた。しかしながら唇をキュッと綴じ合わせて自分を奮い立たせ、無理して肩を怒らせる。

「ならば詳しく教えてくれ。食べ物は早急に用意させるから」

 ビシュラに詰め寄っていた王子の肩をルディがポンポンと叩いた。

「王子、そろそろお時間です。会議に向かわれませんと」

「食べ物の件は後ですぐに人を遣るから教えてやってくれ。夜までに必ず用意させる。一緒に食事をしてほしい」

 ウルリヒは心なしか嬉しそうに尻尾を振りながら部屋から出て行った。

 ウルリヒとルディが部屋から去り、ビシュラはホッと胸を撫で下ろした。

「アキラさん、どうして突然エンブラなんて言い出されたのです」

 アキラは「うーん」と天井を仰ぎ見て、そのまま壁に背から凭れかかる。怯えている様子など微塵もなく対応していたが、彼らが出て行って緊張が解けたのはアキラも同じだ。

「人間だと分かったら放り出してくれないかなと思ったんですけど、そう上手くもいかなかったかー……」

「フローズヴィトニルソンがエンブラも好むというのはわたしも初めて知りました。むしろ気に入られてしまったようですね」

 ビシュラはアキラの顔を横目でチラッと見た。

(アキラさんが気に入られてしまうのは少々マズイですね……)

 肩を落として「はぁあー」と大きな溜息を吐いた。
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